「尋常性乾癬手記」

45歳男性2009年2月1日

「尋常性乾癬手記」45歳男性2009年2月1日

第1章

①脂漏性皮膚炎の発病

平成4、5年頃、当時の私は人事異動などあり多忙な緊張した日々を送っていました。

そんなある日、突然脂漏性皮膚炎は発病しました。その年の初夏に頭皮に異常が発生しました。赤く湿疹のような非常に痒いものでした。初めは耳のあたり、そして頭頂、後頭部、首筋の生え際へと徐々にその数は増えてゆき、患部は赤く盛り上がったように、大きさも少しづつ大きくなり腫れを伴って非常に痒くたまりませんでした。

我慢しきれず‘掻く’と血と体液が混じったような何とも不潔というか場所が場所だけに困り果てました。しかし、一旦はかきむしり、ジュクジュクの状態を過ぎるとすぐに幹部は乾燥し、表面は‘かさぶた’となり、爪で掻くと皮が剥がれ落ちる、そんな繰り返しの状態が続きました。

夏場の汗が原因かと思い、シャワーなどで清潔を保ちましたが患部はますます増え、いよいよ皮膚科受診へと至りました。医師は私の頭を診てすぐに病名を告げました。‘脂漏性湿疹’と!! リンデロンローションを処方されました。ステロイド系です。当時の私はステロイドの副作用等、全く考える術もなく何の疑いもなく真面目に塗布しておりました。一週間もすると症状は落ち着いてきました。一件落着かと思いましたが、なかなか完治には至らず、結局定期的にリンデロンをもらいに行くようになり、数か月が経過しました。

②尋常性乾癬発病

平成5、6年、私は結婚もし、異動先の仕事にも慣れ比較的充実した毎日を送っておりました。そんな矢先、再び人事異動で私はある会社へ出向することになりました。出向先でのストレスは今から思えば異常を極めました。毎日が苦痛との闘いで精神的にも不安定となり、‘イライラ’が激しく、アルコールにだけ頼る生活に落ちてしまいました。当時も頭部の脂漏性湿疹は完治せず、リンデロンは手放せない状態でした。

ある日突然、気が付くと背中(腰)の部分に1円玉程度の小さな赤い湿疹ができておりました。特別痒くもなくその時点では気にもせず、そのうち治るだろうと軽く考えておりました。1、2か月経過しても全く治る様子もなく、脂漏性湿疹が背中にまでできてしまったのかなと勝手に解釈し、使用していたリンデロンを背中にも塗り始めました。しかし、一旦は良くなるのですが、暫くするとまた酷くなり次第に大きく広がり、箇所も増え始めついにはにっちもさっちもいかなくなってしまったのです。しかし生活上は服を着ているので、直接は見えない事から危機感や焦燥感は無くその状態をしばらくの間見過ごしてきたのです。

しかし結局はどうにもならなくなり皮膚科を受診しました。医師は病名を‘尋常性乾癬’と告げました。初めて聞く病名でした。医師は同時にこの病気が非常に厄介な難病で根本的は治療が無いとも・・・。とりあえずは症状をうまくコントロールしていくことが重要で、処方された薬はアンテベート(ステロイド)であったと記憶しております。この日から私の尋常性乾癬との闘いが始まった訳です。

③尋常性乾癬の治療

平成6年私は出向先の会社を辞めました。精神、体力共すり減らしボロボロの状態でした。この約一年ほどの間に‘乾癬’は悪化の一途を辿り患部はほぼ全身へと広がり頭の先から足の指爪まで顔を除くほぼ全身が乾癬に覆われました。乾癬はご存知のように最初は小さな赤い発疹ですが、徐々に歯形の跡のような形を形成し、その周りが赤く見た目にも非常にいやらしく、鱗屑(りんせつ)と言われる表皮がボロボロと剥げ落ちる状態で広がりを見せた患部同士が融合し、再び大きな乾癬を形成していくのです。ビックリするほどのスピードではありませんが、確実に悪化していきます。私の場合、顔の一部を除く体の8割が乾癬に覆われておりました。冬場は服で隠せますが、夏場は大変困りいよいよ限界まできたのか・・と感じました。

