「線維筋痛症途中経過」
49歳 女性
49歳 女性
線維筋痛症という病気を知っていただき、同じ症状の方が、迷うことなく松本先生のところで治療していただく参考になればと思い、乱文ですが途中経過を投稿します。
以前から体は弱い方でしたが、2000年に第1子を出産してから、頭痛、めまい、倦怠感、不眠、肩こり、しびれ、腰痛等の様々な不調に悩まされ、内科、神経内科、脳外科、整形外科等各科に通院しながら、仕事と育児、家事の両立をぎりぎり精いっぱいの状態で毎日生活していました。
2003年にはバセドウ病を発症し、投薬治療を受けておりました。
2004年5月、夫が出張中の朝、起きると今までに感じたことのないひどい疲労感に襲われ、同時に手足の筋肉がこわばってしまい、突然歩行も困難になりました。1週間入院していろいろな検査を受けましたが、異常は見つからず、結局心療内科を紹介されました。退院後、歩けるようになったものの、今度は体のあちこちに激痛や、鈍痛が走るようになりました。いろいろな病院で診てもらいましたが、原因不明と言われました。
今でこそ、「線維筋痛症」という病名は世間に認知されてきておりますが、10年程前はこのような態様の病気があることをお医者様もご存じない方が多く、痛みを訴えても原因がみつからないので、「あなたはいつも色んなところが痛いって言うね。おかしいね。精神科に行った方がいいよ。」と笑っておっしゃるお医者様もいらっしゃいました。
針を体中に何千本も同時に刺されているような痛み、突然斧で切り付けられたような鋭い強い痛み、杭を体に打ち込まれているような痛み、脈打つような激しい痛み等が24時間、体のどこかで起きていました。歯が1本だけ強烈に痛み、最強の痛み止めも効かない。足の指1本だけが気を失うほどに酷く痛い等、痛みは体のいたるところで起きました。激しい痛みは2週間続くこともありました。鈍い弱い痛みは1日中ずっと続いていました。
怪我をしているわけでもない、骨折しているわけでもない、どこも悪くないと言われているのに、体にはひどい激痛があります。この病気を知らない人には仮病だと思われることもあると思われます。誰にもこの痛みはわかってもらえない、誰も助けてはくれない、孤独な痛みとの闘いでした。仕事は痛みに耐え、顔に出さないようにして続けていました。家に帰ると痛みに泣き、夫や子供に心配をかけ、家事の負担をかけてしまいました。
一家の太陽であるべき母親の苦しむ姿を幼い子供に見せてしまい、子供もいたたまれず泣き出したことを思い出し、今も胸が痛みます。数分後、何秒後に、どこにどんな痛みが襲ってくるのかわからない生活は、恐怖と不安しかありませんでした。ひどい倦怠感もあり、ちょっと動くだけでも辛い毎日でした。又睡眠障害もひどく、ゆっくり休むこともできませんでした。
2005年8月、地元の総合病院のリウマチ膠原病科を受診。血液検査ではリウマチ反応は出ませんでした。腰のCTを撮り、仙腸関節に石灰化が見られること、又、体の圧痛点の検査から、「リウマチ反応陰性脊椎関節炎」とそれに伴う「線維筋痛症」の合併型ではないかと診断されました。原因不明の治療薬もないという病気とのことでしたが、その時はこの症状を認めてもらえて、病名をつけていだだけただけでも嬉しく思ったのです。
対処療法として消炎鎮痛剤、ステロイド剤、精神安定剤等が処方されました。痛み止めは今まで飲んでみて、全く効かないとわかっていましたし、ステロイド剤は副作用が怖くて飲みませんでした。唯一、精神安定剤のデパスは、筋肉が緩み、痛みも少し和らぐことから服用していました。
2006年5月、自己免疫性膵炎にかかりました。
2007年頃より、体全体の痛みだったものが、肩、鎖骨、胸骨、背中、腰等の骨が熱をもつようにひどく痛むようになり、激痛で手も上げられない、箸さえも持てない、息を吸うだけでも痛い、寝返りが打てない、ひとりで起き上がることができないという状態になりました。
2008年11月、同じような痛みがビオチン治療で治ったという情報を知人から得て、ビオチン治療を行っている病院を受診。首、背骨、胸骨、仙腸関節にひどく炎症がみられることから「掌蹠膿疱性骨関節炎」と診断され、ビオチン、ビタミンC、整腸剤を8時間おきに飲むという治療を始めました。4年程ビオチン治療を続けて、骨の状態が正常値に戻ったと診断され、完治と宣言されたのですが、骨の痛み、体の痛みは依然残っており、完治と言われても信じることができない状態でした。ビオチンはその後も飲み続け、痛みに耐え、精神安定剤とともに日々をどうにか乗り切っていました。
