「リウマチ性多発筋痛症との戦い」
N.T. 男性 2018年2月22日
N.T. 男性 2018年2月22日
Ⅰ.どうして松本漢方クリニックの扉をたたくに至ったか
平成28年10~11月の二ヶ月間に体重が5kg減少、特に筋肉がおち、上腕部の力こぶもできず、おかしいと思う間もなく11月の下旬から左側の股関節に痛みを覚え歩行困難となりました。
私の伯母がリウマチで歩くことができず、長期寝たきりであったのを知っていたので、私もリウマチではないかと思い、家庭の医学書などを読みあさって、どうもそうらしいと気づき、これで人生終わりかと思うようになりました。
その頃、娘が孫を連れて遊びに来たとき、どうもリウマチに罹ったらしいと話をしたところ、「リウマチの治療にはステロイド薬を投与する。ステロイド薬は、免疫抑制作用があるから絶対普通の病院に行ってはいけない。お父さんなら、そのことが分かるはずだ。漢方医を探してみるから、それまで待って」と強く忠告されたのです。
実は、私も娘も大学での専攻は薬学です。ですから、娘は、ステロイドの恐ろしさをよく知っていたのです。しかし、私の時代は、ステロイドの恐ろしさについて学んだこともなく、娘に言われて、そういう作用があるのかと気づいたぐらいです。
前述した私の伯母は、漢方治療を行っていましたが悪化する一方で緩解することもありませんでした。私自身も、今の韓国釜山市生まれで、幼少の頃病弱だったため、無理に漢方薬を飲まされました。そのこともあって、漢方は、私にはあまりよいイメージは残っていません。果たして漢方でどの程度治せるのか疑問を持っていたのです。
12月に入ると、痛みに耐えられなくなり、ある病院の整形外科を受診しました。が、検査結果が出る前に、股関節の痛みはほとんどなくなり、今度は、両肩が痛くて両手を上げられなくなり、2kg程度の物を持ち上げるのがやっとという状態でした。更に、衣類の脱ぎ着をするのに妻の助けが必要な状態となってしまったのです。また、腕の痛みで車の運転もできなくなっていました。
そのころ、娘が松本漢方クリニックを見つけ、そちらに行ってはどうかと勧めてきました。
しかし、受診している病院での診断結果もまだ出ておらず、結果が出たらその時点で判断すると娘には返答したのです。
年が明け1月14日(土)、やっと最終的に、二、三十年前から現れた新しい疾病「リウマチ性多発筋痛症」だろうという診断が下され、整形外科の領域外だから内科に回りなさいと指示されました。それまで、整形外科で鎮痛薬が処方され服用しても痛みが治まることはなく、日々に両肩の痛みも強くなっていましたから、早速同病院内の内科で診断を受けました。その結果、整形外科と同じ病名を言い渡され、「ステロイド治療をします」と宣告されました。
「ステロイド治療は大丈夫ですか」と尋ねたところ、単に「大丈夫だ」と返答があるだけで何の説明もないので、同じ質問を繰り返しましたが、意識的に説明を避けているのか、あるいは何も知らないのかのようで、ただ、「大丈夫だ」の一点張りでした。
とにかく患者が納得できる説明をできないのです。私の顔に不信感が表れ始めているのに気がついたのか、顔が引きつり始め、形相が変わってきたのを今もはっきりと覚えています。この医師何も知らないな、と感じたので、私は引き下がり治療を受けると承諾しました。この承諾した理由は、心の中で「納得がいく治療を行ってくれる医者を探さなければ危険だ」と思い始め、「それまでの間、痛みに耐えられなくなったときに備え、ステロイド薬をもらっておこう」と考えたからです。
はじめは、5mg1日3回ということでしたが、処方箋は15mg1日3回となっていました。「これだけの量を飲めば、痛みが確実に和らぐ、そうすればこの患者は信用するようになるだろう」との医師の判断だろうと自分に言い聞かせたものですが、医師の表情からは、このような嫌味な年寄りは早く死んでしまえと判断したなと思えたのです。とにかく無茶苦茶で、医師の良心を感じなかったというのが私の印象です。
