神直毘(かむなほひ)の神。「身禊」15。
八十禍津日の神と大禍津日の神から始めます。
ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬(ア)は瀬速し、下(しも)つ瀬(イ)は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬(ウオア)に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に大禍津日(おほまがつひ)の神。
この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。
とあってアとイ次元での気田無し、気枯れから生じたことになっています。字面から災厄神にされていますが、伊耶那岐自身を指したもの、あるいは彼の言ったこと創造したことを指しています。してしまったことから見ていくとまがついになると同時にそうならない為の方策としてもあります。
まがつひを、まが・つ・ひ・として、まが・をまがきの略として、籬、垣根と取ってみましょう。まがきは近世の物というのでしたらここは全面削除ですが。
垣は自他との境を創る物で、両者を分離するものです。また自分を囲い守り、相手を囲い攻める物でもあり、前方に危険があればそれを知らせ進入を阻止する物でもあります。災いも同様に解することが出来ます。従って片方からだけ眺めれば悪神となりあるいは善神ともなります。それらを抽象していけば利用法とか効用、心の持ち方、原則のとり方によると言えるでしょう。
ここでの問題は伊耶那岐がそのように一つの物でも、あっち側とこっち側に立つ場面が違うと、両面の解を与えてしまう「まがつい」はどうしてかということです。気田無し、気枯れ「穢(きたな)き、汚垢(けがれ)」から生じると答えられていて、その内容は「上(かみ)つ瀬(ア)は瀬速し、下(しも)つ瀬(イ)は弱し」です。
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神直毘(かむなほひ)の神。
次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘(かむなほひ)の神。次に大直毘(おほなほひ)の神。次に伊豆能売(いずのめ)。
禊祓をアオウエイ五次元性能の中のどれでしたらよいか、を検討した伊耶那岐の大神はア次元とイ次元を調べて、この双方は禊祓の下準備(八十禍津日)や、基礎原理(大禍津日)としては必要であるが、そのもので禊祓をするのは不適当である事を確認して、上つ瀬でも下つ瀬でもない中つ瀬に入って禊祓をすることとなりました。その時に生まれましたのが神直毘の神、大直毘の神、伊豆能売の三神であります。中つ瀬にはウオエの三次元性能があります。
神直毘は言霊オ、
大直毘は言霊ウ、そして
伊豆能売は言霊エ、
の性能を担当する神であります。
神直毘の神
言霊オの宇宙から現われる人間の精神性能は経験知です。伊耶那岐の大神が禊祓を実行する為に心の中に斎き立てた衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)の鏡に照らし合わせて、人間の経験知という性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。その確認された働きを神直毘の神といいます。神直毘の神の働きによって黄泉国で産出される諸学問を人類の知的財産として、世界人類の文明創造に役立たせる事が可能だと確認されたのであります。
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さて、「その禍を直さむ」とは何でしょう。
禍であるとの認識はどこからくるのでしょうか。既に立場よっては善悪両方から見れることは了解されています。こちらから一方的に禍だということはできません。外から見てそれは良くないことだから止めなさい、そうしないと命が無いよなんていうのはよくあることです。ところがどの本人も良くないことをしているのは分かっているのです。忠告する方は真面目で、正しいことを言って心底心配していますが、自分の科造りに気づきません。聞く人は更なる虚しさ無力感を得るようになります。
八十禍津日の神と大禍津日の神き領域はここまでです。続いて「次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘(かむなほひ)の神。次に大直毘(おほなほひ)の神。次に伊豆能売(いずのめ)。」となる。
汚れています、穢れを取りなさいというというお題目を唱えるのは終わりです。相手の心に光りと満足を与えなくてはなりません。
神直毘は言霊オ次元の性能を担当しています。ここでは、
神直毘(かむなほひ)の神を・噛み直し・とし、言霊オ次元の経験知識、概念理性世界を噛み直し主体を立て直す神とします。
簡単に言えば現実をよく見なさいということです。現実を見るというのは古事記に依れば次のようになります。
金山毘古の神・金山毘売の神の判断材料を集める、から始まって、天照大御神 、月読の命 、建速須佐男の命 の三貴子を得るまでの五十の神を辿るということです。
ところが古事記には一切具体的な指摘はないので、解明していくのは大変なことです。単に神様の名前がづらづら出て来るだけで、後はオマカセルンルンというところです。神代記三貴子以降が神話のお話を借りた手引き書になっているとのことですので、何とかそこまで行きたいところです。
神直毘の神。実際にはどうなるのか。「身禊」16。
