「リウマチ性多発筋痛との戦い(途中経過)」
匿名希望 67 歳2016 年 1 月 14 日
匿名希望 67 歳2016 年 1 月 14 日
1.はじめに
原因がはっきりしないと言われている病気のほとんどは、化学物質またはヘルペスとの戦いです。ストレスを感じやすい性格や、間違った医療が免疫を抑制し、ヘルペスウイルスを増殖させ、また免疫の逆クラススイッチを起こさせ、その後免疫が上がった時に様々な症状が現れます。
自分の性格で思い当たることがたくさんあります。もともと真面目で神経質で几帳面であり、「~しなければいけない」という思いが強くあります。「嫁だから」「親だから」といって自分を犠牲にし、無理をして来ました。部屋も綺麗にし、物も少ない。食べ物にも気をつけており、なるべく有機や無添加のものを買っています。そんな性格だからか、長年更年期の症状が辛く、「自律神経系が弱い」と言われてきました。脈が速く息苦しい時がよくありました。何度か発作も起こしました。薬は嫌いで、体調のことはなるべく漢方薬局に相談していましたが、安定剤は仕方なく8年間ほど毎日服用していました。
ストレスの原因は家族・親戚・近所、いろいろありました。ここ数年、特に大変でした。諸々の問題が片付いて、ホッとした矢先の発症でした。抑え付けられていた免疫が目を覚ましたのです。
2.発症、クリスマスイブに!!
平成26年12月24日、朝起きたら両足の股関節に痛みを感じました。今まで経験したことのない痛みで、嫌な予感がしました。それは長い、長い戦いの始まりでした。そして、この戦いは1年経過した現在も続いています。
3.2ヶ月間の無駄な日々
痛みが治まらないため、年末に整形外科に行き、レントゲンを撮りましたが「異常なし」と言われ、ロキソニンと湿布を渡されました。ロキソニンは痛む時だけ飲みました。しかし年が明けても痛みは続き、腰・左肩・首へと痛い箇所が増えていきました。これだけ痛いのに「異常なし」では納得できなかったため、別の整形外科に行ってみましたが結果は同じでした。カイロや整体も行ってはみましたが効果がなく、逆に痛みが増しました。
そして、これは内科的な原因からくる痛みではないのか。今までの診断は間違いではないか、そのように思い始めました。そう気付くまで約2カ月間という無駄な時間を費やしてしまっていました。寝汗がひどかったのも微熱が続いていた為だとこの頃気づきました。
2月20日、かかりつけの内科に行き、血液検査を受けました。実はこの時、「ヘルペスの痛みに似ているような気がするから検査して欲しい」と訴えたのですが、「無い、無い、誰の体にでもいるものだから調べても無意味だ」と言って取り合ってもらえなかったのです。「とにかくロキソニンを朝昼晩きっちり一週間飲んでみて」と言われました。ロキソニンはよく効きました。
検査の結果、CRPが4.67と高く驚きました。もう少し詳しく調べてもらうため再度血液検査をしてもらいました。それから結果が出るまでの数日間、自分の症状についてネットで調べ、「リウマチ性多発筋痛症」という病名を知り、自分もこれではないかと思いました。そして結果を聞きに行くと、やはり「リウマチ性多発筋痛症の疑い」と言われ、総合病院を紹介されました。
4.自分の意に反して入院
もう少しリウマチ性多発筋痛症について詳しく調べ、病院を選びたかったのですが、かかりつけ医の顔を潰すわけにはいかないと思い、3月6日に紹介された病院へ行きました。すると、少し診察しただけで「入院する事になります」と言われ、ベッドが空くまで自宅で待機するように言われました。そして、この病気は癌を併発している可能性があるので、治療する前にあらゆる検査を受けなければならないこと、これらの検査の結果で異常なしと判断した後、リウマチ性多発筋痛症の治療として、ステロイドによる治療を行うことを説明されました。
