「天疱瘡手記」

40歳女性2008年1月18日

平成17年の5月上旬に口腔内に違和感を感じ鏡を見たところ口内炎らしきものが歯茎の部分に多数できており、また舌が思うように動かないような状態でした。口内炎らしきものがこれほど多くできたことも初めてでしたし食事をしてもしみるということもなく、変でしたので翌日、総合病院へ行き耳鼻咽喉科を受診しました。

鼻の粘膜が荒れているとは言われましたが一向に口腔内は改善せず食事も痛みを我慢しながら摂っていましたが、お粥や軟らかい食べ物でしか食事を摂ることができなくなっていました。一度、皮膚科への受診を勧められ、そこで血液検査を受けました。その時に皮膚科の先生は「僕が思うには、この病気だと思うのですが」と言われ本を開いて見せてくれました。そこには大小様々な水庖が足や手にできていた写真が掲載されていました。病名は尋常性天庖癒でした。

一週間後の血液検査の結果を聞きに行きましたが「数値がヘルペスの数値でもなく天庖唐の数値にも達していないので、ここでは病名はなんとも言えません」と言われました~食事が困難になって辛かったですし早く治療して治りたいという気持ちが強かったので口腔外科のある大学病院を知り紹介状を書いて頂き受診しました。大学病院の担当した先生は口腔内を見るなり「多分、天疱瘡だね」とおっしゃいました。確認のため、組織検査をしました。

翌日の朝は喉の部分にもの凄い違和感と吐き気を感じました。何度ロ厘吐を繰り返しても


喉に何か詰まっているような感じがとれず、それを吐き出したいためにまた嘔吐。最後は血を吐いていました。びっくりしてまた大学病院へ。先生は「喉にも水庖ができていて、そのために違和感を感じているのでしょう」と言われ、喉のほうにまで広がってしまったのかという思いでショックでした。

数日後に検査結果を聞きに行きました。「天庖盾です。治療費が免除になる特定疾患なのでこれから先の治療は内科で受診して下さい」と言われました。

内科では、その時々の症状を間かれ薬を処方されました。6月の上旬頃の薬はメドロール錠(合成副腎皮質ホルモン剤)いわゆるステロイド6錠、パリエット錠1錠、プリンペラン3錠、計10錠の薬が処方されていました。

薬を飲み始めて一週間もたたないくらいで口腔内は改善され普段どおりに食事も摂れるようになりました。ただ、担当医からは副作用で骨粗鬆症や糖尿病などの病気にかかる可能'性が高いと告げられました。

ステロイドという薬は長期にわたって服用すると体には良くないという事だけは知っていましたが詳しい事までは勉強不足でした。

1ヶ月ごとの診療でメドロール錠が1錠ずつ減り、骨粗鬆症の薬であるフォサマック錠1錠、アルファロールカプセル1uglカプセル(低Ca血症の治療薬)が加わりました。 歯茎の部分に多少違和感が残っていると言うと口腔用ケナログも処方されました。二ヶ月が過ぎた九月半ば頃から、足の太ももの部分に皮下出血の跡がでたり吹出物がよくできるようになったり、顔が膨らんだように丸くなる(ムーンフェイス)という、薬の副作用がではじめました。

担当医に話しをすると「薬をやめないかぎり副作用は仕方がない」と言われました。又、別の日には「完治はしない」とも言われ、大変落ち込みもしました。

そんな時に弟からインターネットでこの病気が治った人の手記が載っている医院を教えてもらいました。それが松本先生の松本漢方クリニックでした。

完治はしないイコール一生ステロイドの薬を服用しないといけない。その上、副作用も覚悟しておかなければいけない。自分自身の寿命70年としてあと32年一生薬漬けの体になるのは嫌だと思っていた時期でした。治療方法がステロイドしかないと聞いていたために諦めてもいました。

「漢方で治る?本当にこの特定疾患の天庖唐が…」

私の心の中は半信半疑でした。(ごめんなさい、松本先生)

