「潰瘍性大腸炎・ヘルペス」
匿名希望S 47歳 2015年2月22日
1、潰瘍牲大腸炎の発症
平成5年5月に待望の子供を授かり退院をして2日後のことでした。子宮からの大量出血があり再度入院、子宮内に胎盤が残っていたため、再手術をしました。予後もあまりよくなくその後半年子宮からの出血は止まりませんでした。今まで薬を殆ど服用せずにいた私が、その半年間婦人科で止血剤、子宮収縮剤を服用していました。半年後、子宮からの出血は止まったのですが12月31日に便をした後にポタポタと痔のような出血がありました。元々便は固く、切れ痔になったこともあるので痔だと思ってました。しかし出血は止まることはなく、年始だったためすぐには病院に行けませんでした。近くの内科、胃腸科を受診すると直腸がものすごく腫れていると言われました。子供がまだ小さくて周りに子供を預かってもらえないので実家に戻り再度大きい病院にかかりそこで潰瘍性大腸炎と言われました。サラゾピリンを渡されました。1日か2日服用するとすぐに止血しましたが、体中に薬疹が出たので服用を止めた途端、出血が始まりました。今度はツムラの穎粒の漢方薬とリンデロン座薬を処方されましたが、症状は最初直腸型だったのに全大腸炎型にまでなってしまいました。その後入院しましたが薬は同じままでよくならないのに退院させられ、気にしすぎだと言われたのを覚えています。平成6年位だとこの病気もかかっている人が少なく、パソコンも発達していなかったので病院の先生に言われるがまま半年近く過ごしました。あまりにも、よくならないので、違う病院にかかったら、たまたま潰瘍性大腸炎に詳しい先生が診てくれて、こんなになるまでよく我慢していたと言われ、薬疹が出たサラゾピリンを服用しないとだめだと言われ服用すると今度は薬疹も出ず止血しました。この時平成6年7月のことでした。
2、他の病気の発症
その後、3年間位はサラゾピリンを服用していました。症状も落ち着いてくると、第2子が欲しくなり、サラゾピリンも6錠から4錠、2錠と少しずつ減量していきました。しかしなかなか妊娠しないため婦人科で排卵誘発剤などを使用して、その1週間後卵巣嚢腫発症、そして手術、しばらくして妊娠、すぐ流産してしまいました。その後3年間位はサラゾピリン6錠を服用していましたが、離婚を機に薬を服用しなくても症状は全く出なくなりました。友達にはすっきりしたから病気が治ったんだよと元気づけられましたが、内心この病気と子供を抱えて不安だらけでした。今だから分かります。体からものすごい量のステロイドホルモンを分泌していたのでしょうね。その後10年位は薬も服用せずいましたが、平成20年の11月に40歳の婦人科の検診で子宮頸がんと診断されました。幸いステージ1だったので子宮温存で少しだけの切除で済みました。しかし、結局平成23年3月、子宮筋腫が12センチもあり子宮を切除することになりました。この時は潰瘍性大腸炎も治ってきているのに次から次へと病気になるのか理解できませんでした。
3、潰瘍性大腸炎の再燃
子宮筋腫の入院をしているころから、背中に3か所虫刺されのようなものがありました。とにかく痒くて薬を塗っても治まらず1年半後いつもと違う皮膚科にかかりました。そこでもらった薬を服用した途端、恐れていた便からの出血が始まりました。この時はまだサラゾピリンを服用すればすぐ止まるだろうと思っていましたが、止血しませんでした。背中もとびひのようになり痒みも酷くなりました。皮膚科でもらったエンペラシン(ステロイド)を服用すると出血も痒みも止まりました。平成25年1月から5月位まで服用してましたがエンペラシンを減量した途端、出血が始まり、増量しても止まりませんでした。この時初めて薬が効かないという恐怖が頭をよぎりました。また知り合いのお嬢さんが潰瘍性大腸炎で全摘していたので話をするといろいろ薬があるけど、だんだん効かなくなり全摘になっても直腸があれば、人口肛門にならないからと言われましたが、私は直腸の炎症がひどかったので人口肛門になるのだろうなと思ったりすると、なんとしても治さないと思いました。この時からやっとパソコンを開いて調べ始めました。平成25年8月に入り松本漢方クリニックにヒットしました。この病気は治ると書いてありいろんな方の手記を読み漁りました。すぐにでも行きたいと思いましたが、仕事も休めず、また子供も短期留学していて家族もいなかったし、まして神奈川から大阪まで通えるのだろうかと悩みました。とにかくこの状態を何とかしなくては、行くだけ行ってみようとお盆の時期でしたが、新幹線に何とか空きがあり飛び乗りました。この時私の症状は、粘液交じりの血便で、トイレは10回位でした。食後1時間に3,4回続けて駆け込むという状態だったので、新幹線の中では何も食べないようにしていました。お盆の時期だったので、京都は人であふれていました。そして乗換えて、高槻に到着し松本漢方クリニックを見つけました。医院に入ると針治療、尿検査などを先にさせられ、その後、診療室に呼ばれました。若い先生が今までの経過を聞き途中から松本先生が顔を出し、「なんで神奈川から来たんや。病気の原因はなんや?」と大きい声で聞かれ、私は頭が真っ白になり、サラッとしか読んでいなかったのですぐに答えられませんでした。ものすごく怒られました。ここまで来たのにどうしようと一人で来たこともあり、心細く泣きたくなりました。最後には先生は「いいか、治るから。自分の免疫が治すんや」と握手をして下さり漢方薬を処方してくれました。