④平成14年 大学病院受診

予断を許さない状況に私はついに某有名大学病院の皮膚科を受診し始めました。乾癬患者のみの外来日があるほど力を入れていたようです。しかし期待は裏切られました。まずは研究の為にと全身の写真を撮られ説明が始まりました。一番知りたい事は治るのかどうか?しかし医師は乾癬の状態は説明できるが原因が不明である事、根本的治療方法が確立されていない事。ゆえに対処療法でやっていくしかない事。基本的には治らない病気である事。私はただただ愕然としました。

処方されたのは免疫抑制剤(ネオーラル)の服用、ステロイド軟こう(マイザー)、さらにビタミンⅮ系のドボネックス軟こう。副作用が強く、毎月の血液検査が必要でした。腎臓、肝臓への負担が大きいとのこと。

⑤治療開始

毎日ネオーラルを朝2錠、昼2錠、夜1錠。就寝前にドボネックス軟膏を塗り、朝はマイザー軟膏。

2か月も経過すると状態は驚くほど変化しました。あの醜く悲惨なまでの皮膚全体の赤みが次第に薄くなり、ボロボロとめくれ落ちた皮膚(鱗屑)が徐々に正常化し、残っていた正常な皮膚と融合してきたのです。ちょっと信じられない思いでした。同時に恐ろしい薬である事も感じました。一旦変化が生じると急速に快復してきたのです。

その後は医師と相談し薬の量を減らしながら、コントロールしていきました。100%完治することはありませんでした。ただ抑えているだけのようです。

しかし乾癬はそんなに甘いものではありませんでした。2年目の冬、インフルエンザにかかってしまいました。免疫を抑制しているので感染は予測の範囲だったのですが、しかしここからが問題だったのです。インフルエンザ感染以来、それまで効果のあったネオーラルが全く効かなくなったのです。医師はインフルエンザによって乾癬の性質が変化した為と説明しました。私は効果の期待できないネオーラルの服用を中止しました。

そして、次の治療はもっと恐ろしいものでした。‘チガソン’という薬の服用です。誓約書まで書かされました。この薬は皮膚を薄くし、塗り薬の浸透を助け、乾癬独特の鱗屑を抑える効果があります。ただし猛烈は副作用です。内臓への負担、もともと薄いのどや鼻腔の粘膜はさらに薄くなり、呼吸するのも痛い状態でした。私は効果よりも余りの副作用に早々にこのチガソンを中止しました。こうして平成14年から16年8月末までの大学病院の治療にピリオドを打ちました。その後、紫外線治療などの勧めもありましたが、効果は期待できず、失望でもうどうでもよいという気持ちになっておりました。


第2章 松本漢方クリニックとの出会い

会社の同僚がアトピーで悩んでおり、これまで多くの病院を経験しておりました。話をしてみると使用している薬は私の使用しているものと似通っており、いろいろ相談するようになりました。

平成20年初旬、その同僚からすごい病院を見つけた。今度は本物かもしれない。「先生はちょっと変わっているが理論は完璧!!」そんな風に評していました。ステロイドは一切使用しない。治療は入浴(薬湯)、煎じ薬、塗り薬。そんな彼は本気でアトピーを治す為、会社を長期に休んでいました。

私の乾癬もすでに限界でしたので、彼のように休職し本格的に治療を行う必要性を感じておりました。

平成20年3月11日、私は彼の勧める松本漢方クリニックへと足を運びました。事前に彼から様々な情報は入手しておりました。そしていよいよ先生との対面です。

まず驚きました。声の大きさに、エネルギーに、押しの強さに!!そして異常な忙しさに!!患者との応対、電話対応とひっきりなしです。いつ話ができるのだろう? そんな感じでした。

しかし先生の第一声、『病気なんか怖くない!!絶対に治してあげる!!心配するな!!悪いのは現代医学の医師と厚生省の役人、結託した製薬会社の連中、あいつらが悪の元凶や!あいつらが医原病を作り出してるんや!!』 圧倒されました!