ステロイドのことは詳しく知りませんでしたが、あくまでも対症療法であり、必ず副作用が出るという認識でしたので、これはまずい事になったと思いました。ベッドが空くまでの数日間、毎日ネットでリウマチ性多発筋痛症やステロイドのことを調べました。そして、松本漢方クリニックのホームページにヒットし、松本先生の論文などを読んで衝撃を受けました。しかも原因がヘルペスだと言っている・・・。ここに書かれてあることは全て本当なのだろうか?本当だとしたら世の中の常識がひっくり返るとんでもないことだと思いました。それでも、この時点ではまだ半信半疑でした。しかし、ステロイドの治療を受けてはいけないことだけは確信していました。
3月13日に入院して、すぐ検査が始まりました。数えきれないほどレントゲンを撮り、口腔外科・耳鼻咽喉科・消化器内科等を次から次へと慌ただしく受診し、精神的に辛かったです。口腔外科の診察では、ステロイドを始める前に悪い歯を全部抜くと言われました。ステロイドと並行して使うBp製剤(骨粗鬆症の予防薬)が、まれに顎骨壊死や顎骨骨髄炎を発症させるので、あらかじめ歯科治療を行い口腔内の状況を良好に保たなければならないとのことでした。とんでもない話です。恐ろしくなり「待ってほしい」と断りました。そんな追い詰められた状態の中、なんとか、その病院での治療を受けずに去る方法はないかとずっと考えていました。藁をもすがる思いで、娘に馴染みの漢方薬局に行って免疫力を高める清涼飲料水を買ってきてもらい、入院中は毎日飲んで、本気で自力で治そうと思っていました。
その時は清涼飲料水の効果なのか何なのか不思議に思いましたが、CRPが4.74→3.12→2.44と徐々に下がってきました(今は、入院のストレスで脳から大量のステロイドが出ていたのだろうと思っています)。これを理由に治療を先延ばしにして、とりあえず退院しよう閃きました。なるべく、かかりつけ医の顔を潰すことなく円満に退院したかったのです。症状は、ロキソニンを1日1錠(朝と夕に半錠ずつ)飲めば何とか生活出来るレベルでした。
担当医からは、「まだまだCRPは高く、ステロイドを投与する数値だ」と言われましたが、何とかお願いして次回の予約を取って退院することができました。
自宅に帰って安堵したが、今後が不安でした。ネットで調べたが、やはり頼れそうなのは松本漢方クリニックしかありませんでした。松本理論は無知な一般人には難しく、細胞のことなど理解できませんでしたが、それでも納得したのは、ヘルペスのことが大きかったです。かかりつけ医に訴えたように、ズキズキする痛みが帯状疱疹のそれと似ていたからです。ただ、体が痛いうえ精神的に疲れていたため、高槻まで(車で1時間)は気軽に行ける距離(遠方の患者さんには申し訳ないが)ではなく、「行こう」と思えるまで少し時間がかかりました。
5.やっと松本漢方クリニックへ
初診は私の誕生日の4月3日でした。娘に会社を休んでもらって一緒に松本漢方クリニックへ行きました。院内に入ると、レトロな昭和の雰囲気が漂っており、どこか懐かしさを感じました。奥からは先生の元気な声が聞こえてきました。先に予約しておいた鍼灸の治療を受け、お灸のやり方を教えていただきました。その後、緊張しながら診察室に入りました。問診票を長々と書いていきましたが、先生は目をあまり通すことなくお話されました。「なぜここに来たの?」と言われ、「ヘルペスが怪しいと以前から思っていた。ステロイドは使いたくない。」と答えると、「賢い!」「絶対治る!!自分の免疫が治すんや!!」と言って何度も握手してくださいました。個性の強い先生だと思いました。たくさんの病院へ行きましたが、こんな先生には会ったことがありませんでした。この個性では好き嫌いが二極化すると思いますが、私は面白い先生だと思いました。出会えて嬉しかったです。
6.治療開始~2カ月