2014年、温泉でレジオネラ菌に感染し、レジオネラ肺炎になりました。3週間で肺炎は治ったものの、体力は落ち、ひどい疲労感、倦怠感で仕事ができなくなり、ぎりぎり務めていた仕事も休職しました。この症状から慢性疲労性症候群とうつ病と診断されました。自分では絶対うつ病ではないという確信がありましたが、抗うつ薬は線維筋痛症の痛みにも効くと勧められ、抗うつ剤を服用しました。しかし、薬で朝から夕方まで起きられず、まるで廃人のような生活になってしまい、怖くなり服用をやめてしまいました。7ヵ月後やっと仕事に復帰することができました。
2015年1月、肩や首、胸骨の痛みがひどくなり、漢方薬局に相談し、漢方薬、サプリメントを調合してもらいました。でも劇的には良くならず、1ヵ月15万円もかかる薬代は、すぐに金銭面で立ち行かなくなり、飲み続けることはできませんでした。
10年以上続く、苦しく辛い年月の中で、いろいろ考えました。どうして私だけこんな苦しい思いをしなければいけないんだろう?私は何かいけないことをしてきたのか?前世でひどいことでもしたのか?痛みに泣きながら、こんな自問自答から始まり、深く考える時間はたっぷりありました。ふと開いた本や、テレビの映像や、人との会話等から、答えのメッセージは私の中に降り積もっていき、いつしか私も病気は私の心が原因なのかもしれないと気づかされていました。
私は小さい頃からずっと寂しさや悲しさや恐怖に蓋をして、それに気づかないふりをして酷くおびえていたことに気付きました。自分を守るためにすべてに対して敵視した考えでいました。私の歪んだ考え方や感じ方が、自分で気付かないうちに、自分に強度のストレスを掛けていたのだと思います。「私が気付いて変わるための病気」を与えられたのだと思いました。でも恥ずかしながら、すぐには長年染みついた考え方を変えられるものではありません。 日々精進、反省という繰り返しの毎日でした。でも、心を変えれば病気は良くなるのかもしれないという希望を持つことができました。
このような時に、松本漢方クリニックのホームページにたどり着かせていただきました。私には正直難しい内容でしたが、各病気についてひとつひとつ詳しく解説され、又病気は心からであるということを証明されているお医者さまがいらっしゃることに感動し、藁にもすがる思いで主人に大阪まで連れて行ってもらいました。
2015年4月、松本漢方クリニックを受診。診察室で、先生が電話での受診の方に大きな声で怒っておられるのを聞き、とても緊張してしまいましたが、がんばりましょうと握手してくださった先生の手が力強く、でも優しくてほっといたしました。血液検査の結果は、ヘルペスの値はとても高く、抗ヘルペス薬を始めは12錠飲むようにいわれました。その後、痛みがひどくなり16錠まで増えました。
漢方薬は甘く、おいしいとさえ感じました。そしてヘルペスのお薬は、今まで飲んだどんなお薬よりも私には効きました。気付くと1日の中で痛みの気にならない時間が少しずつできるようになりました。痛みがない時間が少しでもある、それだけでとても幸せです。
病気になる前の私は不満ばかりでしたが、痛みがなく普通に生活できているだけで本当は十分幸せで、自分にも、周りにも、感謝することばかりであったのだと思いました。ご縁があり、松本先生のこの治療に出会えましたことに本当に感謝しています。
今回途中経過の手記を書くにあたり、最近では健康な自分をイメージして過ごすことを心がけていたところでしたので、辛い症状を振り返ることに恐怖心があり時間がかかってしまいましたが、振り返る中で今まで辛い年月を支えてくれていた家族の有り難さを思い出し、改めて感謝することができました。無理をしたり、疲れたり、ストレスを感じたりすると、途端に痛みや倦怠感が強くなります。免疫を高めて、自分の免疫と心で治すという松本先生の治療を信じ、しっかり完治して、自分のためにも家族のためにも、これからの人生を明るく楽しく、そして家族に恩返しをしながら生きていきたいと望んでおります。
ヘルペスのお薬代は保険がきかないため、松本先生の元にたどり着いた方の誰もが先生の治療を長く続けられ、そして完治できるよう、ヘルペスのお薬が保険の対象となるように心から願っております。
また、松本先生もどうぞお体をご自愛くださり、これからも末永く多くの方を救ってくださいますようお祈り申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。