「松本先生のおかげで夢が叶いました」
24歳女性2006年9月11日
24歳女性2006年9月11日
中学生で始めて初めて書店で『スチュワーデスマガジン』に出会った日から、私の夢は客室乗務員(スチュワーデス)になることでした。高校では両親に頼み込んでアメリカへホームステイに行かせてもらい、早いうちから異文化交流の機会を持ちました。大学ではドイツ文学科で文化を専攻し、ドイツに短期留学もしました。また、ドイツ語と平行して英語の勉強にも力を入れ、中学と高校の英語の教員免許も取得しました。そして、アルバイトで必死にお金を貯め、ウン十万円かけて面接対策を専門に特訓するスクールに入学しました。他にも、TOEIC受験、手話、ボランティア、部活動、介護実習、救急法救急員資格取得等々、客室乗務員に合格するためにプラスになると思ったことは、思いつく限り片っ端から全てやりました。実際に選考が始まると、スクールで知り合った同じ夢を持つ仲間とカラオケボックスに集まって、何度も何度も面接の練習を行いました。私の大学生活の半分以上は、「客室乗務員合格」という夢に賭けていたと言っても過言ではありません。大学3年生の1月頃から、客室乗務員の選考が始まりました。最終落ちが続き、あと一歩、というところで採用見送りになってしまうので、何度も大きなショックを受け、また他社の客室乗務員の募集が出ては、気合を入れなおして受験する、ということを繰り返していました。そして、4年生の8月になり、かねてからの第一志望、大本命の航空会社の最終選考に残ることができました。スクールの先生にも、「あなたなら絶対大丈夫!自信を持ってがんばってきてね!」と送り出されて行った最終選考当日、私は予想外に、尿検査の再検査を行われました。客室乗務員は特異な職場環境で仕事をするため、採用試験段階から綿密な身体検査が行われ、その結果も採用の判定材料になります。尿検査は二次試験の段階で実施されており、再検査が必要な人だけ、最終選考でもう一度行うことになっていました。
私は最終選考の前に、耳鼻科、眼科、整体に行き、貧血検査に備えて選考前夜には大きなレバーをたくさん食べ、身体検査にも万全に備えたはずでした。しかし、まさか尿がおかしいなんて夢にも思わなかったので、尿検査は全くの盲点でした。尿検査に関する知識を全く持っていなかった私は、二次選考の際、尿検査の検査薬の反応結果を自分も見ていたのに、自分がひっかかっていることに全く気付かず、何も治療をしないまま、最終選考でも尿検査で同じ検査結果を出してしまいました。万全に準備したはずなのに、大きな落とし穴があった・・・合格できないかもしれない!!!私は青ざめ、半泣き状態で、次の日すぐに近くの病院に行きました。そこで検査薬の反応結果の見方を教えてもらってわかったのですが、二次選考から三次選考、そして今日の尿検査でも全て同じ、蛋白+++と潜血+の反応が出ていました。私は、「体調でおかしいと感じるところは全くありません。飛行機の乗務においても何も支障がない、と選考結果が出るまでにどうしても証明したいです。尿検査の結果が全部マイナスでないと、選考に落ちてしまうかもしれないんです。」と切迫して医師に言ったところ、「プラス反応が出てるから、あなた落ちますね。」とあっさり言われ、あまりにも緊張状態だったので私はショックで泣き出してしまいました。あんなにがんばってきたのに、こんなことで落ちるなんで絶対にいやだ!どこも体に不調を感じたことはないし、たまたま近頃尿検査の結果がおかしくなっているだけに決まっている!と信じていました。もっと詳しく検査したいなら、と、その医師から腎臓専門のクリニックを紹介してもらえたので、さっそく次の日に行きました。そのクリニックでは、尿検査、超音波検査、蓄尿検査を行ってもらいました。診断結果は、「腎機能正常」でした。しかし、「尿蛋白が出ているので、薬を出して加療する」と言われました。私は、「腎機能は正常であるという診断書を書いて下さい。」と医師に頼みました。それを会社に提出すれば、もしかしたら選考結果が変わってくるかもしれない、と、かすかな希望を持っていたからです。しかし、「薬を出すのだから加療するのであって、健康であるとは書けない。」と拒否され、出来上がった診断書を見て私は唖然としました。「病名、慢性腎炎」。健康であると証明してほしいのに、「病気です」って証明したら意味がありません。私は絶望しました。でもどうしてもあきらめきれず、もう一度その医師のところに行き、診断書を書き直してくれるよう頼みました。すると、「蛋白尿に対し、加療開始」と表現を改めてくれましたが、「腎機能正常」、とはどうしても書けないと言われ、そんな診断書を会社に提出しても選考に逆効果としか考えられないので、あきらめて心静かに選考結果を待つことにしました。