「全身性エリテマトーデス(SLE)・シェーグレン症候群 手記」
匿名希望44歳2014年8月26日
まず最初に、私がどうして松本漢方クリニックでお世話になることになったのかきっかけについて書かせていただきます。実は私の兄が、3年ほど前に膠原病の一種である潰瘍性大腸炎を患い、一生治らない難病だと診断され、2年間ほど松本漢方クリニック以外の他の病院で治療を受けていました。治療をしても症状は良くならず、薬の副作用にも苦しんでいました。兄なりにいろいろ調べた結果、こんなことをしていると一生がめちゃくちゃになると思い「絶対に治す!」と固い決心のもと松本漢方クリニックの戸を叩いたそうです。そしてあんなに苦しんでいた病気をわずか1ヶ月半という短い期間で完治させました。兄の病気が治ってから1年ほどたちますが、今では元気に幸せに暮らしています。一生治らないと言われたのが1ヶ月半で治ったのです。兄本人はもちろんのこと家族ともども松本先生には感謝の気持ちでいっぱいです。その節は本当に有り難うございました。
兄の病気が治ったのが2013年の9月でした。そして入れ替わるように私の病気が分かったのが2014年の1月。私も膠原病(SLEとシェーグレン症候群を併発しています)になってしまいましたが、「同じ膠原病なので治せる」と兄に言われ、主人と暮らしていたオーストラリアから実家のある大阪に治療のために戻ってきました。主人は1人、オーストラリアで私の帰りをずっと待ってくれています。ちなみに私と兄以外で膠原病にかかった家族や親族はいません。私たち兄弟だけが特に化学物質とストレスに弱かったのか、母はショックを受けていました。
けれど兄が早く治ったので、私も同じく早く治る免疫の遺伝子を持っていると信じ頑張っています。
病気が分かった時は、恐ろしくて体の震えが止まらず、泣くことしかできませんでした。今までたいした病気になったことがなく(入院や骨折などもありません)、自覚症状も顔の発疹だけだったので、まさかそんな重病にかかっているとは思っていませんでした。病気の症状と病気が分かった経緯ですが、体調の変化が最初に起こったのが、2011年の9月です。それまで肌あれとは無縁だった私ですが、顎に赤い発疹(湿疹)ができました。すぐに治ると思ってあまり気にしてなかったのですが、それから2ヶ月間治りませんでした。その時は東京に住んでいました。ですが2011年の11月に実家のある大阪に戻ると1週間くらいで綺麗に治りました。それからは全く気にしてなかったのですが、大阪に2ヶ月間滞在し、2012年の1月に東京に戻ったとたん、また顎と口のまわりに赤い発疹ができました。
その時に、もしかして放射能のせいかな?と思い(原発事故以来、関東・東北で湿疹や蕁麻疹のできる人が多くなっているとネットで見たため)、けどオーストラリアに移住することがその時にはすでに決まっていたので、引っ越ししたらすぐ治るだろうと軽く考えていました。その後、2012年の2月にオーストラリアに1ヶ月間行きました。豪に滞在中のその間、顎と口のまわりの発疹も自然に治りました。なので「やっぱり放射能の可能性が高いかも。東京に帰ったらまた発疹がでたりして。」と思いながら1ヶ月ぶりに東京に戻ったとたん、また発疹がすぐに現れました。この時も大阪に戻ればまた治るだろうと軽く考えていたのですが、東京に1ヶ月間滞在したあと、2012年の4月に大阪に戻りましたが、とうとう発疹は治らなくなりました。ちなみにこの時の発疹は全くかゆくありません。発疹といっても、ファンデーションをぬれば目立たないし、気長に治すしかないのかなあと思いながらも、それまで肌のトラブルが一切なかったのですごく悩んではいました。
