「潰瘍性大腸炎途中経過II」
59歳男性2016年7月15日
59歳男性2016年7月15日
松本先生いつもお世話になります。先月受診した時手記を書くように言われましたので遅くなりましたが,送らせていただきます。前回書ききれてない事もありますので、それも踏まえて書きたいと思います。2回目の経過報告の前に、体の調子を崩した時の事も少し書き記したいと思います。丁度今から38年前に私はバイクに乗っていた時、後ろから同じバイクに追突されました。車同士ならシ-トのヘッド部分で頭部を保護できますが、バイク同士だとそうはいかず、後ろに大きく仰け反りました。いわゆるムチ打ちです。その事故以来、眼がショボショボする様になりました。整形外科に行きレントゲンを撮りましたが、骨に異常はないとの事でした。しかしそれ以来長く目を開けている事が出来なくなり、瞬きを頻繁に繰り返すようになり目も疲れやすくなりました。そのためまた違う整形外科に行くとやはり骨には異常はないので、マイクロ低周波(筋肉の中を緩める機械)とか首の牽引とかをしましょうと言われ定期的にする様になりました。しかし日を追う事に症状は悪くなる一方で、目の奥が痛くなり、肩こり首こり左の背骨のラインの筋肉が痛み出し、そしてさらには左腰までも痛くなってきました。その為今行っている治療とは別に整体とか鍼灸とかも行ってみたりしました。私と同じムチ打ちの人も同じなのかなと思いつつ治療を受けました。
気がつくと17年の月日が流れていました。丁度その頃から別症状でよく吐き気を伴うようになりました。胃腸内科を受診すると「レントゲンを撮っても特に異常ないみたいだから、胃の粘膜を保護する注射をします。」と言われました。定期的に注射してもらいましたが、あまりよくはなりませんでした。それから1年が経過した頃、「近くに胃腸内科ができた」と人から聞いたので、そちらへ行ってみる事にしました。
レントゲンを撮影しましたが、念のため胃カメラもしてみましょうと言われ、予約して帰りました。予約日に行って胃カメラをしてもらったところ、食道の出口から胃の入り口にかけて白い物が見つかりました。先生より説明があり検査に出してみないとわからないが、恐らく腫瘍だろうと告げられました。「1センチ位の大きさだから手術すれば良くなります。」と言われました。
1週間位して結果が出たと連絡がありました。結果は胃癌でした。先生から出来たばかりの癌だと説明があり、すぐ大きい病院へ紹介状を書いてもらいました。1週間ほど後、総合病院に行き再度胃カメラを受けました。その他の検査もしました。一旦帰路につき2週間後に準備をして入院しました。インフォームドコンセントでは、機械で撮影した限りでは、食道の一部と胃の二分の一(上部)の切除と言われました。もしもリンパへの転移が目視で見つかれば胃の全摘になりますと言われました。そして2日位して手術をしてもらいました。手術後24時間はICUにて過ごしました。そしてその後一般病棟に戻りました。部屋に戻ってから先生が来られ、「リンパへの転移はなかったので、胃は三分の一(上部)の切除で済みました」と告げられました。約三週間位入院し退院の運びとなりました。
それから3年位経った頃から、会陰部に鈍い痛みが出るようになりました。日を追うごとにだんだんと痛みは増していきました。その為かかりつけ医に相談しに行ったところ鼠径に膨らみがあるので、鼠径ヘルニアだとの事で前回胃の手術を受けた病院で鼠径ヘルニアの手術を受けました。後に判る事ですが、会陰部痛は慢性前立腺炎でした。その為また今度は別の病院の泌尿器科を紹介されました。
受診したところ、まずエコ-検査と尿流量検査そして肛門から指を入れ前立腺への圧痛検査を行いました。検査結果から非細菌性慢性前立腺炎と病名を告げられました。処方された薬は今では旧式の処方薬でクラビット錠とセルニルトン錠でした。今ではハルナ-ルとかフリバスとかユリ-フです。しかしその頃はもしかしたら前立腺の中に菌がはびこっているのではないかとの理由でクラビット(抗菌剤)を処方されたみたいです。
