「松本漢方クリニックの治療に専念して完治目前」
38歳男性2015年11月14日
38歳男性2015年11月14日
(紫斑病・腎炎・ネフローゼ症候群・アトピー手記)
平成27年4月上旬に紫斑病を発病して仕事を休職した後、4月下旬ネフローゼ症候群を発症しました。5月上旬に松本漢方クリニックを初受診、5月仕事を退職し療養に専念しました。10月上旬には血尿がまだ出ていたものの、ほぼ完治したため、松本先生より手記を書くように言われましたが、私は完全に完治してから書こうと思い放置していましたが、11月上旬に松本先生より再度手記を書くように言われました。私の思いを伝えたところ、先生より「一度糸球体腎炎を患うと、炎症が完治したとしても、最後まで血尿が残るんや」、「同じように腎炎を患っている人がお前の手記を読んだら励みになるから、一週間以内に書け」と諭されたので、書かせていただきました。
私にとっての手記とは、今までの人生を振り返り、行動や言動、心を見つめ直すことだと思います。ですから少々過去に遡って書いていきたいと思います。しかし、私はパソコンが苦手で、ましてやタイピングは最も苦手なので、一週間で書けるかな?(笑)
私は大阪で生まれ、5男5女の10人兄弟の9番目、四男として育ちました。幼少の頃から三男の兄と五女の姉と私に、少しアトピーがありました。五女の姉が少し強く症状が出ていたと思います。私は小学2~3年生まで、肘と膝の内側に少しブツブツが出ており、学生服の半ズボンが嫌でした。まだあの頃はアトピーの人が現在ほどいなかったので、クラスメイトから「ブツブツ人間」と言われたこともあります。その頃、姉に処方されていた「リンデロン」を私も塗っていたと思います。ステロイド剤ですね。小学3年生あたりから症状が落ち着き、中学卒業するまでは唇がよく切れることがあったぐらいでした。親によく「口が悪いから唇が切れるんやで」と言われたものです。自分がアトピーを持っていたことを忘れるぐらいきれいな肌でした。
10人兄弟で育ってきた私の家庭では、中学を卒業したら就職し、男は家を出て丁稚の住み込みで手に職をつけ、女は家から通いで仕事をし、全員が親に仕送りをしていました。そのため私も当然職人になると決めていました。そして平成4年、中学卒業と同時に大工の見習いとして、父親の出身である山口県で就職しましたが・・・大人の都合で大工ではなく、木工所に行かされました。まぁこれが一番のストレスでしたね。
嫌なら辞めたらいいと思うかもしれませんが、親のつてで就職した訳ですから、16歳の子供なりに「石の上にも三年」と思い我慢しました。嫌すぎてノイローゼ気味だったと思います。その頃からストレスで少し身体の痒みを感じるようになりました。そんな中、作業中に「アピトン」という木材や、「グラスウール」という建材(断熱材)を触ることが多くなりました。この2つの材料は、誰が触っても一時的に多少痒くなります。私も最初は一時的だったのですが、だんだんと慢性的な痒みとなり、腕から次第に首、胸、背中と広がっていきました。ついに顔にも湿疹が出た時、「これはまずいなぁ」と思い、初めて皮膚科に行って検査を受けました。その結果、医師から「成人型アトピー性皮膚炎で、もう治らないからステロイド剤で抑えるしかない」と言われました。ショックでしたね~。平成5年当時ではアトピー治療にステロイドは当たり前だったと思います。最初はステロイドも一番弱いものでした。これを塗るとすぐに痒みがなくなるので、まるで魔法の薬だと思い喜んで塗っていました。(無知って怖いですね。)
弱い薬では効かなくなると、少し強い薬や飲み薬を処方される、そんなことを繰り返しながら、何年も過ぎていきました。仕事も3年でやめて大阪に帰る予定でしたが、「今辞めたら、たったの3年でケツ割って帰ってきたと思われる。そんな事はしたくない。」と思い5年、10年が経ちました。その頃には縁が有って結婚し、そのうち3人の子供にも恵まれました。
