「全身性エリテマトーデス手記」
匿名希望31歳2012年7月17日
先日、コメディーミュージカルの舞台を観た。
その中にあったセリフ。
「あんた 生かされているのよ!」
津波で家族を失った男性に向けた言葉だったのだが、
まるで、その言葉は、わたしに向けられているようだった。
「わたし 生かされている」
あたたかな何かが胸いっぱいに溢れ出したように感じた。
約一年前、「全身性エリトマトーデス」という耳慣れない難病の診断を受けた。
この手記を書いている2012年7月現在、わたしは「生かされ」、2度目の生を受けたような感覚を持っている。この手記は約一年にわたる、膠原病の治療の記録である。
《要約》
30歳の夏に突然の発熱を伴う強い胸痛および心膜炎・胸膜炎・倦怠感のため、病院をいくつか回ったが病名がわからなかった。大学病院で膠原病の全身性エリトマトーデス(SLE)ということがわかり、精査入院およびステロイド治療が必要と診断されたが、大学病院での入院治療を始める前に松本漢方クリニックでステロイドなしでの治療を開始し、リバウンドと顔と上半身の激しいアトピーを経験した。今現在はSLEの症状はほとんどなく、アトピーの症状も徐々に引いてきている
目次
- はじめに(謝辞)
- 発症までの主な病歴
- 2011年7月の発症
- 医療センター 内科、循環器科受診 2011.8.2、8.11、8.23
- 大学病院 膠原病科受診2011.9.13
- 松本漢方クリニックを知る
- 膠原病(全身性エリトマトーデス)の診断 大学病院 膠原病科、循環器科
- 病状
- 松本漢方クリニックへ 2011.9.21
- 治療開始 2011.9.22
- 入院を断る
- 大学病院 2011.9.27
- 辞職
- 大学病院 2011.10.4
- 大学病院 2011.10.18
- 治療経過 リバウンド
- 治療経過 アトピー
- 終わりに ~ 幸運
- 血液検査データ表
1.(はじめに)
松本先生・松本漢方クリニックのスタッフの方々に、心より感謝申し上げます。
そして、治療中励ましてくれた家族・友人・知人に大変感謝しています。
特に母は漢方薬を毎日煎じてくれ、お灸も手伝ってくれました。また精神的に参ってしまった時もたくさん助けてもらいました。母の助けなしにはこの病気を乗り越えることはできなかったかもしれません。
2.(発症までの主な病歴)
小学生:アレルギー性鼻炎
中学生:鼻炎は治る。
高校生:腹痛、埃っぽい場所に行くと軽い喘息症状
大学生:軽い喘息症状、腹痛、手首の痛み
社会人:
- 22歳の夏:伝染性単核球症、40度の熱、約2週間入院。薬は2・3種類、点滴。
- 22歳~25歳:アレルギー性結膜炎。コンタクトレンズを一日使い捨てのものに代えると、症状は出なくなる。時々血便や鮮血、血の塊が出ることがあったが、肉・魚を控える食生活にしてから、症状は落ち着いた。
・ 25歳:首の付け根の骨と仙骨の強い痛みで個人病院へ。血液検査の結果、抗核抗体 320で、膠原病の疑い。痛み止めの薬を飲むと数日で痛みがおさまったので、放置。その後、ぼんのくぼから首の後ろにかけて、肌にかゆみがありただれたように色素沈着状態になる。シャンプーを界面活性剤不使用のものに代えると湿疹はひいていったが、完全には治っておらず。
・ 28歳の夏:発熱と胸の真ん中の奥の強い痛み、病院を数件まわり、近所の総合病院でレントゲン撮影とエコー検査。結果は異常なし。痛み止めを数日服用。熱は引いた。痛みは1・2ヶ月続いた後、消えた。骨がゆがんでいるせいかと思っていた。
・ 29歳の冬:数日の発熱。右おでこの帯状疱疹と診断。3・4日薬を服用。
※これまで長期にわたる薬の服用はなし。
3.(2011年7月の発症)
