「ヘルペス・シェーグレン症候群・膠原病手記」

匿名希望33歳2014年9月12日

タイトル:「ずっと治らないのにその薬を飲み続けるの?」

2010年、某病院でお医者さんから「この病気には治る方法はない」って言われました。その上このまま一生、薬を飲み続けて病気と付き合うしかないとも言っていました。タイトルの言葉、これは膠原病になったとき私が自問自答したものです。もしあなたも何かの病気を抱えているのならこの手記が病気が良くなるきっかけになるかもしれません。

こんにちは。ドイツ在住の33歳女性です、2歳半と1歳になる娘がいます。先週末ほぼ2年ぶりに松本漢方クリニックに来て血液検査を受けてとてもいい結果が出てきましたのでそれまでの経過をご報告します。まだ完治には至りませんが改めまして松本先生、松本Jr.先生、鍼灸師の先生、看護婦さん、受付の方々…。ここまで私の免疫が正しく動けるようにサポートいただき本当にありがとうございます!!どこの病院でも見放された(と私は感じている)のに拾って頂きここまで回復できて自分だけでなく家族がまた明るくなれた気がします。当時は「痛い。辛い。しんどい。」の連続でしたので。これからは自分のやりたいこと、やるべきことを今度こそは自分を潰すことなく(自分でホルモンを作ることなく…笑)行動できそうです。松本先生とお話していることで私がそういう考え方になれたことこそが一生の宝かもしれません。(きっとここに来られなかったらまず精神的につぶれていたことでしょう)


◆なんでシェーグレンっていう変な名前の病名が私についちゃったか?

2011年10月頃 40度の発熱とのどに違和感がありました。声が出なくなってしまったので病院に行ったところ竹節状のいぼのようなものがあると言われました。方法としてはまずは薬を飲み様子を見て良くならないなら声帯に出来ているいぼを切るかも?と言っていました。(今考えると私の体はすでに小さいころからヘルペスに犯されていたのでしょう。小学生のときから口内炎はしょっちゅう出来ていましたし。)ですがこれをヘルペスと言ってくれたドクターはいませんでした。内緒ですがこれは東京都新宿区にある国立の大大大大病院でした!それからこのいぼからリウマチ膠原病科へ回されさらに血液検査をして

ここで私にとって衝撃的なことがあったのです。診察を終えた先生から、「これは治りません、一生付き合っていくしかないです。これらの薬を飲み続けこれから定期的に血液検査に来て様子を見ていきましょう」と…。

「はあ?」でした。当時28歳。これまで病院にいって医者から治らないなんて言われたことがありません。当時家族を巻き込んで、かなりふさぎ込みました。いろいろ調べましたが「あきらめ」の極地まで来ているし、かなりの数字の値も高くなっていたのか(当時の結果はありません)体がだるく、動けません。結婚していましたが何もできない日が続きました。でも、若干感じていましたが、これって自分が悪いんですよね。仕事をしていたので自分で自分を責めてストレスの強い働き方をして、その上信頼していた人へうん百万のお金を貸していたのですがそれを返してもらえない。その上、その人が変な宗教に入信してしまい… もう私はほぼ人間不信でした。ははは。別にかわいそうな私の人生話をしているわけではありません。身から出た錆とでもいいましょうか20代そこそこの女子が、調子に乗ってこんなことをしでかしたせいで、「どうしよう、どうしよう」と主人にも言えない強いストレスに負けないように、そして、自分が死んでしまわないように、副腎質ホルモンを作って免疫を抑えてしまっていたのですよね。そりゃクラススイッチなんてできるわけがないわけです。その上、毎日毎日コンビニ弁当や化学物質の多いコンビニ食。リポビタンDのような飲み物を毎日毎日飲んでその上、関節痛がひどくなるといやだからホルモンたっぷりの薬(ステロイドホルモン3mg×370日ほど)を服用。レーシックもしていたから炎症を抑える薬に、毎月生理痛のための鎮痛剤。ざっと並べるだけでも恐ろしい量の異物なわけです。本当だったら私の免疫が正しく働けば、

外に出すはずの異物を体の奥底(関節という関節)に封じ込めていたのでしょうね。このようなディンクス東京ライフをしているうちに、主人の海外転勤が決まり(2011年5月から)、すべてを捨て去ることができる人生を頂くことになりました。本当に私はラッキーというかご先祖様に感謝してもしきれないというか…。

今考えるとこの時点で一旦人生をリセットすべきと言われていたのでしょうね。そんなことは今だからわかることで、流れに逆らわずかなり楽しみなドイツ生活が始まったわけです。夢の海外生活!ハッピーなのですが体は疲れたらしんどいな~と相変わらずな日々でした。飛行機を降りてもひどく陥没した口内炎ができ熱にうなされながらドイツ生活がスタートしました。その時はアラサーになると飛行機はしんどいな~という感じでした。ドイツに行ってすぐにまた膠原病にはどのような処置をしたらいいのか?とパソコンを開いて検索していましたが(当時はドイツは医療の先進国だからきっとこの国に答えがあると思っていました)ある日、ふとグーグルでの検索ワードを変えたのです。

