「腎臓疾患手記」
48歳男性2013年5月30日
48歳男性2013年5月30日
松本先生から、手記を書きなさいとのお話をいただきました。
腎炎の症状は、今は収まり、現在自分は腎臓疾患の患者だったという自覚すらありません。しかし、手記を書くには、まだ時期尚早だと感じていました。
ですから一度はお断りしたのです。
なぜお断りしたかと申しますと、今の自分には未だ、いただいた現象(この場合は腎臓疾患ですね。)、病気やけが、その他の自分に不利益になった事への、なぜそうなったのかの検証や、その貴重な現象に対しての心からのありがとうというものが殆ど皆無なためです。
頑固な自分が、自分で自分を遮っている、そんな感じです。どこまでも偉い自分が中心ですから、自分に起こる不利益な現象など認められないのです。
この偉い聳え立つ自分を崩すための腎臓疾患であったと、頭では分かるのですが、未だこの心で、ああそうだったと言えないのです。全くもって素直でない人間です。 こんな心の状態ですから手記なんてとんでもない。今書いた所で、他の方への何の参考にもならないどころか、己の素晴らしさ偉さを表す事になるだけだとの自覚がありましたから、結論として、未だ手記を書けるような状態ではない。と言う気持ちでした。
しかし電話で松本先生から一喝されました。「ごちゃごちゃ言わんと書け!!」
久々の松本節がとても耳に心地良かったです。
分かりました。内容はどうあれ今の自分の心境で、ともかく短くとも綴ってみようと思いました。では暫しお付き合い下さい。
自分は2009年9月25日に松本漢方クリニックの門を叩きましたが、松本漢方クリニックにご縁をいただくまでの経過を、ざっと記して行きたいと思います。
私は東京で21年間、かなり特殊な職業についていました。長い下積み、厳しい修行。のし上がる為には尋常ではないエネルギーが要りました。そのエネルギーの中身は、人よりも何倍も奮励努力して、限界をつくらず、常に前を向いて・・・と如何にも素晴らしい文句を並べていますが、その実態は人への対抗心、絶対に負けぬという敵対心、更にその奥には敵対心を焚付ける怒りや恨みが物凄い勢いで渦巻いていたのです。そんな凄い思いが自分を突き動かしていました。訳の分からない自信に満ち溢れていました。
しかし、身体の方は、毎年毎年、病気や怪我がとても多かったのです。調子が上がってくると大きなけが、や病気に見舞われる。こんな事が続いていました。その時はよくわからなかったのですが、今思うと、そりゃそうなるなあと納得します。
そんな生活を長く続けていましたが、2008年3月に、長年生活して来た東京から諸事情あって大阪に帰ってきました。大阪ではほぼ無いに等しいその職業での生活は難しい事は分かっておりましたので、知人に紹介いただき、43才にして人生初めての会社員生活を送ることになりました。
何しろ今までが、芸術系、技術系、職人気質の仕事ばかり21年間やってきた訳ですから、会社の社会やルールになかなか溶け込めませんでした。それだけでも十分に胃痛ものでしたが、書籍づくりの仕事柄、パソコンの超達人にならなければならないという、メールを打つのがやっとこさの自分にとっては、冗談抜きで正しく地獄でした。「拷問」という言葉がぴったりでした。
ページメーカー、フォトショップ、インデザイン、イラストレーター、ドリームなんちゃら・・・・・。嘗ての敵性国である横文字には元々アレルギーを起こす体質の上に、このややこしいソフトをクリアしていくなんて出来る相談じゃあありません。
自分は、今までは全て自己責任で職人技の代償としてギャラをいただいていました。仕事も自分から売り込む事はなく、いただいた仕事をきっちり仕上げる。そういう受身の立場でいました。
しかし会社は商売ですから、お金のやり取り云々がまた苦痛でした。そのための上手な言い方、へりくだった物言い、全てはお金のため。それがうまく出来ないものは会社員としては失格。
兎に角、少しでも多くお金を分捕れ!には辟易しました。
とは言え、当時はもうこの仕事でしか食べていけないくらいに思っていましたから、自分で自分に与えるプレッシャーは相当なものでした。利益を利益を・・・・・。と。
数ヵ月後、会社の健康診断に行きました。 今まで健康診断で引っかかった事は一度もありません。
今回もそんな軽い気持ちで受けに行きましたが、結果は予想外のものでした。 腎臓に異常が出ている、大きな病院へ行って精密検査をするべし、でした。
2008年8月にO病院へ行きました。長時間病院に居るとそれだけで激疲れます。後日の検査結果は、詳しい病名は忘れましたが、なんちゃら慢性腎炎でした。そこで担当の医師が、「腎臓病は肺の病気と同じく一度壊れたら絶対に治りません!」「暫くは薬を飲んで様子が改善しない場合は手術を強くお勧めします!」「それもこれもあなたに透析生活をさせないためです!」等々熱く捲し立てられました。 こちらは初めての内蔵の病気で頭の中は余計な心配事で一杯なのに、そうやってどんどん畳み込んで来るので不安が募り、不安から恐怖に転移して行きました。