30歳の2011年7月の終わり、普段はほとんど口にしないお酒とお肉を飲んだり食べたりし翌日から体調が急に悪くなり、翌々日には強い胸痛と発熱(40度以上)がありました。この時の胸の痛みが尋常ではなく、ほとんどベッドで身動きが出来ず、胴体を痛みなく動かすことが出来ませんでした。熱が胴体にこもっている嫌な感じで、体がカッとしてほてっていました。心臓、あるいは肋骨の中身を直接ギュッとつかまれたような痛みがあり、胸を押さえて身動きができませんでした。痛みの場所は移動しているように思え、人に説明するのが未だに難しいです。胴体を動かせば激痛が走るので寝ているときも、ナイフで刺されたような痛みに驚いて真夜中目が覚めるようなこともありました。
寝汗をかいていましたが、これまで匂った事のないような不快な匂いの汗でした。他にも症状は色々あったと思いますが、意識が朦朧としていたので思い出すことが出来ません。
心臓疾患や神経痛または乳がんなど、さまざまな病気を疑い、近所の総合病院へ行きました。診察の結果、CRP 7.22だが、よくわからないということで、ロキソニン(鎮痛剤)と抗生物質が処方されました。ロキソニンを飲むと痛みが少し引き、熱も下がりなんとか仕事にもいけるようになりました。
胸痛に関して詳しく説明すると、寝た状態から座った状態になるだけで身をよじり、うなり声と冷や汗が出てしまうほどの痛みがあり、夜は寝返りはもってのほか、身動きをとることは不可能でした。歩くのも一苦労で、ゾンビのように息切れをしながら、ゆっくりと身体を動かさないように胸を押さえながら歩く状態でした。
用を足すだけで胴体に激痛が走り、少し動くだけで息切れが起こり、この頃は本当に死ぬのではないかと思っていましたが、説明するのも体力を使うので、うまく他人に説明できませんでした。横になった状態でも痛いので、朝から晩まで一日中ソファにぐったりと座っていました。
4.(医療センター 内科、循環器科受診)2011.8.2、8.11、8.23
熱が続くので周囲の勧めで近隣の一番大きな病院の内科を受診することにしました。前の病院で原因がわからないと言われたので、社会人になってからのこれまでの体調に関して時系列にリスト化して異常を訴えました。すると、私が元気そうにみえるのか、最初は怪訝そうな態度だった女性の医師が少し真剣な雰囲気になり、色々と診て下さいました。数回この病院で検査・診察を受け、膠原病の疑いがあることと、また、循環器科では、心膜炎になっているということがわかりました。この間で、心膜炎は自然にひいていきました。
この病院には膠原病科がなかったので紹介状を書いてもらい、別のリウマチ・膠原病科がある病院へ行くことになりました。
2011.8.2診察内容:採血、検尿、レントゲン、心電図、超音波(心臓部)
2011.8.11診察内容:採血、検尿、超音波(甲状腺)
2011.8.23診察内容:心電図、超音波(心臓・胸部)
この時も膠原病と聞いても、以前膠原病疑いがあると言われていたことも忘れていました。少しインターネットなどで調べると膠原病には色々種類があることを知りましたが、自分がどの膠原病に分類されるのか、見当もつきませんでした。
胸の痛みはまだ残っていたものの熱は下がり、薬を使わずになんとか生活に支障はない程度の症状になっていたので、少し安心し、このまま専門病院に行かなくてもいいのでは?などと思っていると、9月の頭に39度近くまで体温が上がり胸にも7月と同じような痛みが出てきて、3日くらい続くのでロキソニンをまた2・3日飲むと症状は和らぎなんとか仕事などはいけるようになりました。
5.(大学病院 膠原病科受診)2011.9.13
2回の強い症状がでたので、なんらかの治療が必要なのだと思い、紹介状を持って大学病院の膠原病科を受診しました。研修医らしき医師の事前問診のとき、研修医「蝶形紅班の症状はありますか?」私「チョウケイコウハンってなんですか?」研修医「身内でSLEの方はいらっしゃいますか?」私「エスエル?なんのことでしょうか?」といったように、専門用語ばかりで知識がなくチンプンカンプンでした。
膠原病科で診ていただいたのはその科のボスの先生の外来の時でした。
