「喘息手記」

69歳2013年12月5日

「重症喘息のステロイド治療を離脱して」

1.はじめに

喘息を患って25年、その間より良い治療を求めて訪ねた病院は15カ所を数えました。しかし、そのほとんどの病院はステロイド治療を基本としたもので、年月の経過とともに薬の量は増えるばかりでした。発症の年から数えて24年目の冬から今春にかけては「最大量」のステロイド吸入に加え、ステロイドの飲み薬や点滴をしても1秒間の呼気の量「ピークフロー値」が上がらなくなり、平地を歩くだけでも大きく息切れして命の危険を感じ始めていました。以下の手記は、今年5月に松本医院に出会い、長年苦しんだ喘息が漢方薬の力を借りてステロイドを離脱し良くなっていった半年間の記録です。

2.喘息の経過

私が喘息を発症したのは1988年40代半ばの頃でした。坂道を上るのが苦しいと思い始めて近所の医院を訪ねると喘息と診断されました。小学生1人と幼稚園児2人を抱えて仕事もしていた忙しい時期でした。原因として考えられるのは、その2年前まで東京都心部の空気の悪いところに6年間住んでいたこと、加えて新築住居の壁紙の接着剤にホルムアルデヒドが使われていたこと、母の蕁麻疹などアレルギー体質を或いは受け継いでいたことなどが考えられます。過労もあったのかもしれません。その頃は息苦しくなっても、しばらくすると楽になったので、喘息がどのようなものか分からないまま過ごしていると、半年後の9月に1週間、昼も夜も横になれない大発作を起こしました。主治医は「台風の低気圧が去らないと治らない」と言って薬を処方してくれましたが苦しさは治まらず、昼夜座ったまま虚ろにテレビを見て喘いでいました。

1週間後に自然に治まりホッとしていると、先生は「また起こりますよ」と言われ、実際に3ヶ月程すると再び発作を繰り返しました。1年後、その医院で紹介された総合病院呼吸器内科を訪ねたところ、気管支を開く「ベーター刺激剤」1日2吸入と飲み薬を処方されました。しかし発作が起る期間が伸びたものの、再々発作を起こして救急病院に駆け込むことが何回かありました。風邪を引くと最悪で、トイレに行くのにも息切れで死にそうでした。この時のピークフロ値(最大呼気流速度)は、年齢平均450リットル/分に対して50しかありませんでした。苦しくて病院へ行けないので寝ていると、数日後に灰緑色の痰が沢山出て自然に治ってしまったこともありました。今思うと、白血球が働いて自然に治癒していったのではないかと思います。その数年間は発作が起きないように治してくれる病院はないものかと、数カ所の病院や漢方薬で治療をおこなっている医院を訪ねたものの、喘息が良くなるという治療法の説明はなく特段に効果は感じられませんでした。

1997年(9年目)になって神戸市医師会医療センターの呼吸器内科が喘息治療に詳しいと紹介されて通い始めました。ここでは「気管支拡張剤」と「ステロイド入り吸入薬」を処方されて楽になり、大発作を起こすことはなくなりました。しかし時々息苦しくなってピークフロー値が落ちてくると吸入の回数も増えてゆきました。2001年(13年目)さらに喘息が完治する病院はないものかと、喘息について1冊の本を書いておられた医師を訪ねて神戸の総合病院に変わりました。そこでは最初は「セレベント」と「フルタイド200」を1日2~4吸入と処方してもらいました。しかし次第に量が増えてその後に新薬の合剤「アドエア」に代わり、良く効いて症状は治まってきたかに思われましたが、半年もするとまた同じ量では効かなくなり、「あなたは重症喘息です」と言われ、ステロイドの飲み薬が追加処方されました。

2008年(20年目)になると、病院側から「自宅の近くに呼吸器専門の病院はありませんか?」と言われ、近くに新しく呼吸器内科が出来たので変わりました。そこでもやはり「アドエア」が処方され、最初は「250を1日2回」だったのが、だんだん増えて「アドエア500を1日2回」の最大量に増えていきました。それでも効かなくなると「いろいろ試してみると良いですよ」と言われ、さらにいくつかの吸入薬がかわるがわるに追加されました。

