「膠原病手記」

68歳男性2012年7月5日

病名が二転三転の末

『リウマチ性多発筋痛症+側頭動脈炎』といわれて


私はこれまで病気とは殆ど無縁であったせいもあり、戦中戦後の混乱と食糧難の中、健康に生み、そして元気に育ててくれた両親への感謝のみで、病気や医薬品などについては、全く無知であり又関心も無く知ろうともしませんでした。唯一の悩みはもう30年くらい前の、車4台の絡んだ追突事故の後遺症か、慢性化して慣れてはいるが今も首の辺りに恒常的に痛みがあり、疲れるとかなりひどい状態になることです。風邪をひいたのも何年前かな?と判らないほどであります(世間では馬鹿は風邪をひかないなどとも申しますが)。

それが2009年10月中旬、夕方になって少し頭が痛いな、と感じ検温したところ37.5°位の微熱がありました。私は発熱には比較的耐えられるほうなのであまり気にもかけませんでした。

それがこのたびの一連の闘病の始まりとは当時は想像もできませんでした。


翌朝になると普段と変わらず、熱も治まり又頭痛もなくどこも痛くもないので放っておけばそのうちに、くらいに考えておりました。が、連日午後から夜にかけ発熱と頭痛が続き、更に就寝中に上半身に寝汗をかき、夜具を濡らすようになってきて、これはちょっと変だな?と近くのA内科医院へ行きました。

最初の発熱から4日後のことです。そこでは風邪の症状とは違うようだなとX線胸部検査や血液検査を受けました。結果は、特に悪いものは見当たらないが炎症値CRP(初めて聞きました)が5.0位ある、と告げられました。発熱が続きCRPが高い原因はいくつか考えられるがまだ期間も短いのでもう少し様子を見よう、と抗生物質を処方されたと思います。その後、同様な症状が続き改善の兆しもないので総合病院で詳しい検査をするように、と市立病院を紹介されました。

11月初旬、紹介状を持ち今度は原因が究明されるだろうと期待をして市立病院を訪れました。しかしやることはA医院と同じでX線撮影と血液検査のみ。結果は原因不明だがCRPが高い、と何の進展もありませんでした。でも最初はこんなものかなと自分に言い聞かせ、次回の予約日に希望を抱き再び訪れました。しかし私の淡い希望を見事に粉砕してくれました。やったのは血液検査のみで又も原因不明だがCRPが高い、と。更に驚くことに『次回も同じようなら大学病院を紹介する』

この時は本当に腹が立った!半月間の時間と俺の血と金を返せ、という思いが。だがどうしようもない。又この頃はだんだんと症状が悪化し、夜中に寝汗で下着とパジャマを2回交換するようになっていました。当地の11月半ばは夜間かなり冷え込み、そんな中、濡れた下着などを脱いで体を拭き着替える頃はガタガタと震える始末。幸い子供部屋が空いているので寝床と下着やパジャマを各部屋に用意しておく毎日。夜が明ければ乾燥機で布団を乾かし、濡れた物の洗濯と妻は大忙しでした。それでもまだ朝になると熱は治まりごく普通に生活ができる状態でしたが、睡眠不足や病院への怒りなどでイライラしていました。

そんな折、隣の市にあるB医院は普通の内科だが漢方薬をメインに処方してくれるので一度訪ねてみたら、との話を聞きました。市立病院には次回の予約は勿論、もう2度と行かないと決めていたので縋る思いでB医院を訪れました。ここではかなり種々の検査を受けましたがやはり結果は同じでCRPは高いが何が原因かは不明であるとの事。とりあえず熱を抑え、寝汗を抑える為の漢方薬を処方してくれました。

それから暫くは落着いていましたが、11月下旬に今度は早朝から発熱と激しい頭痛に。朝からの頭痛は初めてなので午後からは治まるかと何とか我慢していたがどうにもならず、夕方になってから妻の運転でB医院へ行きました。先生は『ここでできる検査は全部やったが問題はない、ただ頭の検査はできないので直ちに県立病院へ行くように』と紹介状を用意して下さいました。すぐその足で県立病院の救急救命センターへ。そこで頭部のCT検査(かな?)を受けましたが当直に脳神経の専門医がいないので詳細は明日来るようにとの事で、解熱剤を貰って帰りました。翌日再び県立病院へ。昨夜の検査では異常はないが更に確実に診るためには髄液検査が必要、と言われるままに。その結果、頭部には全く問題はない、と判明しました。そしてこれからの原因究明はどうするか?と問われたのでここでお願いすると申出ました。相変わらず頭はガンガン痛く、翌日翌々日と休診なので座薬を貰いどうにか凌ぐ状態。寝汗も相変わらずでした。