平成16年。この頃には、世間でもステロイドを非難する声が高まり「民間のアトピービジネス」が目立ってきていましたね。私はまだ「アトピーを治すために皮膚科に通っているんやから、医者が処方する薬を疑うなんてアホらしい。」と思っていました、その頃にはアトピーも全身に広がり、一番強いステロイド剤に頼るようになってしまいました。軟膏タイプや液体タイプが処方されていました。毎日毎日、風呂上がりに全身くまなくステロイドを塗っていました(今思えば怖いことをしていましたね)。毎回「ステロイド剤のお風呂に浸かりたい」と本気で思っていましたからね。そんな中だんだんと、いくらステロイドを塗っても痒みや赤みが収まらなくなり、慌てていつもの皮膚科にいくと「もうあなたに効く薬はありません、大きな病院で入院し、点滴でステロイドを投与するしかないですね。」と言われました。
そんな中以前に「脱ステロイド」を訴える皮膚科を耳にしたことがあったので、初受診しました。その先生は「脱ステロイドをするには、入院をするか仕事しながら徐々に減らすか、耐え抜く自信があるなら一気に脱ステロイドをするかになる。」と言われました。私は家族を養っていかないといけないので、仕事をしながら一気に脱ステロイドに踏み込みました。それは想像をはるかに上回る苦しみで、足の先から頭のてっぺんまでリンパ液が吹き出し、動けば皮膚が裂け、身体中が腫れて匂いも臭い、それでも仕事には行っていました。むしろ仕事をしていると体はボロボロでも集中するので、家にいるよりは頭の中からアトピーのことが消えていたので良かったですね。どうしても家にいると何もしたくないほど辛いので、そのことばかり考えて弱気になってしまい「脱ステロイドを止めようかな」「でもここで止めたら今まで耐えたことが無駄になる」などと葛藤する毎日で、頭がおかしくなりそうでした。リンパ液が止まると、次は乾燥が起こり、身体中がツッパって、魚の鱗のような皮が毎日毎日ボロボロと剥けました。痒みで眠れない毎日でした。脱ステロイドに踏み切って一年で、やっと一度落ち着きました。65kgあった体重が47kgまで痩せこけたのには自分でもびっくり!この経験があったからこそ、その後もアトピーで何度も何度もひどい状態にあっても乗り越えられたのです。
10年以上ステロイドを7使ってきた訳ですから、その後も毎年10月~5月まで、少しのリンパ液、乾燥、落屑を何度も繰り返していました。脱ステロイドをしてから数年が経ち、家庭がうまくいかずギクシャクし始めました。そしてストレスでまたアトピーがいつもより酷くなり始めた頃、ついに離婚しました。
辛い離婚後、数か月で今の彼女と出会いました。ある日、脱ステロイドを唱えていた先生が「アトピーに画期的な薬ができた。非ステロイド剤だから安心して使える」と言われ、ある軟膏タイプの薬を渡されました「プロトピック軟膏」です。これがまたステロイド剤と同じように効くんですよね。今思えば、やめとけばいいのに、この先生を信用していたので、また厄介な薬を身体中に塗りたくってしまったんですわ・・・。
5年間酷い時に使用して、普段はなんかベタベタする塗り薬(名前は忘れました)を処方されていました。全身に塗ると息苦しさを感じていたので次第に皮膚科の薬に疑問を感じるようになりました。インターネットで調べると、そのベタベタする薬の成分は石油から作られており、プラスチックと同じようなものだとわかりました。「もしかして皮膚呼吸できなくて息苦しさを感じていたのか?」と思い、ついでに「プロトピック軟膏」も調べたらステロイド剤と同じように危険性があることがわかり、すぐに処方されていた薬をすべて処分!!この時から医者に不信感を抱きだしました。
彼女がインターネットで天然自然な化粧水や、様々なものを調べてくれたので、「脱プロトピック」を乗り越えることができました。しかし、常に朝、昼、特に風呂あがりに化粧水と保湿剤を塗らないと、体が乾燥して大変なことになるという毎日が20年続いていたので、「外部から保湿をするのではなく、人間の本来持っている保湿力や免疫力を取り戻すために脱保湿をしよう」と思い、実行しました。そして数カ月で脱保湿にほぼ成功しました!!
