「リウマチ性多発筋痛症・痛みから解放されて
匿名希望IT72歳2015年12月22日
匿名希望IT72歳2015年12月22日
1.はじめに
私は現在72歳ですが、30歳で独立した後、昨年秋まで大きな病気もなく、電気工事の仕事をし、会社を営んできました。75歳までは働けると思っていましたし、周りの人たちからは「80歳までは大丈夫だね」と言われるほど、元気でした。まさかこのように難しい病気になってしまうとは、夢にも思っていませんでした。
2.発症
平成26年10月18日から3日間、家庭菜園の草取り作業をした次の朝、左手首の腫れと膝の痛みのため、布団から起き上がるのが困難になりました。その後、日を追う毎に肩、上腕の筋肉、ふくらはぎ、ひざ周りの筋肉と、痛む箇所が増え、全身の筋肉が痛くなるまで悪化していきました。
3.症状の経過
平成26年11月4日、手首とひざの痛みで近所の接骨院へ行きました。手首の痛みは腱鞘炎と診断され、電気マッサージを受けて、湿布をしました。1週間しても改善しないままでしたが、様子見でそのまま続けていました。12月8日、骨に異常がないか確認するため、市内の整形外科を受診しました。レントゲンでは異常はありませんでした。血液検査もしましたが、後日結果を聞くとCRP、RFともに異常なしとのことでした。整形外科でも手首の痛みは腱鞘炎、膝は加齢による痛みとの診断で、ヒアルロン酸の注射、痛み止めの飲み薬と湿布で様子を見ることになりましたが、全く改善しませんでした。
痛みは更に激しくなり、朝布団から起き上がるのに一苦労でした。トイレの便座に座るのも、ソファーに腰掛けるのも、着替えをするのも困難になり、妻の手を借りなければならなくなってきました。夜間の頻尿があったので、1~2時間ごとに、もごもごしながらやっとの思いで起きてトイレへ行っていました。立って歩くことはできましたが、布団に戻って寝ようにも、痛くて布団に手が着けず、ゴロンと受け身のようにして倒れこむような有様でした。頸も痛くなり、寝ていても頸が折れてしまうのではないかと思うような痛みが襲いました。
年末の1週間ほどは、就寝中の寝汗、微熱(37.0~37.2度)、血圧、脈拍の上昇があり、自分はいったい何の病気なのか?と思いました。痛みの強い肩には特に汗をかきました。ひざ下がパンパンにむくんでいたため、心臓が悪いのではと妻が心配し、年明けすぐに総合病院へ行くことにしました。
4.病名は・・・
27年1月5日、J病院循環器内科を受診しました。心電図は異常がありませんでした。血液検査の結果を1月14日の受診時に聞くと、炎症反応があり膠原病の範疇に入るとのことで、専門医への紹介状をもらいました。妻がネットで病名を調べ始めました。その結果、「どうやらリウマチ性多発筋痛症ではないか」と言われました。
1月21日、N労災病院の膠原病内科を受診しました。血液検査の結果と、通常の痛み止めに反応しなかったことから、「リウマチ性多発筋痛症」と診断され、ステロイド治療開始となりました。薬局で薬の説明を受ける際の「強いお薬ですので・・・」の言葉に気分が沈みました。プレドニゾロン5mg×3錠/日(ステロイド)、痛み止め、胃薬、骨粗鬆症の薬となにやらたくさんの薬をもらって帰りました。
驚いたのは、夜の薬を飲んで寝た翌朝、なんだか布団から起きるのが大分楽になっていたことです。さらに朝・昼と飲むと夕方にはソファーからスッと立ち上がれるではありませんか!その薬の効果に妻と二人喜んだり、「恐ろしい薬だね~・・・」と顔を見合わせたり・・・。
2月4日、再びN労災病院を受診しました。医師は痛みの具合を聞き、私が大分楽になったと言うと、1週間後から減薬していくことになりました。ここで病気について調べていた妻が「でも先生減らしていくと、リバウンドするんじゃないですか?」と尋ねると、「50パーセントの確率!」と即答されました。そんなイチかばチかの賭けじゃないんだから、なんとかしなくてはと思いました。ステロイド治療では何も良い事がないとすでに知っていた妻は、ネットでさらに色々調べていきました。痛みが落ち着いた私は、先送りにしていた仕事を片付けにかかりました。
5.松本漢方クリニックへの道
ある日、妻から「ステロイドを一切使わないで治療する病院(松本漢方クリニックのことです)が大阪にあるよ」と言われました。妻は既に内容も読み進めていたようで、“松本先生の理論と患者さんの手記をよく読んで、理解できたら家族と一緒に来るように”と書いてあると言い、理論と手記を印刷してくれました。