2010年から2013年にかけては、他に何か良くなる方法はないものかと、症例が多く喘息を良くした実績を持つ病院を遠くまで訪ねて、血液検査にレントゲン、スパイログラムでの肺機能検査をしてもらい、肺年齢は92歳と表示されて驚きながら、大量のステロイド入り点滴とネブライザー吸入治療をしてもらい、今までの息苦しさが嘘のように楽になったので助けて頂いたと感謝をして帰路につきました。吸入薬は「シムビコート1日8吸入」が処方されました。しかし半年もするとまた悪くなり、「こんなに沢山のステロイド吸入を続けて大丈夫なのだろうか」と、3カ所の病院で問うと「あなたは重症だから、しっかりステロイド吸入をして下さい」と異口同音に言われました。翌年の冬にはさらに悪くなり、三朝温泉の療養所を訪ねて2週間ほど入院しました。そこの温泉療法では改善率は2パーセント程だと院長先生は言われました。ここでは大きな機械で検査をして、COPD(肺気腫を含む慢性閉塞性肺疾患)の中等症と診断され、さらにCTを撮ると言われるので放射線の量が多いと思って断ると担当の先生はひどく不機嫌になり怒られました。

2012年7月(24年目)さらに良い治療を求めて、新しく出来た設備の整った病院を訪ねると、点滴のベッドが沢山並んでいてすぐに点滴をしてもらい楽になりました。「ステロイドの吸入は量が少ないので副作用は少ないが、ステロイドの飲み薬やステロイド入りの点滴は良くない」、また過去の治療を報告すると「ステロイドの飲み薬や点滴をそんなに使うのはとんでもない」と言われ、「シムビコート1日8吸入」をしっかり使うように指示され、その年の夏から秋にかけては呼吸も良好で標高2000メートルの高地に出かけ宿泊することができました。しかし、寒くなるとこの量の吸入だけでは改善しなくなり、だんだんステロイドの点滴や飲み薬が増えていきました。

2013年の1月からは5月にかけては、点滴をしても飲み薬を飲んでも呼吸が回復しなくなって、「今後はどうなるのだろうか?今年の冬を越せるのだろうか?」と思い、そのような心配を尋ねると医師から返事はありませんでした。昨年の7月の時点で、”35.5”であったリンパ球は今年の1月には”23.6”に減り、さらに6月の時点で”17.5”に減っていました。その頃、夫も同じく私の命が危ないのではないかと思い始めて、インターネットを長時間駆使して、キーワード<漢方,白血球>より免疫学の観点からステロイドを使わない治療法が詳しく述べられている漢方科・松本医院を探し当てました。

夫が、松本先生のホームページをコピーして赤線を引いていたので、長い文章から要約された内容を一覧して、「ここで治るかもしれない」と直観して松本先生の解説を何度も読み返しました。専門的で難しい内容が多かったのですが、喘息は何故発症するのか?抗体のIgEを沢山持っているアレルギー患者はステロイドでIgEを押さえるのではなく、漢方薬の力を借りて免疫の働きを高めることによってIgEがつくられなくなり、アレルギー症状を完治に導くという考え方がはっきりと示されていました。「ステロイドは免疫を押さえる治療だから徐々に本来の免疫の働きを壊し、リンパ球が減ってあらゆる病気に対する抵抗力がなくなっていく」こともおおまかに理解されました。手記には多くの難病の方々が、ステロイド離脱のリバウンドを乗り越えて治っていった記録が書かれていて、私の喘息も治るのではないかと一途の期待が出てきました。

3.漢方科松本医院を訪問して

2013年5月14日、松本医院を夫と共に訪ねました。喘息も25年目になる春のことです。もう駅まで15分の距離も歩けなくなっていたので、自宅からタクシとJRに乗り継ぎ、乗り換えなしの普通で高槻まで行きました。駅にエレベータがあったのでホッとして、改札から医院までの普段なら3分の距離を息切れしながらゆっくりゆっくり歩き、さらに入り口の階段を休み休み登り、やっと受付までたどり着きました。その日は大変混んでいて2時間程待ちましたが、棚に整理されて並んだ手記を読んでゆく間に、喘息で長年大変な思いをしながら松本医院の漢方治療で回復していった人の「手記」に大いに励まされました。

すぐに時間が過ぎて、名前を呼ばれておそるおそる診察室に行くと、先ほどから携帯電話片手に大きな声で先の患者さんをたしなめておられた院長先生とご子息の若先生がおられました。あらかじめ受付で渡しておいたこれまでの病歴と喘息経過の概略を見られた先生方は、開口一番「来るのが20年遅かった!」と言われ、皆さんの手記に書かれていたように「絶対に治ります。」と言って握手をしては下さいませんでした。「やはり、こんなに長年ステロイドを使ってきた喘息はもう治らないのだろうか?」と思いながら、「ステロイドは死ぬような時以外は使ってはいけない。今の医学の体制は間違っている。」と繰り返し言われる話を黙って聞いていました。

