「車椅子から完治まで」(線維筋痛症 手記)

36歳 女性

■病気の発端

15年くらい前、車の運転中にハンドル操作を誤ってしまい(欠陥車だった)、単独事故を起こしてしまいました。幸い外傷はなかったものの、体があちこち痛かったので病院へ行ったところムチ打ちと診断され、すぐに入院するよう言われました。ですが、保育士として働いていた私は、ちょうど発表会の忙しい時期だったので入院を断り仕事を優先してしまいました。病院・整体などにも通ってみたものの、どうにも痛みは取れず、首・腰にコルセットをつけながら無理をして仕事を続けました。何ヶ月経っても症状は取れないばかりか悪化していき、痛みやだるさ、吐き気などに加え、さらには顔面痙攣まで発症してしまい、最終的には働くことができなくなり泣く泣く仕事を辞めました。

病院でいくら検査を受けても異常はみつからず・・・仕事も家事もできず、家で横になっていることしかできませんでした。不眠症にもなり、心身ともに疲れ果てていたところ、知人からメンタルクリニックをすすめられたので行ってみることにしました。ここからが薬漬け生活のはじまりでした。

クリニックでは、まず眠剤が出されましたが、それからさらに、痛み・だるさ対策に安定剤や抗うつ剤などを大量に出されるようになりました。体調はいくらかよくなったような気がしましたが、代わりに震えや幻覚、幻聴などに悩まされるようなったり、気分の浮き沈みが激しくなったりもしました。また自殺衝動が沸いてくることがあり、何度かリストカットもしてしまい親にも随分迷惑をかけてしまいました。

※全部は覚えていませんが、その頃よく処方されていた薬は以下のものです。

デパス・セルシン・マイスリー・ベンザリン・ノバミン・ウインタミン・ソラナックス・メイラックス・パキシル・レキソタン・レンドルミン・トレドミン・トリプタノール・ハルシオン・セロクエル・コントミン・ドラール・リーゼ・テルネリン・アキネトン・テグレトール・バレリン

■結婚、体調の悪化

主人と出会ったのは、そんな生活が何年か続いた頃でした。私は、自分がこんな病気だから結婚は無理だろうな・・・と諦めていたのですが、主人はこんな病人の私を受け入れてくれて、一緒に病気を治そうと言ってくれました。そして約1年の交際を経て、2005年に結婚。しかし幸せな新婚生活とは裏腹に、体調はますます悪くなっていきました。当時、顔面痙攣を治すために受診した大学病院で「(痙攣は)薬が原因だろうから直ちにやめるように」と強く指示され、不安に思いながらも無理をして断薬をしたことがあったのですが、体調が急激に悪化し、また毎日何度も過呼吸発作が起こるようになってしまいました。その医師は、うつ病治療の薬の服用を安易にやめてはいけないことを知らなかったとのことで、自分が悪かったことを認めて後ほど私に謝罪しました。その後もひどい過呼吸と体調不良にずっと苦しめられました。

大学病院や専門病院をいくつも受診したのですが、やはり異常は見つからず、またうつ病治療の経歴があるせいか「精神的な問題でしょう」で終わることがほとんどで、なぜ病気だということを認めてくれないのか、心じゃなくて体が悪いから苦しんでいるのに・・・と、いつも悔しい思いをしました。周囲からも「病気だと思って悩まないほうがいい」「前向きに考えなさい」と言われたり、「病気に甘えちゃダメだ!」などと叱られることもあり、なかなか本当の苦しみを分かってはもらえませんでした。ただ、主人だけは私の気持ちを全部理解してくれたので、それが支えでした。

■脳脊髄液減少症から線維筋痛症へ

痛み・だるさなどの症状以外に、この頃からなぜか筋力が著しく落ちてしまい、手に力が入らなくなり、ハシでご飯を食べることもできなくなりました。ペットボトルも開けられなくなり、ちょっと重い扉なんかも一人では開けられなくなってしまいました。(病院のトイレから出られず困ったこともありました)

病院で握力検査をしたときは、左右ともに7キロ程度しか出せず、医師からは「まじめにやっている?」と怒られたりもしました。もちろん全力でやったのですが、それを伝えても日常生活には問題なしと診断されて診察は終わりました。

