かれそのいはゆる黄泉比良坂は、今、出雲(いずも)の国の伊賦夜坂(いぶやさか)といふ。
黄泉比良坂とは黄泉国の文字の性質・内容という意であります。現実の上り下りの坂の事ではありません。でありますから、伊織夜坂と言いますのも現実の地図上の場所の事ではありません。精神世界の中の或る場所を示す謎です。角川版古事記の訳註に「島根県八束郡東出雲町揖屋。揖屋神社がある」と記され、岩波版には「所在不明」とあります。共に古事記神話の真義を知らぬ為の見当違いの訳註です。
では出雲の国の伊賦夜坂とは如何なる意味でありましょうか。出雲の国とは地名である島根県のことではありません。出る雲の意です。大空に雲がムクムクと湧き出て来るように、物質界の研究によって頭脳から発現して来る種々のアイデアで満ちている領域、という事です。伊賦夜坂とは、母音イの次元の言葉(賦)、即ち言霊の意味が暗くて(夜[や])よく見えなくなっている性質(坂)、それは取りも直さず黄泉国の文字の性質という事となります。出雲の国の伊賦夜坂の全体では、雲が湧き出るが如く発明されて来る経験知によるアイデアの世界の、高天原の言霊で作られた言葉の内容が薄ボンヤリとしか見えない字の性質、という事であります。黄泉比良坂とはそういう内容の黄泉国の文字の性質だ、という事であります。古事記神話の編者太安万侶が高天原と黄泉国との言葉と文字の決定的な相違について繰返し示した老婆心とも受取る事が出来ましょう。
ここで道反(ちかへ)しの大神または塞(さ)へます黄泉戸(よみど)の大神という神名について附け加えて置き度い一つの話があります。「古事記と言霊」の二○一頁に詳しく書いてありますが、念のため一言申上げておきます。旧約聖書のヨブ記に次のような文章があります。「海の水流れ出て、胎内より湧き出でし時、誰が戸を以(も)て之を閉じこめたりしや、かの時われ雲をもて之が衣服(ころも)となし、黒暗(くらやみ)をもて之が襁褓(むつぎ)となし、之に我が法度(のり)を定め、関および門を設けて、曰く、此(ここ)までは来るべし、此を越ゆるべからず、汝の高波ここに止(とど)まるべしと」(旧約聖書ヨブ記三十八章八~十一)。ヨブはキリスト以前のキリストと呼ばれる聖者であり、そのヨブ記に古事記の道反しの大神・塞へます黄泉戸の大神の記述と全く同じ内容の文章が見られる事は誠に興味深い事であります。伊耶那美の命の精神的後継者である須佐之男命は、古事記神話に「汝は海原を治(し)らせ」と言霊ウの名(な)の原(領域)、即ち五官感覚に基づく欲望の次元の主宰者であり、その「海」がヨブ記の「海の水流れ出て…」と記されているのです。詳細な解説は「古事記と言霊」を見て頂く事として、人類文明創造上の重要な法則に関して、地球上の時も処も違う日本の古事記、イスラエルのヨブ記に全く同様の内容の記述が見られる事は、単なる偶然とは考え難く、人類文明創造の歴史を考えるに当り、大きな示唆を与えるものとして、簡単ながら一言挿入いたしました。内容の詳細は「古事記と言霊」を御参照下さい。
以上にて、伊耶那岐の命が自己精神内に確立した建御雷の男の神という人類文明創造の原理が、高天原以外の国々の文化に適用しても通用するか、どうか、を證明する為に妻神伊耶那美の命が主宰する黄泉国へ出て行き、そこで黄泉国の整理されていない、種々雑多な発明・発見が我勝ちの主張をする様子を体験し、高天原に逃げて帰る「黄泉国」と題する文章の解説を終る事といたします。この物語の中の岐・美二神の言行によって、この章の文章が単なる伊耶那岐の命の黄泉国見聞記なのではなく、その中の岐・美二神の言葉のやり取りによって、伊耶那岐の命が自らの主観的自覚の建御雷の男の神なる原理を、どの様にして人類文明創造の大真理にまで高めて行ったか、の経緯が物語的に述べられたのであります。
この「黄泉国」の章に続く「身禊」(みそぎ)の章では、物語的に綴られた伊耶那岐の命の心の進化過程を、今度は厳密な言霊の学問上の理論として、言霊学の最高峰であり、総結論である「三貴子誕生」まで一気に駆け登って行く心の過程が述べられます。今までの章で述べられて来ました五十音の言霊が、何一つ取り残される事なく、すべての言霊が生命の躍動となって、最後に天照大神、月読の命、須佐之男の命の三貴子を中核として、八咫の鏡に象徴される人間の全生命の構造とその動きの全貌が読者の前に明らかにされて行きます。今から始まる「身禊」の章は読者御自身の生命が読者にその全体像を明らかにする章なのであります。 (島田正路著 「古事記と言霊」講座 より)
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