処方薬をもらいに近くの薬局にいくと、薬剤師が暗い表情で、「初めての患者に15mgとは異常だ。注意してほしい」と忠告してくれました。
その日、娘が心配してやってきました。ステロイド薬を見て、本当に服用するのかと怒り出しました。
娘の言い分は、生体防御の免疫系の働きが低下したとき、自力で日常生活ができなくなるということで、妻は病弱だし私が倒れたら、この家はどうなるのかと責め立ててきました。少なくとも私には元気で動き回れる状態であってほしいと懇願したのです。
娘の「科学的に正しい方法に従ってくれ」との訴えには、私も返す言葉がありませんでした。
娘の忠告を受け入れ、信頼できる治療を行っている医者を探そうということになり、とりあえず来週1月17日(火)にまず松本漢方クリニックを受診しようということになったのです。
娘は、このステロイドは一錠たりとも飲むなと言い張りました。が、私はステロイドは生体ホルモンとして非常に大切なものなのに、これが免疫を抑え鎮痛薬として働くのか、その矛盾した作用がどうしても信じられなかったのです。痛みの苦痛から逃れることと、本当に効くのかという探究心も手伝って、娘には服用しないと約束したステロイドを飲み始めました。3日目に確かに強い痛みは消え楽になりましたが、手の指、手首などの関節の痛みは残りました。このとき、この関節の痛みはステロイドといえども簡単にはなくならないだろうとただ漠然と感じたものです。
1日45mgを3日間服用しました。関節の痛みは残ったままでしたが、なんとか車の運転ができ、15km離れた松本漢方クリニックへ向け車を走らせました。私の心は、科学的に納得出来る方法であれば、その方法に頼ろうと決めていましたから、「リウマチ性多発筋痛症」は何が原因で発症している疾病であるか松本院長の考え方を聞きたいと期待して出かけたのです。
初診は雑談から始まりました。雑談を通して患者の人となり、また考え方など見られているなと感じました。雑談が一通り終わったところで、病名を尋ねられたので、「リウマチ性多発筋痛症」と診断されていますと答えたところ、松本院長は、即座に、かつ、じっーと私を見ながら、「その原因はヘルペスだ」と一言ぽつり。
全く予想しなかった答えに愕然とし、動揺しました。その変化を先生はじっと観察されていたようです。
ヘルペスについては、私もよく知っていました。というのは、口の周りに年に1,2度水疱ができ、痛みと気分の悪さにいつも10日間程悩まされることが何十年も続いていたからです。医師からヘルペスウイルスが棲みついて起こしている症状だと聞かされていました。またヘルペスは局所的なもので全身に広がっていくことはないとも聞かされていました。ほんとかなという疑問と不安感はあったのですが、自分に都合のよい解釈を受け入れていたのです。
ヘルペスと聞かされ、唖然としている私の心を見透かされ、「ヘルペスが引き起こす症状群とリウマチの症状とを比較すると一致している点がある。このことからリウマチはヘルペスが引き起こしている疾病だといえる」と長々と説明を受けたのです。
その説明は、分子細胞生物学や免疫学の最近の成果までを根拠とするものでありましたが、レベルが非常に高く、専門外の者にとっては容易に理解できるようなものではありません。しかも、身につけられた高度な知識を縦横無尽に使える状態にしておられるのです。その様には頭が下がる思いでした。
病気に罹り受診したとき、最新の科学的見地から何が原因なのか詳しく説明を受けたのは、80年の生涯で初めてでした。
昨年の11月、食事量が減少してもいないのに、急激に筋肉が減少していく様を見て、何かが筋肉を分解しているなと感じたのですが、それが何であるのか全然分からず、現在の医療水準では納得できる説明はないだろうとなかば諦めていたのです。
