国(くに)の常立(とこたち)の神
「次に成りませる神の名は、国(くに)の常立(とこたち)の神。次に豊雲野(とよくもの)の神。この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。」
国の常立の神、言霊エであります。
国家・社会が恒常に(常)成立する根源宇宙(神)という事です。天の常立の神が「大自然を恒常に成立させる根源宇宙」であるならば、国の常立の神は国家・社会を恒常に成立させる宇宙ということが出来ましょう。次の豊雲野の神は言霊ヱであります。言霊エは選ぶ、で道徳・政治行動の主体を意味します。
それに対して言霊ヱの豊雲野の神は道徳や政治活動で打ち立てられた法律とか、道徳律に当たるものであります。豊雲野の神という言霊ヱを指示する指月の指の意味は何なのでしょうか。それは後程明らかにされますが、ここでは簡単に触れておきましょう。
豊雲野の豊(とよ)は十四(とよ)の意です。人の心の先天構造を表わす基本数は十四で表します。雲は組の呪示です。野とは分野・領域のこと。豊雲野の全部で先天構造の基本数、十四個の言霊を組むことによって打立てられた道徳律の領域である宇宙、ということになります。道徳律とは道徳の基本原理に則って、「こうしてはいけない、こうせよ」という教えのこと。
言霊エのエの音に漢字を当てはめると、選(え)らぶ、が最も適当でしょう。
言霊ヱのヱには絵(え)、慧(え)が最適でありましょうか。
何もない広い宇宙の一点に意識の芽とも言うべきものが芽を出します。言霊ウであり、また今・此処であります。次の瞬間、これは何かの心が加わると、言霊ウの宇宙は言霊アとワの主体と客体の宇宙に剖判します。私と貴方の立場に分かれます。更に意識が進展しますと、言霊アの宇宙は言霊オとエに、言霊ワの宇宙は言霊ヲとヱの宇宙へと剖判します。主体(ア)と客体(ワ)に分かれて、更に「これは何か」の心が加わると、アの主体からは今眼前にあるものと同じ経験をした事があるか、の言霊オ、さらには眼前のものをどう処理したらよいか、の将来への選択の言霊エに剖判します。次に客体の言霊ワから、経験知の蓄積である言霊ヲの宇宙と、それをどうまとめて将来に資するか、の参考となる道徳の教えの領域の宇宙言霊ヱとが剖判して来ます。上図に示します。
図に示されますように、これまでで四つ角母音宇宙が出現しました。そこでこの四個の宇宙からそれぞれ如何なる人間の性能が発現されて来るか、を確めておきましょう。
言霊ウの宇宙(先に発現時では何か分からないが、人間の意識の芽ともいわれるもの、と説明されましたが)、宇宙剖判が進展して行きますと、人間の五官感覚に基づく欲望性能が発現して来ます。そしてこの欲望性能は社会的には産業・経済活動となって行きます。
言霊アの宇宙からは、人間の感情性能が発現します。この性能は社会的に芸術・宗教活動に発展します。
言霊オの宇宙からは人間の経験知が発現します。経験知とは体験したものを、後で振り返り、記憶を思い起こして、想起した複数の経験の間の関係を調べる性能です。この性能が発展して社会的に所謂科学研究となります。
言霊エの宇宙から発現して来る現象は個人的には物事を円満に処理する実践智であり、これが発展して社会的になったものが一般に政治活動であり、道徳活動であります。ここで言霊オの経験知と言霊エの実践智とは全く違ったものである事にご注目下さい。
ここで、先に読者の皆様に研究課題として残しておきましたウ→アとワの宇宙剖判について説明申し上げることにしましょう。何もない宇宙の中に何か知れないけれど、意識の芽とでも言ったものが発現します。宇宙剖判が更に進みますと、言い換えますと、その芽に何かの意識が動きますと、その芽である言霊ウから瞬時に言霊ア・ワ、すなわち主体と客体となる宇宙が剖判し、現われます。主客の二つに分かれなければ、そのものが何であるか、は永遠に分かることはありません。そこで分かろうとすると、宇宙は更に剖判して、言霊オ・ヲが発現します。言霊オ・ヲは記憶であります。眼前にあるものが何であるか、は想起した記憶と照合されて、これは何々だと断定されます。
