「松本先生と出会って~私の喘息闘病記」

60歳2015年12月20日

私は30代の頃から慢性的な鼻炎があり、常に鼻水が出てしまうような状態でした。また年齢が上がるにつれて風邪をひいたりすると咳がひどくなり、風邪が治っても咳だけは治らないというようなことが何度もあり、病院に行って飲み薬や吸引薬などをもらっていました。

鼻炎については、時々市販の鼻炎薬を服用してお茶を濁していました。また妊娠したときは常に咳が出て、ひどく苦しい思いをしました。そして鼻炎は少しずつ悪化していき、55歳の時、とうとう我慢できなくなって市内の総合病院の耳鼻咽喉科に通い始めました。2014年のことでした。

そこで血液検査を受けたところ、ダニなどのアレルギーはほとんど無かったものの、非特異的IgEの数値(基準値170以下)が692もありました。またその時には軽いですが慢性的な耳の痒みもありました。そこにしばらく通いましたが、来院すると点鼻の治療と耳の治療をされ、何種類もの薬を処方されました。しかしあまりに沢山の薬を処方されることと、平日しか診察してもらえないということがあったので、通院先を個人の耳鼻科に変えました。

そこでは医師から「これはアレルギーですよ。」と言われました。そして点鼻の治療を受けました。またアレロックという薬を処方されました。その治療により、ある程度治まりましたが、完全に鼻炎が止まるというものではありませんでした。しかし、飲まないと鼻汁が出続けて辛いので飲み続けました。そのままずっと1年以上そこの病院に通い、薬を飲み続けましたが、鼻炎はある程度治まっていたものの、以前よりかなり疲労感が強くなり、休日になると疲れて動けなくなりました。

なんでこんなに疲れが出るのだろうと不思議に思っていましたが、これは年のせいかなとも思いました。また明け方に気管が少しゼイゼイするようになったので、医師に話をするとキプレスという薬を処方されました。1年半以上飲み続けた頃の12月22日、お風呂に入っていると、なぜかゼイゼイヒュウヒュウして苦しくなってきました。※その日は、学期末(私の仕事は中学教師です)の仕事もある程度目途が立ち、ほっとしていたころで、休日の前日でした。なんだろうと思いましたが、そのうち治まるだろうと思い気にも止めませんでしたが、どんどんゼイゼイが強くなり、苦しさが酷くなって、歩くのもやっとになりました。

やっとの思いでお風呂を出ましたが、さらにゼイゼイヒュウヒュウが強くなり、歩くのもしゃべるのも難しく、呼吸もままならなくなりました。「これは喘息か」と思うのと同時に、「このままでは死んでしまう」と思いました。しかし家には誰もいないので、必死で病院に電話したり、外出中の息子に助けを求める電話をしたりしました。その後、救急病院に連れて行ってもらい、点滴を2~3時間を受けると、症状は治まり、真夜中に家に帰る事ができました。

翌々日、救急でかかった病院に行くと、喘息と診断され吸入薬を処方されました。何日間か吸入しましたが、これはステロイド剤だと知っており吸入したくなかったので、何日間かで吸入を止めました。その後いつもの耳鼻科に行きそのことを話すと、やはり吸入の薬を処方されました。しかし、その薬もあまり吸入しませんでした。

しかしある日の明け方、また強い発作が起きてしまいました。朝、近くの呼吸器内科を受診し、点滴を受けると治まりました。そしてまた、ステロイドの錠剤と吸入の薬を処方されました。何日か錠剤を飲んだり、朝だけ吸入したりしました。吸入は体に負担をかけて嫌なので、自分でコントロールしながら吸入していました。

しかし何ヶ月か経った頃、また発作が起こり、前回行った呼吸器内科をまた受診しました。その後も何か月かごとに、同じような発作を何度か繰り返しましたが、ステロイド剤はあまり使いたくなかったので、様子をみながら薬を使っていました。

その頃、体調がどんどん悪化し、物が食べられなくなりました。仕事もやっと行っているような感じでした。階段を上がるのもかなりぜいぜいして、何度も止まりながら昇っていく状態でした。物が食べられないので体重も一気に落ちました。毎日の様に明け方咳が出るようになり、連日明け方、主人に何度も背中をさすってもらうほどになってしまいました。

どんどんひどくなるばかりなのでまた呼吸器内科を訪れましたが、その医師に「あまりにも頻繁に発作が起きている。これはコントロールされてないからだ。これでは死ぬ。あなたの主治医S先生(かかりつけの耳鼻科の医師のこと)に状況を書くからそれを持って行くように」と叱られました。