松本院長のヘルペスが原因で引き起こされた疾病だとの説明には納得する点が多く、疑問を感じる点はなかったのです。
松本漢方クリニックの治療法は、医療界で行われているリウマチの治療法とは全く異なり、理にかなった方法だと感じました。
治療を始めるに当たって処方された薬は、漢方薬が2種類とヘルペスの増殖を阻止するアシクロビルでした。そして、これらの薬の服用に加えて免疫力を高めるために鍼灸をしてもらうと言い渡されたのです。
この治療方針から、この松本漢方クリニックは純粋な漢方療法ではなく、漢方療法の長所と西洋医学の長所とを合併させた新しい行き方だと気づいたのです。
もう50~60年前になりますが、学生の頃、西洋医学と東洋医学のそれぞれの長所を生かした医療が早く完成されるべきだという話をよく聞かされていたものです。
その理想がここ松本漢方クリニックにおいて実現していたということが、私にとっては驚きでした。
それに、疾病の原因は何かという姿勢を常に持って患者に接しておられ、その結果、リウマチだけでなく種々の難病と言われる疾病のなかにもヘルペスが原因となっているのもあると確信されるに至ったことを熱く語られる様は、遠い昔、大学で教養課程から専門課程に入ったとき、真理探究心に燃え勉学に勤しんだ若き日々を思い出させるものでした。
以上のことが私を院長のヘルペス説に共鳴させ、治療を受けさせることになった原点であります。
娘が心配してやってきました。「どうだった」と尋ねたから、「松本漢方クリニックでは、リウマチの根源はヘルペスだと考えている。だからヘルペスをやっつける治療をすることになった」と答えると、娘の顔色が変わり「大丈夫?」と不安そうでした。「俺は正しいと思う。これに賭ける」というと「自分で決めたのなら反対しない」と言っていましたが、不安に感じていることは確かでした。
娘は一言も言わなかったのですが、娘には某大学病院に親友がおり、家族の病気時には、その親友にいろいろ尋ねているのです。今回も詳しく尋ねていたと思います。たぶん、入手していた情報と180度異なる方法に愕然としたのでしょう。娘は、私が科学者の端くれの一人だと知っています。そして、科学的に正しいか否かの判断は出来る人だと信じてくれています。そのため、不安を感じても、私の決定にあえて反対はしませんでした。
これが我が家のリウマチ ―― ヘルペス ―― との戦いの序幕でした。
Ⅱ.治療経過
治療に当たって、私が不安に感じたことは「漢方だからゆっくりと快方に向かう筈だ。だとしたら、激痛をどの程度の期間耐えられるか」ということでした。
実際、痛みに耐えている私を見て、娘が「松本漢方クリニックを薦めて御免ね」という場面もありました。娘には「自分で決めたのだ。最後までやってみる」と意地を張ったのを覚えています。
1.ステロイドのリバウンド
前述したように、私は三日間ステロイド薬を服用し、痛みを緩和してから松本院長の治療を受け始めました。痛みを緩和していたので、ある程度動くことが出来、日常生活に大きな支障はない状態でした。
はじめて松本漢方クリニックで診察を受けた日(1月17日)から、院長が処方された漢方とアシクロビルの服用を始めました。
2、3日経つと、どうしょうもない程気分が悪くなりました。はじめは、何が始まったのかと不安になったものです。
しばらくして、これがステロイドのリバウンドといわれるものだと気づきましたが、たった3日間しか使っていないのに、こんなに強いリバウンドが現れるのかと驚いたものです。この強く気分の悪い日々は約2週間続きました。
この間、強烈な気分の悪さからか、痛みについては気づかない日々でした。