風呂あがりに少し保湿するぐらいまで身体が正常化してきました。(簡単に書いていますが「脱○○」というものは全て、かなりの精神力と忍耐力が必要です。)とはいえ、相変わらず秋~春はアトピーで痒く、眠れない日々が続きました。この眠れない毎日によって、だんだんと身体に疲労が蓄積されてきたためか、ついに今までにない異変が身体に現れたのです。
平成27年4月5日、風呂あがりに足の甲を見てみると、赤い斑点が数個できていました。その時は「あれ?なんやろ?」とは思ったけど、たいして気にも留めませんでした。次の日の朝、斑点が増えていて、少しの痛みがありましたが仕事に出かけました。午前中、脚立に上がる度に筋肉痛の酷い時に似た痛みがあったので、「最近、自転車に乗り出したから筋肉痛になったのかな?」と思いました。そして、午後からも作業をしていましたが、ますます痛みが激しくなり、歩くことも困難になりました。しかし現場をストップするわけにはいかないため、何とか夕方まで仕事を続けました。帰宅の車中では、アクセルやブレーキを踏むたびに激痛が走りましたが、何とか帰宅することができました。帰宅直後、靴下を脱いで脚を見てみると、斑点の数が増え、膝から下が少し腫れていました。アトピーで痒みもあり、氷枕などで脚を冷やしましたが、痛みと痒みで熟睡できず、そのまま朝を迎えました。
4月7日、とりあえず朝イチは現場に向かい、段取りだけ済ませて、地元の内科に直行しました。内科では看護師の肩を借りないと歩くこともままならず、血液検査と尿検査をしました。この時点では血液検査では、いくつかの項目の数値が高いだけで、腎臓機能にはなんの問題も無く、尿検査も問題無しでした。しかし脚はアトピーの掻き傷と無数の斑点でわけがわからない状態なので、近くの国立病院の皮膚科を紹介されましたが、自分では運転できないほど痛かったので、看護師が連れて行ってくれました。そして国立病院で人生初めての車椅子!国立病院の皮膚科の先生と初対面したときの、第一印象は「若いな。大丈夫か?」でした。ここでも血液検査と尿検査を受け、結果は朝と同じと言われました。診察を受け、若医者から「脚の細胞を採集し生検したい。治療法はステロイド剤(プレドニン錠5㎎×4錠=1日に20㎎)を服用するしかない」と言われましたが、私は過去の経験から「生検も嫌だし、ステロイドなんてもっての他」と断りました。すると「生検は米粒程度だから痛みもないし、生検をしないとなんの病気か判断できない。ステロイドも飲まないと今以上に悪化し、最悪歩けない可能性もあるし、痛みも全身に回る可能性がある」と言われました。そのため、さすがに怖くなり渋々承諾しました。生検結果は3日後と言われ、その日からステロイドを恐る恐る服用しだしました。
後日から仕事を休職して自宅療養に入り、インターネットでいろいろと調べると「紫斑病」が症状と一致したので、調べを進めると60%の人が腎炎を発症すると書かれていました。4月10日、ステロイドの効果で脚の痛みとアトピーは楽になりだしましたが、脚の紫斑と浮腫みはひどくなっていました。国立病院で生検結果を聞くと「血管炎」と言われ、私が「紫斑病なのでは?」と尋ねると若医者は「紫斑病ならここまでひどくならない」と言われました。私が「ひどく見えるのはアトピーが同時に悪化したからでは?」と聞くと、若医者に「私は皮膚科ですよ。」とムッとしました。(結果的には私が正解だったと思います。)その日に、採血と尿検査。結果は17日にわかると言われました。4月17日の検査結果、若医者から「当てはまる血管炎がない。紹介状を書くから広島の病院にいる私の先輩に一度診てもらってください」と言われました。4月20日、広島の病院の皮膚科を受診しました。しかしその時点ではステロイドの効果で紫斑も浮腫みもアトピーも以前より収まっていたので、医者は「血管炎ならこんなに早く治らないので、この状態からは紫斑病だったとしか言えません。紫斑病の延長線上に血管炎があるのですから、若医者は判断に迷ったので、私の意見を聞きたかったのでしょう。若医者にステロイドを徐々に減らすように手紙を書きます」とのことでした。次の受診は5月1日だったので、もうその時に「ステロイドを一気に止める」と言うつもりでいました。ステロイドの副作用の怖さをそれなりに知っていたからですが、「まだまだ認識が甘かった」と、後に後悔することになりました。
4月25日、脚の痛みも紫斑もアトピーも、見ため的にも感覚的にも収まっていたので、5月から仕事復帰するつもりでいましたが、夕方の尿の色が赤かったので「血尿?」と思い、27日の月曜に地元の内科を受診しました。血液検査と尿検査の結果、「血尿と蛋白尿が(+++)で総蛋白もアルブミンも他の数値も、7日に比べたら悪くなっています。明日にも広島の腎臓内科に入院するつもりで行ってください。腎炎です」と言われ、私は以前調べたことを思い出しました。「紫斑病の患者は60%の確率で腎炎を発症する」ということを・・・。
