「膠原病手記」
匿名希望57歳2013年10月3日
匿名希望57歳2013年10月3日
不妊症、子宮内膜症、そして〰膠原病〰
「おめでとうございます!妊娠8週目ですね。」
この言葉を聞いてから、もうかれこれ20年ほどになります。
初めは、何のことだか信じられなくて耳を疑いました。
でも、本当だと解ったときは、うれしくて うれしくて、涙がとまりませんでした。結婚して、12年目にしてやっと授かった子供でした。
結婚すれば、いずれ健康であれば、子供はできるもの・・・
そう信じていました。子供が好きで、早く欲しいと思っていました。
3年経ってもできないので、産婦人科の門を叩きました。
不妊で当時有名な大阪の病院でした。主人と二人で検査して、二人とも妊娠には、少々難ありでした。主人は、精子が少なめ、私は子宮内膜症、子宮筋腫もありました。それからが、私のホルモン治療の始まりでした。
排卵誘発剤を飲み、注射し、今から考えると、子作りだけの夫婦生活だったみたいです。そうこうして、何年もホルモン漬けになっていた私は、子供を授かるどころか、卵巣嚢腫もわかり、内膜症もひどくなり、一時生理を止める薬(鼻薬)を使って治療することになりました。
これは、長く続けるといろんな副作用が出てくると言われていたにもかかわらず、子供がほしい一念で、その当時の私は、病院に通い続けることで、願いが叶えられるような錯覚にとらわれていたと思います。
今もう一度、この時期に戻れるのなら、きっぱりと薬、注射を止めて本来あるべき普通の生活をするだろうに・・・
そうこうして、12年近く子供を諦めきれずに来たけれど、37歳にしてもう子供はなくても、夫婦二人仲良くこれから行こうと、諦めた頃、本当の夫婦に戻ったように思いました。リラックスして、肩の力が抜けて今までの管理された性から解放されたのが良かったと思います。
本当にその時、こんな気持ちなって初めて子供ができるのかもと実感しました。
本当にその通り妊娠しました!!それから20年、子供も元気な良い子に育ってくれて、今年「成人式」を迎えることができました。
しかし、大切な「宝物」のような子供を授けてもらった代わりに、今まで服用してきたホルモン剤や注射をいっぱいしてきたバチは、自分に返ってきました。
もともと、私は、スギ、ヒノキのアレルギーを持っていて、鼻炎はひどいものでした。不妊治療に通っていた頃は、ヒスタミンなどの抑制剤は極力飲まないようにはしていましたが、何かあればすぐに、病院へというライフスタイルでした。
子供が出来てからも、内膜症は、生理があるたびにひどくなり、卵巣もチョコレート嚢腫になって大きく腫れ上がっていきました。
病院の先生は、全摘手術を勧めましたが・・・わたしは、手術しないで閉経まで持ち越したいと思っていました。
そのため、また生理を止める薬「ナサニール」を服用しました。
(あとあと、副作用が出るにもかかわらず・・・)
それでも、閉経になるまで待ってはくれませんでした。
とうとう、平成19年8月末に腫れから、熱が出て、緊急入院し、子宮卵巣全摘手術を受けました。それからというものは、身体は正直で、まるで更年期障害のように「のぼせ」「ほてり」「ひどい肩こり」「頭痛」までありました。
おまけに、イライラしたり、心の安定もなくなってきたように感じられました。
こんな時、夫に支えてほしい、甘えたいと思いました。でも、私自身の性格がいけないと思いました。しんどかったら、甘えて助けてもらえばいいのに、
よけいに頑張って強がって頑固に見栄きってみたりして、可愛くない女だったみたいです。3年前、平成22年、子供の大学受験や実父と義父の入院、
手術と重なり、今振り返ってみると私の気持ちはパニック状態になっていました。夫とも気持ち面でぎくしゃくして、よけいに落ち込みました。
思うようにならないもどかしさで、身体の不調はひどくなり、
朝目覚めたら、何だか手のむくみ、こわばりを感じました。ひどい肩こりや、足がこむら返りしたりしました。指の関節が腫れたような、しびれたような感じもしました。心療内科で診てもらって、血液検査ではじめ抗核抗体80でした。
まだ様子みてと痛みを和らげる薬として「エペナルド」「ノイロトロピン」「メチクール」それに「モーラステープ」まで・・・でも、治らず次に、整形外科でMRI検査もし「異常なし」、最後にリウマチ科に行き抗核抗体をもう一度調べてもらったら、640まであがっていました。リウマチかも・・・
ステロイド治療は、絶対にイヤでした。なぜかというと、私の祖母がぜんそくでステロイド治療をしていて、副作用で?死にはずれにあっているのを子供の時に見ていたからです。拒否反応から、ステロイドの出さない病院を探していて、やっと思っていた病院が見つかったと思いました。
ステロイドを一切使用しない『松本漢方クリニック』こそ、私の病気が治る病院かも・・・
それに、従妹も関節リウマチで掛かっていた医院と知り、これは「運命」だと思い、門をたたきました!