2月の上旬が終わる頃には、気分の悪さが一段落しましたが、それと同時に強い痛みを感じはじめました。この頃、肩の痛みから腕で自分の体を支えられない状態であり、これに加え、腹筋力も無くなり、起き上がることも出来ない状態になっていました。だが、幸いにも脚力だけは残っており、ベットから起き上がるときは、足を振り子のように振って反動をつけ、ベットの端に座って立ち上がるという生活でした。ただ、心配なのは、ベットから転げ落ちれば、もう一人で立ち上がることは出来ないと感じていたので、その点にはいつも細心の注意を払ったものです。
腕力の低下、腹筋力の低下が起こると、床の上に直接寝具を敷く和式では、寝たきりになり通常の生活は出来ないと思います。私はベットが嫌いで、ベット生活はしていなかったのですが、むしの知らせか、3年程前からベットを使うようになっていました。この生活形態の変化が幸いしたと思います。
最も困ったのが、入浴でした。手の握力がほとんど無い状態となり、タオルを握れず体を自分で洗えない状態となってしまったのです。さらに浴槽からあがることが出来ず、高さ20センチの風呂用の椅子を浴槽内の椅子として使うことにより、なんとか浴槽から出ることが出来たのです。
痛みは日に日に強くなり、睡眠中も痛みで起こされるという状態にいたりました。娘が、私の状態を見て動揺し、「松本漢方クリニックを薦めて御免ね」と言ったのはその頃です。私自身も内心失敗だったかと後悔したものです。ただ、ステロイド治療に戻っても先が全然見えないではないかと自分自身に言い聞かせていたのです。
この私の心のブレは、次のことがあったからです。三軒隣に80代のご夫婦が二人で暮らしておられ、親しくしておりますからよく話をします。奥さんが私と同じ病気に罹り、ステロイド療法を行っておられました。私がこの病気に罹る頃は、奥さんは痛みを感ずることはなく元気な生活を送っておられました。このことが目に焼き付いていましたから、痛みで苦しむとき、ステロイド療法がよかったのではないかと心のブレが起きていたのです。人間誰しも苦しいときは、それから逃れようとするものです。私もその弱い人間の一人だったなと思います。
このように心が揺らぐ期間が、1月下旬から2月上旬まで続きました。
そのような時、妻が私を元気づける意味があったのか、「良くなったら闘病記を提出しなきゃあならないから、気分が悪かったとき、どのような症状だったのか言って! メモしておくから」と言い出しました。私は病状を振り返り、気分が悪かったその症状を言い始めました。「悪心、悪寒、吐き気、全身の倦怠感、虚脱感」と言ったとき、あっと驚きました。これらは覚せい剤の断薬症候群なのです。ステロイドは覚せい剤と同じ精神依存を伴う薬物だったのかと気づきました。そして、ステロイドを3日間しか使わなくて良かったと冷や汗が出ました。もし半年でもステロイドを使っていたら、止めるには大変な苦痛を伴っていたはずだ。いや、松本式治療法を受けている途中でステロイド治療に逃げていたと思います。早めに松本漢方クリニックを訪れたのは正解だったとホッとしたことを今もはっきりと覚えています。
強い気分の悪さは2月中旬で終わり、気分の悪さは薄らぎ、その状態が9月まで続いていました。
2月下旬のある真夜中に釘を刺すような強い痔の痛みを感じました。私は何十年もイボ痔で苦しめられていたのです。痛みが走るときは、必ず出血したのです。早速、痔の坐薬を使おうとトイレに行くと、そこで出血していないことに気づきました。不審に思って、いつも使っていた坐薬の成分を見るとステロイドが入っていたのです。こんな薬にまでステロイドかとびっくりしました。「この坐薬を使え」という命令が、脳から痔の痛みとして送られたのです。とにかく、脳が「ステロイドを使え」とあの手この手で誘惑しているのです。私は痔の坐薬にステロイドが入っていることを知らなかったのに、脳は知っていたのです。これには驚かされました。
この痔の痛みは、この後9月にもありました。その後、12月に気づいたのですが、痔は今の病気の治療を始めてから、いつの間にか治っていたのです。一般に痔はなかなか治らない病気の一つに数えられています。リウマチの治療を始めて、痔も治ったのです。持病が治っているのです。何か不思議な気がしました。