1日目は暗い顔をしたまま医院を後にして、薬局で沢山の漢方薬に中耳炎の治療の為のベルクスロンと漢方風呂の薬をもらって帰りました。帰ってすぐに煎じ薬を煎じて飲んでみると、驚いたことにあんなに奥の方で詰まっていた気管支がスーッと開いて呼吸が楽になったのです。「治る」と思い、折からかかってきた友人の電話に「治りそうだ」と明るい声で話していました。しかし長年使ってきた沢山のステロイドを離脱するのは、実はそう簡単ではありませんでした。

4.ステロイド離脱の経過

初診から2週間は、ステロイド吸入薬のシムビコートを「1日8吸入から2吸入」に減らしました。少しでも動くと酸素が足りなくなって苦しく、特に夜が何とも言えない苦しさで2時間おきに目が覚め、脈拍は寝ていても90を超えることがありました。その度に基本の漢方煎じ薬を飲んでは眠り、朝を迎えてやっと1吸入をして少し楽になるという日々でした。「酸素濃度(オキシメータ測定値)は92~94%」で、90%を切ると酸素ボンベが必要になるとインターネットで見てハラハラしていました。このころは何度か松本医院に電話をかけました。苦しいことを伝えると「家のことは家族に任せて寝てたらエー」と言われ、思いがけない答えに驚きましたが単純明快と納得し、座って松本先生の喘息に関する解説を何度も読み返しそのように治っていくことを願いました。

3週目になると朝までぐっすり眠れるようになり、起床時はまだ苦しかったもののかなり楽になってきました。脈拍は食事や、入浴、軽い作業でも酸素不足で90〜100回/分になり、10分の距離を往復すると100から120で、動くと酸素濃度が下がり苦しいので外出はほとんど出来ませんでした。この頃からリンパ球が夜に働くということを読んで、シムビコートを1日1吸入の朝のみに減らしましが何とか過ごせました。

6月半ば、1ヶ月を過ぎたころから蕁麻疹のようなかゆみを伴う発疹も出始めましたが、松本先生の解説に書かれてあるように、肺にある抗体のIgEが皮膚に移動して喘息が良くなる兆候が現れてきたと受け止めました。酸素濃度も良い時は95を示すようになり作業も楽になりました。耳垂れも治りベルクスロンをやめました。お灸や鍼も始まりいよいよ免疫を高めて良くしていこうとしていた矢先、7月初めに風邪を引いて喉が痛く、呼吸困難で痰や咳が多く、「酸素濃度は90から93」で「ピークフロー値は200」を超えなくなりました。このときには別に風邪の漢方薬を処方してもらいました。

風邪が治ってもお腹の調子が悪く、食欲もなくトイレに1日5回も通い痩せていきました。このころ先生に電話をして食べられないことを相談すると「何でも美味しいもんを食べたらエー」と言われ「エッ?食べられないのに美味しいものを食べる?」と可笑しくなり美味しいものを食べられる気がしてきました。暑い夏の間ほとんど家で過ごし、種を蒔いた朝顔やゴーヤが育ちその変化をみて気を紛らわしていました。体重は5キロ痩せていました。8月半ば、3ヶ月を過ぎた頃から昼間はピークフロー値が200を超えるようになり、9月の2週目、4ヶ月を過ぎる頃からはぐんぐん体調が良くなってきました。呼吸も楽になり、酸素濃度が上がるとともに作業をしても息切れがなく外出も出来るようになりました。

10月末、5ヶ月を過ぎると次第に呼吸の量も多くなり、良い時はピークフロー値が300を超え、最後のステロイド1吸入も11月初めには遂に楽にやめることができました。11月22日に再び風邪をひいてしまい、ピークフロー値は低下していますが、7月始めのようには苦しくならずに済みました。

11月末、すべてのステロイドを使わないようになって1ヶ月経ちました。まだ完全に治るまでには日を要するでしょうが、長年喘息に苦しみ、ステロイドの吸入、飲み薬、さらに点滴をしても呼吸が苦しく、命が危ないと思った日のことを考えると、ここまでわずか半年で回復出来るとは、信じられない思いです。松本先生はおっしゃっていました「私が治すのではなく、あんたの免疫が治すんや!」と。まさしく体の中で変化が起り順応してゆく様子が実感されました。図1.はその経過を呼吸量のピークフロー値と酸素濃度の変化を1週間毎の平均値でグラフに表したものです。回復は一直線ではなく、今後も風邪や気候変化の影響を受けながら山と谷を繰り返すでしょうが、養生に努めてゆけばやがて落ち着いてくるものと確信を深めています。