私は、「あなたのような軽症患者が大学病院にくるなんておおげさだ。」と怒られ、自分の病気はたいしたことないと言われることを期待していました。しかし現実には、
『膠原病、全身性エリテマトーデスの可能性が大』『精査入院の準備をしておくように。』「熱が37.5度以上出たらすぐ病院に来てください。」
と言われ、入院の期間は1~2週間程度なのかと聞いてみると、「わからない」と言われ、困惑し頭が真っ白なまま自宅へ帰りました。
ただ、原因不明だった体調不良の病名がわかったので、その病気を治そうという気持ちになったこと、見た目は元気に見えるのであまり病気のように扱われないことが多かったので、その医師に「つらいでしょう。」と言っていただけて、ほんの少し心が軽くなりました。
レントゲン撮影(胸部、手部)、血液を採って帰りました。
6.(松本漢方クリニックを知る)
家に帰り、インターネットでSLEのwikipediaを読み、治療はステロイドが主で、1950年代には診断後多くは5年以内に死亡していた、という内容を読み、生まれて初めて自分が近々死ぬかもしれないと思いました。ステロイドは塗るものとばかり思っていましたので、ステロイドが内服できるということさえ知らず、ステロイドを体内に入れるなんて恐ろしい・・・、と直感的にぞっとしました。
これまでわたしは必要以上の薬を飲まないよう心掛けていました。幸運にも私が薬をあまり服用してこなかった理由は、家族にあります。7つ年下の弟が何度も入院するほど重度のアトピーで、彼は1歳から6歳位まで軟膏のステロイドを使用していました。薬を塗っても一向に良くならないことから母親が薬に疑問をもち、色々と勉強をし、ステロイドの恐ろしさを常々私に教えてくれていたので、薬、特にステロイドは絶対使ってはだめだ、ということは幼い頃から頭にありました。
ステロイド以外に治せる方法があるのでは?とインターネットで探し、松本漢方クリニックの存在を知りました。松本先生の論文と数々の手記を読ませていただいて、その論文内容と先生のお人柄の素晴らしさを直感的に感じ、SLEが確定したら必ず大阪に行くことを決めました。恥ずかしい話、無知なもので、この時点でもまだ大学病院から、「検査の結果、SLEだけれども軽症で入院は不要です。」といわれることを期待していたのです。
松本漢方クリニックのサイトを読みすすめていくと、病気の原因は心のストレス・心のあり方だという部分を読み、自分自身でステロイドホルモンやアドレナリンを出して免疫を抑え続けていたことに心底驚きました。これまでの体調不良に対する、答えではないか、と思いました。症状が大きく現れたタイミングに関しても個人的に納得いくものがありました。この時期、心がホッとすることが多く、免疫が徐々に上がっていたのだと思います。
7.(全身性エリトマトーデスの診断 大学病院 膠原病科、循環器科 2011.9.20)
SLE疑いと言われた翌週に、大学病院で受診をすると
「SLEでしょう。」「今週中に精査入院してください。」と言われました。
しばらく休養したらよいのでは?いう私の問いかけに医師は、「この病気は休めばよいというものではない。」とお答えになりました。
同じ日に心膜炎・胸膜炎のため循環器科の診察中その循環器の医師が、
「自分だったらロキソニン系の薬を入れて胸の水をなくすけど、SLEだったらステロイドを使うのだろうなあ。前、SLEの患者で同じような症状の20代の女性が救急車で運ばれてきて亡くなったからなあー・・・。」
とつぶやいていたのが非常に印象に残っています。医療に関して無知だった私はどこをどう質問していいのかわからず、ただその言葉を聞き、記憶をしようと努めました。今の私の胸のあたりは死にそうではないけれど普通ではない状態なのだなということは理解できましたが、同じような症状(胸水)をもった患者さんが亡くなったという情報にはとても動揺しました。また、それと同時に、大学病院の医療は進んでいるのでステロイドを使わない方法を提案してくださるのでは?と考えていましたので、この時初めて「ステロイド」という言葉を聞いて、「やっぱり大きな病院でもステロイドを使うのだ・・・」と思いました。