2.痛み
また、はじめの痛みについて戻りますが、痛みのピークは2月の終わり3日間でした。3日間、夜間に、痛みでウンウン唸っていたのですが、3月に入ると痛みが下降線をたどり始めました。嘘みたいに、耐えがたい痛みが和らいだのです。峠を越したと思いました。約4ヶ月、長い4ヶ月でした。
肩の痛みは、手を動かさない限り、感じない程度になってきたのですが、その代わり、今度は、腕の関節、手の指の関節が痛くなりました。痛みは耐えきれないほど強いものではありません。この痛みはステロイド使用で軽減した時の痛みと同じものでした。
この関節の痛みは、突然出てきたのではなく、肩の痛みがひどかったから、気がつかなかったのだろうと考えています。
肩の痛みと腕の関節の痛みは、6月頃ほぼ治まりました。が、指関節の痛みは、長く続き、現在もまだ押さえると少し痛みを感じます。この指関節の痛みが原因かと思われますが、手の握力がほとんど無くなり、2~3月は箸を握ることも出来ず、食事はサジでしか食べれない状態でした。現在の痛みは、ひどかった昨年3月頃の指関節の痛みに比べ、
10%程度といったところです。
3.握力
私に現れた症状の中で最も生活に支障を来したのは、握力がなくなるという症状でした。握力がなくなるのは、手が使えないことと同じです。何かを手に持っても、ズルズルと落ちてしまうのです。ものを持つときは、指を使うのではなく、両方の手のひらでものを押さえて持ち上げることは出来ますが、重さは2kg程度が限界でした。
とにかく、指が使えなくなったら、手のひらを使う工夫が必要でした。生活も指を使ったり、握力が必要なことを避け、手のひらでなんとかやれないかと工夫する毎日でした。
私の経験からいえることは、この握力の回復には、指の灸がよいようです。ただ、指の灸は、飛び上がるほど熱いのです。また足の指も手の指と同程度に熱いものでした。本当の地獄責めといったところです。
握力の回復が見られるようになったのは5月に入ってからです。この頃から周りから血色が良くなったといわれるようになりました。6月には、車のハンドルを回すのに必要な握力も回復したと感じ始めたのですが、車を不安無く運転できるようになったのは8月からです。今は、妻の助けを求めなくても一人で車を運転して松本漢方クリニックに通うことが出来るようになりました。
4.睡眠
後回しになりましたが、この病気に罹ったときの難題の一つに睡眠があります。
寝る姿勢は、肩が痛いのと腕力が無くなっていることから寝返りが打てず、あお向けになったままです。ですから、30分から1時間ほど経つと目が覚めてしまいます。一定の姿勢を保っていると、背中が熱くなるので、起き上がって2,3時間体を冷やしていました。ですから、一晩の睡眠時間は、合計して3時間程度でした。十分な睡眠をとるため、昼間も寝ることに努めても、睡眠時間は合計5~6時間でした。この状態が4ヶ月ほど続いたのです。
5月に入って、ある晩ふっと目が覚めたとき何か気分が良くぐっすり寝たなと思い、時計を見ると3時間続けて寝ていたことがわかりました。そのときの嬉しかったこと、言葉に言い表すことが出来ません。これで快方に向かうんだと、その嬉しさでいっぱいでした。実際良い方向に向かったのは事実です。その月の診察では院長が嬉しそうな表情をして「顔色が良くなった」と言われました。その表情を今も覚えています。
十分な睡眠がとれるようになって、屋外にも出るようになりました。