この時、人間の思惟は二つの方向に分かれます。この物事が何々だ、と断定された時、その断定された事物と主体である自分との対立という事態から思考が開始されますと、言霊オの領域に属する思考となります。この思考形体を図示しますと、 の哲学でいう弁証的思考です。物事をすべて自分の外に見て考える思考です。これに対し、もう一つは、ウ→アとワさらにエとオ・ヱとヲと宇宙剖判を承知した上で、その進展の先に物事を解決しようとする思考です。この思考は言霊エの領域の思考です。その形式を図示しますと、 となります。言霊オの思考の数霊(かずたま)は三または六であり、言霊エの思考の数霊は四または八であると申せましょう。この事は講座が進むに従って更に詳しく解説申上げます。
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精神元素「エ」の言霊と古事記。その1。
精神元素「エ」の言霊と古事記。その1。
古事記神代の巻冒頭百神によって与えられた「エ」の神名
・ 国の常立(とこたち)の神。言霊エ、
・神名の解。
国家(国)が恒常に(常)成立する(立)根本の実体(神)
・神名全体の意味。
国の常立の神・言霊エが人間の物事を創造して行く実践的・主体的行為の働き
・言霊「エ」の意味。
この宇宙からは人間の実践智が発現して来ます。言霊オから発現する経験知が過ぎ去った現象を想起して、それ等現象間の関連する法則を探究する経験知識であるのに対し、言霊エから発現する実践智とは一つの出来事に遭遇した時、その出来事に対して今までに剖判して来た言霊ウ(五官感覚意識に基づく欲望)・言霊オ(経験知識)・言霊ア(感情)の各人間性能をどの様に選(えら)んで採用し、物事の処理に当るか、の実践的智恵の事を謂います。経験知と実践智とはその次元を異にする全く別なる人間性能であります。
現象としてはそれ自信は姿を露さない心の宇宙。『独神(ひりとがみ)に成りまして、身を隠したまひき。』
『日本書紀』では最初に現れた神とされる
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ウィキでは国の常立の神を「国の床(とこ、土台、大地)の出現を表す」とする説を紹介している。
国の常立の神と豊雲野の神が一対になっているので、ここではさらに国(くに)と雲(くも)とをこじつけてみよう。(古事記を「古き事を記す」というよみ方もあるが、飲み屋食事処でツケで飲食すると女将さんは帳面を出してきて代金を記入しますが、その帳面の表紙には記と大書きされていて、ツケと読んでいます。こ(古)じ(事)つけ(記)という読みもある。)
国(くに)、く(組んで)に(似せる)、国の常立、
雲野(くもの)、く(組まれた)の(野、領域)、豊雲野
こうすると、組み組んでいく主体と、組まれ出来てきた客体との関係が浮かび上がる。
国の組むは、(言葉を実体に)組み似せるのに、十の戸(と)を通過して子音(こ)を産んでいくことで、五十音図のあ行からわ行へ十個通過することで子音が発生すること。
雲の組むは、十(と)四(よ)(母音5+父韻8+半母音1=14)を持って組まれた野(雲野)、領域を持つことであいうえお五十音のどれかが雲が湧くごとく出て来ること。
常立の立は、主体的に立ち上がることで、まづもって五段ある十の戸のどれかを選択して通過していく動き。主体能動を示す。(注、五十音図表は一万年近い歴史を持っていて、複数の活用表があります)
雲野の野は、前回の「宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に天の常立(とこたち)の神」の「遅ぢ(地)」と、対応していて、野と地の両者とも受動側客体側で同じ意味を示している。
---以下引用です。----------