そんなことが幾度となく続いたので、病院に頼るだけではダメだと思うようになり、自分(と主人)で病気の正体を調べるようになりました。いろんな病気の可能性を疑っていく中で、症状的にかなり酷似している病名が浮かび上がりました。それが「脳脊髄液減少症」です。専門の病院を探して検査を受けたところ、おそらく間違いないだろうと診断されました。ようやくはっきりとした病名がついたことに、主人と一緒に歓喜しました。そしてブラッドパッチという治療を受け、約1カ月の入院治療。しかし結果は・・・残念ながら体調はさらにひどくなったように感じました。むしろ以前よりも痛みは激しくなったと思います。

半年後に再検査した際、担当医師からは、

「脳脊髄液減少症は完治したが、おそらく線維筋痛症になった可能性が高い」と言われました。聞いたことのない病名でしたが、脳脊髄液減少症の治療の副作用で発症する人が少なからずいるとのことでした。これが2008年頃の話です。

過呼吸は以前にも増してひどくなりました。毎晩のように過呼吸の後、全身が硬直状態になってしまい、主人や両親に明け方まで看病してもらう日々が続きました。硬直後に手足に猛烈なしびれが襲ってきて、あまりの激痛に失神することが一晩に何度もあり、主人は私がこのまま死んでしまうのかもしれないと本気で不安になったと言います。

■自然医療の模索

この頃から、なぜか左足に異常がでてきてしまい、杖をつかわないとうまく歩けないようになっていました。んな状態になっても病院の検査ではまったく手がかりがつかめず。そしてやはり「ストレスとか精神的な原因でしょう」と診断されるのですが、病気以外のことでストレスは感じてないし結婚生活は十分幸せだったので、私も主人も「絶対になにか体に原因があるはずだ」と思っていました。この頃から主人は病院治療に見切りをつけるようになり、東洋医学などの自然治療に目を向けるようになりました。

主人に連れられて、カイロプラクティックや鍼灸治療、ホメオパシーなど、いろんな治療を試してみました。どれも素晴らしい効果があって、治療を受けたその場で痛みがおさまったり、劇的に症状が改善されるときもありました。飲んでいた薬(抗うつ薬や眠剤など)も少しずつ減らすことができるようになり、最終的にほとんどの薬を断ち切ることに成功しました。

ただ残念ながら・・・どの治療も効果は一時的なもので終わってしまうか、あるいは1つの症状がおさまったと思ったら別の症状(病気)が出たりして、一難去ってまた一難、という状態がずっと続きました。

■さらに増える病名

大学病院や総合病院ではまったく手がかりがつかめなかったので、自分たちで疑わしい病名を調べ、いくつも専門病院をめぐって検査を受けました。そして疑いも含め、以下の病名がつくことになりました。

・線維筋痛症

・脊椎関節炎

・バセドウ病

・橋本病

・慢性疲労症候群(疑い)

・臼蓋形成不全

中でも一番苦しめられたのが、股関節に四六時中、万力で締め付けられるような、尖ったガラスの破片でグサグサ刺されているような激痛に襲われることでした。痛みで夜眠れない日も多く、明け方になって気絶するように寝るか、ひどいときは2日も3日も一睡もできずひたすら痛みに耐え続けることもありました。

効果の上がっていた自然治療でも、すべてお手上げ状態でした。この状態が3年ほど続きました。家の中でも杖なしにまともに歩けず、家事もできず、一日のほとんどを布団の上で過ごしました。たまに外出するときは主人か母に連れられて車椅子で行動するのがやっとでした。この頃から「もう一生このままなのかな・・・」と絶望感に襲われるようになりました。

■鎮痛薬

痛み止めの薬は、私自身、なるべく使いたくなったし、主人からも強く反対されていたのですが、どうしても激痛に耐えきれずに処方してもらうこともありました。が、残念ながら効き目を感じるものがなかったので、ほどなくやめました。(今思うと、変に効かなくて良かったと思います。効いていたらきっと飲み続けたと思うので)

服用していた薬は、リリカ・ボルタレン・ノイロトロピン・セレコックス

レリフェン・カロナール・ツムラの漢方薬・ブシ末などです。

あまりの痛みに耐えきれず、たとえ一瞬でもいいから痛みから解放されたいと思い、医師に相談するとステロイド(プレロン)を処方してもらったことがありました。ステロイドは、強い薬でとても怖いイメージでしたが少しでも痛みがおさまるなら、覚悟を決めて飲みました。結果、ほんの数分だけ、痛みが和らいだ時間があり喜んだものの、すぐに悪化。その後は拷問のような強い痛みに苦しめられました。以降、もう二度とステロイドは使わないと決めました。

