「ヘルペス&高血圧手記」vol.3
55歳女性 2015年3月1日
55歳女性 2015年3月1日
拝啓 松本仁幸様
久しぶりに文章でお目にかかります。前回の投稿が2013年7月でしたのですでに1年半も経っているのですね。ちなみに本日は2015年2月15日です。
娘のクローン病を完治まで導いていただき娘共々心から感謝するとともに、私の五十肩も完治しておりますことをここにご報告いたします。思いっきり動かしても何のストレスも感じません。感動です!腕・肩の稼働領域は五十肩になる前よりも広くなったと思えるほどに快適です。さらに、股関節も柔軟になっているのを感じています。前屈運動や開脚運動も身体が柔軟だった小学生の頃を思い出すほどです。肩こり・首こり・頭痛・耳鳴り・吐き気・咳・顎関節痛・不眠・腰痛・便秘・こむら返り......、そうそうリウマチの可能性があるといわれた両手指の関節痛も雲散霧消!!快適そのものです。あれもこれもヘルペスウイルスの仕業だったのか...!!恐るべし!ヘルペスウイルスめ!!もちろん、現在でも抗ヘルペス剤の服用は続けております。松本センセー!!!ありがとう!!!!この感謝の気持ちはどんな言葉を持ってしても言い表せないほどです。
それでは「ヘルペス手記vol.3」を始めさせていただきます。
敬具
2013年4月に母を亡くしたことは前回の手記で書かせていただきました。母が逝って1年後、父も見送ることになりました。2014年5月末のことでした。そのころには私の五十肩はほぼ完治していたと思います。肩の痛みはほとんど無くなっており背中にアトピーがびっしり出ていたのを覚えています。娘に頼んで背中に紫雲膏を塗ってもらっていました。
さて、少し時間を遡ってみて驚きました。2013年の記録を見てみると、日替わりで現れる、頭痛・耳鳴り・眠気・こむら返り・顎関節痛等々、かなりつらい日々を送っていたということが分かりました。2月、抗ヘルペス剤の服用を開始し、7月には治打撲一方湯開始。とにかく眠かったようです。松本理論を読み返しては感動していたので何の不安もありませんでしたが、日々の暮らしは激動そのものでした。娘のクローン病完治の喜びもつかの間、春に母が亡くなり、秋には父が入院。「原発性肺高血圧症」と診断され、お決まりの特定疾患フルコースに乗せられるところを阻止。半ば無理矢理に松本漢方クリニックへ連れて行きました。松本先生の見立てでは「間質性肺炎」と「多発筋痛症」でした。
そこから、父に松本理論を理解してもらおうと私は奮闘しました。同時に、父と同居の弟とその近くに住む妹にも理解を求めましたが、二人とも事態の緊急性を理解するまでには至りませんでした。
父は、漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を服用しながらも、それ以前の病院で処方された薬も飲まなければと思い込んでいるし、その薬が終わりそうだから病院へ行くと言ってはプチパニックに陥ります。父を説得するのですが、「医者は偉い人」という長年の思い込みを外すのは至難の業。松本理論を理解している私ですが、傍についていられないもどかしさの中で時間だけが過ぎていきました。父は訳が分からないなりにも漢方を煎じることはきっちり自分でやっていました。服用開始から1か月もたたないぐらいで、アトピーが出始めました。その速さに驚き、これは素晴らしいことなのだといくら説明しても「悪くなった、もうじき死ぬ」と聞き入れません。抗ヘルペス剤の必要性をどんなに説明しても保険医薬品でないということ、金がかかるという理由で服用をかってに調節。「食後と書いてある。今日は食欲がなくご飯を食べてない、だからこの薬は飲まない」といいます。ごみ箱には菓子パンの空き袋があるのに......。それでも漢方だけは服用を続けていました。アトピーのひどさは手記で皆さんがおっしゃっていらっしゃるのと同じです。浸出液やら剥がれ落ちる皮膚やらで大変な状態。