言霊オの経験知と言霊エの実践智とは現在同じように思われています。けれど全く次元を異にする違ったものなのです。経験知は既に過ぎ去った現象、または現象と現象同志を想起して来て、そこに起る現象の法則、または現象間の関連法則を調べることによって得られる知識です。
言霊エの実践智とは今起っている現象に対し、如何に対処し、新しい事態に創造して行くか、の智恵のことです。両者には大きな相違があります。
人は何か対処し、処理すべき事態に遭遇した時、先ずその事態が如何なる原因によって起ったのか、を調べます。この調査は経験知によって行われます。今まで過去に起った同じ現象と比べて、今回の事態が過去と同じか、違いがあるとすれば、それは何か、を調べます。以前起った現象と様相が全く同じであるなら、その以前に経験した対処法をそのまま採用すればよい事となります。この場合、経験知がそのまま実践智となり得ます。問題は起りません。
けれど今度の事態が過去に似た事例を見ない出来事だったり、似た事例があったとしても、その他未知の要素が含まれているような出来事であったりした場合、経験した知識だけでは判断出来なくなります。この時、実践智という人間の性能が浮かび上がります。言霊エの実践智とは、言霊ウの欲望、言霊オの経験知、言霊アの感情の各人間性能をどの様に按梅して物事に対処したらよいか、を決定する智恵なのであります。この智恵も経験知と同様人間に生れた時から授かっている生来の性能なのです。
何もない広い宇宙の一点に意識の芽とも言うべきものが芽を出します。言霊ウであり、また今・此処であります。次の瞬間、これは何かの心が加わると、言霊ウの宇宙は言霊アとワの主体と客体の宇宙に剖判します。私と貴方の立場に分かれます。更に意識が進展しますと、言霊アの宇宙は言霊オとエに、言霊ワの宇宙は言霊ヲとヱの宇宙へと剖判します。主体(ア)と客体(ワ)に分かれて、更に「これは何か」の心が加わると、アの主体からは今眼前にあるものと同じ経験をした事があるか、の言霊オ、さらには眼前のものをどう処理したらよいか、の将来への選択の言霊エに剖判します。次に客体の言霊ワから、経験知の蓄積である言霊ヲの宇宙と、それをどうまとめて将来に資するか、の参考となる道徳の教えの領域の宇宙言霊ヱとが剖判して来ます。
言霊エの宇宙から発現して来る現象は個人的には物事を円満に処理する実践智であり、これが発展して社会的になったものが一般に政治活動であり、道徳活動であります。ここで言霊オの経験知と言霊エの実践智とは全く違ったものである事にご注目下さい。
何もない宇宙の中に何か知れないけれど、意識の芽とでも言ったものが発現します。宇宙剖判が更に進みますと、言い換えますと、その芽に何かの意識が動きますと、その芽である言霊ウから瞬時に言霊ア・ワ、すなわち主体と客体となる宇宙が剖判し、現われます。主客の二つに分かれなければ、そのものが何であるか、は永遠に分かることはありません。そこで分かろうとすると、宇宙は更に剖判して、言霊オ・ヲが発現します。言霊オ・ヲは記憶であります。眼前にあるものが何であるか、は想起した記憶と照合されて、これは何々だと断定されます。
この時、人間の思惟は二つの方向に分かれます。この物事が何々だ、と断定された時、その断定された事物と主体である自分との対立という事態から思考が開始されますと、言霊オの領域に属する思考となります。この思考形体を図示しますと、 の哲学でいう弁証的思考です。物事をすべて自分の外に見て考える思考です。これに対し、もう一つは、ウ→アとワさらにエとオ・ヱとヲと宇宙剖判を承知した上で、その進展の先に物事を解決しようとする思考です。この思考は言霊エの領域の思考です。その形式を図示しますと、 となります。言霊オの思考の数霊(かずたま)は三または六であり、言霊エの思考の数霊は四または八であると申せましょう。