まずやったことは、食事療法でした。一日のタンパク質はこれくらいとか、
自分にとってはとんでもない少量でした。2008年9月からの半年間で簡単に
20キロ落ちました。それまでは80キロ超えの立派な体格でしたが、60まで落ちたのは高校生以来です。毎月3キロのペースでどんどん落ちていくので、
一日に何度も貧血が起こり、頭が殆ど回らず、立っていられないほどの体力で、正直仕事なんて出来る状態ではありませんでした。同時に、こんなに簡単に体重が減っていくのが面白くて、ついでに人生未踏の50キロ台を!と目論んでいましたが、ここからが殆ど落ちなくなりました。体調管理を含めて自分の肉体細胞が、自分の肉体を維持出来るように、コントロールしているのだなと感じました。すごいなあ、素直だなあと感心しました。
日に何度も意識が飛びながらも、仕事はきちんとなんとかこなしていましたが、会社側は、どういう訳だか自分を解雇しようとまわりくどい方法で色々要求して来ました。会社としてはあくまで自主退社という形にしたかったのでしょう。要するに嫌味をして自分から辞めるという作戦です。これがまたTVドラマみたいなあり得ない要求の連続でした。そこまでされて会社に残る理由は無かったけれど、こちらも生活がありますし、出版の人間としてある程度育ってきた自覚もありましたから、会社側のやり方に対して気力も体力も無いのに、真っ向勝負で挑んでしまいました。余計に病気はよくなるはずがありません。
最後はまさに自爆するようにして会社を辞めました。敵に突っ込んで行った特攻隊そのものでした。
会社を辞めて、暫くは治療に専念するつもりでいましたが、O病院の先生は兎に角手術を!の手術一辺倒の方。最も自分は手術をしない!が方針でしたから、さてどうやって手術とは違う方法で治療をお願いするかなと思案して、ある日O病院へ行きますと、その先生は突然移動?で岡山へ飛ばされたとの事。
へー、そんなこともあるんだと半ば感心しながらも、丁度いい機会だから病院を変え、日本でも屈指の腎臓の専門の医師がいると言うK病院で治療を受ける事にしました。
散々待ってようやく自分の診察。日本トップレベルのそのおばさん先生は開口一番、私に任せれば大丈夫と、胸を張っておっしゃいました。人に向かって言い切れるなんてなかなか出来る事ではありません。
凄い自信だなあと思いました。ではどんな治療をするのだろうと期待は膨らみます。おばさん先生は、まず入院の日取りを決めて入院していただき、3日間ずっと点滴でステロイドを流し続けます。それから今後のベストな治療法を模索します。と、胸を張っておっしゃいました。入院の日取りもご自分のペースで決められました。
入院まで約一週間。入院すればステロイド地獄です。医学の素人の自分でもステロイドがどんなものかはだいたい分かります。ステロイドという名前自体の響きもドスの効いた化物みたいなもので好きではありません。「ステロイドン」って怪獣みたいでしょ。かと言って、もう他には病んだ腎臓を治療する手立ては何も無しです。
最早此れ迄。諦めの境地でいた入院3日前。親類の方から、偶然、本当に全くの偶然、松本漢方クリニックのお話を聞く機会があり、さっそく自宅に帰って松本漢方クリニックのホームページを読みました。
松本先生の書かれている内容が、どれもこれも分かりやすく染み込むように入ってきました。
自分の持つ免疫力を上げる事が大切。もう得納得!でした。
翌日、K病院へ入院と治療を断る電話をしました。相手は直接には言わなかったけれど、「入院をやめるのは勝手だけど死んでも知らんよ。あんた死ぬよ。」そんな感じでした。
病院と言うところは、患者を脅して恐怖に陥れて、薬や医者に縋り付かせて恐怖でパニックの患者からお金をふんだくるのが商売なのだなと、この時よく分かりました。宗教団体もそんな感じでしょう。医者が教祖で、患者は信者。
支配する図式は全く同じです。
そして、2009年9月25日、(この日は自分の誕生日でもありました。)
松本漢方クリニックにやって来ました。
扉を開けたら、すごい漢方薬の匂いがあたり一面に広がります。
なんという心地よさ!なんという優しい香り!線香や蝋燭の癒しの香りなんかとは違い、気持ちの奥底まで安心できるようなそんな香りに包まれて、その時、ここで改善するな・・と思いました。
初めてお目にかかる松本先生は、今までの病院の先生とはイメージが全く異なる異色の方でした。なんちゅう声の大きい人だ!不安でいっぱいの患者さん達はこの大音声でまず殆どが治療される筈です。
自分もそうでした。全く型破りのこの先生は、自分の中では黒澤明監督の「酔いどれ天使」に出てくる志村喬さんのアル中先生と、「赤ひげ」の三船敏郎さんの頑固先生を足して割ったような方だと思いました。