4月26日、広島の腎臓内科を受診し、血液検査と尿検査を受けました。20日に同じ病院の皮膚科を受診していたので、今までの検査結果を把握されており、話はスムーズに進みました。結果、「紫斑病性腎炎、ネフローゼ症候群です。これは難病ですよ。長期戦になりますから覚悟してください」と言われました。そして、その後に耳を疑う一言があったのです。「何でステロイド使ったんやろ?紫斑病は痛みに耐えたら、ほっといても自然完治するのに・・・。よっぽど酷かったんやな」と・・・。私が「紫斑病を患うと60%の確率で腎炎を患うと言うのは、ステロイドで抑え込むからですか?」と尋ねると、医師は「それは今の段階ではわからない」と言葉を濁しました。続いて医師から「今後の事ですが腎生検をするのに検査入院をする必要があります」と言われたので、「入院をするなら地元の腎臓内科でしたい」とお願いし、4日後に地元の腎臓内科に予約を入れていただいて、その日は自宅に帰りました。
その日からインターネットで腎生検と病気についていろいろと調べると、ようやく事の重大さに気づきました。最終的には腎不全になり、人工透析となる。どこを見てもそう書かれているので、「このまま医者の言いなりになっていたのでは薬漬けになってしまう」と思い、「何とか他に対策がないのか」と検索し続けました。私は以前の医者不信から、西洋医学より東洋医学のほうが理に適っていると考えていたので、風邪を引きかけたら「葛根湯」、何かといえば「葛根湯」でした。だから今回もやはり、「東洋医学なら何とかなる」と思い、「漢方薬」や「漢方内科」、「腎臓病と漢方」などで検索したサイトを片っ端から読みました。そして3日目に、なにか独特な、今まで見てきた内容とは明らかに違う、あるコラムを読みました。それが松本先生の「腎炎(糸球体腎炎)は膠原病であり、クラススイッチと免疫寛容で治る。」というコラムでした。内容は素人で無知な私には難しかったのですが、「漢方は免疫を上げ自己免疫力で病気を治す」ということ、医師も漢方薬もヘルプをしているだけで病気を治すのは自分自身であること等々が書かれていました。最後に「腎生検は許されるべきことではない人体実験のひとつであります。」と締めくくられていました。私は、「ついに見つけた!これで治るかも?」と心に一筋の光がさしました。
4月30日、地元の腎臓内科を初受診し、血液検査と尿検査を受けた結果、「蛋白尿・血尿共に(+++)で、全体的に数値が悪いので、5月7日に腎生検をし、そのまま点滴でステロイドを投与し、数か月の入院が必要です。」と言われました。先生から「何か質問はありますか?」と聞かれたので、私は「腎臓は一度傷がつくとなかなか治りにくいと言われているのに、なぜ腎生検でまた傷をつけるのか、納得できません。それに病気を治すためには免疫を上げる必要があるのに、ステロイドは免疫を下げることで炎症を抑えているだけです。治ってはいないし、副作用で合併症を招くことになるので、ステロイドはもう使いたくありません。私は明日から10日間、実家の大阪に帰ります。大阪に漢方専門の病院があるので一度診てもらいます。その後に改めて今後どうするか返事をしに来ます」と言いました。すると先生から「腎生検は年間何件もこなしているし、何にも問題はない、医者は患者の症状にあった治療をするために腎生検をし、精密検査をしている。ステロイド投与もリスクはあるが、治療法はこれしかない。中途半端な知識で乗り越えられるような病気ではない。人工透析が早まるだけやで。第一、これだけ医学が進歩しているのに、何故東洋医学の漢方薬なんだ?漢方では腎臓病は治らないよ。大阪で両親ともよく話して、14日にどうするか返事を聞かせてくれ」と言われたので、この日は帰宅しました。
5月3日、松本漢方クリニックを初めて受診しました。初受診には、大阪に住んでいる三女の姉に付き添ってもらいました。姉は私の性格を知っているので「自分が納得いくよう、後悔しないようにやったらいい」と言いました。共に松本漢方クリニックに入ると漢方薬の匂いと先生の怒鳴り声、まさに皆様が書かれている通りで、ワクワクしている私となんじゃこれって顔をしている姉。鍼とお灸を人生で初めて体験し、お灸のツボを教わった後、ついに松本先生と初対面しました。イメージ通りパワフルで、「医者らしくない医者やな」と思い、うれしくなりました。第一声が「なんで遠くからここに来たんや?あんたアトピーでステロイドをえらい使ってきたな。なんでもっと早くここを探せへんかったんや?」でした。続いて「紫斑病で1ヶ月もまたステロイド飲んでいるな。はっきり言ってお前みたいな患者は関わりたくないねん」と言われ、「私は想定外の言葉に「・・・?」