私は自分の肺の下約1/4が真っ白になってしまっているレントゲン写真を眺めながら、この先どうしたらいいのだろうと漠然とした不安を感じました。
この日は入院に関する説明を受けて、書類を持って帰宅しました。
診察内容:レントゲン、採血、心電図、超音波
8.(病状)
この頃の症状は、慢性的に続く微熱(37.4~38.0程度)、胸部痛(これが一番症状が強かったです)・背部痛・腹部痛・血便・呼吸しにくさ(深呼吸やあくびができない・しゃっくりしているような呼吸)・倦怠感・食欲減退・体重減少(47キロから42キロ)・歩くのは問題ないが走れない・動悸・軽い関節痛(手首・指)。などの症状がありました。
胸痛のため睡眠中も身動きがとれなかったのは辛かったです。
9.(松本漢方クリニックへ)2011.9.21
母に入院することが決定した話をし、二人とも沈んだ気持ちになっていたら、ふと松本漢方クリニックのことを思い出し、母に話してみました。ホームページを見せて読んでもらい、入院前に行くか入院後に行くか色々と話し合いました。母の「入院の前に、まず明日行こう」という言葉に押されて行くことにしました。この時、母に相談して本当によかったです。
松本漢方クリニックに着くと漢方のにおいがし、病院特有の人工的なにおいではなくて、安心できるにおいに感じました。待合室にはミーティングをされている松本先生らしき声がきこえ、その熱気を感じ、待合室にある多くの張り紙も人間的な雰囲気でとても安心できました。
診察では色々とお話しをしましたが、松本先生が質問されました。
「ホームページにはSLEの患者さんの手記はないのに、どうして来たんや?」
「先生の論文を読んで、リウマチもSLEも同じ膠原病だから治ると思って来ました。」
と私が答えると、
「偉い。」
といって握手をしてくださいました。
松本先生の診察を受けていると前向きな気持ちが湧いてきて、精神的な面でも大変楽になりました。今思うと松本漢方クリニックに出会わなければ、私はどうなっていたのか、わかりません。
これまでいくつか病院に行きましたが、松本先生のようなお医者様にはじめて出会いました。ただただ尊敬の気持ちがわいてきます。このように真実を追究し、患者自身の内面に働きかけ、根本的に病気を治してくださるお医者様は他にはいらっしゃらないでしょう。
おっしゃることはどれも納得のいくもので、端々に現れるやさしさを感じて思わず涙が出そうになり、あまり人前で泣くことをしないので必死でこらえたことを覚えています。
診察の後、漢方薬について看護師さんにも色々と説明をしていただき、細かい相談もさせてもらって、とても親切にしていただきました。ありがとうございました。松本漢方クリニックは全体が力を合わせて運営されているのだと感じました。
診察・治療内容:採血、検尿、鍼灸
10.(治療開始)2011.9.22
大阪へ行った翌日からすぐ漢方薬服用・漢方風呂・お灸を開始しました。
服用は免疫を上げるものと胸の症状を和らげるもの2種類。薬を薬局で渡された時は、植物を乾燥させて細かくしたものがビニール袋に入っていて、プラスチックで包装された無機質な化学物質の薬よりも、素朴な植物の暖かさを感じ、うれしく思ったことを覚えています。私の病気は化学物質で治るものではなく、手間と時間をかけて向き合って治すものなのだ、と直感で感じました。
におい・味ともに少し個性的なものでしたが、ステロイドを飲むこと、これで病気が治るということを考えるとまったく苦にはなりませんでした。飲み始めるとすぐ、便秘がなおり、若干下痢気味になりました。
漢方風呂は2日に1度入り、微熱もあり倦怠感もひどかったので、お風呂は一時間つかるので精一杯でした。お灸は毎日母にお願いして背中にしてもらいました。痕になってしまったのが少し悲しいですが、当時はわらにもすがる気持ちだったし、意識も朦朧としていたので、おもいっきりしてもらっていました。今思うと痕などどうでもいいとおもうほど体調が悪かったのだと思います。お灸は12月頃まで毎日しました。