また、股関節の異常については"臼蓋形成不全"と診断され、医師からは「この病気は生まれつきのものだから治る見込みは薄い。今のうちに手術で人工股関節にしたほうがいい」と勧められました。さすがにそれはしたくないと拒否したものの、こんな痛みに一生苦しめられるくらいならいっそのこと・・・という思いもよぎりました。

■治療方針での対立

この頃から、治療方針について主人と意見が食い違うことが多くなりました。

自然医療にも限界を感じた私は、また病院での治療に期待するようになっていました。どこかに原因をみつけてくれる名医がいて、もっと確実で、最先端の治療法があるんじゃないか・・・と、現代医学にすがりつきたい気持ちが大きくなっていたのです。

一方で主人は、病院治療には頼らず、あくまで自然医療系で完治を目指そうとしていました。病院から新しい治療法を提案されるたびに(何十万円もかかる)、この痛みが治るならすぐに治療を受けたいと言う私に対し、主人はもっと他にやるべき治療があると反対しました。結婚してからほとんどケンカらしいケンカをしたことがなかったのに、このとき初めて本気で言い争いもしました。

そんな主人の反対を押し切り、いくつか病院で新しい治療法を試してみたものの残念ながら成果は感じられませんでした。さらには病気に理解のない医師からのドクハラを受けたりもして、やっぱり現代医学に頼ってもダメだということを痛感し、自分が馬鹿だったなぁと反省しました。

■松本漢方クリニックを知る

松本漢方クリニックの存在を知ったのはそれからしばらく後、2011年10月のことです。パソコンに向かっていた主人が突然、「ここなら本当に治るかもしれない」と言って松本漢方クリニックのホームページを見せてくれたのが最初でした。ホームページには、とても興味深い難病理論が書かれていたのですが、パソコン画面の光が目に耐えられなかったのと、座っている事が辛かったので、主人が概要を教えてくれました。大まかに言うとこんな感じでした。

・膠原病や他の難病といわれる病気の多くは、体の中の異物が原因

・異物には大きく分けて化学物質とヘルペスウィルスがある

・病気が発症するのは免疫機能が低下・異常になっているため

・免疫を抑える薬を使うと病気はさらに悪化する

さらに治療法として、

・狂った免疫機能を治すには鍼灸や漢方薬などの治療が有効

・治る過程で「クラススイッチ」が起こり、アトピーなどのアレルギー症状が出たりする

・最終的には「自然後天的免疫寛容」が起こり、異物と共存可能になり、病気が治る

・線維筋痛症と似たリウマチ性多発筋痛症も、松本漢方クリニックで治した人がいる

などなど・・・頭の悪い私にも分かるように、繰り返し、丁寧に説明してくれました。どれも聞いたことのない話ばかりで目からウロコでした。

私は「本当だったら治るかも・・・」と期待がふくらみつつも、まだ半信半疑だったのと、大阪という場所が遠すぎてすぐには行けない。恥ずかしい話、貯金もなかったので「今は無理だよ、お金が貯まったらにしよう」と言ったのですが、 主人は「治る可能性があるなら今すぐ行くべきだ」「金なんて借りればいい」と主張しました。それでまたケンカになりつつも、結局、主人の強引な説得に押し切られる形となり、親にお金を借りて2週間後に行くことに決まりました。

■松本漢方クリニックへ

埼玉から大阪まで新幹線を使いました。途中、痛みで席に座っていられなくなって特別室を貸してもらったり、駅の中の段差に苦労したり、乗り継ぎ時間に余裕がなくてギリギリになってしまったりと、慣れない車椅子での電車移動にかなり苦労しました。(あらかじめ鉄道会社に連絡しておくべきでした)ずっと押してくれていた主人も相当大変だったと思います。

ヘトヘトになりながらもどうにか松本漢方クリニックに到着。初診手続きを済ませ、血液検査等を行い、院内にたくさん置かれた手記を読んだりして、しばらく待った後、診察室に呼ばれました。初めてお会いした松本先生は、意外にも「ダンディ」というイメージ。(もっと仙人みたいな感じを想像していました。すいません)