平成23年3月、いろんな病院を経てやっとたどり着いた『松本漢方クリニック』は、
漢方の香りのする何となく懐かしい感じの病院でした。
その時、びっくりするような怒ったような声が、聞こえてきました。
何と言われるのだろうと不安な気持ちでいっぱいでした。
しかし、先生にお会いすると「絶対、治るから!」と握手してくださった時は本当にうれしかったです。そして、「心を見つめなさい。」と言われた時は、
何やら宗教っぽいなぁと思いながらも、その当時、自分の心の中に、信じていた人に裏切られたという思いが渦巻いていた時で、何も信じられない気持ちを持っていました。何だか先生に見透かされているようで怖かったけれど、ここへ来て良かったと思いました。毎回、先生にお会いして「自分の心が治すんやで!」と言われ、頑なになっていた私の心が、少しずつ解きほぐされていく感覚を味わいました。私の性格は、素直でまっすぐな気持ちを持っていて、何をやっても一生懸命で、それでいて正義感が強いです。
だからこそ、裏切られたという気持ちに陥ってしまったりして、自分でストレスをいっぱい心にため込んでいたのだと思いました。最悪です!自分で病気になっていったのです。先生はいつも診察時に、私に言われます。
「自分の心を見つめなあかん。怖い病気なんか何もないんや!いつも言うてるやろ。『捨てる』『諦める』『受け入れる』とわかってるな!」
自分の心の中を見透かされているみたいだけれど、心の中が洗われていくように感じます。それからは、心の中の邪念を捨てるように心がけています。
が、私にとっては一番むずかしくて、なかなかうまくいかないこともあります。
今、心と体が繋がっていることをひしひしと実感しています。
『松本漢方クリニック』で初めて、鍼灸の治療をしてもらいました。それから、できるだけ毎日、家族の協力のもと、お灸をしてもらっています。「熱う、熱い!」と言いながらも、その時間は何となく家族でいろんな話をしながら、ゆっくりとした時間が流れています。背中は、たくさんのお灸の跡が残っていますが、
免疫が上がってきて治ることに喜びがあります。
現在(平成25年)、640もあった抗核抗体の数値が、40の基準値にまでもどってきました。これも、松本先生の心に届く言葉と家族やいろんな人のおかげだと感謝しております。本当にありがとうございます。
今、声を大きくして呼びかけたいこと・・・それは、化学物質によって抑制しないこと、そして、あるがままの自然な状態を大切にして、心はいつも穏やかにして楽しくHappyで前向きになっていくことだと思います。
だって、心と身体は本当に繋がっているから・・・
私の場合、振り返ってみると、「子供を授かる」ではなくて「子供を作る」方に力を入れすぎていたように思います。
子供は、自然にストレスなく、夫婦が仲良く愛し合っていれば、授かるものかも・・・そして、それでも授からなかったら、運命として受け止めるものなのではないか?とも思うようになりました。
私の場合、すごく長い間、女性ホルモンに作用されて、そのおかげで素敵な宝物である子供を授かりすごく嬉しかったし、それで良かったのだと思っています。これが、私の人生なのですから・・・
でも、自然に逆らうことは、やはり何かしら自分に返ってくるのだと思いました。私も、徐々に数値も戻りつつあり、症状も良くなってきているのを実感しています。が、また違った症状「白班」が目の周りや口のまわり、足腰の各箇所に出てきています。それでも、そのことに関しては気にせず、前向きに心を見つめて、松本理論を推していこうと思っています。
本当にここまでよくしていただきまして、本当にありがとうございました。
これからも、まだお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします。
松本先生、鍼灸の先生方、ならびに看護師の皆様方、そして親身になっていつも助けてくれる家族に感謝いたします。ありがとうございました。