開口一番、私が治します!と。以前K病院で聞いた同じセリフでしたが、
松本先生の音色には一緒に治しましょう。 みたいな響きがあり、同じセリフを聞く側としても受け止め方が全く違いました。
この瞬間、西洋医学を捨てました。この先生のおっしゃることなら、
常識的には無理難題でも素直に実践しようと決めました。
散々、一生治らないと脅かされ、またそれを信じ込んでしまっていた自分でしたが、帰りの東海道線のなかでは、何だかウキウキしていました。
会社との激闘で疲れきっていましたが、人生初のハローワークに通うことになり、仕事に追われるのも暫しやめて、漢方薬治療を始めました。心身ともに疲れきっていたので、ゆっくり休めるのは心地よかったです。
漢方薬を飲む度に、自然の持つ力というか、優しさというか、そういうものを感じながらいただいていました。飲みにくいとは全然感じませんでした。
腎臓疾患は、風邪もそうですが、インフルエンザは超ハイリスクだと以前聞かされており、正直冬の到来は、若干緊張感を持って身構えていました。
風邪は回避しましたが、12月についに恐れていたインフルエンザにかかってしまいました。物凄い出血です。尿の色が赤ではなく、焦げ茶色?いえ真っ黒。その色だけ見れば、死ぬかもねと思うくらいの迫力でした。
その旨、電話で松本先生に報告しましたが、「あんたそれで心配になって、西洋医学の所行くんやったら、わしゃかめへんで。あんたの勝手や!」と仰っていましたが、そんな訳ありません!ここで改善させると決めたのですから。ただ自分は報告をしただけです。時々松本先生は熱くなって人の話を聞かずに熱血になることがあります。まあ、そこが松本ファンになる部分でもあるのですが。
数ヶ月に一回のペースで松本漢方クリニックに通い、血液検査をしていただきましたが、検査をする度に、危険水域にあった数値が明らかに下がっていっています。
目に見えてのこの結果ですから、治療も俄然楽しくなります。
そうこうしているうちに、私の家族にかなりシビアな問題が持ち上がりました。ここでは記述しませんが、言ってみれば生きるか死ぬかです。
自分は仕事と、生活の両面を支える感じで毎日が慌ただしかったです。
そんな事が数年続きました。ふと、そう言えば自分が腎臓疾患の患者で手術をしなきゃならなかった程の状態であったことを思い出しました。自分が腎臓疾患の患者だった事を忘れていました。
今では、風邪をひいても、インフルエンザにかかっても、あの迫力ある恐ろしい程の色と出血はありません。健康診断での血液検査の数値も普通です。
あの大騒ぎはなんだったのかな・・・?
結局、腎臓病だと思っていたのは幻で、本当は元々そんな病気は無かったのでは・・・・。
それをあるある、そうだそうだと権力と権威ある医者から言われ、(病院って病気があるある詐欺!?)また自分でもそう思い込み、自分で自分の病気を作り出してしまったのだなあと、そう思っています。
とは言え、私は自分自身の身体に無頓着でした。
若い頃から体力は人一倍ありましたから、無理な事でも多少程度ならやってしまう。明らかに無謀でも、それでも達成感を求めて体を酷使し、
俺はやり遂げたとか、立派だとか馬鹿な事をやっていました。
自分を追い込んで、自ら厳しい環境状況に身を投じ、孤軍奮闘する自分に酔っていました。それでも体が若く、肉体細胞の回復力や治癒力があるときは良かったかも知れませんが、激闘に次ぐ激闘の人生続きで、とっくに肉体細胞は悲鳴をあげていたのです。そんな悲鳴にも全く耳を貸さず、俺は!俺は!とやっていました。自分自身の肉体細胞にどれだけ冷たいかと言うことです。
腎臓疾患という、初めての大きなシグナルを得て、ようやく、本当にようやく自分の生き様の方向転換の途につきました。ですが、そう、まだ序の口です。自分の心の中には、今までの闘う生き方、自分の素晴らしさを表したい自分がまだまだうようよいます。全力で自分は正しい!間違ってなんかない!と絶叫しています。自分の根本を変えていく作業は一筋縄では行きません。実感としてあります。しかし、ここを変えていかない限り、もっと大きな病気などの現象が現れるであろうことも肌で感じています。
偽の自分を卒業して、本当の自分に出会う。人生の嘗てない物凄い課題です。
ですが、そのために生まれて来たのかなぁ・・と少しでも思う限り、やはりやり遂げなくてはならない自分に課した、人生の目的なのだと思います。
それがもし達成できたら、ありがとうしかない人生が開けるだろうとイメージ出来ます。その時には、この腎臓疾患を改善してくれた松本先生や松本漢方クリニックのスタッフさん達に対して、今思っているありがとうじゃなくて、心からの本物のありがとうが、きっと言えると思います。勿論自分にも。
そうなった時、例え数行の短い手記でも、改めて投稿させていただきます。
というわけで、私の手記第一部を終わらせていただきます。
ありがとうございました。