その時クリニックから出された薬は、「直接尿蛋白を抑える薬はない」とかいう理由で、なぜか心臓用のものでした。「慢性腎炎は、かなりの長期間薬を飲み続けて経過観察を続けるしかない」とも言われました。もう絶望して落ち込み切っていた私は、なんでこんな薬を意味もわからず長期間飲み続けなければいけないんだ、と毎日のように泣いていました。そして選考結果発表の日。一緒に最終選考に挑んだ4人の友人には次々に内定を知らせる電話が鳴りました。そしてついに私の電話は、結果発表期間の最終日にも鳴ることはありませんでした。意味のわからない薬を飲んで一ヶ月、第一志望の会社にも落ち、直接腎臓に効果があるわけではないのにその薬を長く飲み続けるのは体が変になる気がしてすごくいやだったので、薬を飲むのをやめました。そして他社の客室乗務員の最終試験に進み、10月末にまた尿検査が行われることがわかりました。途方に暮れている私を見て、もう長い間松本先生に大変お世話になっている母が、「あんたも松本先生のところに行ってみる?」と声をかけてくれました。
尿蛋白の量は以前より減ったものの、正常値にはなっていない、でももうあの薬は飲みたくない、でももう次の最終選考は目前に迫っている・・・。私はどうしたらいいか本当にわからなくなっていたので、松本先生のところに行ける!というのは、夢へ向かって固く閉ざされたドアが少し開いて光が見えた感じがしました。母から幾度となく松本先生の素晴らしさやユーモアなお人柄を聞いていた私は、なんだか「雲の上の天才先生様に会いに行く!」ということに、それはもう大変な緊張をしていました。母に言われた通り、慢性腎炎の方などの手記を読み、これまでの検査の経緯を紙にまとめて、何回か練習してからいよいよ松本漢方クリニックに行きました。初めて先生にお会いした瞬間、あまりのパワーに圧倒され、本当にただただびっくりしました!満面の笑顔と大きな声で出迎えて下さり、緊張でしどろもどろになってしまった説明も一瞬で理解して、「大丈夫!!僕が治してあげるから!!!」と大きな手で力強く握手して下さいました。夢をあきらめなければならない、と思いかけていた私は、本当に心強く、ありがたく思い、本当に感動しました。松本先生に煎じ薬を頂き、一番煎じと二番煎じを作って飲み始めました。相当飲みにくい味なのかな、と覚悟して飲んでみたところ、そんなにびっくりするほど飲みにくいものではなく、「このお薬が私の夢を叶えてくれるんだ!」と思うと、おいしいと思えるほどでした。自宅で市販の検査薬を買って継続的に尿検査を行っていたところ、どんどん正常値に近づき、12月の最終選考の尿検査では、全てマイナスの正常値でクリアすることができました。しかし、この会社では整形外科で再検査になり、選考結果は不合格でした。その後も何社か受験し、外資系航空会社の客室乗務員に合格したのですが、志望度が低い会社であったことや待遇面などで不安があるなどいろいろな事情があり、自宅から通えるシステム系の会社でシステムエンジニアとして社会人生活の第一歩を歩むことに決めました。この時、「新卒で力いっぱい悔いなく客室乗務員試験に挑み続けてきた。精一杯やったのでこれで終わりにして、システムエンジニアとして一生懸命がんばろう」と、気持ちを入れ替えました。そして一年が経ち、仕事にも慣れてきてきた頃、偶然友人から、大本命だったのに尿検査で最終落ちした、あの航空会社の客室乗務員の大量募集が出たことを教えてもらったのです。しかも、対象は既卒。新卒の時に入社を熱望していた気持ちが蘇り、「もう一度本気を出してチャレンジしてみよう!」と思い立ちました。そして、見事合格。夢をあきらめて違う道に進もうと決意した矢先に、突然舞い込んできたチャンスをつかむことができ、私は明日、上京します。本当に、人生のどんでん返しには信じられないものがありますが、これも松本先生に出会い、信頼できるお薬を飲むことができたおかげで体調も精神も安定し、落ち着いてしっかりと選考に挑むことができたからだと思います。長年の夢が叶い、これからの未来に期待と希望でいっぱいです。松本先生、本当にありがとうございました。入社後も尿検査は半年に一度ずつ行われる予定で、私は疲れやストレスがたまると尿蛋白が出ることがあるので、松本先生のお薬は完治するまで飲み続けようと思います。松本先生、これからも、どうぞよろしくお願い致します。
追伸:先日の入社前健康診断の尿検査は全てマイナスでクリアできました。本当にありがとうございました。東京に行くのでなかなか高槻には来れなくなってしまいますが、これからもお薬を飲みたいので、お手数で恐縮ですが、送って頂きたいと思っています。またお電話させて頂きます。今後も母、弟共々、どうぞよろしくお願い致します。