私は「鼻炎は大丈夫なので行ってないんです。」といいましたが「あなたの主治医はS先生だから」と言われ、その先生のところに行くようにと強く勧められました。私はこの医師からさじを投げられたと思いました。私は喘息で診察してもらっているのに、なんで耳鼻科へ行けと言うのだろうという疑問を持ちながらも、いつもの耳鼻科へ行ってその手紙を渡しました。

そこではまた吸入の薬を処方されました。また発作が起こるのが恐いので吸入はするようにしました。私は音楽の教師ですが、仕事柄授業で歌わないわけにはいきません。しかし吸入を続けていると、だんだん喉がつれるような感じがしたり、痛くなったり、カサつくような感じがするようになり、思うように歌えなくなってしまったのです。これはとてもショックでした。思うように授業ができなくなってしまったのです。また私は大学で声楽を専攻したので、そのことからも精神的なダメージが大きくなりました。このままではいけない、何か他の方法がないかとインターネットを使い検索したところ、東京のある病院で断薬できるところが見つかり、早速行きました。2014年の事でした。

そこの医師に喘息は飲んでいた薬のせいだろうと言われました。しかしそこの治療方法は、薬を何も処方されず、低温サウナで汗をかくことにより解毒させるのと、ミネラルビタミンなどの栄養剤を摂るというものでした。私はこの方法で大丈夫なのだろうかと不安に思いました。この方法は長期的には良いのかもしれませんが、発作は待ってくれません。吸入しないと四六時中ゼイゼイして苦しくなるので、私はやはり吸入薬を使うのを止められませんでした。この方法ではやはり無理だと思ったので、さらにインターネットを使って探しあてたのが松本漢方クリニックでした。2014年の5月のことでした。

早速予約を取り、朝3時に家を出て主人の運転で松本漢方クリニックに行きました。私は体調が悪いので、ずっと車内で寝ていました。7~8時間かかり、やっと松本漢方クリニックに着きました。そこは入るなり漢方薬の匂いがするなど、普通の病院とは雰囲気がかなり違いました。自分の順番になり診察室に入ると、先生は「なんでもっと早く来なかった」とか、「遠くからよく来た」などとおっしゃって、握手して下さいました。私は喘息が治るかもしれないという希望を初めて持つことができました。

現在一年半経ちました。ちょっと息苦しかったりゼーゼーしたりすることはありますが、喘息の発作は全く起こらなくなりました。またあの頃と比べるととても元気になり夢のようです。疲れて動けなかったことや喘息になったのは年齢のせいなんかじゃなく、アレロックやキプレスなどの西洋薬の影響だったと思っています。西洋薬は本当に恐ろしいと思います。新たな病気を生むのです。

今は、どの病院に行ってもほとんど対症療法しか行いません。私はあのままステロイド剤を吸入し続けていたら、また新たな病気を起こしていたのではないかと思っています。実は私の父も喘息があり、ずっと吸入を続けていたのですが、今年の春、肺炎を起こして胸のレントゲンを撮ったところ、この肺炎にかかる前に既に肺が片方機能しなくなっていた事がわかりました。私は、このように父の片肺が機能しなくなったのは、長年喘息の治療薬を吸入し続けてきたからなのではないかと思いました。

このまま患者が普通の病院に行き、西洋薬を使い続けたら、いつまで経っても治らないばかりか、新たな病気を生み、患者はどんどん増えるばかりではないかと思います。また国の社会保障の予算も西洋薬の費用で満杯になり、他の介護、年金などの社会保障の費用がどんどん少なくなり、最後には社会保障制度そのものが破綻するのではと思います。

その中で国からのいろいろな圧力をものともせず、患者の完治のために頑張っている松本先生のような方がいらっしゃることを、私は本当にありがたく思っています。先生がいらっしゃらなかったら私は喘息が治らなかったばかりか仕事も健康も失っていました。自分の命さえなかったかもしれません。※主人は私の喘息が酷かった頃、私がもう元気にはならないのではと思い悲観したそうです。鼻炎は以前より良くなってきていますが、まだまだなので今後ともお世話になりたいと思います。国は診療報酬をまた下げると言っています。私には詳しいことは分かりませんが、診療報酬制度が患者のためのものなら、本当は時間をかけて患者を診られるようなものでなくてはならないはずですが、全く正反対の方向へいっているような気がします。薬品会社が儲かる西洋薬ばかりを売りたいのでしょうか。今後、松本先生のような立派な先生に対し、国の圧力はどんどん強くなっていくような気がします。しかし、松本先生のような先生でなくては患者が治らないし、救われないと確信しています。

これからも患者のために頑張っていただく事を切に希望致します。今後ともどうぞよろしくお願いします。