そして11月30日休日明け、朝一番で県立病院へ(妻に送ってもらう)。脳神経科の紹介で内科外来に行きましたが担当されたのが若い先生でした。最初にこれまでの経過を尋ねられましたが、その後のことはよく覚えておりません。妻が午後2時を過ぎても迎えに来てと連絡がないのでどうしたのだろう?と病院に来てみたら、私は処置室のベッドに横になっていたそうです。CRPの値が27位だったそうで、このまま返すわけにはいかないので即入院しなさい、と宣告されました。最初の発熱から約45日経過していました。

その日から毎日、各科を巡る様々な検査の連続でした。私にとっては無論初体験のことばかりです。入院2日目になると手首、足、顔面が水脹れのように腫れてきました。左の目は開けないほどに。それで皮膚科、眼科、口腔外科にも検査に廻され、皮膚科では病理検査と称して足首の皮膚を1㎝角くらい切取られたりもしました。

毎日抗生物質などの点滴は種類を変えて24時間行っていましたがそれ以外の処置は何も無く、苦しいので『せめて熱を下げて』と頼んだが発熱のパターンをみたいと12月7日まで熱は出しっ放し。連日39°以上が続き一時は40°にも。さすがに熱には強いはずの私もかくも連日の高熱にはぐったりでした。

妻がとても心配し2晩病室に泊まりました(空き部屋がなく個室になったので)。

そして12月8日、夕食時に初めて小さな薬を1錠渡されました。何の薬かは説明もありませんが聞いても自分には解らないし、なにせ初の治療らしいことでしたので疑いも無く服用しました。するとその晩、物凄い寝汗でパジャマを6回交換、ベッドシーツも交換する有様。この時は『病院はいいな~』と暢気なことを思っていました。外は雪が舞う冬の寒さなのに全然寒くはないし、パジャマはいつでもすぐに優しい看護婦さんが持ってきてくれるし・・・

翌12月9日、前夜の寝不足にも拘わらず嘘のようにスッキリ!体温は39°前後から一気に35°後半まで。看護婦さんがにこにこ笑いながら『魔法の薬が効いてよかったね』と言ってくれたのが妙に印象的でした。その後も朝と晩にこの薬を服用したが頭痛は勿論、寝汗もなくなり実に快調で私にとっては本当に魔法の薬でした。点滴はその後も続きましたが12月16日、ようやく退院となりました。

退院時の説明によれば、結局原因は不明で、病名は膠原病の一種で『RS3PE症候群』ではないか、との事でした。この病院でこれまで同様な患者がいなかったことや膠原病の専門医もいないために、症状から消去法でこの病名になったとの事でしたが、今後の経過によっては病名が変わるかもしれないと。ここであの魔法の薬がステロイドの『プレドニゾロン』と知らされましたが、無知な私にとってはそれがどんな薬なのかは全くわからず、劇的な効果があったことは確かだし名前などどうでもいい、という感じでした。因みに担当された若い先生は消化器系の専門医で外来で私の担当になってしまった為に本当に苦労されたようでした。また退院後の生活に関し、人混みを避けるとか、マスク等をして感染症には気をつけなさい、更に糖尿病にも気をつけ、顔面が丸くなるかもしれないので食事にも留意するように、等々の説明がありました。その後は外出時は必ずマスクを使用しました。

退院時のCRPは1.64でプレドニゾロンは1日10㎎でした。今後の治療方針は月に1度のペースで通院し、血液検査等の結果をみながら少しづつ薬を減らしましょう、というものでした。自分としては症状が消えたことは大変嬉しかったのですが、あれほどの検査をしたにも拘らず特に悪いところは無く、原因がわからない、ということにうまく表現できないけれども一抹の不安が残りました。

翌2010年3月、県立病院の担当医師が大学病院に異動されることになったとか。また膠原病の医師が大学病院に転任してこられたとの事で紹介状を頂き、大学病院を訪れました。この時は入院時のデータも添えられていたので血液検査と尿検査のみでした。結果CRPは2.97と若干上昇していたが最近落着いているからと薬を8mgから6mgへと2mg減量となりました