2012年の7月に東京を離れ、大阪の実家に3ヶ月滞在したあと10月にオーストラリアに主人と2人で移住しました。この時も顎に赤い発疹がありましたが、人からみると分からないくらいでした。移住してから2ヶ月ほどたったころ、やはり病院に行って薬をもらったほうが早く治るんじゃないかと思い病院に行くことにしたのです。まさかこれが悪夢の始まりになるとはこの時は全く思っていませんでした。その病院ではステロイドの塗り薬と抗アレルギー剤の飲み薬を処方され、その時に病院の先生に、「オーストラリアのステロイドは日本のステロイドと違って全く副作用ないから安心してくださいね。どれだけぬっても体の中に入ることはないから大丈夫ですよ。」と言われました。それを信じた私は、ステロイド剤の軟膏をそれから9ヶ月間ずっとぬったりぬらなかったりを繰り返してしまいました。それまであまり目立たなかった発疹が、ステロイドをぬりだしてからはどんどん範囲が増えていき、数も増えていき、ほっぺに赤みもでてきました。おまけにかゆくなかった発疹がかゆくなってきたのです。ぬっている間は湿疹も治っているのですが、ステロイドをやめるとすぐに悪化します。ステロイドをぬる前はただの普通の湿疹みたいな感じだったのが、白い小さいウミを持った湿疹に変わりました。この湿疹ができる時、ものすごくかゆくなります。こんなに治らないのは何かのアレルギーなんじゃないかと思って、2013年3月、私は同じ病院に行きアレルギーの検査をしてもらいました。そしてその結果、思いもよらないことを先生に言われたのです。「SLEとかシェーグレン症候群っていう病気、聞いたことありますか?一生治らない病気なんですけど、あなたはその病気だと思います。けど、まだ軽くて値もたいしたことないし、自覚症状も顔の肌しかないし、とりあえず今は何もしなくていいので様子だけ見ておいてください。あなた、よく今まで生きてたね。」と言われました。
あとはその時の抗核抗体の値が80倍っていわれたのだけ覚えています。一瞬、何を言われているのか分からず、「この先生何言ってるんだろう。私がそんな病気になるはずないやん。絶対に誤診やわ。何がよく生きてたね。やねん。人を怖がらせてさ。腹立つ。」と思いました。今から考えると、この先生がこう教えてくれたから、のちにこの病気が発見できました。なので「よく今まで生きてたね」っていう言い方はひどかったけど、発見してくれた件に関してはこの先生に感謝しています。ステロイド軟膏を処方され、副作用がないからずっと使っていいと言われたことは許せませんが、それも結局は私が自分で調べない馬鹿だったから、全部自分のせいだと思っています。
その先生に病気の事を言われたあと、SLEやシェーグレン症候群についていろいろネットで調べましたが、私にあてはまる症状がほとんどなく、当てはまるのは顔の発疹だけでした。あえて言うならドライアイは少しありましたが、それは昔からでしたし、そんなに困るほど乾くということもありませんでした。
なので、この病気は私は絶対に違う!と勝手に自分で判断して、先生に言われた恐ろしい病気のことは忘れることにしたのです。けど、そのあとも発疹が治ることがなく 私はその時学校に通っていたので 汚い顔で学校に行くのが嫌でその間もステロイドをぬり続けました。(そのお医者さんが大量にステロイド軟膏をくれていました)そんな毎日を過ごしていた頃、兄からある時突然メールがきました。「今からビックリすること書くけど、全部ホンマのことやから信じてくれよ。」と。兄の書いていたメールの内容は、「今の薬業界や病院は儲けるために副作用が分かってても患者に平気で売りつける。必要のない薬でさえも使っている。副作用のない薬なんてない。だから薬は飲んだらアカン。」といったことが書かれていました。震災以降、新聞やテレビでは自分の知りたい本当の事があんまり報道されていなかったので、私は今まで知らなかった原発問題や無関心だった政治の事にもちゃんと向き合おうと思い、ネットで世間のいろんな利権のことや政府の対応、世界情勢についてずっと調べていたので、兄の言う事はすんなりうなずけました。それで兄に「分かった。じゃあ薬はやめる。」と返信しました。その時に顔にぬっているステロイド軟膏の相談を兄にしたら、絶対にやめろと言われました。これがきっかけで、初めてネットでこのステロイド軟膏の事を調べたら、「4日以上使用しないでください」と書いてあったのです。それを私は9ヶ月も使用してしまいました。無知って本当に恐いです。