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伊勢神宮に心の御柱と言うのがあって、柱と言っても屋根も梁も支えているわけでなく、短いのに地中に五分の二が埋め込まれています。五分の三が地上部で、この五というのがあいうえおで代表される心の構造五段、五次元構造を指しています。しかし伊勢神宮、皇室ともアイウエオではなく、アオウエイですがこれは人の天性の精神構造のことです。
つまり伊勢神宮には人の精神が建てられていて、その真上には船に乗った鏡が置かれています。人の言葉を写して運ぶもので、それはアオウエイの精神構造の上に載っていますが、エ段とイ段はまだこの世には現れず地中にあるということです。
(homepage2.nifty.com/studio-hearty/kototama_ver.1/lecture/.../no225.htm)(homepage2.nifty.com/studio-hearty/kototama/futomani/09_1110.html)
エ段が地下にあるといっても、智恵の実践知性による道徳政治が古代のようにはまだ行われていないということで、人に言霊エ段が備わっていないことではありません。
言霊エ段を語るには少なくとも悟りと云われる次元を通過していることが最低条件となっています。わたしたちは現代の破滅に向かっているような社会を作ってきただけですので、誰一人この条件をクリアした人はいません。
わたしなども単に知的に知ろうとしているだけですので、話しにならないのです。実際古代の朝廷にはそれを実践してきた歴史があったから、現代にまでその名だけを引き継ぐ者がいるわけですが、しかしそれも、敗戦によって古事記日本書紀との関係を否定してしまっていますから、古事記の精神構造からするスメラミコトは存在せず謂わば空位の時代となっています。
幸いあるブログ(愛子様=天照皇大神、皇太子=邇々芸の命、368からすの数示)で次のようなアナウンスをみました。といっもわたしはチンプンカンプン。
「7の平方根は2.6457513(8数字)踏むよイナゴ秋
早くて2012年。このままでは2016年。2008/8/8より西暦になりそう.皇太子はキリストのため,マヤ歴での終焉,2012/12/23を 20-121-223と読むと20太祝詞,121愛子様,223皇太子となり,この日より8の時代か.2005+7で20012.
1-あがけすてひびぴへべぺまら
2-えげじずぢつでにのふぶぷほぼぽめもゑ
3-きさせぞみ
4-しづより
5-いうごぬゐん
6-ぎざぜたむゆろ
7-ぐちな
8-だどはばぱやわ
9-くこね
10-おかそとれを
太祝詞は、2十24十で、かえりごとは、2012/4/10になされます。」
精神元素「エ」の言霊と古事記。その2。
言霊イ、ア、エ段の体験が無いのにそれを語ろうというのだから、喋ることは無茶苦茶になる。富士山の頂上に登ったことがないのにご来光の有難さを語るようなものだ。
現在言霊エについてだが、わたしの未経験の次元エは推測で語るしかない。経験次元ではそういったも平気で出来てしまい、推理、推測、科学的予想、知ったかぶり、嘘などがごく普通に口に出る。
単に聞いただけ、読んだだけ、見ただけのものが、固定した経験となってその人に取りつく。個人、自我、主体的などという言葉に踊らされて、自己を自己責任とかで紹介開陳主張するのがはやっている。怨霊は日常生活で自分が作り出しているのに気づかない。
こんなことを書いている私自身、さも何かを掴んでいて、さも何かを隠し持っていて、さも自分のものがあるように喋っている。書いていると期待が出て来る。さもしいことだ。
聞きかじっただけのものでも自分の意見としてしまう。科学的に検証出来ていると云われるところっと参ってしまい、その後は自分の主張となる。自分の意見と云われるものが自分に占める割合は非常に高い。ソクラテスの教えは何だったのか。宗教家は天を仰げ光を見よ、神を奉れ拝めといっただけだった。