出された薬を服用しましたがよくなる気配はありませんでした。飲めどもよくなる気配はなく、それどころかだんだんと痛みは増していきました。そのジクジクの痛みで5年後に胃潰瘍の出血で入院になりました。胃潰瘍での入院は10日位でした。
退院後なんとなく気になっていましたが、お風呂でお尻から何か出ている様な感じがあり胃潰瘍で入院した同じ年に今度は肛門科に行きました。検査すると脱肛(内痔核)があり、また手術になりました。入院期間は10日位でした。しかし退院後も会陰部のジクジク感は24時間続くためそれが原因でまた同じ年に胃潰瘍で1週間入院になりました。処置は胃にクリッピングする施術でした。5日位絶食し、その後食事が出ました。10日間位入院して退院となりました。
また同じ胃潰瘍になりたくないので、インタ-ネットで泌尿器科を探し、東京の馬込にあるTクリニック(泌尿器科)に行ってみる事にしました。ただ行く前に大学病院にも一度行ってみようと思いました。ワンパタ-ンのいつもの検査で、処方された薬はフリバス(αブロッカー)でした。α1d許容体に働きかける薬で膀胱の緊張を緩めて尿を排出しやすくする薬です。しばらくその薬を服用してみましたが、大きな改善は見られませんでした。
鼠径部とか陰嚢内の痛みがあまりにひどい時は、病院に行きアタラックスPをお尻に注射してもらっていました。このような薬をあまり注射したくなかったのですが、あまりに痛みが強い時はしてもらっていました。軽い時はロキソニンとかでごまかしていました。
このままではいけないと思い切って東京の馬込の病院に行くことにしました。丁度51歳位だったと思います。確か6月位に新幹線で行き、診察してもらいました。病名は膀胱頸部硬化症でした。最初は薬物療法でフリバスとデパスを処方されました。2D―3Dエコーを見せてもらい、「正常な膀胱出口は5ミリの円径ですが、あなたの膀胱出口は正方形棚形成をしている。」と言われました。薬をもらい一旦帰路につき薬を10ヶ月服用しましたが、症状は少し良くなったが、痛みは相変わらずでした。そのため再度東京に行きました。
そこの先生は膀胱径部の手術もされるのを知っていたので、手術をしてもらう約束をして2週間後に行き手術してもらいました。膀胱径部がいびつな形をしていてジェット水流が起き前立腺が炎症を起こし前立腺肥大があるのでプロスタ-ルを処してもらいました。その後アボルブに変更してもらいました。29CCあった物が薬で1年後には17CCになりました。炎症は小さくなりましたが、相変わらず痛みはありました。
母親に関して言えば認知症があります。認知症と分かったのは、紹介状を書いてもらい総合病院へ連れて行きMRIとMRAの検査を受けたからです。海馬が少し同じ年代と比べ小さくなっているとの事でアリセプトを処方されました。それから3年位してからだと思いますが、昼間とか夜中に呼吸ができないとたびたび言っていました。最初の心臓の病院へ連れて行きましたが出された薬(ワーファリン、メインテート錠、メインコート錠等)を服用しましたが、相変わらず呼吸が出来ないとたびたび訴えるため、近くの薬局の人にいい病院はないかと相談しました。「ある病院を5人位辞めて新しく病院を設立したので、行ってみたら?」と言われました。そして勧められた病院へ行き検査してもらったところ冠動脈には狭窄はないとの事。心電図は異常が認められ手術適応状態だったので、ペースメーカーを入れてもらう手術の予約をして3日後位に手術してもらいました。しかし認知症は相変わらずで、同じ事ばかりを2分置きくらいに言うのでかなりストレスを感じていました。そのためデイサービスに行ってもらう事にしました。ある日デイサービスから帰ってきて丁度入れ替わりで私が歩きに出て戻った時、こめかみに血のついた跡があるので、ワーファリンも飲んでいるので救急病院に連れて行きました。
