「今」とは何か
『「今とは何か」の古事記による完璧な回答』
00.始めの「あ」
【あめつち(天地)】とは。
あめつちの言霊循環。
先天の主(あ)
・次元世界(め)
・働き(つ)
・現象(ち)
・循環の先天主(あめつち)
「あ」とは吾、わたしのこと。先天の主。
「め」とは眼、意識のこと。「あ・め」で私の意識、意識している宇宙、次元世界。
「つ」とは付く、渡す働き。「あ・め・つ」で私の意識を付ける働き、渡す働き。
「ち」とは智、地となった現象。「あ・め・つ・ち」で「私の意識を付けて智と成す」、私の意識を付けて地に成し、出てくる現象。
「あ・め・つ・ち」とは、私の思っていることが私の現象を創造して、私の天地世界を作ること。
「あ」とは「あぁー」という私の全体意識がことの始まりの主となっているもの。
「め」とは始まりが意識されると自他の向う先、見るものと見られるものに分かれた芽が出て、実在次元世界へ向うもの。
「つ」とは「つぅー」と主体の付く、渡す働きが実在世界に近づく働き。
「ち」とは主体側の智と、客体側の地が近づき同一となった意識現象。吾の意識を付けて地に成し、出てくる現象。
「あ・め・つ・ち」とは、吾(あ・)の眼(め)を付(つ)けて智(ち)となす、私の思うことが私の表現現象をなし、私の天地世界となること。
「あめつち」の循環とは。
意識の流れが循環であること。
「あ」 ・先天の主
「め」 ・実在次元の世界
「つ」 ・生きていく働き
「ち」 ・創造される現象表現
「あめつち」 ・アルファファでありオメガとなる。
「あめつち」の言霊循環を「言霊の幸わえ」という。
「あ」の単音に、先天の主・実在次元の世界・生きていく働き・創造される現象表現・アルファファでありオメガとなるが含まれている重層循環のこと。
「め」の単音に、先天の主・実在次元の世界・生きていく働き・創造される現象表現・アルファファでありオメガとなるが含まれている重層循環のこと。
「つ」の単音に、先天の主・実在次元の世界・生きていく働き・創造される現象表現・アルファファでありオメガとなるが含まれている重層循環のこと。
「ち」の単音に、先天の主・実在次元の世界・生きていく働き・創造される現象表現・アルファファでありオメガとなるが含まれている重層循環のこと。
「あめつち」の単音に、先天の主・実在次元の世界・生きていく働き・創造される現象表現・アルファファでありオメガとなるが含まれている重層循環のこと。
その他単音五十音、単語、文章等全ての表現にあるものです。
「あめつち」を意識の運用から見ていく。
「あ」 ・先天の主としての全体を立ち上げる。
「め」 ・実在次元の世界を選択する。
「つ」 ・生きていく働きが衝き立てる力動となる。
「ち」 ・創造される現象表現と成る。
「あめつち」 ・アルファファでありオメガと成る。
この心の運用原理が隠された形で、神代の物語として語られているのが古事記の冒頭です。
古事記冒頭は神代の話ではなく、またそのような神の話ではなく、そういった神などいません。
人の意識のあり方といき方となり方とその成った姿の全貌を、原理として語り明かした心の原理教科書、人類の秘宝です。
「あ」「め」「つ」「ち」の四つの重層循環する構造が、ひとの意識活動に貫徹しています。
「あめつち」の内実の神名表記は冒頭十七神です。これが心の原理を現わしています。
「今とは何か」を語るにしろ何にしろ、人の語ること考えること成すことの全ては冒頭十七神が原理となって循環していきます。
勿論十七神の配列構成そのものが「アメツチ」です。
----------------------
先天原理の十七神。
・(あ) 先天の主
天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天(たかま)の原(はら)に成りませる神の名(みな)は、
・(め) 全ての意識活動の始め
1 天の御中主(みなかぬし)の神。
見る主体と見られる客体
2 次に高御産巣日(たかみむすび)の神。
3 次に神産巣日(かみむすび)の神。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。
実在世界に成った内実
次に国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、葦牙(あしかび)の
ごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、
4 宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に
5 天の常立(とこたち)の神。
この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。
実在世界に成る内実
次に成りませる神の名は、
6 国の常立(とこたち)の神。次に
7 豊雲野(とよくも)の神。
この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。
・(つ) 実際の付き方渡し方の動因
次に成りませる神の名は、
8 宇比地邇(うひぢに)の神。次に
9 妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に
10 角杙(つのぐひ)の神。次に
11 妹活杙(いくぐひ)の神。次に
12 意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に
13 妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に
14 於母陀流(おもだる)の神。次に
15 妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。
・(ち) 智となり地に成る
16 次に伊耶那岐(いざなぎ)の神。
17 次に妹伊耶那美(み)の神。
・(あめつち)
おのころ島(己の心の島、自我)の段落全体のこと。
冒頭の十七神は心の先天原理ですから、取捨変更の余地はありません。