戦争と殺戮は今でも見過ごされ、理想の社会を語れば幼稚だ馬鹿だとされる。仕方がないから自分の処の事だけで精一杯だという姿勢だけは見せて、その実、皮算用と虎視眈々の塊となっている。
今日は調子がおかしい。
『人は何かを見た一瞬はそれが何であるか、が分らない。分るためには分(わ)けなければならない。即ち見る主体と見られる客体に分けなければならない。この原則は人の意識の持つ特性であり、人の宿命でもある。
この時、最初の意識の芽である言霊ウから言霊アとワとに剖判する事を見落とし、言霊アとワ、すなわち見る主体と見られる客体という分離した時点から思考を展開すると言霊オ(天之常立の神)が成立する。』
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6。国の常立(とこたち)の神。次に
7。豊雲野(とよくも)の神。
国の常立の神は言霊エ、豊雲野の神は言霊ヱであります。国の常立の神とは国家(国)が恒常に(常)成立する(立)根本の実体(神)といった意味です。この宇宙からは人間の実践智が発現して来ます。言霊オから発現する経験知が過ぎ去った現象を想起して、それ等現象間の関連する法則を探究する経験知識であるのに対し、言霊エから発現する実践智とは一つの出来事に遭遇した時、その出来事に対して今までに剖判して来た言霊ウ(五官感覚意識に基づく欲望)・言霊オ(経験知識)・言霊ア(感情)の各人間性能をどの様に選(えら)んで採用し、物事の処理に当るか、の実践的智恵の事を謂います。経験知と実践智とはその次元を異にする全く別なる人間性能であります。
言霊ヱの指月の指に採用された豊雲野(とよくも)の神なる神名は豊(十四〈とよ〉)を雲(組〈く〉む)野(領域・分野)の神(実体)といった意味であります。十四を組む分野の実体と言いましても意味は分かりません。説明を要します。
今までの心の先天構造を構成する言霊として現出したものは言霊ウアワオヲエヱであります。これ等の言霊の中で主体側に属するものは(ウ)アオエであり、客体側に属するものは(ウ)ワヲヱとなります。言霊ウは一者であり、主体でも客体でもないもの、或いは主体ともなり、客体ともなるものです。この様に分別しますと、まだ出て来てはいませんが、言霊イとヰも同様に区別されます。すると主体側として母音ウアオエイ、客体側として半母音ウワヲヱヰの各五個が挙げられます。主体であるアと客体であるワが感応同交して現象子音を生むということは既に説明しました。更にまだ現れてはいませんが、この次の説明として出て来ます主と客を結ぶ人間の心のリズムである八つの父韻というものがあるのですが、豊雲野の神の「雲」が示す「組む」という働きが実際には主体である母音と客体である半母音を結び組むことを意味しているという事、また母音五、半母音五の中で、半母音五を言霊ワの一音で代表させますと母音と半母音は六、それを結び組む八つの父韻八、六と八で合計十四となります。まだ説明していない言霊の要素を先取りしてお話申上げておりますので、読者にはよくお分りにならないかも知れません。これについては言霊エ・ヱの次に出て来ます言霊父韻と言霊イ・ヰの項で詳しく説明させて頂きますが、「豊」の字の示す十四とは、右に示しました母音五、半母音一、それに八父韻合計十四数のことなのであります。これを先天構造の言霊数十七の中の基本数を表わす数としています。人間の実践智の性能とは結局はこの十四の言霊をどの様に組むか、の性能の事なのであります。これは言霊学の基本となる法則であり、豊の字は日本国の古代名である豊葦原水穂国にも使われております。
国の常立の神・言霊エが人間の物事を創造して行く実践的・主体的行為の働きであるのに対し、豊雲野の神・言霊ヱは実践的智恵によって創造された各種の道徳並びにその規範に当ると言うことが出来ます。
言霊エ・ヱの道徳実践の性能は他の人間性能に依存せず、独立しており、また先天活動として実際に現象として現れることがありません。「独神に成りまして、身を隠したまひき」となる訳であります。