治療はアシクロビルと煎じ薬2種の服用・鍼・灸・漢方風呂という内容でした。漢方薬を煎じるのもお灸をするも初めてのことだったので不安でした。漢方風呂も週2回とはいえ賃貸に住んでいるので躊躇しました。鍼も近所で探さなければならない。今日から全て始めなければと思うと、正直気が遠くなりました。
とにかく治療のためロキソニンの服用を止めました(止められなかった安定剤も、松本先生の一言で止めました)。実は、手記をいろいろと読んで、何となく、「自分はロキソニン1錠だけで1日過ごせているから軽い方だろう」と思っていましたが、違っていました。すぐに痛みが襲ってきて瞬く間に不自由になったのです。家族の助けなしでは生活できなくなりました。夫はもともと家事が出来ないし、娘は近くに住んではいますが仕事をしているうえ、子どもがまだ幼いため負担をかけるのが心苦しかったです。
痛み・強張りのため寝返りが出来ないし、ベッドから起き上がれませんでした。膝と足首から下、足の裏までもがパンパンに腫れてまともに歩けませんでした。屈伸もできないのでトイレも一苦労でした。浴槽に浸かるなんて到底できず、週末に足湯だけすることにしました。髪も洗えないので、夫に車で週1~2回美容院に連れて行ってもらいました。微熱も相変わらず続いており、寝汗で夜中に2~3度着替えました。煎じ薬の効果で免疫が腸でも戦い始めたからなのか、ひどい下痢が続きました。頭痛も4週間続きました。介護用品店に連絡し、電動ベッドや手すり・車いすをレンタルし、杖・足湯バケツを購入しました。自宅の玄関からエレベーターで1階へ下りて、マンション内の駐車場に向かうまでのほんの短い距離でも、車いすと杖が必要でした。
そんな状態だったので、松本漢方クリニックへは薬が無くなると娘に代わりに行ってもらい、私は2カ月に1度行くことにしました。松本漢方クリニックはどうして2階にあるのだろう。階段が上れないのでスタッフの方々に車いすで担いでもらっていました。
鍼灸については、娘が近所で熱心な女性の鍼灸師を見つけてくれました。元々理学療法士だった彼女は、西洋医学に疑問を感じて鍼灸師になり、東洋医学を勉強しているとのことでした。免疫を上げて治すという方向性は松本漢方クリニックと同じだったし、いろいろと勉強しておられるので話が面白く、私は気が合う良い人を見つけたと思いました。今も週2~3回家に来てもらっています。鍼灸院に行かない日は、娘に膝下を中心にお灸をしてもらいました。
本当に治るのか、不自由な生活がどのぐらい続くのか不安で、同じ症状の方の手記の日付を追わずにはいられませんでした。KMさんの手記は、自分の症状と似ている気がして何度も読みました。
7.3ヵ月~4カ月
足の腫れは相変わらずで、各箇所の痛みは増してきて何をするのも困難でした。歩いた時に両足の関節がポキポキと音を立てるのが気になりました。屈めないので落としたものも拾えませんでした。熱は時々38度を超えました。煎じ薬は苦味が辛いし、熱が高いこともあって食欲は落ちる一方で、体重が減って気になりました。相変わらず家事も出来なかったので、家族の負担を減らすため週2日家事代行サービスの方に来てもらうことにしました。
左側頭部に血管が浮いたようなコブのようなものが出来ました。触ると痛みました。不安になってネットで調べると、「リウマチ性多発筋痛症」は「側頭動脈炎」を合併することがあるということでした。生検するだの視力を失うだのこれもまたステロイドを使うだの書いてあったので、怖くなって先生に相談すると、抗生物質を処方されましたが服用後も変わりませんでした。先生によると、抗生物質が効かないのであれば、これもヘルペスと戦っているとのことでした。
この症状も数カ月続きましたが結果的に治まったし、視力も何ともありませんでした。西洋医学が原因不明というのなら、その病名に振り回されてはいけないと思いました。結局は化学物質かヘルペスと戦っていて、その場所が違うだけなのです。
8.5カ月~6カ月