約2か月ほどで新しい皮膚にすっかり交換が終わりました。お肌つるつるになった父に妹夫婦が付き添って、二度目の松本漢方クリニック受診を果たしました。そして迎えた母の一周忌の法要。なんとか無事にすませることができたものの、父は、母の法要を終えると、まるで生きるスイッチを切ってしまったのでしょうか、いや、スイッチは一年前のあの日、既に切っていたのかもしれません。「アサヨ(母の名)のところへ行く」と言ったその口で「俺を殺す気か!」と叫びます。「生きるのもいや!」なら「死ぬのもいや!」手が付けられない状況に陥っていきました。理解力のない人では決してないのですが、理解しようとする意志はみじんもありませんでした。母の命日から一か月半ほどたったある朝、突然、父は逝ってしまいました。朝食も食べるばかりに自分で整えてありました。食前食後の漢方煎じ薬のボトルもそのそばにありました。ボトルの脇にあるのは漢方専用のカップ。いつも通りの朝だったようです。一番驚いたのは父自身でしょう、きっと。自分で生きるスイッチを切ったことにも気づかず、プチパニックを繰り返しながらも身体は回復の方向へ向かっていました。体格のいい父でした。身体と心が真逆の方向を向いていました。苦しかったでしょう。この朝ほど、『理解』あってこその真実なのだと思い知らされたことはありませんでした。
思いのほか、父のことをたくさん書いてしまい、なんだか重い気持ちになってしまいました。詳しく書けばもっともっといくらでも書けてしまいます。本を一冊書いたとしても書ききれないほどの物語を秘めた一つの人生が終わっていきました。
そのころ私は私で、抗ヘルペス剤を服用し続けるためにも、父を見舞うためにもお金が必要で2013年の冬になるころには本業に加えアルバイトも開始しました。先ほど書きましたように、その翌年の初夏には父は逝ってしまったのですが......。生きるとはストレスと同居するようなものですね。
それにしても入れ替わり立ち代わり現れては消えていく身体感覚を松本漢方クリニック以外の病院で訴えたとしたら......、即『黄金色に輝く膠原病のレッテル』をペタリと張られてステロイドをてんこ盛り~だったでしょうね(笑)ああ、恐ろしい。そして、真実の理論を知った今、世の中で起こっている現実を知れば知るほどに残念でならない。人間はもっと賢く進化することもできていたかもしれないのに......。父だってもっと賢く生きられたかもしれないのに......。これって、ヘルペスウイルスにしてやられたといえるのか......?実は人類の脳みそは既にヘルペスウイルスに乗っ取られているのかも......。人のエゴこそがヘルペスウイルスの餌だったんだわ、きっと。新発見だね(笑)
さてさて、五十肩の痛みはすっかり無くなったものの、頭痛・耳鳴り・こむら返りなどは続いておりました。抗ヘルペス剤服用と治打撲一方湯の服用を開始して1年半が経った頃のことですです。一進一退を続けていた私とヘルペスウイルスの攻防戦は、父の死後、ひょんなことから急展開を迎えました。きっかけは高血圧です。
それまでは仕事に支障をきたすほどはなかった眠気でしたが、ついに仕事中でさえ一瞬意識がなくなるほどの睡魔に襲われるようになりました。父が亡くなり心労が重なっているさなかでしたので、できる限り早寝を心がけており眠った感覚もあったので不眠の自覚はありませんでした。どうして、ここまで眠いのか訳が分かりませんでした。そんな折、職場での健康診断で血圧が高すぎることを指摘され、血圧計を購入して継続的に測定することを勧められましたが、心労続きの日々を自覚しておりしばらくすれば改善するだろうと気楽に考えていました。ヘルペスウイルスをやっつけるために免疫が頑張ってくれているからこそのこの症状。抗ヘルペス剤服用量を増やし、治打撲一方湯もずっと続けているし、そのうちよくなるだろうと楽観的でした。
父の初盆を終え少しばかりほっとしたころのことです。どうも様子がおかしい......。眠れないほど極端な頭痛と心拍数の急増を自覚し「高血圧」の三文字が浮かび上がってきました。心室中隔欠損症(VSD)という先天性の心疾患もあることだし、健康診断から二か月経っても血圧が高いままで心拍数も上昇している......。だとしたら心室中隔にある穴(欠損部)に負担がかかり続ける......、とりあえず近場のクリニックで降圧剤の処方を受け、それから松本漢方クリニックへ行こうと思い近所の内科(循環器内科も標榜)へ。症状を伝えると笑えるほどに適当な診断が返ってきました。「過眠症なら精神科へ。心臓は専門じゃない(循環器内科を標榜してるくせに)。血圧は専門だから言わせてもらうが、診察室で高いからといってすぐに薬は処方しない(健康診断時の数値を持参しているにもかかわらず無視されました)。家で継続的に測定してからでないと治療しません。それが今のトレンドですから」ときたもんだ!はぁぁぁ?トレンドォ?ここまで落ちたか。呆れて腹も立ちませんでした。クリニックを出て、そのまま血圧測定器を購入し帰宅。この日は月曜、松本漢方クリニック休診日。とりあえず血圧を測定して様子を見ることに。記録帳によると松本漢方クリニックへ電話したのは水曜の昼休み。「もっと早く電話せい!徳弘徳子さんの手記を読め!」