4月上旬、最近再び寝汗と発熱がある、と話したところプレドニゾロンを以前の8mgに戻されました。CRPは5.28。この時にいったい自分の病名は?と尋ねたところ『自己免疫疾患』だね、と言われたのでそれは何ですか?と更に尋ねると『自分の細胞を外敵と誤認して攻撃している』と説明がありました。

この後は月1回のペースで大学病院へ。順調に薬量を減らしていきました。そして秋頃だったか再び自分の病名を尋ねてみましたら『リウマチ』だろう、と。手や足とかの関節に痛みは?と問われましたがそのような症状や痛みは一切ありませんでした。前年の退院時説明でも今後の症状によっては病名の変更もありえる、と聞いておりましたので4月の病名から変わってもそんなものかな、くらいで特に気にもかけませんでした。その後もちょっとしたリバウンドはあったものの、翌2011年4月上旬にはプレドニゾロンを2日に1回2mgとなりました。この時はこれでまもなく薬から開放されるのだな、と嬉しくなりました。

ところが6月1日、前日まで全く病気のことなど忘れていたのに、突然再び発熱と頭痛、そして寝汗。またか~と本当に気持ちが滅入ってしまいました。

そしてこれが一過性でなく同じ症状が続いたため次回の予約日より早かったが一週間後に病院へ。CRPは7.59に上昇しておりました。薬は2日に1回2mgから1日5mgに増量。6月下旬再び通院。まだ同じような症状が続いている旨を告げたところ薬を2倍の10mgに増量され、2009年の入院時と同量になり振り出しに戻ってしまいました。これで一旦治まり、よい方向へと思っていたが7月下旬に39°以上の熱が再び続いたため又も予約外で病院へ。この時先生から『もう一度一から再検査をしたい』と検査入院を勧められました。入院しないと検査が込んでいるので予約がとりにくいから、ということでした。しかし自分としてはそんなに暇な時でもなかったし、どうせまた同様な検査をしても・・・と思ったのですが無碍にも断れず、曖昧な返事で帰ってきました。すると数日後、担当医師から電話があり強く検査入院を迫られ、その熱心さに了承しました。

そして2011年8月1日、2度目の入院です。前回と同様な検査の他に核医学検査とかもありました。8月9日までの諸検査の結果、私の予想通り?特に問題はない、とのことで又も原因不明。しかし微熱は続く。8月10日に先生曰く、別の大学病院の膠原病専門の教授と会う機会があり私の症状を相談したそうです。その答えは『一旦炎症をきちっと鎮め、その後に薬の減量をする』と言うことだったとか。真偽の程は知る由もありませんが。それでこの日から3日間『メチルプレドニゾロン250』を点滴することに。その時何も判らないが250という数字が気になってこの薬は今までの錠剤の何倍くらい?と問うと数十倍です、とのこと。それで『そんな高濃度の点滴をしても大丈夫か』と問い質したら、一瞬ムッとした様子で『それはこちらで判断することだ』と怒られてしまいました。やはりステロイドは実に強烈でした。それまでの症状が一気に消えてしまうのです。8月13日、もう少し入院して3日間の点滴1セットをもう一度やるように言われましたが、症状は治まったし、何となくしたくなかったので、忙しいのでダメですと退院することに。元々検査の為に入院した筈なのに原因も判らないなら病院で寝ている必要はない。

退院時の病名は又も変わり『リウマチ性多発筋痛症+側頭動脈炎』と。エッ多発筋痛症って!どんな病気か知らないが別にどこも痛くないし、自分から体が痛いなんて一度も言ったことはない。これまで何度か手や足とか痛みはないかと尋ねられたがその都度昔からの首の痛み以外は何ともないと答えている筈です。それに側頭動脈炎?これも熱が出なけりゃ頭なんてスッキリしている、と先生に言ってみたが、ただ困ったように首を傾げるだけでした。本当に困っているのは私なんだけど・・・。それに高濃度の点滴の件が気になっていたので、原因もわからないで薬をどんどん増やせるの?と尋ねたら『原因不明の病気はいくらでもある。癌だってそうだ。しかし対処はできる』と叱られ、知識のない自分は『ごもっとも』と黙らざるをえませんでした。ただ、医療に関し全く無知、無関心で盲目的に医師を信頼してきた自分の心の片隅に少しづつモヤモヤとした疑念が生まれてきたのは確かでした。