軽く病歴を伝えた後、先生はすぐに「原因はヘルペスやな!」と断定しました。

ヘルペス??このだるさも痛みも、股関節の激痛も、ヘルペスのせい?とびっくりしました。確かに昔からよく口の周りにヘルペスができて悩まされていたけど・・・

松本先生は、ヘルペスウィルスが原因で発症している病気がたくさんあること、線維筋痛症もその1つであること、そして、現代医学の治療がいかに間違っているかなどを、時間をかけていろいろ教えてくれました。そして、何度も力強く握手をしてくださり「絶対に治したる!」と言ってくれました。今度こそ本当に治るかもしれないと、嬉しくて涙が出そうになりました。

■治療開始

帰宅後、松本漢方クリニックの指導の通りに治療を開始。まずは1日3回の漢方薬。味はコーヒーに似ていて、おいしく飲める方もいるそうですが、私はコーヒーが大の苦手なので飲むのは毎回苦労しました。それでも治る事を信じて毎日飲みました。それから漢方薬の薬湯風呂。こちらは毎日ではなく2日に1回。のぼせないように飲み物を持っていったり、防水のプレイヤーを用意して音楽を聴いたりします。入浴は1時間と指示されていますが早く効果を出したかったので、頑張って2~3時間入りました。

そしてお灸です。最近のお灸は、あまりたくさん据えずポイント(ツボ)を絞ってやるのが一般的と思いますが、松本漢方クリニックの鍼灸の先生からは、痛む個所を中心にどこでもいいからとにかく数をやりなさいと指導されました。しかも途中で、もぐさの火を消さず最後まで焼き尽くした方がいい、とのこと。手足や股関節は自分で。自分でできない背中や腰は主人に据えてもらいました。お灸は悲鳴を上げそうなくらい熱く、毎日数百か所やっていたのであちこちに沢山のやけど跡ができます。お風呂のあとは水ぶくれだらけです。見かねた主人が「見てられない。もうやめようか」と言ってくれることもありましたが、これで病気が治るなら・・・と思い、気にせず続けて欲しいと伝えました。

松本漢方クリニックからは、上記の漢方薬と薬湯風呂に加えて、抗ヘルペス薬のベルクスロンも処方してもらっていました。また以前から飲んでいたバセドウ病の薬(メルカゾール)については、ひとまず飲んでいてOKと先生に言われたのでそのまましばらく飲んでいました。鍼治療も受けるように指示されていたので、地元の鍼灸院に通いました。

■検査の結果

松本漢方クリニックへ行ってから1週間後、血液検査の結果を聞くために松本先生に電話をしました。検査結果は、CRPなどの値に異常はみられないが、単純ヘルペスの値が116.5(一応正常値は2.0未満)と高く、ヘルペスが原因でまず間違いないだろうとのことでした。また、甲状腺の状態を示す抗サイログロブリンの数値がやや高めで109(基準値は28未満)、THSも少し高く5.64でした。そしてこれらの結果を見て改めて「必ず治るで!」と言ってくれました。自分の線維筋痛症の症状が、こうして数値で示されたのはこれが初めてだったので、はっきりと病気であることが証明された気がして本当に嬉しくなり、さらに治療を頑張ろうという気になりました。

■治療から1週間

恐らくリバウンドと思われる、それまで以上のひどい激痛が全身に広がりました。体にガラスの破片がグサグサ刺されるような痛み、全身(背中・手・足・首・肩など)にピリピリする痛み、股関節を鉄板でプレスされているような痛みなど。痛くて気が狂いそうになり、涙が出てしまいました。痛みと倦怠感で歩くこともできず、トイレにもハイハイで行ったり、食事中にも発作が起きるので、一度横になってはまた食べてを繰り返す感じでした。また、掛け布団が身体に触れるだけでも痛みが走るような状態でした。

■治療から1ヶ月経過・・・奇跡的な変化が

しばらくたって、お灸中に主人が「あれ、このポツポツはもしかして・・・?」と、背中になにか出来ていると言いました。

自分でも確認したところ、見たことのない1~2ミリくらいの小さな赤い発疹がいくつも出来ていて、よく見ると脇腹やお腹、さらには尾てい骨あたりにまで広がっていて、もしかして、これがアトピーの症状なのでは・・・と思いました。アトピーができるということはクラススイッチが進んでいるという証拠。松本理論はやっぱり正しかったのだと2人で歓喜しました。