これまでは「膠原病 症状」や「膠原病 治療方法」だったのを「膠原病 完治」と。そうしたら、松本漢方クリニックが出てきたのです。松本先生の理論ははじめ私にはわけもわかりませんでした。そのうちホームページの先生の理論、シェーグレンの方の手記を何度も何度も読みました。本当に、理論なんて全くわからなかったのですが読み進めていくうちになんとなく体で起こっていることが少しわかってきて、自分で治せるということがわかり松本先生にあいに行きたい!直感的に「ここだ!」と思ったんです。ですが、時すでに遅しで私はドイツ。すぐに帰国を考えましたが、びびった私は早速母に電話してちょっと話を聞いてもらいました。すると、母は先生と直接話をさせてもらいその先生のお人柄に惚れ、私に安心して自分で電話をするように言いました。さっそく私から国際電話をし今、飲んでいる薬を話したところ辞めてええよと。当時、妊娠したこともあって私は思い切ってすぱっとやめてみることに。松本先生には妊娠期は症状が収まるから産んだらおいでと言っていただき、第一子が10か月のころ一時帰国し血液検査をしました。なぜ、妊娠期は収まるのかは先生のホームページにアップされているのですが電話の後でそのページを読んだことを覚えています。実際、「なんてこんなに体が楽なんだろう」という感じでずっと妊娠していたいなと思うほどでした。変な症状が出ずハッピー妊娠ライフでした。こちらで婦人科に通うわけですがドイツでも先生の理論を知っている先生はいないと想定していましたので「なぜ、日本でもらったその薬を飲まない?」と婦人科の先生と私の戦いもありました(笑) どう話をしたってわかりっこないわけで…。時間の無駄は嫌いなので適当にやり過ごしました。添付の血液検査の結果がこれです。

注) 5,6ページ グラフをご参照ください。


長女出産後、先生に電話で相談しながら漢方を飲んでいましたが症状が出ないことが多く治った?と思って辞めたり飲んだりの繰り返しでした。そのあと、続けて第二子を妊娠したことから松本先生に相談し、大丈夫だけどなんかあったらかなわんからとういことでまたお灸や漢方をストップすることにしました。そして、次女の妊娠中も症状がでない快適な(笑)生活を送りこのままずーっと妊娠していてもいいかもなんて冗談でも思ってしまうほどでした。2013年8月出産後、嬉しいことに出産後から首の後ろにかゆみが出てきたのです。当時、このかゆみについては先生のホームページに書かれていたのに気付かず「痒い!なんだ?」と思い婦人科やハウスドクターで診断を受けました。そのうち「あれ??まさか」と思い、先生のホームページを見たら出産後について書かれている箇所があり目から鱗で、「やったー!」と思いました。いよいよ、私にもクラススイッチが起こり始めてきたのかと!!!!!(詳しくは先生のページを)それから1年は長女の夜泣き。次女の3時間毎の授乳。かゆみで寝られない(笑)というまあ、痒い以外は想定内でしたがしんどい1年でした。


◆(人生で)最後の痛みが来たよ~

次女が半年くらいになる2014年の3月これまでにない全身の関節という関節が腫れ痛みが出てきました、そのあと、先生に電話をして「娘が半年になったのでそろそろ飲もうかと思います」と相談して、お蔵入りになっていた漢方を取り出しまたまた飲み始めました。これからは松本先生に「もういいよ!」と言ってもらうまで必ず飲み続けると決意して。そしてほぼ関節痛がないなと思っていたところ半月板を損傷して今、治療のために一時帰国しています。もちろん、松本漢方クリニックにも行きたかったので。そこでわくわくしながら血液検査の結果を見てみると…。じゃじゃん。

わお。数字は嘘をつかない。←これ、うちの家訓でして(笑) 電話でこの結果を聞いたのですが先生から数字が1下がることでもすごいことなんやで~と言われて感激しました。私はまだヘルペスの数値が高いままなのですがこれまでは授乳中だったのでこの薬は飲まず2014年9月9日から断乳して、ヘルペス退治の薬を飲み始めたところです。少しだるさがとれてきたように感じています。断乳にも先生が支えてくれました。「初乳は絶対にあげないかんけど、もうかまん。あんたが治す番や」


◆なんでここまで治っちゃった?

何が変わったかというとこの病気は、自分の「免疫」が治せると知ったこと、

それを松本先生に教えていただいたことが一番だと思います。それに、子供が生まれて否応なく生活が変わり毎日にこにこして(もちろん育児疲れはありますが)睡眠時間をたっぷりととるように心がけることも大きかったと思います。もちろん化学物質の入っているものはできるだけ口にしないで手作り食事をするようになりましたし。これも大きかったと思います。私がしんどいときに文句1つ言わず子育てを代わってくれた主人、父。一番初め漢方が苦く飲みにくいと言っていた私に漢方を作ってくれた母、飲みやすいようにジュースを用意してくれた兄、義姉。本当にみんなのおかげで良くなったと思います。本当に一人では治せなかったと思うのですが私が治せるんや!と松本先生に教えてもらってこれまでの薬漬けの生活から考え方まで変わってこれたから短期間でここまでの結果が出たのだと思います。先生、いつも「お~松屋でおおたあんたかー!ドイツは今何時や~?」と覚えてくださってありがとうございます!実は、1年前にも一度手記を書いているのですが、どうしても当時は確信が持てずに手元に置いたままでした。先生、ごめんなさい。しかし数字は嘘をつきませんので血液検査が出た今、胸を張ってお話できたと思います。


最後になりましたが重ねて、松本先生、松本Jr.先生、看護婦さん、鍼灸師さん、受付のみなさん、本当に本当に感謝申し上げます。また病院に参りますので引き続きよろしくお願いします。当時、私がアトピーの症状が出てきたときに先輩の手記にあった写真がとても助かりましたので私の写真も添付します。何かのお役にたてたら幸いです。