11.(入院を断る)
広島へ帰った数日後に、入院日の確定のお知らせの電話が医師からありました。主治医の先生ではなかったのですが、主治医に入院をキャンセルしたい旨を伝えてもらうように言いました。その後、主治医から電話があり、その時初めてステロイドに抵抗があるということを伝えました。色々と話しましたが、ここだけの話、実はSLEの中でも胸に水が溜まるのはやっかいなのだ、ということを言われました。医師として真面目におっしゃっているのはよくわかっていましたので、入院を断ることはとても骨が折れましたが、私には松本漢方クリニックがありましたので、自信を持って断ることが出来ました。翌週すぐまた受診するように、と言われました。
12.(大学病院)2011.9.27
病院へ着くとすぐレントゲンを撮るように言われ、胸部レントゲンを撮り、受診しました。この日は母についてきてもらいました。胸膜炎はひどくなっている。同じ症状で亡くなった患者がいる。(後に母に確認すると、私は忘れてしまっていましたがこの時のお話しでは、この患者さんはステロイド治療をしていて亡くなられたという説明をされたそうです。)肺なので症状が広がって息ができなくなる可能性がある、などと説明を受け、入院したほうがいいということを再び言われました。ステロイド治療とはどのようなことをするのか質問すると、まず大量のステロイドを点滴でいれるというお話しでした。母がステロイド治療をして、妊娠できるのか、治ったケースなどの明るい話はないのでしょうか?など色々と質問するとしかられていました。私は、実際にレントゲン画像をみせられ、医師に不安をあおられると、胸の水が広がって息が出来なくなったらどうしよう・・?やっぱりステロイド治療をしなければ、死んでしまうのでは・・?などその場では考えたりしましたが、ステロイド治療に首を縦に振ることはありませんでした。
結局その日は一度家に帰り、よく家族と話し合って決めてまた来週受診するように、ということになりました。
家に帰り落ち着いて考え、松本先生がおっしゃるように、ステロイドは心臓や肺の機能が止まりそうなとき、などの危篤の時以外は使う必要がない、という意思を固めました。
13.(辞職)
治療に専念するため、9月いっぱいで仕事を辞めました。
14.(大学病院)2011.10.4
この日もレントゲンを撮り、前回採った血液検査の結果とともに医師と話しました。胸膜炎はひどくなっているといわれ、再び不安になってしまいましたが、「ステロイドはやっぱり使いたくない?」という質問に「ステロイドは使いません。」と答えました。「あなたの症状は今まだそんなにひどくない“ボヤ”の状態なので、火が小さいうちにステロイドで抑えてしまったほうがよい。火がもっと大きく燃えたら大変だ。」といったような内容のことを言われました。「重篤な(死にそうな)ときは?(ステロイド使うか?)」という質問には、「死にそうなときはステロイド使ってください。」と答えました。すると先生はあきれたような表情をされていました。
松本漢方クリニックのことをお話しようかとも思いましたが、話がややこしくなると思いましたのでしませんでした。ステロイドが嫌な理由として弟のアトピー治療でのステロイド治療をみてきたので、拒否感があるということを訴え続けました。また「塗るとステロイドは皮膚の上で広がるけど、投薬はまた違うよ。」とも説得されました。
次週受診するように言われました。また次回でも意思が変わっていなかったら、元の病院で経過観察してもらう方向にしようということになりました。
15.(大学病院)2011.10.18