そして、上記を全体とした、言霊循環が始まり、心のあらわれが語られます。心の動きは常に古事記に記載された神名通りに進行します。
先天原理運用の主体側によって、構成要素が後天現象として創出され、そこまでが冒頭の五十の神名で語られます。
それは言霊要素として五十音に対応しています。
ついで、それらの要素が先天となり、整理され運用に次の五十の神名が用いられます。
こうしてここに自他ともに了解し合う「あ」なら「あ」が誕生し、つまり「あ」という単音は百神を循環通過した後に「あ」という
共通言語になります。
古事記の冒頭はこの、心の最初の一循環、を建速須佐の男の命までの百神で、隠された原理として語ったものです。
これは心の原理ですから、人の成すこと成したこと、歴史文明の創造の元となるものです。これは人の心の原理で、
日本人にだけ適応されるものではありません。人類史上全ての人の原理です。
日本においては多少崩れてしまっていますが、五十音要素が残されています。そのため世界のどの言語の翻訳も可能となっています。
また隠された形となっているとはいえ、心の運用法は古事記という形で完璧に残されています。
ですので、全世界の宗教、哲学や科学的思考を統一網羅することもできるわけです。そして心の原理は行動実践の動因となりますから、
世界歴史の創造の原動力となります。
しかしながら現在までのところでは古事記の真意を扱える方がいませんので、世界をスメラミコトとして統治する方もいません。
単に心の原理の型を温存している日本民族の文明と神道と皇室があるだけです。
世界には心の五十音の要素を保持できる日本以外の民族、文明はありません。他国の人達においては、五十音図が無いということは、
それだけの思惟活動、心の活動しかできないということです。表現できる要素が無ければ表現に至りません。しかし、
心につく活動に不足はあっても、物につく活動には抜群のものがあります。というのも世界の分担として古代において
そのように方向づけがされているからです。
そして近年、物に付く心の成果は地球を揺るがすほどに大変なことになりました。ですが物には物で対抗しようという心しかないので、
その対応しかできません。一方不安や恐怖や希望を代弁して宗教とか精神世界とかが口を挟みますがいずれも社会全体を
相手にできず無力です。また返って個人の経験の中へ押し込めようとする危険さえあります。そしていずれの国の政治も、
物を動かし有る物に付いていくだけで自らを示し物を見せようとします。
いずれも心と物の統一された姿を忘れ、個と全体の合一した始めの形をないがしろにしたものです。
---------------------------------
言霊百神。
五十の言霊神で語られた原理要素の構成。
「先天の主」 ・ 先天十七神全体。先天の活動の予兆。空。記憶。
「あ」 ・ 十七神とおのころ島。先天の活動が始まる。主体側。ウ・アワヲオエヱ・チイキミシリヒニ。イヰ 。
「め」 ・ 先天が頭脳領域に芽吹く。先天が考えにまとまる。(津島の領域)。タトヨツテヤユエケメ。
「つ」 ・ その考えが物象に付いて組まれる。(佐渡の島の領域)。クムスルソセホヘ。
「ち」 ・ 形となって明らかにあらわれる。(大倭豊秋津島の領域)。フモハヌ・ラサロレノネカマナコ。
「あめつち」 ・ 言霊ンの表音文字。ン。 以上で言霊要素の五十音。
筆記説明をする都合上個別の分類した形で述べられていきますが、分離したものではありません。「あ・め・つ・ち」と四音で
表記しますが「あめつち」が一つの全体であるばかりか、「あ」「め」「つ」「ち」の各単音が一つの全体です。何の全体であるかといえば、
上記五十音で書かれたものが各音それぞれに含まれている全体です。「あ」というのは上記五十音が全て通過されたときに
「あ」という形になるもので、他も同様です。
言霊原理運用の構成。主体の活動する側から見たもの。言霊運用の五十神。
「先天の主」 ・ 五十の言霊要素達とまだ現れない己の心の島。活動の予兆を与えられ関知する主観。
「あ」 ・ (先天)言霊要素を扱う主客の先天意識。
「め」 ・ (実在)言霊要素を客体として扱う実体意識。黄泉国。
「つ」 ・ (働き)主観内の意識への働き。
「ち」 ・ (現象)主客の統合された意識現象の創造。
「あめつち」 ・ 循環の元となる記憶される宇宙へ。
こうして自他ともに通用する記憶に戻り、それが新たな先天の主となります。
------------------------------------
古事記は、
『あめつち(天地)のはじめ(初発)の時、たかあまのはら(高天原)に成りませる神の名は』
で始まり、
天地は、「あ・め・つ・ち」と読まれ、吾(あ)の眼(め)を付(つ)けて智((ち)となる、と読みくだします。
これば古事記の真意を読み下したもので、普通の言い方にすれば、
「私(あ)の思い考え(め)は相手対象について(つ)の知識や智恵(ち)となる」、でしょう。
それが私の世界、各人の天地宇宙を作ることとなります。つまり子現象の事の「子事記」です。
冒頭の文章も、
(あ)あめつちの初発の時、という先天の主、
(め)たかあまのはらに、という次元世界、
(つ)成りませる、という成る働き、
(ち)神の名は、という智に現れる現象、
という構成です。
そこで最初に現れる天の御中主の神が先天となって、後の全体に重層循環していきます。
「あ」の単音の内には、『主-次元-働き-現象-先天』、の循環が貫徹していて、
吾(あ)とは宇宙世界の大本(あ)であり、実在世界(め)であり、その働き(つ)であり、それによる現象(ち)であり、
そして次に至るための先天(あ)のことです。
単音に『主-次元-働き-現象-先天』の循環が原理として含まれていますから当然、単語も文章も同じ構造をとる重層循環構造です。
古事記は心の運用を暗喩で記した原理論ですから、「今とは何か」という問題もそのまま適用できます。
では「今とは何か」を生みに行きましょう。
--------------------------------
2014.11
----------------------------------------