言霊オの宇宙から現われる人間の精神性能は経験知です。
伊耶那岐の大神が禊祓を実行する為に心の中に斎き立てた衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)の鏡に照らし合わせて、人間の経験知という性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されました。
その確認された働きを神直毘の神といいます。神直毘の神の働きによって黄泉国で産出される諸学問を人類の知的財産として、世界人類の文明創造に役立たせる事が可能だと確認されたのであります。
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「神直毘(かむなほひ)の神は通常では、「神々しい、曲がったことを正しく直すことの霊力」「ナホ」は禍(まが)を直す意。ヤソマガツヒ神等を祓(はら)い清めるために生んだ神の一つ。穢れを払い、禍(まが)を直す神とされる。また、直毘神は凶事を吉事に直す神ということである。直毘神は穢れを祓う神事を行う際の祭主である。」
通常の解ではどうしても「禍」に対するものになってしまう。本文にそう書いてあるからだろうが、あまりにも直接的過ぎる。
前に次のように書きました。「禍」まがを、ま・が・として、まがきの略として、籬(まがき)、垣根として、垣は自他との境を創る物で、両者を分離するものです。また自分を囲い守り、相手を囲い攻める物でもあり、前方に危険があればそれを知らせ進入を阻止する物でもあります。災いも同様に解することが出来ます。従って片方からだけ眺めれば悪神となりあるいは善神ともなります。それらを抽象していけば利用法とか効用、心の持ち方、原則のとり方によると言えるでしょう。
そこで、マイナスイメージだけからの解を止めて、
神直毘(かむなほひ)の神を・噛み直し、向え直し・とし、言霊オの経験知識、概念理性世界を噛み直し、向え直し、主体を立て直す神とします。
こうすると自らの精神意識を創造する方向がでてきます。
まがついを仕掛けるのは常に伊耶那岐本人側です。必然的に自他の籬(まがき)を造ってしまう性癖を否定することなく受け入れて対処する意識行為を示しているのが神直毘(かむなほひ)の神となります。ただオ次元のことですので今度はそれを解かねばなりません。
さて、 上記でいう衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)の鏡とはアイウエオ五十音図の一種で以下のようになっています。
あたかさはやまらなわ・八十禍津日の神
おとこそほよもろのを・神直毘の神
うつくすふゆむるぬう・大直毘の神
えてけせへえめれね江・伊豆能売
いちきしひいみりに井・大禍津日の神
↑
下から上に向かって次元
→
父韻の時間軸
ここではオ段、おとこそほよもろのを、を何とかするらしいのですが、全然分かりません。
衝立つ船戸の神の音図に照らし合わせて、人間の経験知という性能が禊祓の実行に役立つ事が確認されましたとありますが、「照らし合わす」とは何でしょう。
われわれは明確な衝立つ船戸の神の音図は持ち合わせていませんが、判断の基準となる経験知と記憶があります。諸悪と緒善、満足と不平の根源となっているもので、知性とか科学とか学問とかが出て来るところです。それが取り敢えず「照らし合わす」われわれにとっての鏡です。
伊耶那岐にとっては全て「その禍を直さむ」とする対象です。(科学の科はとがと読みます)。神直毘(かむなほひ)の神はそれ自身が同時に科を消す方法でも有るわけですが、それが見つかりません。オ段をよく見ろと言うだけで内容は指摘されていません。
そこでどうして先に進めないのか、自分の考えは違っているのではないかと、先に書いた時置師を利用してみます。
下0、まず下0の出発時点は古事記を言霊学の教科書とする立場で間違っていない。ここでは情報源の取捨と自覚が問題でしょう。
1、キ、コ、取り入れかたが個人的な好み、
ここでは恣意的なものを選択しているに過ぎないことを自覚することでしょう。
2、チ、ト、ここでは全過去も借り物であることを自覚するかしないかが問題でしょう。
3、ミ、モ、ここでは虚構の上に虚構を築いていくのを自覚するかしないかの問題となるでしょう。
4、ヒ、ホ、ここでは抽象概念の一覧表を拡げているという自覚が必要でしょう。
5、シ、ソ、ここでは個性的な主張が一般性に取って代わられていることを自覚することが必要でしょう。
6、ニ、ノ、ここでは虚偽の所有欲望に支配されていることを自覚しなくてはならないでしょう。
7、イ、ヨ、ここでは獲得物は単なる自己循環で得た物であることを知ることが必要でしょう。
8、リ、ロ、ここはでは、最も良くて自己確認できるだけで、他証、他との関係、全体へ向かうこと、そして何よりも自己完結することなく結論は時の経過、他物他人に委ねられていることを自覚するべきでしょう。
上0、それでも人は結局、結論を、自分の主張を提出していきます。
自分でもよく分かりませんが、例えば8、でつかえているとしましょう。
言霊ロは天の狭霧(さぎり)の神で、言霊リは妹大斗乃弁(おほとのべ)の神です。
ロ、霧に覆われて切り開けない、リ、自己主張を拡げられない、状態です。
ここでもし、問題が見つかることでよしとするのなら、次に進むことになるでしょう。
次はウ次元大直毘の神とエ次元伊豆能売で、神直毘と同様の手順を踏む神のようですので、この三者をまとめるものに行く方がよいかとも思えます。そうすると綿津見と筒の神達に辿り着くことになりそこで応援を求めることにしましょう。