退院時はプレドニゾロン1日15mgと大幅に増量です。その結果10月中旬の通院時にはCRPは0.10まで下り、薬も10mgに減りました。更に一ヵ月後にもCRP 0.11で10mgから8mgに減量されました。この後も落着いた症状でしたが再発を懸念してか一向に減薬されませんでした。

翌2012年3月初旬の通院時、CRPは1.21と若干上昇していたが『少し薬を減らして下さい』とお願いしてみました。と言うのは昨年の11月から症状は落着いているが全然薬量が減らないことへの不満と、一昨年3月にはCRPが2.97であったのに落着いているからと一度に8mgから6mgへと2mg減らした同じ先生ではないか、という思いがあったからです。しかし『もう少しこのままで様子をみましょう。あなたは少し長く飲まなければならないと思うが量は多くないので心配ない。まだまだ多量に飲んでいる患者は沢山いるよ』と断られました。こんな比較自体がおかしいのでは、と反論したかったが黙るほかありませんでした。

こうなってくるとこれまでの医師への信頼も揺らいできます。振り返ってみれば、少しづつ減量するという治療方針でしたが、これまで数度のリバウンドがあってその都度薬量が増え、最初の入院時からは大幅に増量したがその割には効果が薄れてきていることに気づきました。これまで服用した量は2年3ヶ月弱で『プレドニゾロン約5450mg』それに点滴として『メチルプレドニゾロン250』を3日間。

全く遅きに失したのでありますが、このプレドニゾロンとは一体どんな薬なんだとようやく思い立ちました。そして色々と見ている内に、よくもこんな物を長い間飲んだものだ、ましてや点滴まで!と自分の愚かさを嘆き、強い後悔の念に駆られました。でも一時的にはこれで助けられたのも事実だし、今更どうしようもないと思い直すしかありませんでした。

一刻も早くステロイドを止めたいが、病院では減量を断られ、自分勝手にやればショック症状が起きて危険なので勝手に中止しない事、とあるしどうしたものかと悶々としておりました。でもとりあえず10日に1mgなら急激とはならないだろうと勝手に減量を始めました。もし悪化したらその時は元に戻せばいいや、多少の頭痛は我慢しよう、と。8mgから7mgへ、次には7mgから6mgと3月中旬には6mgにしましたが特に症状の変化はありませんでした。でも不安はありましたし先のことを考えればステロイドを止めるような医療機関はないものかとインターネットで探し始めました。しかしインターネットの世界は玉石混合であり、その中からひとつづつ調べるしかありません。

脱ステロイドを掲げる医療機関は小児科や皮膚科が大多数で、また徐々に減らしましょうという所もありました。更には健康保険は不適用で完全に自由診療というところもありました。こんな所には貧乏人はとても行けません。

そんな中、『当院はステロイドは一切使いません』とあり『リウマチやアトピーが完治した』患者の手記が数多くあるホームページをみつけました。それが松本漢方クリニックを初めて知った時でした。一般的な医療機関のホームページとは全く趣が異なり、院長の論文と様々な病気の詳細な解説、そして治療方針、それに患者の手記に溢れていました。

そこには堂々と『膠原病やアレルギーは決して恐れることはなく、漢方と鍼灸と漢方浴剤による免疫促進作用で必ず治る』とありました。

凄いことを書いてるな、と思いつつも正直多少の不安もありましたので、治療方針から読み始めました。当然ながら私には初めて目にする単語が数多くあり、訳の解らない部分が多々ありました。でも解らない者なりに何となく頷けるような感じでした。そして翌日、翌々日とわからない単語は調べながら読み進むうちに、よく理解できたたわけではないがこれは本物だ!と思えるようになりました。その後も数日に亘り院長の論文、そして患者の手記、またそれに対する院長のコメントを読み進むにつれ、これまで自分の心にあったモヤモヤが一気に解消された思いでした。

こんな医師がおられるんだ、ということが本当に驚きでした。それにしても医院の仕事をしながらこれほど詳細に患者の手記にコメントを加えられるとは、何とエネルギッシュで情熱溢れる先生なんだろうと。又、これほど強い言葉で現在の臨床医学を否定されるには、相当な勇気と裏付けがある方に違いないと確信しました。