真っ先に松本先生に相談すればよかった。すぐに降圧剤を処方してもらいましたが、薬が届くまで待ち遠しかったこと。松本先生に症状を伝えたことでほっとしたのか、その夜、心拍数78はともかく、血圧218/134にまで上昇(最高記録!)。深夜2時ごろのことでした。またもや「もっと早く電話せい!徳弘徳子さんの手記を読め!」の声が頭の中をグルグル。徳弘徳子さんの手記は読んでいたけど高血圧のことに触れておられたことはすっかり忘れていました。「そうか!これもリバウンドか......。」抗ヘルペス剤を服用。頭痛もひどく眠れないので足湯をしてリラックスを心がける。血圧181/104、心拍数66までに下がりやっと眠ることができました。
木曜の夕方、降圧剤が届くとすぐにカルスロット20mmを1錠服用。ひと眠りすると血圧は下がったものの心拍数急上昇と激しい頭痛、おまけに顎関節痛も現れていました。顎関節痛は朝までには治まっていましたが、その週末には松本漢方クリニックへ行く予定になっていたことだけが励みでした。
待ちに待った松本漢方クリニック受診日、心拍数上昇を伝えるとアテノロール25mmが追加処方され、血圧140/80、心拍数60を目標値とするようにと教えていただき帰宅。
これで安心して血圧コントロールができるようになったとほっとしたものの、最小血圧がいまいち下がらないのです。電話でそのことを伝えると「下がらんのはコレステロールが高い人が多いんや......」カルテをめくる音が聞こえる。「ほぉれみぃ!コレステロール高いでぇ!糖尿食やらなあかん!」
2014年9月17日のことでした。遡ること一年、そう、父が入院した頃、松本理論をあれやらこれやら読み直していたら「究極の健康食=糖尿食」とあったのを見つけて炊飯器を片付け、炭水化物断ちを始めていたのですが、お菓子だけは止めていませんでした。お菓子作りが大好きでケーキ屋でアルバイトをし、家でもお菓子を作って食べていたのです。それでも体重は徐々に減っていくではありませんか。お菓子以外の炭水化物を抜くだけでこんなにも身体は軽くなるものなのかと思っていました。でも、先生に言われたその日から「糖」と付くものをきっぱり止めました。すると、目に見えて体重が落ちていきました。米・麺・芋を止め、一年かけて少しずつ減ってきていた体重でしたが、お菓子断ちを追加したところ、朝起きる度に体重が減っていきました。それによく眠れました。9月時点で22.3だったBMIが三か月後には20.0にまで落ち、最小血圧も80以下に下がることも多くなっていきました。最小血圧がきちんと下がることをコレステロールコントロールの目安としました。カルスロットも20mgを服用したのは最初の1回だけでそれ以後は10mgでコントロールできています。服用しないで済むことも徐々に出てきました。「あなたの身体はあなたが食べたものでできている」という言葉が骨身に沁みます。誰が食べたものでもありません。自分自身が食べたものが私の身体を作っているのです。当たり前だけと意識しなければ気づかない事実でした。シンプルこの上ないことなのですがね......。
ヘルペスウイルスは狡猾この上ありませんねえ。ストレスがかかってステロイドホルモンを自分自身で作ってしまえばヘルペス天下。抗ヘルペス剤を服用し治打撲一方湯を飲み続けていてもリバウンドが起きるのは、自分自身でステロイドホルモンを出し続けているということに他ならないでしょう。ストレスは生きている限り、無くなることはないでしょうが、自分自身で作り出すステロイドホルモンであるならば、それを減らすのも自分自身ということになるはず。ストレスを減らそう!自分の生き方は自分で選べるはず!