これは薬のことだけではなく全てに対して言えることで、無関心や無知であると全て自分に返ってくると思います。私はステロイドを断つ決心をして、2013年の9月からぬるのをやめました。すると、すぐに ものすごい恐ろしい顔になりました。目の周り以外の顔全体に、何千個あるか分からないくらいの湿疹のような白い小さいウミを持った発疹(湿疹)ができ、顔が赤く腫れ上がり、以前の私の顔の原形をとどめていませんでした。かゆくてかいてしまい、かいた所からは汁がでてきて、この世のものとは思えない顔になりました。震災以前までは肌トラブルが全くなかったので、それはもう毎日落ち込んで、外には一切出ることができませんでした。買い物などは全部主人がしてくれました。この一番辛かった時を乗り越える事ができたのは主人のおかげだと思います。オバケみたいな顔が2ヶ月ほど続きましたが、3ヶ月目でやっとだんだんマシになってきました。マシになったとはいえ、誰かが私の顔を見たら振り返ってビックリするくらいのレベルです。そしてマシになってきているとはいえ、4ヶ月たっても治らないのでもう1度大きい病院で原因を調べてもらおうと決心しました。
2014年1月、意を決して大きい総合病院を訪れ、検査をしてもらいました。
最初に担当してくださった先生は、ニキビだと思うとおっしゃっていましたが、「そんなわけないやん!」と思い、膠原病の検査をしてくださいと申し出ました。ですが、膠原病自体がめずらしい病気だからなのか、その担当の先生に「膠原病は違うよー。そんな検査しなくて大丈夫だから」と軽く言われました。けれど私としては3月にあのステロイドを出した先生に膠原病だと思うって言われていたので、念のためにそれを否定するために絶対検査を受けたかったのです。絶対に違うという確証が欲しかったのです。なので、「前にその疑いがあるって言われたので、お願いします!」といって、強引に検査してもらいました。その結果、そのステロイドの先生の診断が正しかったという悲しい現実の確証を得ることとなってしまいました。その診断が分かったその夜、私は打震えるしかありませんでした。ただ泣くことしかできず、大丈夫だよという言葉が欲しいためだけに兄とスカイプしました。兄は「オレが治ったんやから、お前も治る!大丈夫!日本に帰ってこい!帰って松本漢方クリニックに行けよ。必ず治るから。」と言ってくれました。それで、私はすぐ帰国して松本漢方クリニックの扉をたたくことになります。
そして2014年1月24日から松本漢方クリニックで治療を開始し1週間ほどでリバウンドが始まりました。それまで、顔の発疹しか自覚症状が無かったのですが、治療が始まってから体、特に背中がだるくなり、特に朝がだるいために起き上がるのに苦労しました。けれど、お昼前くらいには平気になって、あとは普段どおりでした。この症状が1ヶ月くらい続きました。あとリバウンドが始まってから、ご飯が食べれなくなりました。ご飯を食べるとしんどくなるのです。ご飯を食べると体がしびれたりだるくなりました。なので食欲はあるのに少ししか食べることができないのです。これが1ヶ月間ほど続きましたが、2ヶ月目くらいにはこの症状はなくなりました。あと、治療開始して1ヶ月くらいたった頃から、寝てる時にすごく喉と目が乾くようになりました。目は瞼がくっつくんじゃないかと思うほど乾きました。喉がカラカラになり、枕元に水を置くのは欠かせませんでした。これは5ヶ月くらい続きました。ここ最近2ヶ月ほどはだいぶマシにはなっていますが、以前の健康だった時に比べると喉の乾きと目の乾きはまだあります。けれど、これは寝ている時だけです。起きているときはこの症状はありません。
あと私はヘルペスの薬を5ヶ月間飲みました。肩こりがひどいのと右足の付け根の関節が広げると痛かったので飲んでいました。このような症状はヘルペスウイルスによるものだそうです。現在は肩こりもなくなり、関節の痛みもなくなりました。あと、リバウンドの症状として 抜け毛がひどくなりました。