でも何せ当地からは遠過ぎ、躊躇してました。それで妻や娘とも相談し、とにかく行ってみなければ、となったのですが家族も治療方針を理解して一緒に行かなければならないのだ、と妻にホームページを読むように勧めました(家族一緒にという意味が後によ~くわかりました)。3月下旬のことです。

そして2012年3月27日、初めて妻と2人で松本漢方クリニックを訪れました。待合室はかなり混んでいてアトピー症状のひどい子供さんや付き添いがないと一人で歩けないような年配の方とかもおられました。いよいよ松本先生との初対面です。待合室にいる間、時折馴染みのない大阪弁の大きな声が聞こえ、怖そうな先生かな?と想像していましたがお会いしてみると、社会問題や現在の医薬界に対する言葉はかなりきついが頷けることばかりだし、なにより患者のことは心底気遣って下さる、心は強くしかも人間愛に溢れる方だ、と思いました。

簡単にこれまでの経過を説明し、1番困ってるのが脱ステロイドは勿論ですが熱が出ると頭痛がすることです、と話しましたら即座に『ヘルペスや!ヘルペスウィルスが悪さをしてるんや!』と断じられました。また現在服用しているステロイド6mgから5mgとしなさいと。まだ6mgにして10日も経てないので更に減薬と言われて少々不安はありましたがこれを止めるのが主目的でしたので、やった!という気持ちでした。またお話の途中、握手をして下さりながら『必ず治るから』更に『私が治すのではない、自分の免疫が治すのだ、私は免疫のお手伝いをするだけだ』とも。また医院の電話番号と先生の携帯電話の番号を記したメモを渡され、『何かあったらいつでもいいから連絡しなさい』と。そして帰り際には再び手をとって『ありがとう!』とも仰いました。その真意はわかりませんが医療機関で『休診日でも連絡してよい』とか『ありがとう』などの言葉を頂くのは事前に患者の手記で見てはいましたが本当なのだと!驚きでした。遠くてためらったけど思いきって来て良かったな、と妻と2人で安堵しました。この日は鍼灸治療を受け、抗ヘルペスウィルス剤と頭痛の漢方薬を処方されました。

今回は初の訪問なのでどのような展開になるかもわからないので3泊4日の日程をとりました。大阪に滞在中は毎日状況を報告するように言われておったので、翌日電話しましたら明日からステロイドは半分の2.5mgにしなさい、と。そして最終日の朝一番で再び松本漢方クリニックを訪れました。

血液検査の結果から私の病名は膠原病となりました。そしてステロイドは明日から一切飲まなくてよいといわれました。でも一応『急に全部止めてショック症状は?』と尋ねたところ、『いづれリバウンドは必ず出るんや、時期の問題だけだ!リバウンドで死ぬことはない!』実に解りやすい明快な答えでした。初日に続きこの日も鍼灸をして頂き、再び漢方薬を処方してもらい、予約していた昼の便に間にあうように急いで伊丹空港に向かいました。3月30日のことでした。

家に帰ってからは、残っていたステロイドはすぐに全て処分しました。持っていると具合が悪くなった時つい弱気になって・・・なんていうことも。とても開放された気分でしたが一方でこれまで何度も助けられたな、という思いもありました。その後は発熱や頭痛などなく、ごく普通に生活していました。

4月9日 午後から久しぶりに少し熱が出てきたかな?と思っていたら夕方5時頃、突然強烈な吐き気を催し、嘔吐。夜には熱が上がり39°後半に。足もおかしくなりトイレにも行けない状態。更に悪いことに下痢まで。とうとう妻に『おしめ』をしてもらう羽目に。食中毒かなとも考えたが、足が立てないなんておかしい。水を飲んでも吐いてしまう。これ以降は妻のメモから。

10日 朝から高熱で41°まで。また下痢がひどく、足も昨日より更にだめになり何とか起き上がろうとするが、上半身を少し起こしただけでヘナヘナ~と崩れる始末。その時すぐにかつてテレビで観た狂牛病の『へたれ牛』を思い出しました。あれと全く同じような姿に、このまま寝たきりになってしまうのか!と。食欲もない。この哀れな姿を妻がとても心配し、松本漢方クリニックに電話をしてくれたようでした。先生からは『リバウンドが随分早いな、そして症状が激しいな。でも絶対大丈夫だから!尿が出なくなると危険だから水分を摂らせなさい、それに食欲はなくてもヘルペスウィルスの薬は飲むように』とのこと。更に『どうしても心配なら救急で病院に行ってもいいよ、それは自分たちで判断することだ』と。つまりどうしても心配ならば病院でステロイドを使うか否かは自分で判断しなさい、と。それを妻から聞いたときは即座に、病院には行かない、そんなことしたら大阪まで行った意味がない。先生が大丈夫と仰るのなら信じる!と。この日妻は心配で先生に2度も電話してご相談願ったようです。

