隠岐(おき)の三子(みつご)の島。
自分の意識を抽出し、表明しようと先天十七神の力を借り、天の浮橋に立ち、沼矛を用いて、四穂をかき回して心の領域である淤能碁呂島を創りました。その島に天降りして、今度は自分で自分の天の御柱と、八尋殿(やひろどの)を見立てました。
水蛭子、淡島、失敗についで、淡路の穂の狭別の島、伊予の二名(ふたな)の島、隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生み出していきました。
天津神十七神の先天構造のによって己の心の領域の全体像となる基盤としてオノゴロ島、
その上に意識の始めが芽生え自他の半別が始まる第一層としての淡路の穂の狭別の島、
主客の対自対他意識にはそれぞれ二方向への判別意識が隠されている第二層としての伊予の二名の島、
そして第三層目としてオノゴロ島の上に積もり重なった隠岐の三子の島、となります。
三子とは意識の発現の三段階目の意です。
隠岐は気(岐)を隠しているで、面四つがあることを指します。
またの名の天の忍許呂別(おしころわけ)とあるところから、隠れている面四つとは先天性の何かしらの働きを指します。
面四つは、
『 愛比売とは、言霊エを秘めているの意で、言霊エは言霊オから選ばれる事から、愛比売とは言霊オであります。
飯依比古の飯(いひ)は言霊イの霊(ひ)で言霊のこと、比古とは男性で主体を意味します。言霊を選ぶ主体は言霊エ、即ち讃岐の国は言霊エです。
大宜都比売(おほげつひめ)とは「大いによろしい都を秘めている」の謎で、都とは宮子(みやこ)で言霊の組織体の意でありますので、粟の国とは言霊ヲの事を指します。
建依別(たけよりわけ)とは建(たけ)は田気(たけ)で言霊のこと、依(より)は選(より)で選ぶの意で、土左の国は言霊ヱを指します。』(「言霊百神」からの引用)
意識は全体的な朦朧とした中から主客の判別を始め、それぞれ自分と他者を打ち立てました。次にすることは両者の内容を表明すること、自他を明瞭にすることです。それには今までに蓄積された経験知識による判別が必要です。それには記憶の端緒を呼び出さなければなりません。それが言霊エを秘めている愛比売です。
経験知識記憶を秘めた全分野を都と比喩しています。記憶があっても無数無限の記憶の中から今ここに必要な自他に関する記憶だけをより分けえり分け引き出さなければなりません。そのおおいなる記憶の出てくる条件を保持している愛比売の働く相手が大宜都比売(おほげつひめ)です。記憶を整理し引き出す側とされる側です。
今ここの問題に対応する記憶は整理され自他を指しているものとして表明されなければなりません。自他に対して表明することはどの時間のどの空間のどの次元の記憶を用いるのかそれが正しく選択されなければなりません。関係があるという思いだけで話していても実際には次元の違うことを双方が話していることはよくあります。
それが飯依比古で選択の正しさと思うものを持続されていく役割です。
そこで建依別(た田け気より依わけ分け)は、飯依比古の主体的な選択する動きを受けて、自他に対する表明が決まった方向へ収束しているか、どの選択肢を選べばさらに発展させて往けるかを調整する役目を受け持っています。
それらの働きを指してまたの名を天の忍許呂別(おしころわけ)とし、人間の大いなる天性の領分には経験知を実践智にしていく性能があると、この段階で時処次元をとり間違えればとんでもないことが起きるとしています。
このように他者を意識した主体は自分を(徐々に)明らかにしていきます。
言霊オヲ・エヱの宇宙に於ける区分の事です。隠岐(おき)は隠気で隠り神の意。三つ子とは天津磐境の三段目に位する言霊を意味します。またの名の天の忍許呂別(おしころわけ)とは先天の(天)大いなる(忍)心(許呂)の区分の意。言霊オ(経験知)と言霊エ(実践智)は人間の生の営み、人類文明創造に於ては最も重要な心の性能であります。
「次に隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。」隠岐(おき)は隠れた所で先天構造、三子(みつご)は第三段目の島の意。即ち言霊オ、エ、ヲ、ヱ四言霊を指示しています。「またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)」とは「天の」は先天のこと、忍許呂別(おしころわけ)とは大いなる(忍)心の(許呂)の区分(別)の意であります。経験知と実践智は先天の働きの中でも傑出した働きであります。
次に筑紫(つくし)の島を生みたまひき。