ステロイド治療をしないなら観察をしても意味はないが、重大な病気があるのにこのまま治療せずに通院をやめるということは医師としてしてはいけない、とのことで、紹介元の医療センターへ再び紹介状を書いていただき、元の医師が膠原病科の専門ではないので、この医師から元の医師(内科)へお電話で説明もしていただくことになりました。元の医療センターの医師は女性の先生でしたので、「女性同士で話しやすいだろうし、色々と相談して考えなさいね。」と言われました。もしステロイド治療をする決心が出来たら、またこちらにいつでも受診してください。こちらに受診するときはステロイドを使用するという意味ですよ。と言われましたので、私は、理解しましたとお伝えし、ここでの通院は終了になりました。
今回の発病はわたしの自信を失わせるものでした。
ステロイド治療はしないと心に決めていても、毎回医師に治療するように説得されると、自分が瀕死の患者で不幸な人間にでもなったような気持ちになり、家に帰るとどうしてもいつも気分が落ち込んでしまっていました。
松本漢方クリニックへ行って松本先生に、大学病院の先生にこのように言われたとお話しすると、「病院が患者に不安を与えるような場所じゃいけない、希望をあたえないといけない。」
と言ってくださり、たったその一言で内面から希望の気持ちが湧いてきて、身体がポカポカ温かくなっているような感じになりました。
16.(治療経過 リバウンド)
9月いっぱいで仕事を辞めた後、さまざまな症状が日替わりで出てきました。体温は37.5から38.0度くらいの熱が続いていました。一日の中でも体温は上下していました。立っていられない程の倦怠感・難聴・耳鳴り・頭痛・食欲不振・気持ち悪さ・尿が非常に少ない・手首痛・腕のしびれ・寝汗・呼吸時の違和感などが主な症状でした。
倦怠感のため基本的にベッドから動くことができず、すべての日常動作に苦痛が伴いました。
まず食欲がまったくなく、“梨”の1/8を細かくスライスしたものを食べるのが精一杯で、漢方薬を飲むことが唯一の食事のようなものとなっていました。この頃の倦怠感・食欲不振の症状をわかりやすく説明すると、私は妊娠したことはありませんが、まるで“つわり”のような状態でした。食事をほとんどできませんでしたので、体重は健常時47キロあったものが、39キロにまで落ち、顔も目が落ち窪み身体はアバラが浮いて、歩いてもフワフワして頼りないものでした。
漢方薬2種類を3番煎じまで飲んでいましたので、水分は摂取していたのですが、尿が一日に1・2回少量しか出なくなったときは少し不安になりました。一週間以上続くようだったら松本先生に連絡しようと思っていましたが3・4日様子をみていたら、治ったので連絡はしませんでした。
難聴になったのは初めてで、人から話しかけられても聞き取れなく、音楽を聴いても、いつも聞いている音楽とはまったく違う音に聴こえ、騒音のように感じました。音というものを聞くのが苦痛となりました。常に耳鳴りがしていました。外出してもふだんと違う聞こえ方でまったく別世界にいるようないつもと違う感覚でした。
頭痛は朝起きた瞬間から夜寝るまでずっと続いていましたので、結構ひどいものでした。
頭痛が回復に向かうと難聴が出てきて、難聴が回復に向かうと関節痛が出てきて・・、といったように次々と色々な場所から症状が出てきていました。
肉体的には少ししんどかったですが、松本先生の論文と手記を読んでいたので、今の症状は治る過程で自分の免疫ががんばっている状態なのだ、と精神的に安定してこれらの症状を受け入れました。
11月になると、この頃から呼吸がしやすくなり、体温は平熱の日が多くなり、症状は和らぎ、松本漢方クリニックへ行くのと合わせて奈良へ旅行もでき、街中を自転車で観光したり、山なども登ったり、少しずつ体力に自信がついてきました。
12月、体力づくりのため、週一回の水泳を始めました。
1月になると抜け毛が多く、首の後ろと足の甲がかゆくなりました。首の後ろはくっきりと色素沈着のようになり、ひどくなっていきました。熱は上がることはなくなり、そろそろ仕事か勉強かなにかを始めようという気持ちが少しわいてきたので、資格の勉強を始めました。しかし、おしゃれをする気持ちがあまりわかなかったり、体重が44kgくらいでまだ体力・気力ともに戻らなかったりで、治るのはまだもうちょっとかかるのかな、と思っていました。