西洋医学で完治ができないと言われたこともあって、漢方にかけてみようと思い、11月8日に松本漢方クリニックへ足を運びました。

扉を開けた時の独特の漢方の匂いは今も忘れません。

診療室の戸を開けて先生にお会いし今までの経緯をお話しすると「今まで飲んだステロイドの数を教えて」と言われ計算すると5ケ月ちょっとで約660錠服用していました。「これは膨大な数やで」と言われ改めてこんなに服用していたのかと気付かされました。「僕は組織検査の結果は信用せえへん。天庖癒の数値(血液検査)にも達してないんだろ?君のはヘルペスだ。」「ステロイドをやめると必ずリバウンドがでる」という事も言われました。松本漢方クリニックに来院するその日までステロイドを服用し2.5錠までに減少していましたが松本先生には「明日から1錠ずつにし副腎の働きを戻さなくてはいけない」と言われしばらく漢方と併用するように処方され、血液検査をして帰路につきました。

血液検査の結果を電話で尋ねると「白血球の中のリンパ球がもの凄く減少しているので感染症にかかりやすくなっていることと、血糖値が高いのは多分ステロイドのせいだ」と言われ「ステロイドをこのまま1錠できつかったら無理せえへんでいいから」と言われましたがステロイドが減ってもこれといって変わりはありませんでしたその5日後から「ステロイド1錠を一日おきに、きつかったら無理せずにステロイド服用してもかまへん」と言われましたがそれでも変化はありませんでした。

12月9日 二回目の受診

「北九州からお疲れ様。治してあげるから。」と言葉をかけて頂き嬉しく思いました。「ステロイドで抑えられていた畠リ賢の働きの数値が低いので正常に戻していかないといけない」と言われ、その2日後からステロイドを0.5錠に、-週間後には服用をやめるように指示されました。「何かあったら電話をしなさい」と優しい言葉もかけてもらいました。二回目の血液検査の結果、副腎ホルモンが正常値に戻りつつあるが畠'|管ホルモンに命令するところがまだ低いとの事でした。年が明けた平成18年の1月3日頃から肩・足の関節部分が痛みだしました。口腔内は異状はなく、すっかり治った気分でいました。関節の事を先生にお話しすると、その分の漢方薬を処方して頂きました下旬頃になると舌にピリピリ感が生まれ喉の奥のほうにも赤いブツブツを見つけました。

電話をすると「へルペスだから薬(漢方とは別の錠剤を処方する」と言われました。2月中も1月と同様に関節の痛みと舌のピリピリ感など続き、漢方とヘルペスの薬を併用していました。関節の痛みは少しずつ消えていきました。

3月に入ったとたん左上唇の端の部分に水庖ができ腫れだし膿をもち熱がではじめました。ヘルペスの薬を強めにするということでアシロベック錠200を400mgで様子をみることになりました。唇全体が腫れだし舌先だけではなく舌の横側にもピリピリ感が走り、下歯茎には無数の水痘らしきものが沢山できはじめました。食事が困難になりはじめ、しばらくすると薬の効果で多少おさまってくるという状態でアシロベック錠が200mgになるとまた舌の痛みが激しくなり、話しをするだけでも痛みが走り主人に頼んで電話をしてもらいアシロベックの強い400mgをお願いしたしたこともありましたし、

痛みを和らげる方法として(口腔内を5倍に薄めた消毒液でうがいをするように消毒しなさい)と教わり痛みが多少減少するように思えました。

痛みが減少するとアシロベック200mgという繰り返しの日々でした。

5月の中旬頃になると外陰部分に痛みを覚え、産科に受診するとヘルペスと診断され、何度か通院しました。

6月に入ると目ヤニが朝ひどく、日中は目が痒くてたまらず、松本先生に相談すると「何度も目を洗いなさい」と言われ、漢方を処方してくれました。

また6月にも外陰部分のヘルペスにかかり、産科へ通院。少しではありますが口腔内の痛みは3月頃に比べると多少減少していました。アシロベックを服用しなくても痛みは我慢するこができるくらいに回復してはいましたが、毎日の消毒と漢方薬は欠かしませんでした。食事もある程度摂れるようになっていました。