私の住んでいるところでは、家庭ゴミを決められたゴミ集積所に出すことになっています。このゴミ出しが我が家の私の仕事でした。握力も少し回復したので、ゴミを出しに行くと、前述の、奥さんが私と同じ病気を患っておられるご主人に会いました。奥さんのことを尋ねたら「持病が悪化して大変だ」とのことでした。これを聞いて、ステロイドによる生体防御機構の後退だなと思いました。娘が心配していたのは、このことだったのです。ご主人と話をした数日前、真夜中に救急車がやってきていましたから、奥さんの状態が芳しくないということは充分理解できたのです。
私が元気になったように見えたのか、ご主人が私の治療法について問われたので詳しく話しました。すると、「妻の治療をそちらに変えようと思うがどうだろう」と問われたので、ステロイドのリバウンドで私が苦しんだ話をし、「奥さんは1年半ほどステロイド療法を行っているからリバウンドがひどいはずだ。80歳を超えた奥さんにそれだけの体力が残っているでしょうか」というと、考え込まれ、その場は終わりました。
それから数日して、そのご主人が松本漢方クリニックに紹介してくれと言ってきました。私は「保険がきかないがよろしいですか」と答えると、「それじゃダメだ」と諦めて帰りました。
今は、介護車がやってきています。最近は、ご主人の顔が暗くなっており、奥さんが選んだ療法について後悔されているような感じがします。親しい人だけに心苦しい思いでいっぱいです。
5.ふらつき
私が体験した症状として、目まい、ふらつきがあります。目まいの症状は、痛みがひどいときに付随して現れました。
目まいは1,2日程度でしたが、そのとき、トイレに行くのは悲惨なものでした。
ふらつき感は9月まで続きました。ふらつき感は、酒に酔ったときと同じ感じのジグザグ感ですが、少し異なります。酒に酔ったときのふらつき感は、自分ではまっすぐ歩いているつもりだが、実際はジグザクに歩きます。しかし、この病気のふらつき感は、自分でジグザグに歩いているように感じ、まっすぐ歩こうと努力するのですがなかなか出来ないのです。少しずつ元気になってくると、出来る限り買い物などにいきました。が、すれ違う人々の異様な視線を感じましたから、歩き方に何か異常さがあったのだろうと思います。自分で、ふらつかずまっすぐ歩いていると確信が持てたのは11月です。
6.後遺症
リウマチは後遺症が残る病気だと昔から聞かされていました。実際に、リウマチによる後遺症に苦しんでおられる方をよく見かけていました。
私の場合、はじめのうちは後遺症になるような体の変形は見られなかったのですが、4月になってから、左手の人差し指と中指がまっすぐにならなくなったのです。そのため、出来る限り両指の屈伸を行うようにしていましたが、体が自由に動けるようになった6月頃になっても両指はまっすぐにはならなかったのです。この時点では、この程度の後遺症はよしとするかと諦めていました。
それからしばらくして9月のある日、手の指全部をまっすぐ伸ばすことが出来ることに気づいたのです。いつ頃よくなったのか気づきませんでした。これで最後の難関を突破したかと嬉しくてたまりませんでした。この程度の後遺症は仕方ないと無理に自分に言い聞かせていたことが夢のように感じられる一日でした。
今は、後遺症がないことを家族と喜んでいます。
7.漢方浴
この漢方浴を松本院長は薦められましたが、我が家の風呂は漢方浴が出来ない構造になっていることが分かり、この方法は採用しませんでした。
症状がひどく苦しいとき、漢方浴が出来れば・・・と考えたことがよくありました。
今振り返れば、漢方浴は、この病気には必要だと思われてなりません。
Ⅲ.持病の回復
人誰しもそれぞれ持病を持っていると思います。
私にも、持病がいくつかあり、病院に罹ったりしたのですが、治療法がなく相手にもされず、仕方なく持病と仲良く暮らしていました。
けれど、今回のリウマチの治療で、私が持っている持病に変化が見られたのです。
私が持っている持病は、
「痔」
「耳鳴り」
「こむらがえり」
「右手指の震え(字が書けない)」
「ヘルペスウイルスによる口の周りの水疱」