さらに、変化は突然起こりました。治療を開始からちょうど1ヶ月ほど経った頃、あの股関節の激痛がウソのように和らいでいたのです!もちろん完全には消えてないものの、10の痛みが5くらいになっていて、それまでとは比べ物にならないくらい楽になりました。

色々な病院へ行っても、どんな治療をしてもお手上げだったあの激痛が、たったの1ヶ月でこんなにも改善されたことに驚きました。そして、本当に治るのだという確信が持てるようになりました。

■治療から半年、2回目の通院

松本先生からは「もっと頻繁に通院しなさい」と叱られていたものの(先生、すみません)漢方薬代などの毎月の治療費がかなりかかるためなかなか大阪への旅費もたまらず、申し訳ないと思いつつも遠隔治療(電話での診察)で済ませてもらっていました。それでも、体調はさらに見違えるほどよくなりました。股関節の一部と首以外、痛みの大部分が消え、ある程度家事ができるくらいに回復しました。まったく力の入らなかった手足にも力がだんだん戻ってきて、お箸でご飯も食べられるようになっていきました。バセドウ病の症状もすっかり影をひそめたので、メルカゾールもやめることができました。

ちょうど半年経った頃、再び松本漢方クリニックを訪れたのですが、前回よりも体調ははるかに良くなっていたので随分楽に行くことができました。(電車ではなく車で行ったのでさらに体への負担は減りました)このときの血液検査では、単純ヘルペスの値は115.1、他の値は異常なし。ヘルペス値があまり変わっていないのに体調がこれほど良くなっているということは、それだけクラススイッチや免疫寛容が進んだということなのかな、と解釈しています。

また甲状腺の状態を示す抗サイログロブリンの数値は28以下、THSは2.23と、どちらも基準値にまで下がりました。

■治療から1年経過。現在の症状

体調はさらに良くなっています。現時点(2013年3月)で9割方治ったと言っていいと思います。

最近では体力回復のためにウォーキングなども始めてみました。その際、短い距離ではあるものの走ることまでできました。走ったのは多分10年ぶりぐらいです。久々の感覚に思わず嬉しくなりました。車の運転も、夜道や長距離はまだ無理ですが出来るようになりました。以前の、杖なしには歩けず、車椅子でなければ外出もできなかったあの股関節の激痛はほぼ完全に消えています。生理前だけはまだ少しだけ昔の痛みがぶり返すときがありますが、それ以外はまったく痛みがありません。

たった1年でここまで良くなるとは正直思いもしませんでした。本当に、奇跡といっても言い過ぎではないと思います。今まで生きてきて、今が一番幸せかもしれません。料理するのも、洗濯や掃除をすることも、楽しくて仕方ありません。ただ健康であることがどれほど幸せなことか毎日実感して生きています。

今年(2013年)は、ずっと念願だった子供を授かることが目標です。主人からは「病気が治るまでは作らない」と言われていたし、私自身、無事に産める自信もなかったのですが、ようやく作っても大丈夫だと確信が持てるところまできました。年齢的にももう余裕がないので、完治を目指してさらに治療&体力アップを頑張りたいと思います。

いつも私の病気を理解してくれて、支えてくれた主人には本当に感謝しています。主人と出会わなかったら、私は今この世に居なかったかもしれません。また治ることを祈って暖かく見守ってくれた両親や親戚、友達にも感謝の気持ちでいっぱいです。

そして松本先生。先生がいなければ私はずっとあの病魔と闘うだけの人生だったかもしれません。松本理論は本当に素晴らしいです!先生はよく「僕が治すんじゃない。あなたの免疫が治すんや」と言われますが、私は、やっぱり松本先生のおかげで治ったと思っています。リバウンドで辛い時も、他の患者さんの手記やそれに対する先生のコメントを何度も読み、私も頑張らないと励まされました。お話をするたびに「絶対に治る」「治らない病気なんてなんもない」と力強く励ましてもらい、それが完治への自信につながりました。本当にありがとうございました。

最後に・・・

線維筋痛症は完治が難しい病気と言われています。症状も人それぞれ微妙に違うようですし、誰もが私と同じように治るのかは分かりませんが、同じ病気で苦しんでいる方に、少しでも参考になればと思いこの手記を書きました。1人でも多くの方が痛みから解放されることを心から願っています。私もあと少し頑張っていきたいと思います。

長文読んで頂きありがとうございました。