言霊オの経験知と言霊エの実践智とは現在同じように思われています。けれど全く次元を異にする違ったものなのです。経験知は既に過ぎ去った現象、または現象と現象同志を想起して来て、そこに起る現象の法則、または現象間の関連法則を調べることによって得られる知識です。実践智とは今起っている現象に対し、如何に対処し、新しい事態に創造して行くか、の智恵のことです。両者には大きな相違があります。
人は何か対処し、処理すべき事態に遭遇した時、先ずその事態が如何なる原因によって起ったのか、を調べます。この調査は経験知によって行われます。今まで過去に起った同じ現象と比べて、今回の事態が過去と同じか、違いがあるとすれば、それは何か、を調べます。以前起った現象と様相が全く同じであるなら、その以前に経験した対処法をそのまま採用すればよい事となります。この場合、経験知がそのまま実践智となり得ます。問題は起りません。
けれど今度の事態が過去に似た事例を見ない出来事だったり、似た事例があったとしても、その他未知の要素が含まれているような出来事であったりした場合、経験した知識だけでは判断出来なくなります。この時、実践智という人間の性能が浮かび上がります。言霊エの実践智とは、言霊ウの欲望、言霊オの経験知、言霊アの感情の各人間性能をどの様に按梅して物事に対処したらよいか、を決定する智恵なのであります。この智恵も経験知と同様人間に生れた時から授かっている生来の性能なのです。
経験知と実践智、言霊オと言霊エの相違は、その精神構造を図形で示しますと、更に明らかとなります。経験知による勉学の精神構造は三角形△で表わされます。その形而上は△で、形而下は▽で示され、その総合は(図①)の形となります。これを篭目と呼び、イスラエルの国旗に使われます。主として欧米諸国(西洋)の精神構造がこれであります。
これに対し実践智の精神の構造は方形□で表わされます。形而上は(図②)の形で、形而下は(図③)の形で示され、総合は(図④)の形となります。この精神構造は主として東洋精神の伝統となっています。この形を東洋哲学で框(かまち)と呼んでおります。
国の常立の神、言霊エであります。国家・社会が恒常に(常)成立する根源宇宙(神)という事です。天の常立の神が「大自然を恒常に成立させる根源宇宙」であるならば、国の常立の神は国家・社会を恒常に成立させる宇宙ということが出来ましょう。次の豊雲野の神は言霊ヱであります。言霊エは選ぶ、で道徳・政治行動の主体を意味します。それに対して言霊ヱの豊雲野の神は道徳や政治活動で打ち立てられた法律とか、道徳律に当たるものであります。豊雲野の神という言霊ヱを指示する指月の指の意味は何なのでしょうか。それは後程明らかにされますが、ここでは簡単に触れておきましょう。豊雲野の豊(とよ)は十四(とよ)の意です。人の心の先天構造を表わす基本数は十四で表します。雲は組の呪示です。野とは分野・領域のこと。豊雲野の全部で先天構造の基本数、十四個の言霊を組むことによって打立てられた道徳律の領域である宇宙、ということになります。道徳律とは道徳の基本原理に則って、「こうしてはいけない、こうせよ」という教えのこと。
言霊エのエの音に漢字を当てはめると、選(え)らぶ、が最も適当でしょう。言霊ヱのヱには絵(え)、慧(え)が最適でありましょうか。
何もない広い宇宙の一点に意識の芽とも言うべきものが芽を出します。言霊ウであり、また今・此処であります。次の瞬間、これは何かの心が加わると、言霊ウの宇宙は言霊アとワの主体と客体の宇宙に剖判します。私と貴方の立場に分かれます。更に意識が進展しますと、言霊アの宇宙は言霊オとエに、言霊ワの宇宙は言霊ヲとヱの宇宙へと剖判します。主体(ア)と客体(ワ)に分かれて、更に「これは何か」の心が加わると、アの主体からは今眼前にあるものと同じ経験をした事があるか、の言霊オ、さらには眼前のものをどう処理したらよいか、の将来への選択の言霊エに剖判します。次に客体の言霊ワから、経験知の蓄積である言霊ヲの宇宙と、それをどうまとめて将来に資するか、の参考となる道徳の教えの領域の宇宙言霊ヱとが剖判して来ます。上図に示します。