手と足は動いているので大丈夫でしょうとカロナールと抗生物質を出されました。その日は、寝床につきましたが、翌日の朝起きるとおでこがパンパンに腫れていました。すぐまた救急に連れていったところ、外傷性くも膜下出血で脳幹部に微量の出血とおでこの皮膚の下に出血がありました。即入院となりICUに3週間入院後、中規模の病院へ転院になりました。それが平成26年7月位でした。
丁度その頃から今度は自分の体調が悪くなり、肛門から出血し始めました。その為救急に行ったところ、肛門から指を入れ、痔核はないので外来で大腸カメラをするよう勧められました。翌日外来の胃腸内科を受診し大腸カメラの予約をして帰りました。2週間位先の検査でしたが、いつもお尻から出血していました。心配しながらフェロミア(鉄剤)をずっと服用していました。そして予約当日大腸検査をしてもらい結果を聞くと潰瘍性大腸炎と言われました「組織検査に出しますので、10日後にまた来てください。」と言われ、処方箋としてアサコ-ル(カプセル)を出されました。その日から薬を一日9錠服用しましたが、あまり効いた感じがせず、相変わらず便に血が混ざり、粘血便がたびたび出ました。
不安になり1日おきに救急に行き採血をしてもらい、貧血の検査をしてもらいましたが、緊急性はないと言われました。しかし症状はますます悪化の一途でした。そしてとうとう突然の高血圧と頻脈に襲われました。頻脈を改善するためトーワミン錠を服用するも全然効かないので、すぐ救急に車で行きました。
それで担当の医師に今日は緊急性がないと言われても、帰る元気もないですとはっきり伝えました。そして夜11時から朝8時まで点滴をしてもらい、そのまま朝の外来受付まで車イスで行きました。一番に診てもらい、すぐ大腸検査になりました。結果は大腸全体に炎症がひどい為すぐ入院となりました。
入院後は絶食で投薬治療になりました。プレドニン錠の服用です。その当時私は泌尿器科の薬は良く調べて知っていましたが、ステロイドの薬については全然知りませんでした。その為出される薬はそのまま服用しました。後に松本漢方クリニックにかかる様になりステロイドの薬について詳しく知る様になりました。最初は5錠からスタートし、途中からはプレドニンの錠数は減る代わりにプログラフ(カプセル)が出る様になりました。それと並行してGキャップ治療(透析室にて実施)を計10回受けました。入院して5日位するとベッドで寝てもしんどいので医師とか看護師にヘモグロビン値を聞くと9.0で安定していると言われたが、ずっとお尻から出血があったので輸液と鉄剤を点滴してもらう様、言いました。それから2週間位してサイトメガロウイルスに感染する可能性があるので点滴をしますと言われました。1回は受けましたが、2回目の時はまだ感染もしてないので、一旦点滴はお断りしました。すると1週間してサイトメガロウイルス反応が陽性になったのでやはり点滴をしなければいけないと言われため、しぶしぶ点滴をしました。計5回したと思います。点滴は100mlの透明の色でしたが、中身は不明です。そして数週間が経ち再度大腸カメラを受けました。するとあまり大腸の粘膜が改善されてないためレミケ-ドしかないと言われ計2回受けました。
3回目は退院後外来でする予定でしたが、その時はすでに松本漢方クリニックを受診した後でしたので、3回目以降は保留にしてくださいと医師に告げました。少し嫌な顔をしていました。私は70日入院して出血しなかったのは2回のみで後はずっと出血をしていました。とにかく出血を止めないといけないので、ステロイドの恐ろしさを知っていたとしても、選択肢として断りきれなかったかもしれません。なぜなら下痢だけならまだしも出血が止まらない状況でしたので従うしかなかったと思います。とにかく出血を止めないと命に関わるからです。
ここからは潰瘍性大腸炎について、松本漢方クリニックを受診してからの事を書きたいと思います。大学病院を退院したのは12月20日位でした。まだ出血は止まってない状況での退院でした。ト-タル70日入院していたため、従うしかありませんでした。ただ入院中、病院の有線LANを利用しタブレットで潰瘍性大腸炎の事をずっと調べていて、すぐに松本漢方クリニックの事を知る事ができました。退院後は支払い等済まし、受給者証を申請しました。そして次の日に新幹線に乗り松本漢方クリニックを目指しました。