ほんの少しずつ、足の腫れがひいてきて、杖は要りましたが歩きやすくなってきました。少しの時間なら立っていられるようになりました。足首の下あたりがカサカサしてきて、ひざの裏が少し痒くなってきたので、これがクラススイッチなのだろうかと思いました。寝汗は止まりましたが、微熱と下痢は続いており、相変わらず夜は眠れないので日中はウトウトしていました。肩の痛みは左から右へと広がり、腕まで強烈に痛みました。左手は特にひどく、湯呑みを持つのも辛く、耳かきすら出来ませんでした。アシクロビルは治療開始時は8錠/日でしたが、気づけば最大で16錠/日飲むようになっていました。アシクロビルを増やせば痛みが少しマシになる気がしましたが、胃や肝臓への負担が気になっていました。
8月の下旬、頭痛が治まり、熱もあまり上がらなくなりました。家の中では杖もあまり使わなくなりました。簡単なものと味噌汁を作ることが出来て、少し自信がつきました。金銭的にも大変だったので9月の中旬に家事代行を止めました。何カ月も夫や娘に負担をかけている事が辛かったので、自分で出来る範囲のことをゆっくりやることにしました。
この頃、ひどい胃痛に襲われた日がありました。アシクロビルの量のことが気になりましたが、翌日には胃痛が治まったので、先生からは「胃炎ではなくヘルペスと戦っている痛みだ」と言われました。でも不安だったのと金銭的な面(健康保険がきかないのが腹立たしい)から、その後はアシクロビルの服用量を減らしました。
少しではありましたが、あちこちに湿疹が出てきました。かなり痒かったですが1週間ほどで消えました。クラススイッチが徐々に起こっているのだろうかと思いました。下痢の方は少し治まってきて、10月に入るとやっと普通便が出ました。
肩から腕の痛みは変わらず辛く、右肩が強烈に痛み、微熱が出る日も増えてきたので、またアシクロビルを増やしました。足の方はゆっくり良くなってきました。10月下旬には、浴槽に浸かることが出来ました。
9.7カ月~8カ月
緩やかな足の回復に伴い、家事の出来る範囲が増えてきた。熱が下がり、下痢もなくなり、歩いた時ポキポキと鳴っていた音がしなくなってきました。トイレに手すりが必要でなくなりました。採血の結果、MMP-3 が正常値に入り、先生から手記を書くように言われました。
12月に入り、美容院(500m)まで歩けました。歩いた後は数日間股関節を中心に下半身がひどく痛みました。“無理をしないこと”とリハビリの境目がわかりませんでした。正座は出来そうにないし、以前履いていた靴も痛くて履けませんでした。椅子に座っていると強張ってしまうので、立ち上がる時に激痛が走りました。松本漢方クリニックの階段も上れないし、まだまだ不自由ではありますが、それでも以前に比べると動けているので、見た目はかなり回復しているように見えます。
肩から腕、手は一向に良くならないで、服の脱着に苦労し、浴室に入るまでに疲れてしまいます。まだまだ大根も切れません。夜は痛さで相変わらず眠れません。下着の跡が痒くなり、掻くと痒い箇所が増えていきました。本格的なクラススイッチが始まったように思います。腰に湿疹ができ、足・腕・頭までが痒くなってきました。掻き出すとしばらく痒みが止まりませんでした。松本理論が真実だと実感しました
10.治療開始後9カ月経過~現在
これまでの数多くの症状を書き出してみると、リウマチ性多発筋痛症がいかに大変な病気かわかりました。症状が辛くて諦めかけたこともありましたが、その度に先生の論文や手記を読み返すことにより、病気を受け入れることが出来ました。これからも頑張るしかない。「自分の免疫が治す」、真実は本当にシンプルです。私はまだ途中経過の報告ですが、症状は薄皮を一枚一枚剥ぐように少しずつ良くなっています。完全に元の生活に戻るには、まだ時間がかかると思いますが、焦らずに、松本先生のアドバイスを受けながら、気長に治療に専念したいと思います。