間の親の名前をイザナギ・イザナミと太安万侶は名付けました。本当はイとヰという二文字で結構です。イとヰは宇宙であると同時に人間の知性(八父韻)を兼ね備えているもの。
それが八つの宇宙に色目を使って働きかける、「お前とお前を結び合えや」、そこに火花が散って現象が出て参ります。ただそれだけの話を覚えていていただきたいのです。理屈も何もない。
これを図に表しますと、下から母音・ウオアエイ、半母音・ウヲワヱヰ、一番上のイとヰ、宇宙であると同時に人間の知性の親でもある性能は八つの父韻。それが他の四母音から半四母音に働きかけますとエ→ヱ、ア→ワ、オ→ヲ、ウ→ウの間に現象が生まれます。
成仏なの何なのだとそれ以前に既に五十音が具わっている。その証拠にどんなに学校の成績がビリで鼻たらしている人でもイザという時はちゃんと働きます。それが出来るのは人間を人間と足らしめている性能を与えられているから。
それは人間の心の一番奥にある智恵。じゃあ、人間の心は何処に住んでいるのかと言えば五母音‘アイエオウ’、‘イ’を除く‘アエオウ’の四母音が目に見える次元です。‘イ’次元は意志ですから世の中に意識的に現われません。縁の下の力持ちです。
伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、
→ 伊耶那岐命‘イ’と伊耶那美命‘ヰ’が「イザ」と活動して、
この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せと、
→ 先天の構造に則って一つ一つ言葉を生んで、その言葉の意味を比較していき、言葉と言葉を繋ぎ合わせて名前を付けていく。その名前によって世の中の秩序が成される国家を創れ。
「漂へる国」と申しますのは、先天が活動して創ろうとしている後天の世界は、未だ物事の仕組がどのようになっているか全然分かっていない。「修理め固め成せ」と申しますのは、完全な形に繕い整理せよ。
国、もしくは社会を創造するということは、ビルを建てること、道路を造ること、それらは物質的な繁栄することも創造の一つです。心の方から観ますと又、違う考え方が出来ます。創られたものに心の法則に則って名前を付ける。
付けた名前と名前の関連を言葉で説明しませんと、人間は何が何だかサッパリ分からない。一つ一つに言葉の名前が付き、その名前が関連し合いながら、言葉として発展していく。そのことを創造と申します。