血液の数値は、検査するたびに正常値に近づいていました。
17.(治療経過 アトピー)
1月の半ばごろには胸の薬が終わり、アトピーの薬を飲み始めました。薬飲みはじめてからすぐ、顔面の鼻の横のほほの肌が硬くなり、化粧水がしみるようになり、ファンデーションがのらない状態になりました。一週間くらいで首の後ろ、顔の鼻の横からアトピーがどんどん円心状に広がり、浸出液がでてきました。喉の奥がザラザラしていました。浸出液が出るので気持ち悪さで夜はまともに寝られませんでした。朝起きて鏡を見るたびに毎日変化していく顔に驚き、恐怖を感じていました。アトピーが出始めてから抜け毛はおさまりました。
2月に入るとアトピーは身体へと広がっていきました。胸・お腹の横の部分に湿疹が出てきました。その後、両腕、背中にも広がっていきました。腕の皮膚は盛り上がったようになっていて、境目が明瞭で手の甲のほうへ日に日に広がっていく様子が恐ろしくてたまりませんでした。まるで赤いウエットスーツを着ているような感じになっていました。
お風呂あがりに塗り薬をぬったそばから浸出液がでて、ふいてもまたでてきて、耳たぶからも浸出液がでていて、気が狂いそうな状態でした。パニック状態だけれどもパニックになっても仕方がないと思い、耐えていました。
唯一、睡眠中が幸せの状態でしたが、朝起きた瞬間、地獄の中にいるような感覚でした。
どうしようもなく、ひたすら松本漢方クリニックのアトピーの患者さんの手記をたくさん読みました。
顔と首と腕がむくみ、常に顔と首からは浸出液が出て、尿の量が減り、まぶたは腫れ、顔はお岩さんのようになってしまいました。
あまりの症状のつらさで抗ウイルスの薬がほしくて、地元でSLEの経過観察してもらっている医療センターの皮膚科を受診しました。顔面に出ているのは蝶形紅班なので元の大学病院の膠原病科へすぐに行くようにと言われ、実際に医学書の写真を見せてもらうと自分の状態と同じだったので、これが蝶形紅班なのか、と初めて知りました。「ステロイド治療をちゃんとしたほうがいい」と言われ、紹介状を書いてもらいましたが、元の大学病院へ行くつもりは一切ありませんでした。
顔はピリピリし浸出液が出て、デコルテのほうも浸出液が出始めました。デコルテは触ると肌じゃないみたいで、ゴワゴワ雑巾のような手触りになりました。
3月に入った頃は、恐怖で鏡を見られない日々が続いていました。顔はまだらに赤く炎症し、首の後ろが切れたようにぱっくり割れ、浸出液が出てきます。夜は、顔がモコモコしている感覚でムズムズとかゆく、すごく気になりずっと触っていました。夜は熟睡できず、浸出液がでているので、掛けふとんが首・顔にかかることが気持ち悪く、肩から上を出して寝ていました。また首と顔のむくみや腫れのせいか、寝返りを打てず、まくらも使えませんでした。
デコルテはヒリヒリと痛く、たまに腕や鎖骨の辺りがかゆく、朝は顔と首がつっぱって自由に動かせませんでした。また、脚にも部分的に湿疹があらわれていました。
この頃は、心配をかけてはいけないと思い、人と会うのは避けていました。人に会わないといけない時は、マスクとめがねとタートルネックで隠していましたが、会うとみな血相を変えて驚いていましたので、隠れていなかったのでしょう。むくみとつっぱりと浸出液のせいで、食事、笑うなどの口を動かすという当たり前の動作が難しかったです。外に出たいけど一人では出たくないので、この頃、この容貌を気にせずに、遊びに連れて行ってくれた友人知人にはとても感謝しています。
アトピーが出始めの頃は、すぐ治るだろうと思っていたのですが、1か月以上も続いて、しかも日に日に悪化していくので、毎日このように考えていました。