等です。右手指の震え以外は専門医にかかってみましたが、完治できないか、治療法がないか、でした。
1年間、松本院長の指示通りの治療を行って参りましたが、今年に入り、持病について振り返ってみると、
「痔」
痔核がなくなっている
「ヘルペスウイルスによる口の周りの水疱」
水疱ができなくなった。
「こむらがえり」
強烈な痛みを伴い筋肉が収縮することはなくなった。今は筋肉の収縮が始まったとき立ち上がるとすぐ収縮は収まり痛みは感じない。
「右手指の震え」
字を書けるようになってきた。
「耳鳴り」
昨年9月に1回、今年1月に1回、合計2回数秒ずつ耳鳴りが止まった。
これらのことを松本院長に報告すると、
「こむらがえり」はヘルペスがふくらはぎの筋肉に入り引き起こしている。
「痔」については、ヘルペス説を否定出来ない
「右手指の震え」については、初めての事例で興味深い
「耳鳴り」は過去に事例があり、私の耳鳴りが止まる日が待ち遠しい
との回答がありました。
Ⅳ.最後に思うこと
私の病名は「リウマチ性多発筋痛症」と言い渡されています。が、一般的に言われているリウマチと何ら変わりはないのです。わざわざ異なった病名をつけるのは患者に戸惑いを与えるだけではないでしょうか。この戸惑いが私にリウマチについて調べてみるかという考えを起こさせ、牛歩の一歩を踏み出させたのです。
医療界には、リウマチとはどのような疾患なのかについて、次の二通りの考え方があることを知りました。
(1)リウマチは免疫の異常が引き起こす疾患である。
(2)ヘルペスウイルスが、関節、筋肉、骨、靱帯などの運動器に棲みつき、これらの運動器を破壊する疾患である。
(1)の考え方は、医療界全般で取り入れられているものです。この考え方では、免疫が正常な組織を攻撃することが前提になっており、科学的に受け容れがたい考え方です。免疫学の成書にも何も言及されていないのです。不審に思い、松本院長に「免疫が正常な組織を攻撃することは証明されているのですか」と尋ねたところ、「ある高名な先生が考え出されたことで証明はされていない」ということでした。根拠なく、この考え方に従って治療を行っているということになります。この考え方に従えば、治療は免疫を抑制することになります。免疫は私たちの体に侵入してくる外敵から体を守る働きをしているのです。その免疫を抑制したら、私たちは生きていくことが出来るのでしょうか。前述しました、ある内科医との間で、「大丈夫ですか?」「大丈夫だ!」のやり取りは、以上のことを踏まえたやり取りです。
(2)は、松本先生が考え出されたものです。ですから、日本、いや世界で松本漢方クリニックのみがこの考え方に従って治療しているわけです。リウマチ患者の血液検査をすればヘルペスウイルスの存在が数値として表されます。この数値に反比例して、リウマチの症状は弱くなっていきます。このことは、リウマチがヘルペスウイルス感染症であることの証でもあると思います。
私は菌やウイルスのことについては専門外ですから、ほとんど知識はありませんでした。初診の時、リウマチの原因はヘルペスウイルスだと言われた時、より納得がいく考え方だとは感じましたが、ヘルペスウイルスの恐ろしさについて理解できていなかったのです。
今年に入って、ヘルペスウイルスが引き起こす症状が書かれている論文を読む機会がありました。その症状は、松本先生から聞いていた通り、リウマチの症状と同じでした。松本先生は、リウマチの症状とヘルペスウイルスが引き起こす症状とを比較されて、リウマチはヘルペスによるものだと確信されたのだったと思い出した時、松本先生の着眼力の素晴らしさに感服したのです。
私の「リウマチ性多発筋痛症」の治療は成功で、日常生活に支障ないところまで回復しています。
これは一重に孤軍奮闘されている松本先生のおかげです。
最後に、ヘルペスウイルス説を旗印に、多くの患者を救われていることに、改めて敬意を表します。