というのも、腎臓を患った方の手記やアトピーの方の手記を読んでいたからです、大抵の手記には「治してあげると言われた」「安心した」「大きな手で握手された」などと書かれていたからです。私が「アトピーに関してはステロイドもプロトピックも克服した。今回もステロイドを飲みたくて飲んだんじゃない。腎生検もしたくないし、ましてや点滴でステロイドの投与はしたくない。漢方薬で治したいからここに来ました」と言うと、先生は少しニヤッと笑って「来たんやから血液検査もしたる。漢方薬もあげるけど、ステロイドは飲んどけ、ワシも自分を守らなあかん。今後何があってもワシのせいにするなよ」と言われました。松本漢方クリニックの評判は人それぞれで、様々な内容を読んで知っていたので、今、先生がなにを言っているのかはすぐにわかりました。その後、漢方薬を飲みだし、何度か先生と電話で話をしましたが、相変わらず「検査の結果からしても、数値も悪いからお前とはかかわりたくないねん。どうするかは自分で判断せい」の一点張りでした。私は勝手に、「これはどれだけの覚悟と意思があるのか試されている」と思いました。
5月11日、山口県に帰り、職場に今後の予定を報告しました。「入院はしないし腎生検もしない、漢方薬で治す」と宣言すると、会社は、「いつから仕事復帰するのか、だいたいの見当も付かないなら、入院して医者の言うことを聞くべき」と猛反対しました。予想通りだったので「治療に専念したいので退職します」と切り出しました。止められましたが、23年間勤めた会社を退職しました。
大阪の実家で両親は「自分の納得のいくようにしたらいい」と私の意思を尊重してくれました。しかし兄弟姉妹に看護師が二人いるので、やはり「このご時世になんで漢方薬なん?あんた透析になるで」「腎生検しなさい」「入院して治療し、それでも治らないなら漢方にしたら」などと、心配してくれた上での反対意見を言われました。私が「医者の俎板(まないた)の鯉にはならん!漢方とお灸で免疫あげて自分で治す」と言い切ったので、それ以上は誰も何も言いませんでした。
5月14日、決意を報告しに腎臓内科へ行きました。先生から「どうされますか?」と聞かれたので、私は「すべてお断りします、漢方で治します。」と答えました。そして、「ステロイド服用を今日から中止したいのですが、いきなり止めたら腎臓への影響はどれぐらいありますか?」と尋ねると、先生は「わかりました。決めたんなら仕方ない。ステロイドを服用して、まだ1か月なので腎臓には影響はない。しかしアトピーでリバウンドが出るので、徐々に減らすほうが良い」と言われました。しかし、私は「アトピーのリバウンドには耐える自信があるので一気にやめます」と言い、帰りました。
その日に松本先生に電話すると先生は「関わりたくないねん」といつもの調子でした。私は「今日は負けへんで!」と思い、「病院には断った、ステロイドも全部捨てた。リバウンドも怖くない。何があっても自己責任や。漢方で免疫を上げて自分で治したいから、先生の力を借りたい」と自分の思いを伝えました。すると先生に「よっしゃ!引き受けよう!漢方薬送ったる!家で安静にせえ!毎日お灸もせえ!漢方風呂入って自分の心を見つめなおせ!病気になる原因は自分にある!」とやっと言っていただけました。「やはり私の覚悟が足りないから突き放されていたのか」と思いました。(本当の所はどうなのかな?)
そして、いよいよ本格的に免疫力を高めることに専念することになりました。毎日の煎じ薬とお灸、週一度の漢方風呂と、鍼と、整骨院で腎臓機能の施術、玄米と和食中心の食事、規則正しい生活。定期的に自宅で尿検査をしていましたが、9月まで蛋白尿も血尿も(+++)のままでした。病院では定期的に血液検査と尿検査を受け、最初に世話になった地元の内科で現在も診てもらっています。数値は9月までゆっくりと回復していきました。内科の先生も最初は漢方治療に反対でしたが、徐々に数値が良くなっていく現実に直面して、素直に驚いておられます。そして10月の検診で、なんと蛋白が(-)になりました!
11月、血尿はまだ(+)でしたが、血液検査の結果、遂に「ネフローゼ症候群の状態は抜け出した!おめでとうございます!仕事をそろそろ探してください。」と言っていただけました。思わずガッツポーズ!!「ただ、検査は定期的に来てくださいね」とのことでした。松本先生に報告の電話をすると、「頑張ったな。血尿が残っているが手記を書け」と言われ、この手記の冒頭の流れの通り、この度、手記を書かせて頂いております。書き始めて今日で1週間です(笑)
アトピーのリバウンドも乗り越え(現在もアトピーは完治していませんが)、自分の免疫力を信じ、「必ず治る」と自分に言い聞かせ、今までの人生を振り返り、改めるべき所は素直に改める努力をしている今現在です。漢方治療を始めて6ヶ月、ゆっくりと回復し、ついにほぼ完治しました。この手記を読んで頂き、ありがとうございました。