私には理論の内容が非常に難しかったですが、妻が解剖生理の本で免疫細胞について説明してくれたり、澤井氏、KN氏の詳細な闘病記を読んだりしたので、治療の内容を次のように理解できました。
この病気は、ストレスから自分を守るために、アドレナリンや自前のステロイドを出し続けて免疫を抑えたために体内のヘルペスウイルスを増殖させた後、ストレスが一段落すると免疫が回復し、ヘルペスと戦うときに痛みが生じることにより起こる。
病院で出されるステロイドや痛み止めは、免疫を抑えウイルスと戦わせないことで痛みを抑えるが、少しでも免疫が回復すれば、すぐにまた戦いが繰り返され痛みも再発する。
それに対し松本医学での治療は、ヘルペスの増殖を抑える薬を使用しながら、漢方薬・鍼とお灸・漢方薬湯で免疫を上げ、自分の免疫でヘルペスを殺す。根本治療である。
私は妻に「治るなら、痛みには耐えられる。」と伝えました。それからしばらくの間、妻は治療費とか交通費、治療期間はどれくらいになるかを考えているようでした。
6.治療の経過
2月18日、早朝に家を出発し、松本漢方クリニックへ向かいました。新潟県上越市から大阪、高槻までは半日掛りの移動でした。松本漢方クリニックの待合室に入ると漢方薬の匂いがふわ~んと漂い、緊張の中にも安心感がありました。妻は詳細な問診票を記入してくれ、予約していた鍼灸を受けました。初めての体験でした。残念ですが、服用していたステロイドが効いているため、鍼灸が効いているのかはわかりませんでした。妻は灸の作り方と据え方を習い、練習していました。
鍼灸の後しばらく待って、診察を受けました。本当によくしゃべる迫力ある先生でした。最後にしっかり握手しながら「必ず治るからね!あなたの免疫が治すんや!」と言われ、本当に心強く感じました。採血の後、看護師さんから、漢方薬の煎じ方と漢方風呂の作り方を習いました。午前の最後の患者となった私たちが受付で灸のためのもぐさと薬をもらって支払いを済ませると、もう午後の患者さんが来て待っていました。薬局で漢方薬の包みをもらって、近くのデパート内で昼食をとり帰途につきました。
翌日早朝から妻に漢方薬を煎じてもらい、習ったように全身に灸を据えてもらいましたが、慣れていないので時間がかかりました。一回に200~300箇所ほどお灸をしました。だいたい3時間はかかっていました。妻は大変だったと思います。前日からステロイドの服用をやめていましたので、リバウンドが来ないうちに漢方風呂用の入れ物を探しに行きました。看護師さんに聞いたビニール袋方式では、滑って危ないかも(きっと体が動かなくなるだろう)と思い、町内の納涼会で見たビールやジュースを冷やしておくバスタブ程もある発泡スチロールの箱と、熱湯に薬草をつけておくための耐熱の野菜収穫箱をホームセンターで見つけて購入しました。最初に入った時には、全身ゆでだこのようになり、ものすごく温まるものだなあと思いました。
食事の面では、妻が免疫を上げるには腸をきれいにするのがいいだろうと、小松菜主体にパセリ・青紫蘇・セロリなどを使用した手作りの青菜じュースを作ってくれて、パン食の朝は欠かさず飲むようにしました。幸い、私の場合食欲が落ちなかったので、体重は少し減ったくらいで落ち着いていました。
1週間くらい後から、いよいよリバウンドの痛みがやって来ました。痛みと体のこわばりが少しずつ激しくなってきました。昼も夜も痛いのだから、眠ることもできませんでした。しかし痛くて眠れないと思っていても、いつの間にか眠っている時間もあるのだから、人間というのは不思議です。昼間より夜の方が痛みを強く感じ、もう人間をやめたい・・と思いました。妻の存在がなければ耐えられなかっただろうと思います。
毎日食前・食後・食間の漢方薬を飲み、朝食後はお灸をするだけで午前中が終わりました。お灸をすると、据えた箇所が楽になる。昼食後の薬を飲むとしばらく寝ました。すぐに食間の薬の時間になり、じきに食前を飲み、夕食、食後の薬、食間の薬で一日が終わりました。そして1週間に一度の漢方風呂。まさに闘病生活でした。
薬が無くなった2週間後に電話で診察を受けた際、先生に「痛みは以前の150%」と言うと、「ナニ!薬が足らないのかな?」と言われました。「大丈夫です。」と言うと「なんや、心配するやないか!」と言われ、ご心配をおかけしてしまいました。