今や、全くステロイドを使わないでも呼吸が楽で普通の暮らしができるようになりました。普通に息が出来るのがどんなにすばらしいことか、それは呼吸が苦しい思いをした者でないと分からないと思います。家事や趣味の歌や園芸作業も出来るようになりました。軽い上り坂の散歩も息切れがありません。さらに、長年匂いがしなかった鼻も夕方になると匂い始めたのです。細胞が生き返ったのでしょうか?大きく息を吸って新しい感覚を楽しんでいます。松本先生の免疫理論と漢方薬により、肺胞が壊れて治らないのではないかと怯えた日から解放されて生き生きとした暮らしが蘇りました。「普通に呼吸が出来て安心して暮らせる」それがどんなにありがたいことか、院長先生には感謝の気持ちで一杯です。

また、毎回の診察で素早い判断と的確な答えで診て下さる若先生に心から御礼申します。治療の説明や雑談をしながら処置をして下さる鍼灸士さん、てきぱきと応対下さるスタッフの方々にはいつも支えて頂きありがとうございます。これから冬季をのりこえ、完治にむけて養生を続けてまいりますので、引き続き宜しくお願い致します。また、つらい時不安な時も松本先生の理論を良く理解して「大丈夫」だと励まし、家事全般を手伝ってくれた夫にも感謝しています。

6.漢方科松本医院について

松本医院はこれまでの病院とはいろいろと違っていました。漢方医であり免疫学の研究をして学位を持っておられる医師でもある松本先生は、免疫学の観点6から、人間の自然治癒力を大切にして、免疫の働きを壊す薬(特にステロイド)は依存性が出てきて効かなくなり病気を悪化させるので、死にそうな時以外は使ってはならないと警告されています。

私自身ステロイドを使って、はじめは魔法のように効いて楽になりましたが、前記のように長年の間には効かなくなり、命が危なくなったのです。西洋医学では病気の症状、薬を使って抑えようとし、ヒトの持つ免疫の働きまでも抑えようとしますが、松本理論では漢方薬、鍼、お灸の力で免疫の働きを高め、自然治癒に導く考えで治療がなされます。

この意味は、松本先生の解説を何度読み返してもなかなか難しく大まかにしか分かりませんが、日が過ぎるごとに、私の体が解説に書かれているように変化していったのは驚きでした。このように西洋医学と松本理論では考えが180度違うので、無駄な薬がいらなくなったり、学説の誤りを指摘されたりして困る人が出てきて、松本先生は批判を受けることが多いのでしょう。しかし、開業以来何万人もの患者(喘息、アトピー、リウマチ、さらに膠原病、クローン病、筋痛症など)が治っていった事実ほど確かなものはないでしょう。

漢方煎じ薬を毎日煎じるのは、慣れない人にとっては大変かと思います。また費用も診察費や保険の利いた漢方薬は高くはないのですが、保険の利かない漢方薬や入浴剤、ヘルペスの薬で高くなってしまいます。しかし病気の初期に始めるといとも簡単に治るそうなので、病気がこじれないうちに出会った人は費用もあまりかからず、リバウンドの期間も短く幸運でしょう。若い人がアトピーのリバウンドを乗り越えられないで、ステロイドやタールの治療に戻ってしまうのは残念です。またクローン病で長い人生を普通の暮らしが出来ないで過ごす人たちも気の毒です。多くのアトピー、喘息、難病の方も早く松本医院と出会い良くなることを願ってやみません。

松本先生は、ざっくばらんで偉そうにすることがありません。しかし、治療の意味を理解していないと大声で怒られます。今は、大学病院勤務の経験を持つご子息の若先生と2人で診療をされていますが、少し前までは毎日何十人もの患者さんを一人で診て電話相談にも応じておられたとは驚異的です。だいたい電話相談はほとんどの病院では嫌がられます。さらに院長先生は家族のことも話題にされます。そしてこの病院では病気を部分的に捉えて機械で診断するのではなく、人全体を診て診断しておられるのではないかと思います。私は今年の2月に転んで玄関のタイルに額を打ち付けて大きな傷を作ったことがありました。松本医院の診察室に入るなり若先生から「(額をみて)どうしましたか?」と尋ねられました。前のかかりつけの医院では怪我をしたことを簡単に話そうとしたところ喘息には関係ないとばかりに無視されたのでした。松本医院にはひとむかし前の温かい診療がありました。

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