元に戻るのだろうか、ケロイドのように痕にならないだろうかといった恐怖。この状態はアトピーの症状なのか、SLEの症状なのか、ヘルペスの症状なのか、SLEだったら嫌だし、アトピーだったらうれしいけどステロイドも使ったことがないのに何でこんなに症状にでちゃうのだろう・・、極度のアレルギー体質だから?でもよくわからない・・。というモヤモヤしたような気持ち。なにか行動したくてもできなくて、先の見えないことに対する歯がゆさ。かゆみと痛みと浸出液の肉体的な不愉快さ。この頃が一番精神的には参ってしまいました。でもそんな中、周囲の「絶対治るよ!」という励ましの声は私を勇気付けてくれました。この頃やさしく接してくれた方々への感謝の気持ちをこの先忘れることはないと思います。
私の心の荒廃を感じ取られたのでしょうか、電話でのお薬注文の際、松本先生はまるで兄が妹に話しかけるようにユーモアを交え面白おかしく励ましてくださり、すっと一筋の明かりが自分の中にともったように感じました。
3月の終わりから4月頭になると、口が乾き、口内の一部がただれたようになり、刺激物は食べられなくなりました。デコルテが真っ赤で空気があたるだけで痛かったです。
そんな状態でしたが、なにかしなければいけないという思いがあり、山登りや神社仏閣をお参りして気を紛らわせていました。
4月半ばになると、塗り薬は塗らないようになりました。浸出液・むくみは日に日に少なくなり、顔はジュクジュクした湿疹から粉をふいた状態へ変わっていきました。デコルテは内部の奥のほうがかゆいような感じがしました。4月後半からは運動をすることを心がけて、体力回復を目指しました。
5月半ばになると、顔の肌は荒れていてまだ赤みが残るものの化粧ができる程回復してきました。腕はガサガサして粉をふいていて、たまにかゆく、胸・首は赤黒い感じで肌がザラザラで汗をかくとかゆくなりますが、日に日に回復していきました。鎖骨と首の間あたりが、腫れて熱をもっていて少し痛いような時期もありました。胴体はまだらに色素沈着したようになりました。
体重が元の47キロに戻り、体力が戻ってきました。荒みきっていた心もすっかり楽になり、周りの物事に愛情を感じ、読書や音楽で心を安らげるようになったことによろこびを感じました。
6月になると、顔の肌は赤みが残っているものの、ほぼ治りました。アトピー発症以前はお風呂に入った後は急いで化粧水と乳液をつけないと肌が乾燥していたのですが、今はお風呂上りに何もつけなくて良くなったので、手入れが楽になりました。身体ですが、胸・デコルテはほぼ普通の肌になり、お腹・背中・腕も徐々に回復している様子です。
手記を提出する7月現在は、まだ治療中です。深呼吸時の胸の痛みがやや残っていることとお風呂上りの顔の湿疹以外はSLEの症状らしきものはありません。胸の痛みをゼロにすることとアトピーを治していくのがこれからの目標です。首と肘・膝の内側に湿疹が出ています。運動とストレッチをして以前より体力がついたように思えます。実際漢方治療を開始してから、発症以前からの貧血も消えてなくなっていました。
衝撃の「発症」から約一年。発症による心の傷もようやく癒えてきました。
自分にとってショックが大きすぎて涙を流して悲しむことさえできなかった日々。この傷は自分以外誰にも癒すことはできません。症状が回復に向かうにつれ、自分が自分のためだけに、悲しみを感じ、涙を流してあげる日々が増えていきました。涙が出るようになってよかった、回復した証のようなものかもしれない、そう思うようになっていきました。
18.(終わりに ~ 幸運)
何の因果か膠原病という現代における難病にかかってしまいました。しかし、私は大変に幸運だったと思っています。まず、母親のおかげでステロイドを使用しなかったこと。次に私は発病後、松本先生と出会い、その治療理論に心から共感することができ、治療を開始することができました。ステロイドを使わずに漢方治療をし、体調が回復して、本当によかったと思っています。松本先生ありがとうございます。
同年代で女性のSLEがよくなったという手記や本が見つからなかったので、あればいいなと思っていました。
もしこの手記が、膠原病で苦しまれている方の参考になれば、心から幸いに思います。
19.(血液検査データ表)