図に示されますように、これまでで四つ角母音宇宙が出現しました。そこでこの四個の宇宙からそれぞれ如何なる人間の性能が発現されて来るか、を確めておきましょう。
言霊ウの宇宙(先に発現時では何か分からないが、人間の意識の芽ともいわれるもの、と説明されましたが)、宇宙剖判が進展して行きますと、人間の五官感覚に基づく欲望性能が発現して来ます。そしてこの欲望性能は社会的には産業・経済活動となって行きます。
言霊アの宇宙からは、人間の感情性能が発現します。この性能は社会的に芸術・宗教活動に発展します。
言霊オの宇宙からは人間の経験知が発現します。経験知とは体験したものを、後で振り返り、記憶を思い起こして、想起した複数の経験の間の関係を調べる性能です。この性能が発展して社会的に所謂科学研究となります。
言霊エの宇宙から発現して来る現象は個人的には物事を円満に処理する実践智であり、これが発展して社会的になったものが一般に政治活動であり、道徳活動であります。ここで言霊オの経験知と言霊エの実践智とは全く違ったものである事にご注目下さい。
ここで、先に読者の皆様に研究課題として残しておきましたウ→アとワの宇宙剖判について説明申し上げることにしましょう。何もない宇宙の中に何か知れないけれど、意識の芽とでも言ったものが発現します。宇宙剖判が更に進みますと、言い換えますと、その芽に何かの意識が動きますと、その芽である言霊ウから瞬時に言霊ア・ワ、すなわち主体と客体となる宇宙が剖判し、現われます。主客の二つに分かれなければ、そのものが何であるか、は永遠に分かることはありません。そこで分かろうとすると、宇宙は更に剖判して、言霊オ・ヲが発現します。言霊オ・ヲは記憶であります。眼前にあるものが何であるか、は想起した記憶と照合されて、これは何々だと断定されます。
この時、人間の思惟は二つの方向に分かれます。この物事が何々だ、と断定された時、その断定された事物と主体である自分との対立という事態から思考が開始されますと、言霊オの領域に属する思考となります。この思考形体を図示しますと、 の哲学でいう弁証的思考です。物事をすべて自分の外に見て考える思考です。これに対し、もう一つは、ウ→アとワさらにエとオ・ヱとヲと宇宙剖判を承知した上で、その進展の先に物事を解決しようとする思考です。この思考は言霊エの領域の思考です。その形式を図示しますと、 となります。言霊オの思考の数霊(かずたま)は三または六であり、言霊エの思考の数霊は四または八であると申せましょう。
その他言霊に関する言葉がたくさん出て来る。降った神様は国の常立神です。言霊エの神様で日本書紀で謂えば始まりの神様。古事記は言霊の学問の教科書ですから。言霊ウから始まっている。日本書紀は言霊を自覚した後でどういう順序で実践していったらいいかを教えています。
言霊エと申しますのは、一般の人が「どうしたらいいのか」というエではなくて、言霊の父韻の並びタカマハラナヤサを説くことを言います。運用の方ですな。言霊を自覚して何にもしなくなった状態を「ス」っていうんです。天津日嗣スメラミコトの「ス」です。一度その「ス」が立ち上がれば、気が動く。八つの父韻が動く。それを国の常立神というんです。
言霊エは言霊ウ(欲望)・言霊オ(経験知)・ア(感情)の三つの母音性能をコントロールして社会文化を創造して行く道徳・政治の活動の能力である。
他の三つの性能をコントロールして文化を創造する、という以上、その三性能についての全ての構造や機能等人間の心の全部について理解し尽くした立場に立つ事が出来て初めてそのことが可能となるであろう
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