元々髪の毛が多いので、抜けてもさほど心配していなかったのに 最近はハゲたらどうしようと思い抜けるのが恐くなってきました。抜け毛もだいぶマシにはなっているのですが、シャンプーする時にまだぬけています。抜け毛と発疹はリンクしており、発疹がマシになってる日は抜け毛もマシです。血液検査を月に1回受けているのですが、この値がだんだんちょっとずつですがマシになってきました。抗核抗体は一番最初に松本漢方クリニックで受けた時は320倍あったのですが、治療を開始して7ヶ月経った今、現在は160倍です。例のステロイドの先生に検査していただいた時の2013年の3月は80倍だったので、とりあえずの直近の目標は80倍になることです。あと、治療を開始して2週間ほどたったころ、パニック障害の発作がでました。私は26歳のころにパニック障害になってしまい薬の治療を受けていました。それからは1回も発作は起こってなかったのですが、今回おきてしまいました。本当に苦しくて苦しくて、でも薬は飲めないし、死ぬほど辛かったです。手や足がしびれて、息がしづらく、どんなに深く息をしても肺に空気が入ってる気がしないのです。しばらく横になっているとマシになってくるのですが、4ヶ月間ほどほとんど毎日こういう状態が続いて、私は膠原病の症状よりもこの自律神経失調症の症状の方が辛かったです。松本漢方クリニックで針治療を受ける時に呼吸するのが苦しくてうつぶせになる事ができず、横になったまま治療を受けたくらいです。ヘルペスの薬で、こういった自律神経失調症の症状もマシになるはずと院長先生がおっしゃってましたので、飲み続けました。
今は苦しくなることもなく、ヘルペスの薬がなくても大丈夫です。
治療を開始して7ヶ月たった現在の私の肌ですが、だいぶマシになりまして、前まではパっと見ただけで振り返られそうなほど気持ち悪い顔だったのが、今ではただのニキビ面くらいの程度になりました。けれど、まだまだ前の肌の状態とはほど遠いので、とりあえず友達と気にしないで会えるくらいの肌に戻れるようになるのが今の目標です。
アトピーに関してですが、兄は全身にでたらしいのですが(2週間でひいたそうです)、私も顔のブツブツの中にアトピーが出てきました。痒みもどんどん強くなってきました。やっと抗体のクラススイッチが出てきました。完治に1歩でも近づきたいです。免疫をあげるための努力は、先生が出してくださる薬やお灸、漢方風呂以外でもしています。兄がしていた努力を私もそれを真似ています。朝は無農薬のにんじんとりんごのジュースを低速ジューサーで作って飲んでいます。あと散歩をしたり、手作りのヨーグルトを毎日食べています。私はパニック障害も患っていますので(もう治った感がありますが)、そういった場合は必須アミノ酸と必須脂肪酸の多い食事を採るといいそうです(若先生に教えていただきました)。食べるものがとても重要と思っていますので、保存料などが入ってるものは食べていませんし、外食もほとんどしていません。産地も厳選しています。ストレスはかからないようにし、腹がたちそうだと思ったら、その件に関しては考えないようにしています。私は他のSLE患者の方に比べると症状が軽いと思います。それだけでも神に感謝しています。一生薬を飲み続けなければいけないところだったのが、兄に松本漢方クリニックを教えてもらったことにも感謝しています。
こんな病気になったせいで、失われたものももちろんありますが、それ以上に病気にならないと分からなかったことがたくさんあります。家族との絆、健康の大切さ、時間は限られていることなど、今まで当たり前にあったものが、それが実は当たり前なんかじゃなく、実は自分にとって一番大切なんだという事が分かりました。
これから、時間がかかるかもしれませんが、兄のように完治させて、必ず完治の手記をオーストラリアから書かせていただきます。いつも「絶対に治るからね!絶対オーストラリアに帰れるからね!病気はあんたの免疫が治すんや!」と言っていつも励ましてくださる院長先生、本当にありがとうございます。いつも本当に勇気づけられています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。