11日 38°まで下るが下痢は相変わらず。食欲もあまりない。午後からはまた39°に上昇する。足はまだ立てない。翌12日も同様でした。

13日 熱もそれなりに落着く(38°前後)。足も少し良くなりどうにか立てるようになった。気分もよくなり、午後から久しぶりに風呂に。毎日妻が体を拭いてくれていたがやはり入浴は気持ちがいい。食欲も少しでてきたが相変わらず下痢が続く。夜は暫くぶりでぐっすりだったとか。

14日 熱もすっかり治まり、ゆっくりではあるが大分歩けるように。食欲も出たようだが下痢は続いてる。夕方から再び発熱、夜には39.8°まで上昇。するとまた歩行が困難になる。

15日 熱は37°台に落着き気分もよい。熱が下ると歩けるのでトイレに自力で行くが下痢は続く。夕方寝ていたら大量の寝汗をかき、熱が下る。そして翌16日には『おしめ』をようやくはずす。熱は高くはないが時々ある。

これまで体調の事を話して伸ばしに伸ばした仕事が切羽詰り、18日から始めるが思うように進まない。熱は落着いたが下痢はまだ続き、寝汗もある。こんな状態が21日まで続いた。

そしてこの日を最後に下痢も熱も寝汗も頭痛も、何もかもすっかりよくなりました。この間妻の、病気とその治療に対する理解と協力そして看護がなければ?と思うと『家族と一緒に来なさい』と言われた意味がようやくわかりました。

4月の下旬頃からは両足に赤い小さな斑点のようなものができ、痒い。膠原病からアトピーに変わるとは理解していたのでこれがアトピーかと思ったが、それにしては早すぎるのでは?とも。灸も自分でやれるところはある程度できたが、背中などは妻に頼む。時折熱いと言うより痛いと感じ、かなりきついのでついつい文句を言う。鍼は私の知人に聞いてもみんな未経験でどこがよいかわからず、適当に行ってみる。そこでどの程度の頻度でやればよいか尋ねると20日から1カ月に一度くらいかなと。そんな感じでやる。又『ローラー鍼』というのがあったので自宅で使っていますがこれはかなり刺激があるし、なにより痒い所を掻くときに重宝している。

これまで滞っていた仕事をしなければと4月下旬からそれなりに頑張っていたら、ゴールでウィークの終盤になって首から背筋にかけかなり苦しくまた痛くなる。とうとう首を廻せなくなり3日連続で指圧へ。そこで指圧も免疫の活性化に効果がある、との活字を目にする。

5月下旬、2度目の松本漢方クリニック訪問。自分では痒みもそんなになく、その他の諸症状が一切無くなっていたので大方治っているのではと勇んで行きました。しかし血液検査の結果はまだまだ膠原病を示す数値があるしCRP値も高いと宣告され、内心エッ!とショックでした。でも改めて冷静に考えれば僅か2ヶ月で完治すれば皆苦労しないなと反省。今回は前回の頭痛の漢方薬に代わって、免疫を活性化させるための飲用と浴用の漢方薬を処方して頂きました。

この後も順調な日々が続いております。周囲の人々にはよく『体調はどうだ?』と気遣ってもらうのでその都度『薬をやめたらすっかりよくなってきた』と。すると殆どの方は『どうして?』となるのでそんなときは得意になって、

松本漢方クリニックへたどり着くまでとその後のいきさつを話します。皆が『そんな事があるのか!』と必ず驚きます。そして更に詳しく聞こうとするので、その時は先生の言葉の引用で申し訳ありませんが、『自分の免疫を信じこれを最大限活性化させること、これに尽きる。抑制する事は絶対にダメだ』と。『詳しいことは松本漢方クリニックのホームページを見なさい』と。


私の場合は当初から発熱がなければ何も症状がなかったので、様々な方の壮絶な闘病記と比べれば何の苦労もなかったようなものですが、今後も先生のご指導に従い、なるべく早く完治するべく努力いたします

以上、中間のご報告と致します。