12時過ぎに着きましたが、患者さんが多かったので、受診は午後になりました。受付を済ませて待っていると、松本先生からの呼び出しの案内があり、診察室に入りました。今では免疫についてある程度知識はつきましたが、最初は詳しくわかっていなかったので、とにかくクラススイッチさせない限りこの病気は良くならないと言ったと思います。アトピ-もありましたので、潰瘍性大腸炎の食前の漢方薬と食後の漢方薬とアトピ-漢方薬を処方していただきました。そして院内の処方箋と院外の処方箋を受け取り帰路につきました。
帰ってすぐにヤカンで煎じて早速その夜から服用しました。出血に関して言えば飲み始めた2日後と1週間後に一度出血しただけで、後は一度も出血はしていません。下痢に関しては、7ヶ月位は続いたと思います。それから後にじわじわと形になっていきました。
最初受診してから電話にて薬を送ってもらう様に先生に依頼しました。その時、「首の辺がビリビリします」と相談すると、「それはヘルペスが原因」と言われ、アシクロビル1日8錠を14日分、一緒に送ってくださいました。また数か月後、「ガスが溜まりやすい」と相談したところ抗生物質のフラジ-ルを送っていだだきました。
今現在の症状ですが、最近は便秘気味になる事が多いです。そして今まで体に熱を持つと顔とか頭皮が痒くてたまらなく掻いていましたが、今は痒みが少しあるだけで、すぐ治まります。今残っている症状は、座骨神経痛(会陰部痛を含む)が少しあるのと、左の瞼のしこりとピリピリ感だけです。顔面麻痺もありましたが、それも無くなりました。(顔面麻痺があるのがわかったのは、20年位前の写真を見ると左の口角が上がっているのに気が付いたからです。)
平成28年6月22日に受診した時に血液検査でEBウイルスとサイトメガロウイルス感染ありと聞かされました。ヘルペス抗体価は(水痘帯状ヘルペス:24.5サイトメガウイルス:48.7EBウイルス:1.8)でした。その為アシクロビルが1日12錠から16錠に変更になりました。それから食後の漢方煎じ薬が止血からヘルペスの増殖を防ぐ薬へと変更になりました。過去から増殖し続けたヘルペスウイルスを体外に出す事が出来れば完治となります。
日々の人に対しての接し方ですが、私は決して嫉妬しない様に心がけています。何度も入院退院を経験したので、今一番思う事は早く健康を取り戻す事以外は頭にありません。まだ治療には時間を要すかもしれませんので、引き続き松本先生にはお世話になると思いますのでよろしくお願いします。余談になりますが、私はいつも松本先生のホームページで「ヘルペス」「補体について」「EBウイルス」「エピジェネティックについて」をよく読んでいます。それを踏まえてですが、平成28年6月22日にいつものように診察していただきましたが、その時にEBウイルスで声優の方が今年亡くなられた記事を見せていただきました。診察が終わり家に帰り、その記事を再度読みました。最初2年位は原因不明で、その後EBウイルス感染している可能性がある為、専門医を紹介されて行く予定だったそうです。ところが容態が急変し抗癌治療して、退院して2週間後に亡くなったとの事でした。EBウイルスはヘルペスなので抗ヘルペス薬(アシクロビルとかバルトレックスとか)を投与すべきではなかったのではないでしょうか?抗癌剤を投与すると白血球が減少する(つまりはリンパ球も減り免疫が下がる)のでEBウイルスはさらに増殖していくと思います。
コメント(まさに、全ての現代の病気の最後に残る原因は、8種類のヘルペスウイルスだけです。何故ならば、ヘルペスはワクチンが効かないのみならず、最高の免疫の持ち主でも殺すことができないからです。潰瘍性大腸炎もクローン病もリウマチも化学物質もクラススイッチしてアレルギーに変え、免疫寛容を起こすと同時に、ヘルペスを休眠状態(潜伏状態)にすれば完治するのです。)