過去に関しては冷静に振り返り納得のできるストレスを抱えていたことを理解するまでに至っています(このことはまたいつか書きたいと思っています)現在に関して改善できるとしたら......。ということで思い浮かんだのがWワークをしている自分の姿でした。気づいてしまったから実行するしかありませんね。アルバイトを辞めました。自費診療の抗ヘルペス剤を安心して服用し続けるため、大阪の松本漢方クリニックに安心して通うためにと始めたアルバイトでしたが、辞めて二か月経った今、驚きの事実が......!毎朝のようにひどいこむらら返り(時には両足)で目覚めていたのですが、それがなくなっているではありませんか!代わりに脛と腿にアトピーが出てきましたが。痒いので掻いてます。もちろん紫雲膏(赤い軟膏)を塗るのも忘れてませんが。紫雲膏はよく効きますねえ!いい感じです。
風邪のウイルス侵入もすばやく感じ取ることができるようになりました。すぐに風邪用顆粒タイプの漢方(葛根湯+小青龍湯や葛根湯+麻杏甘石湯)を服用し、タンパク質を多めに取って暖かくしてゆっくり寝ます。回復は早いですよ。そうそう、風邪ウイルス侵入の目安は意外と簡単にわかります。頭痛や耳鳴り、こむら返りもどき、腰痛・肩こり・首こり・顎関節痛などが軽く現れるからです。咳が出て喉に傷がついたときは抗生物質(フロモックス錠)も服用します。
満員電車通勤をしているし、個室での個人面談をするのが仕事です。風邪のウイルスはどこにでもいるのでウイルス侵入は阻止できないと思います。免疫力維持を心掛けていますが、ウイルスが侵入してしまったら自分の免疫でやっつけてもらうしかないのですよね。栄養と休息と保温の三原則に加え常備している漢方薬と抗生物質の力を借ります。
さて、アルバイトを辞めることによって休日をゆっくり過ごすことができるようになりました。これは思いのほか効果が大きかったようです。ベランダで草花を育て、花を眺めながらたっぷりのカフェオレをゆっくりと飲んでリラックスしている自分自身に驚きです。アルバイト分の収入は減りましたが、代わりに生まれた気持ちのゆとりは大きかったようです。気づけば、諸々の痛みや不快感から解放されているではありませんか!こむら返りも耳鳴りも風邪をひかなければ現れませんし、抗ヘルペス剤の服用錠数も減っています。血圧が安定しているときは降圧剤も服用しません。なあんだ!余裕を持とうとすることがかえってストレスになっていたなんて笑えます。
それにしても、糖尿食は健康食なんですねえ。タンパク質が足りていれば甘いものを特に欲しいとも思わないということにも気づきました。眠っている間に免疫がしっかり働いてくれると翌朝は体重が減っているということにも気づきました。職場では、私が筋トレやジョギングなどでそうとう頑張ってダイエットをしたという噂が広まっているらしいですが、運動は一切していません。それどころかエレベーターやエスカレーターを積極的に使っていましたし、食事も糖質を抜いただけでお腹いっぱい食べています。米を食べないため、それまでにも増して薄味にはなりましたが。頭の中もすっきりしました。「『健康』は自分で作るもの」というか、自分以外にだれがやってくれるでしょう?「真実の理論を知ったら実行する」これに尽きるのですね。
『知行合一(ちこうごういつ)』という言葉は「知と行を一致させよう」と読むのではなく「知と行はつねに合致している」と読むべきでしょうね。「知と行の不一致(知っていてもできない)」というのはあり得ないということですね。「行」を伴わないなら「知」ではなく、ただの「幻(知ってるつもり)」なだけ......、なのでしょう。松本理論をただの『幻』にするか真の『知』にするかは、その人次第。ならば、私は真の知を選びます。実践者としてこれからも報告を続けたいと思います。
というわけで、私のヘルペスコントロールはこれからも続きます。過去と真摯に向き合えば過去のストレスもその姿を変えることができ、共存できると考えます。現在のストレスは認識できれば過去よりも変えやすいでしょう。勇気をもって自分自身を見つめ直し我が子たちの手本になりたいものです。手本はないよりあったほうが良いですから(笑)
毎回、松本先生のコラムが更新されるのを心から楽しみにしています。私が本当に知りたかったことをわかりやすく説いてくださるこの出会いに感謝と感動でいっぱいの毎日を送っております。この上なく美しい心に出会わせていただきました。エゴを超越してこそ見出せる真実を目の前に広げてくださっているのですから。生きていてよかった......。シンプルに『ありがとう』の言葉があふれます。
熱性痙攣について書きたかったのですが次回にしたいと思います。今夜はこの辺で。