言霊の発見と変遷。
今をさかのぼること少なくとも五千年以前、おそらくアジアのどこかの高原地帯において賢人のグループが集まり、人間の心とはいったい何であるかの研究が続けられていました。そして長い研究の結果、人間の心の全構造とそれを構成している最小単元を解明することに成功したのです。それは言葉という人間精神の究極の構造原理でり同時に言葉の原理でもありました。
人間が人間という種を保持している限り決して変わることのない永久不滅の原理法則です。
時かきてこれらの賢人(これを聖=霊知・ひし・りという)の中から選ばれた一団が住み心地のよい気候温暖な低地に下りてきて、この精神と言葉の原理に基づいて人間の文明社会を造り出そうと活動が始まりました。そのグループが最終的に定住地とした場所ははっきりということができます。この日本列島です。
この列島に居を定めた聖の一団はまずその持っている言霊の原理に則って事物の名前を付けました。と同時に原理の図形化を基礎として各種の文字を作りました。いわむる神代文字です。次にその命名した名前のごとく事物を操作伝達する社会の建設に取りかかりました。政治の始まりです。人間精神の真理そのものである言葉がそのまま通用し誤らない社会、人間の理想社会が建設され永く続きました。この真理の言葉、言霊の原理とその運用法は次第に世界中に伝えられていきました。この人間社会の理想精神文明の創造の時代を各民族の神話は”神代”として今に伝えています。中国における尭(ぎょう)・舜(しゅん)帝の鼓腹撃壌の善政、儒教で伝える白法・結縄の政治の時代、(追加注、白は昔「申す」と読み、言葉の事、仏教には白法隠没・びゃくほうおんもつ・がある。)、ギリシャ神話の中のタイタン族の支配の時代等々の伝説は、単なる伝説ではなく、実際に精神の究極の原理である言霊の法則に基づいて政治が行なわれ、精神文化の栄えていた時代のあったことを伝えているのです。時代が下って言霊の原理が一時隠没する時か来た時、人はこの原理を神として祀りました。人が人であることの根本理法でありますから、言霊を神と祀ることは当然といえるかもしれません。それゆえ、言霊の原理による理想社会の続いていた時代を神話では神代と呼ぶのです。
易に可図・洛書と呼ぶ数の理があります(図表参照)(追加注。 わたしの写本しようとしている『 島田正路氏著書、「言霊」』の写本が既にありました。
紹介しておきます。図表もちゃんと載っています。
「 島田正路氏の言霊学 」
http://www5.ocn.ne.jp/~mistoshi/NewFiles/untitled_folder/001.html )。
これについて中国の古典に「河は黄河、洛は洛水、古昔伏義は黄河よりいでたる神馬の文に則り八卦を畫し、禹
は洛水を治めて神亀を獲、その背文に因りて洪範を作れりとの伝説あるをいう。しかれどもこの事実の真否は今これを詳にするにあたわず」とあります。
言霊の原理を理解しますと、可図といい洛書と呼ばれるものが明らかに言霊の法則の一部を数の理でもって表したものであることが分かります。そこで言霊の原理の隠没の時代のために、神馬とか神亀などと謎めいた言葉で神話を美化したのだということが了解されるのです。言霊の原理が世界中に通用していた期間、世界は精神文化の華咲く理想の時代であったのです。
この精神の根本である言霊の原理が、その時の為政者らの明らかなある意図によって、ある期間、隠滅される時がきました。今から三千年ほど前のことです。爾来世界は次第に弱肉強食、権力至上の時代にはいります。その意図とは何であったのでしょうか。精神と反対の、人間のもう一つの面である物質文明の急速な進歩を促すための方策であったのでしょう。精神的に満足している鼓腹撃壌の社会には物質科学の研究は急速には進歩しません。他よりも強く豊かで権力を持ちたいと思う競争が物質文明を促進します。この状態は三千年を経た今日まで続き、物質の研究は頂点に達した感があります。この期間人類の精神的荒廃に一定の歯止めとなるよう、韻没する言霊の原理に代えて、人間精神の拠り所として、言霊原理を比喩的に形どっ多種の宗教が創始されました。
日本の伊勢神宮を中心とする神道、中国の儒教、印度の仏教、イエスのキリスト教、その他マホメットの教え等々であります。
「大道頽れて仁義あり」とは中国の言葉です。これは左記の消息をよく伝えています。 仁義とは儒教が教える人間として守るべき最も尊い道徳です。人間精神の究極の原理である言霊の大道が隠没し、頽れたために、儒教の仁義が興ったのです。孔子は尭・舜の治世を渇仰した人でした。覇道権力の政治の期間が三千年続いた現代に至って、その仁義の道徳も見えなくなるほど人類社会の精神的荒廃はひどくなりました。人類の存続さえ危惧される時代です。この問題に処していくに現代の宗教や道徳は蟷?の斧ほどの力しかないでしょう。
この時三千年の暗黒を破って、まさに不死鳥のごとく言霊の原理が蘇ってきたのです。確固とした方策として三千年の権力闘争を基調とした物質文明を産み、各宗教を創成した「言霊」が、神というベールを脱いで私達の手の届く所に顕れてきました。西暦二千年を控えた一九八六年とはこういう時代なのです。
以上言霊の発見から現代までの変遷の歴史をごく大雑把に書いてみました。たぶん大部分の識者は荒唐無稽の空想事と笑い飛ばすことでしょう。無理もありません。この世の中のことに処して一本の筋を通すことほど難しいことはないと覚えるのが物知りの常識となった、この三千年の来の暗闇に浸りきってしまっている現代人なのですから。しかしこれから説明する「言霊」の原理を、一点の妥協も許さずご自分の心の中に分け入って探求していただくならば、その空想と笑ったことが直ちにいとも厳粛な”事実”となって一つひとつ心の底から焼きつくごとく認識されてくるでしょう。
さあ、これから言霊の紹介と説明に入ることにしましょう。