さらに私の18年間の治療は間違ったものである事、何が何でもステロイドや免疫抑制剤は使用してはならない事。免疫を決して抑えてはならなかったことを痛感しました。

しかし、いざ治療となるとステロイド離脱はそんな簡単で甘いものではない事を思い知らされるでしょう。私のように18年あまりもステロイドを使用してきた者は相当厳しいリバウンドを覚悟しなければなりませんし、最悪の場合、治療を中止せざるを得ないケースもあると・・・。強靭な意志と体力が必要である事。それを乗り越えない限り次の治療もないのだと・・・。近道はないのだ。

私は勇気を持って治療に取り組む決意をしました。また、家内の協力が必要不可欠であること、協力あっての治療なのだという事を付け加えておきます。これは絶対です。家内には過酷な治療を二人で経験する旨を伝えました。

そして改めて、先生の理論、数々の難病を乗り越えられた患者さんの手記を読み返しました。そして、先生の理論、リウマチも乾癬も一旦アトピーに変える(痒みに変える)IGGをIGEにスイッチさせる、そして共存させる「負ける事で勝ちを得る」何という理論だろう。頭の悪い私には理解不能な点もままあります。

ただ云えること、それはこれまで現代医学でやってきた事とは正反対の治療である事、免疫を決して抑えてはならないのだということを実感しました。


第3章

①3月12日 治療開始

1日3回の煎じ薬、漢方風呂、塗り薬(シコンクリーム)

漢方風呂は当初、1日2回(一回につき約2時間)を目標として、入っておりました。しかし、実際問題、入浴とはそれだけで体力を使うものです。日ごろからカラスの行水程度の入浴だっただけに2時間余りを2回は相当きついものでした。ステロイドについてもその日を境に一気に使用を中止しましたので、体にとっては相当負担を強いたのでしょう。

治療開始まもなく、4~5日程で私はベッドから自力で起き上がれないくらいの疲労感、倦怠感に襲われました。治療5日目には松本先生から直接電話が入りました。血液検査の結果に先生もひどく驚かれたようです。

コルチゾールという物質(ホルモン)の値が基準値6.2~19.4に対し、0.6以下だったのです。異常な数値に先生も心配され電話までされたのでしょう。

このコルチゾール、副腎皮質から分泌され糖の代謝をはじめ、タンパク質代謝、脂質代謝、骨代謝、さらに免疫機能にも関与しており生命維持には欠かすことのできないホルモンで、私の場合それがほぼ機能していない状態であった訳です。先生はおっしゃいました。この状態では起きれる筈がない。いや、起きる必要もない。とにかく横になっていなさいと・・・。さらに先生は君の場合生きてる方が不思議やで、こんな数値見た事がない。君が今生きているのは奇跡やとまで・・・。

最悪の事態は1週間ほどで抜け出せました。

10日あたりに首のコリ、頭痛に悩まされました。乾癬そのものより苦痛に感じる程でした。先生に連絡し「ヘルペス」の診断が下り、抗ウィルス薬を処方されました。生活は規則正しくをもっとうに送るつもりでしたが、全身の皮膚の痛み、ヒリヒリ、チクチク感で眠れない日も多く、又朝は目やにで目が開けられないほどで、体の悪い物、汚い物が排出されているようでした。

3月23日 2度目の血液検査。コルチゾールは正常範囲とのことでホッとしました。

②治療開始から10日余りでリバウンド症状はハッキリと現れました。治療開始時の倍くらい乾癬は広がっていきました。3月25日リバウンドのスピードをアップさせる為、煎じ薬が変わりました。首や頭の痛みは抗ヘルペス薬(アシクロビン)で少しずつ改善してきました。しかしリバウンドは強烈です。顔、頭、額、背中、腹がとにかく酷い!!激痛、痒み、悪寒で全く眠れない。ベッドで寝がえりがうてないくらい痛い。腹の部分は特に酷く動くにも呼吸を止めて行わなければならない状態です。

③入浴を始めて1週間ほどで乾癬の皮膚の状態に変化を感じました。改善されているのとは違います。毎日の入浴で皮は常にむけ、全身は‘やけど’を帯びたような状態で真っ赤!!

風呂に浸かっている時は比較的気持ちもよくホッとできるのですが、風呂からあがればまるで地獄です。

3分もしないうちに肌は乾燥し、皮膚という皮膚全てがツッパリ始め、猛烈なチクチク、ヒリヒリそして、体温調節が上手くできない為に異常な寒気を感じます。手際よくシコンクリームを全身に塗らないとたまりません。クリームを塗ると保湿効果でチクチク、ヒリヒリ感が少し楽になります。それにしても上半身、特に腹部、太ももの内側の痛みは顔をゆがめたくなるほどでした。