4、アトピーとの戦い
自宅に帰り早速漢方薬を、食前、食後用を煮だしました。こんな状態でもフルタイムで仕事していたので最初は手間が増えたなと思っていました。始めは煎じ用の布袋に入れて煮だしていたのですが、100均でだしパックに入れて煎じると楽できました。週1回の漢方風呂もだしパック3つに分けて入れ布袋に入れると処分に楽でした。症状の方は相変わらず10回位で変わりなく、ひどくなることもありませんでした。1か月後にお腹にプツプツ出来たと思ったら忘れもしない9月26日の夜中、背中が物凄く熱くなり「わ一」と大きな声を出しましたが眠かったので寝てしまいました。翌朝背中の異変を感じ見てみると、背中一面、目を覆いたくなるようなアトピーが真っ赤に出来ていました。1週間、2週間経っていくと足、手と広がっていきました。首や顔、手のひらなどにはアトピーは出なかったので長袖を着ている限り、傍目にはわかりません。トイレの回数は変わりなく、今度は痒みが追加され掻き壊して血だらけになり更に黄色い液体も出てきて、仕事は休めないしこの時ほど人生で辛いと思ったことはありませんでした。潰瘍性大腸炎の症状よりアトピーの症状のほうがきつかったです。こんな状態でしたが、11月12日に出血が止まりました。嬉しかったですが、アトピーの症状がひどく痒みのほかにヘルペスで背中がピリピリと痛くて背中をつけて寝れなくなってきました。手を挙げることも出来なくなりました。また体中から皮が剥がれ落ち、お風呂もフローリングも皮だらけになり、湯垢取りとコロコロは手放せなくなりました。しかし2月半ばになるとアトピーもだいぶ落ち着いてきました。遠いので3,4か月に1回しか通院できませんでした。血沈は少しずつですが下がってきていましたが、ヘルペスのEIA価は128以上あり、RF定量が140前後あり、少し軟便だったので下痢止めとアトピーの漢方薬を服用していました。2014年の10月半ばまで調子が良かったのですが、たまたま友達が送ってきてくれた物凄く辛い台湾ラーメンを食した次の日、便に一筋の赤い線が見えました。嫌な予感は的中し、また始まりました。すぐに粘液も交じり始めました。松本先生にすぐに連絡をして、粘液をとるためと、止血のための漢方薬とフラジールを送ってもらいました。2013年の11月に1週間位フラジールを服用して止血したので、また1週間服用すれば止血するだろうと思っていましたが、今回はそうはいきませんでした。便は形になっているということは直腸の炎症だと思いました。私はリンデロン座薬を、朝晩2回通算で6,7年は使用していたので、直腸からのステロイドが抜けないと治らないと思いました。フラジールを2か月位服用していた時にアシクロビルを追加で服用し始めたら、症状が緩和されてきて1か月位で完全に症状が治まりました。現在、漢方薬は止めてヘルペスの薬、アシクロビルだけ服用しております。
5、振り返ってみて
もしこの先生でダメだったら、大腸を手術して人口肛門を覚悟して行き、アトピーが出たときも周りの人からヤバいんじゃないのとかいろいろ言われましたが、もう後には引けないしとにかく松本先生を信じました。アトピーがどこに出るかわからないしリバウンドも怖いです。でも、いましっかり治しておかないと病気のオンパレードになります。出来れば症状の軽いうちに皆さんには治してもらいたいです。ドロップアウトしないで頑張ってもらいたいです。この病気になり20年以上になります。本当にいろいろありましたが、病気と真剣に向き合えたこと、松本先生に感謝しております。手記、手記とずっと言われておりましたがやっと書けました。遅くなり申し訳ありませんでした。また、文才もなく読みづらかったかもしれませんが、最後まで読んで下さりありがとうございました。
コメント(潰瘍性大腸炎が理論通りアトピーにクラススイッチし、自然後天的免疫寛容を起こした方です。しかも最後に残るのは、ヘルペスだけであることを、身を以て証明された方です。病気を治すのに私を信じる必要はないのです。最高の医者である自分の免疫を信じ、最高の製薬メーカーである自分の免疫の遺伝子が作り出すタンパク質を信用してもらえば良いのです。病気は自分の免疫でしか治せないのです。医者がやることは病気の原因を説明し、正しい免疫の働きを手助けするだけです。)