10月に4回目の血液検査の結果、「抗デスモグレイン3抗体(天庖癒の特徴的な抗体)」の値が基準値(7未満)に対して150以上であるということが分かり、「ヘルペスもあるかもしれないが天庖麿だ。腰原病の一種だ。」と知らされました。「ストレスがあるとクラススイッチしにくいからストレスを溜めないように」と注意を受けました。

12月の下旬頃になると口腔内の痛みに加え、唇に沢山の水庖が出来ては破れ、唇全体が血だらけの状態になりました。消毒液で消毒し漢方の赤い軟膏を塗るという毎日でした。徐々に唇の状態も良くなると、口腔内の痛みが全く無くなりました。`怖いほど不,思議でした。そう思ったのも束の間で、お腹のあたりに小さな赤い発疹が少しずつ出来始め痒みも伴いました。

今度は体のほうに移動してきたのではないかと思いはじめました。

赤い発疹だったのが見る見るうちに大きく膨れだし、色々な箇所へ広がりはじめました。頭の中、首、耳の後ろ側、背中、股関節のあたりと足の太ももの柔らかい部分は特に酷い、大小様々な水庖が出来ました。

特に辛かったのが出来はじめに突然痒くなることです。そして夜中の3時くらいから朝方まで背中が痒くて眠れない日々を過ごした時でした。

松本先生からは漢方のお風呂を勧められ「毎日電話しなさい」と言われました。

2~3日続けて電話した時に体の変化が変わらなかったので「何かあったら何時でも電話しなさい」「頑張って」と先生に何度となく励まされました。また、「熱がでることもあるかもしれないから」と抗生物質も処方されましたが、それは服用せずにすむことができました。

お風呂のほうは最初はドキドキでした。裸になると体中にできている部分全てに消毒をし、シャワーを浴び体を洗い漢方のお風呂に浸かる。上がってからはまた消毒とジュクジュクした部分や血の出ている部分の感染を防ぐ軟膏、その上から漢方の赤い軟膏を塗りガーゼで覆うという作業を毎日繰り返す日々でした。

時々、挫けそうになることがありました。このお風呂で症状が良くなっていくのだろうか?次から次へ広がっていく水庖。いつまでこの毎日を繰り返せばいいのだろうか?と…出口の無い迷路に迷い込んだようで不安で仕方ありませんでしたが、ここまで来た以上は松本先生の言うことを信じるしかないという、すがる思いしかありませんでした。

3月の下旬頃には、津みも減少し水庖もできなくなりましたが、真っ黒な皮膚の跡が残りました。体にできた分、口腔内の痛みは減少するように軽くなりました。

7月頃にはデスモグレイン3抗体の値が45まで下がっていました。先生にまだ舌にピリピリ感、喉に多少の違和感、口の中の天井部分に痛さや歯肉の炎症は時折ありますがと尋ねた時に「それはヘルペスやから薬を出そうか」と言ってくれましたが、少量の痛みでしたので漢方だけで頑張れますと答えました。そしていつも最後に「頑張って」と励ましていただきました。

食事も普通どおりに摂れる様にもなってきましたし、体重も減少していたのが元に戻りはじめました。

5ヶ月後の12月の血液検査の結果ではデスモグレイン3抗体が基準値まで下がり、水痘帯状へルペスの値が基準値の7倍以上あることが分かりました。

食事が困難になりはじめた頃から比べると今は嘘のようです。多少の症状(喉の違和感、口の中の天井部分の痛み、歯肉の炎症)はまだありますが、生活していくうえで不便ではありません。痒みもなくなりました。ただ体に真っ黒な跡が残ってしまいましたが、松本先生は「良くなる」と言ってくれています。

ここまで症状が改善できたことを嬉しく思っていますし、先生に感謝しています。ありがとうございます。

松本先生には何度となく「治してあげるからね」「この病気で死ぬことはない」「頑張りなさい」という言葉をかけて頂き、それを信じてここまできて良かったと,思っています。あとは水痘へルペスが治るまで、まだ松本先生にはお付き合いをお願いしなければなりません。まだまだ宜しくお願いします。