④4月に入り、多少でも寝たいと思い睡眠導入剤を処方してもらうことになりました。おかげで少し寝つきは良くなりました。しかし、明け方4、5時になると痒みで目が覚め6時半ころまでは体を掻きまくり、同時に痛みが襲ってきました。毎朝の事で本当に辛いです。

リバウンドのスピードは悪いながらもやや落ち着いてきていました。急激な広がりは見せないものの、小さな赤い斑点が所々新しく出現していました。

この時期にもう一つ辛かったことは入浴後の寒気から体温は確実に37.0~37.4度と微熱が毎日生じたことでした。全身の症状に加え、この微熱によって私は何をする元気も無くぐったりとしていました。しかし、不思議なことに食欲はありました。それはわずかな救いでした。

⑤5月のゴールデンウィークの頃、体の95%が乾癬で覆われました。微熱もほぼ毎日、夕方~就寝まで続きました。

首のヘルペスが落ち着いたと思うと次に舌の付け根が腫れ、ものが食べにくくなってきました。免疫が頑張っている証しなのだ。再びアシクロビンの世話になることに・・・。

5月の下旬に入ると体が少し楽になってきたようです。真っ赤だった全身がやや薄い肌色に近づきつつある感じでした。

⑥6、7月に入ると体は非常に楽になってきました。リバウンドは治まり、ゆるやかに推移しているようでした。熱も無く、食欲も旺盛になりました。

ここで4、5、6、7、8月の写真を参考にして下さい。

尚、治療開始直後、3月末までは写真への抵抗感から撮影はできませんでした。4月の段階で乾癬の状態は3月時点でのほぼ3倍までリバウンドにより悪化しておりました。7、8月の夏場、先生は日焼けを勧められ私は心がけました。皮をどんどんめくり、新しく再生させるためでした。紫外線は何も悪いことばかりではない。8月あたりの写真を見ると完治を期待させるまでに至っています。しかし残念ながら2回目のリバウンドが10月に襲ってきました。

現在平成21年1月、10月からのリバウンドは未だ治まっていません。これについては写真を参考にしてください。


まとめ

昨年3月11日より治療を開始し、現在年度も変わり1月中旬。3か月余りの強烈なリバウンドを経験し、7月にはピークも過ぎ、8月には日焼けも功を奏したのか、乾癬はかなり改善したかに思えました。

しかし、9月下旬、10月に入ると症状は再び悪化し、見る見るうちに患部は広がっていきました。

初期のリバウンド時に現れた乾癬の症状とは‘タイプ’が異なります。初期にはステロイド離脱症状に伴う、乾癬性紅皮症も発症しており、顔を含む全身が真っ赤になりさらにその中で乾癬が猛烈なスピードで発生していました。

4、5月頃には入浴後5分もすれば全身がすぐに乾燥し、皮膚がつっぱり、ヒリヒリ、チクチク、悪寒と言語に絶する思いを経験しましたが、現在10か月を迎えた全身の症状はそれとは異なり、入浴後の苦痛はありません。しかし見た目には酷い。特に膝から下の脛の部分、お腹、胸、首回りなどは決して良くなっているとは言い難い。むしろ2度目のリバウンドが未だ落ち着いていないように思います。

痒みも強烈に痒い日もあれば、全く感じない日もあります。生活を振り返ってもその原因はわかりません。非常に気まぐれな症状です。

いよいよ2月には会社へ復帰しなければなりません。2~3時間かけていた入浴も不可能になります。もともと睡眠時間の取れない仕事だけにそれだけの時間を入浴に割くことはできません。煎じ薬も仕事に支障が無い様に粉薬で対応していくつもりです。この先果たして何年治療を続けていくのか?

不安は隠せませんが唯一私は松本先生を信じております。ここまで快復できたこと、そして何よりステロイド離脱に成功したことも松本先生の治療のおかげです。厳しいお言葉もありましたが、しっかりと励まして頂き、勇気を持って治療に臨むことができここまで来ました。非常に辛かったリバウンド時にも先生に会って直接話がしたいが為に体と心にムチ打って通院しました。そして先生はそんな私を叱咤激励し「必ず治したる!!」といつもおっしゃって握手していただきました。


どうか松本先生、この乾癬の完治の日までよろしくお願いいたします。

私はこの手記を第1回目とし、2月以降社会復帰後も綴ってまいります。

そして最後に‘尋常性乾癬完治’と記したいのです。

それまで先生よろしくお願いいたします。