4月の半ば、治療を始めて2か月くらい経った頃から、体に変化が現れてきました。お灸をすると1~2ミリの水泡が出来、皮膚が赤くなっていましたが、お灸をしていないところもアトピーと思われる赤い発疹が出るようになったのです。日毎にその範囲が広がっていきました。グローブのように腫れて痛かった手首から先が痒くなり、腫れが引いていきました。昼も夜も痛くて眠れなかったのが、夜眠れるようになってきました。漢方風呂に入ると、休憩しながら入るごとに楽になってくる日も出てきました。
4月21日の電話で、食間に出ていた鼻の蓄膿の薬について、先生に「鼻は良くなりました。」と言うと、更に免疫を上げる薬に変更されました。今まで耳鼻咽喉科を受診する度に出されていた薬では、治らなかったのに・・・。
5月に入るとアトピーは全身に広がりました。お灸のやり方にも慣れて、今日は肩、今日は手、背中、膝、その組み合わせなど日替わりで場所を変えました。お灸をしたところにできる水泡が痒くなってきました。痒くなったところの痛みはなくなってきました。松本先生の理論と患者さんの手記の通りに治り始めているんだなぁと思いました。
6月下旬、手が良くなってきたので、自分で出来る範囲のお灸をするようになりました。手首など観察すると、痛いところは黄色がかった水泡ができるが、痛みの少ないところは小さく透明な水泡ができるのがわかりました。黄色いところにヘルペスがいるのかなと思いました。アトピーは頸の後ろから頭の地肌にも広がりました。
7月、入浴して洗髪する度に、白髪交じりの中で黒い髪の毛だけがごっそり抜けるようになりました。7月10日、松本漢方クリニックへ行き、先生に髪の毛のことを言うと、「ステロイドの影響を受けた細胞が元に戻ろうとするときに、一時的になることもある」と説明されました。抗がん剤で抜けることの逆バージョンか、と考えました。鍼灸治療を受ける時には、楽にベッド」に上がることが出来、2月に来たときはすごく辛かったことが思い出されました。先生からは何回も「あなたの免疫が治してくれているから、頑張れよ!」と励ましていただき、ありがたく思いました。
8月、痛みは50%以下になってきたようでした。この頃から少しずつ体のストレッチをするようになりました。10月に入ると、日増しに良くなると感じられるようになりました。着衣についても、妻の手を借りなければ袖を通すことが出来なかったのが、自分で着ることが出来るようになりました。私の運転で(紅葉には少し遅かったですが)奥只見へも出かけることが出来ました。
現在12月になり、自分の感覚としては80%くらい治ったと感じております。痛い痛いと言いながらも春から少々の畑仕事を続けてくることが出来、今年は雪囲いも出来ました。黒い髪はごっそりと抜けましたが、新たに白い髪の毛が1~2センチ伸びてきています。まだ当分は松本漢方クリニックのお世話にならなければなりませんが、よろしくお願い申し上げます。
7.最後に・・・
この1年余り「リウマチ性多発筋痛症」との闘いを続けてきた中で、松本先生の理論や自分の治癒の過程を踏まえて、この病気を発症した原因について考えてみました。私は一人では到底できないような仕事も引き受けて、やり通していました。自分の気力・体力・健康と言うものに過剰な自信を持ち、年齢を考えず過酷な労働を自分に課してきたせいで、この病気になったと思いました。例えば、昨年は自宅と別のところにある会社の土地建物の売却が決まり、引き渡しに向けて片づけをしながら通常の仕事をする中で手に火傷を負い、しばらく治療に時間を取られ、やっと間に合った後、8月には猛暑の中、早朝から深夜まで店舗の仕事(普通は3人かかるような仕事)を一人でこなしていました。そして、秋に発症に至ったのです。
ストレスがかかり続ける中で、どれほど自前のステロイドを出していたことかと今では恐ろしくなります。今年は3月に入ってから闘病が長引くだろうと覚悟を決め、4月に会社を閉めて治療に専念してきた結果、日常生活は不自由なくなって来ました。畑仕事などで少し無理をすると、妻に「やりすぎシール!」と注意されることになります。鍼灸治療については、鍼はやはり経済的に通いきれないため、とにかくお灸をしっかりやろうと妻と決め、ほぼ毎日行いました。とにかく熱い!ですが、その後スッと楽になります。東洋医学の素晴らしさを知りました。今では妻もお灸をしています。
近所の方と畑で世間話をすると、身近にもこの病気の人や、リウマチ、膠原病の方が大勢いるようで、松本医学の話をしています。一人でも多くの方に松本漢方クリニックを知って欲しいと願っています。最後に、現代の西洋医学では治らないとされている病気をここまで治してくださった松本先生と、スタッフの皆様、松本漢方クリニックを見つけてくれた妻に感謝いたします。本当にありがとうございました。