「子という事実」と「内容」
古事記は「子という事実を記した」ものです。
ある程度このブログを読んでいる方なら、多少は分かる部分があると思います。「子の事を記す」というのは「子という事実を記す」で、それが「古事記」と続けられればそういうところを承認してもらえます。
では、「古事記」は事実かと問うと、今まで承認していても、「古事記」は事実ではないといいます。
これは何を意味するのでしょうか。
わたし自身、自分の書くことを全部事実として受け入れてはいないのですから、読む方はその傾向が強いでしょう。
それは事実と内容の混同からおきています。古事記は「子という事実を記した」ものですが、古事記は事実ではないというとき、
・古事記の内容は事実ではない(事実である)。
・古事記の事実は内容ではない(内容である)。
ということが、自動的にスイッチ交換しているのです。
天の御中主の神は存在する。
神武天皇は存在した。
今上天皇は存在する。
どんな例でも同じで、ビッグバンは〇億万年前にあった、でもいいのです。
これらに対して、確認できるものと確認できないものを持ちだして、事実関係の結論をつけることがあります。どちらに結論を選ぶにしても、同じ構造の同じ間違いの内にいます。つまり、事実と内容の混乱から抜け出ていません。
歴史事実でない、客観事実でないといって何かを決定しているつもりの人が多い。その人たちは、日常普通にも、事実でなくとも内容があること、内容があっても事実とならないことがある、そういった経験を忘れてるか無視してます。
又は、事実なのに内容が無い、内容がないのに事実となっている、ことを見ないふりをしています。
内容と事実(「子」)は同じではないのです。わたしの書くことも他の人の書くことも、内容が無いというのは構いませんが、事実でないとは言えません。「子」となって事実はここにいるのです。
それに対しては内容が無いものは事実とならない、という反論が出てきますが、反論相手があるじゃないかという自己矛盾の中にいます。
事実と内容を同じ次元で捕える間違いです。ウィキペディアの典型的な間違った解説があります。「事実(じじつ)とは、発生した現象のこと全般を指す抽象的な概念、ないしそれに合致する現象を指す表現である。」知的理性的には事実とはそのように捕えられてます。
古事記では、つぎのようになります。
「次のようになります。」と今書きました。つまり自分はそのような頭を持っているということです。これを例とします。
「」内の文字列が、耳に入り(見られ読まれ)、同じ人間性能内の土俵上にいて復誦・検討され、内容が確定し、了解されますと、終りとして一つの出来事が完結します。事実として収(おさ)まります。何が了解されたかというと。
(50) 火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神 言霊ン。
「」内の文字列はそこにあるだけなら、書かれた文字の言葉は眠っているだけのものです。見られ読まれない限り文字の実相はあらわれません。
しかしそこには、火の(言霊内容の)、迦具(かく、書かれた内容)が、土(つち、付いて地になる、表現されて成る)、という一連の動きがあります。
他の人たちには「」内の文字列は事実あるが、現前していず、了解されていません。
ですので、(50) 火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神 言霊ン というのはなんらかの実相事実を持っているのが表現ですから、確認了解されない事実は、存在しないのではなく眠っているのです。
ところが、では事実とは何かになりますが、この連鎖はさらに、事実足らしめるのは内容であり、内容足らしめるのは名がつけられるものがあることであり、名が付けられるものあるということはそこに確認されるものがあることであり、確認されることがあるということはそれが当事者に到達しているということであり、到達していくものは物象化されているものであり、物象化されているものは物(物質)を動かすものがあるということであり、物を動かすということは動かす意思(霊)、体が悪ということであり、動かされる霊、体があるということはそれを形成したものがあることであり、形成するものがあるということはそれをイメージしたものがあることで、イメージしたものがあるということはイメージを動かしたものがあるということで、イメージを動かすものは自分の心であり、自分の心は心の領域が産むものであり、心の領域は心の働きかけでできるものであり、働きかけられたものは働きかけたものがあるからであり、働きかけるのは働きかける心の実在領域があるからであり、心の実在領域は心がそれを知るからであり、こころがそれを知るというのは心に心の対象があるからであり、心の対象があるのは心が対象に付くことであり、心が対象に付くとはアの芽が付いて地に成ることであり、となります。
古事記は上記のことが冒頭五十神で説明されています。ただしわたしの説明は下手なので、各人は自分で確認することが必要です。その際、五十神は一つ一つが独立してますので、五十の文章にしないと完成しません。
(49) 大宜都比売(おほ・げ・つ・ひめ)の神 言霊コ。
大宜都比売とは大いに宜(よろ)しき都(霊屋子)(みやこ、宮の子、言霊内容の子)である言葉を秘めている(比売)の意であります。
表現として出てくる実体を表すのが、大宜都比売(おほ・げ・つ・ひめ)の神 言霊コ、つまり、事実です。
事実は表現という上位概念に対してあります。
この同じ関係は五十神全体の関係と同じです。ですので、事実((49) 大宜都比売(おほ・げ・つ・ひめ)の神 言霊コ。)とは、 (48)以下全体を実体としています。要するに「内容を持っているものが事実」となります。
直接には(48)鳥の石楠船の神、またの名は天の鳥船、言霊ナ、のことになります。
(48) 鳥の石楠船の神、またの名は天の鳥船 言霊ナ。
事実と成るには内容がなければなりませんが、その内容となるものの実体を示すものです。
鳥の石楠船の鳥は十理(とり、十のことわり。)の意で、五十音図の横列、母音アと半母音ワとの間に八つの父韻が入って現象子音を生みます。つまり表現は言葉で表されますからその事実の内容の実体を、母音父韻子音で示したものです。
母音・八父韻・半母音合計十の道理で現象が起るのは、主体と客体との間を鳥がこちらからあちらへ、主体のアの意図が地へ、飛び交うのに譬えられます。それが五十音図内で行なわれそこから出ることをしません。
石楠船(いはくすふね)とは、五十葉(いは)である五十の言霊を組(く)んで澄(す)ます(楠)と五十音言霊図が出来上がること。
船とは人を乗せて渡す乗物。言葉は人の心を乗せて渡す乗物。
こうして、事実の内容は五十音図内の文字列を形成することで成り立ちます。
しかし、内容があるといってもその内容はその人のものであり、受信、受動側に理解されるものでなければなりません。そこで事実の内容の実体を提供できるものかどうかの判定が先行していなければならなくなります。それが以下二神です。
(47) 大戸惑女(おほとまどひめ)の神 言霊マ。
(46) 大戸惑子(おほとまどひこ)の神 言霊カ 。
提供できるものであるとの前提をクリアするものとして、古代大和の聖人たちはそれを「戸惑い」という範疇でまとめました。
どんな時も何をするにも、人間精神にはその実現の直前に必ず、逡巡、しり込み、ためらいが起こります。この必然性を古代人は大戸惑として取り込みました。
つまり内容というのは戸惑いを持っているものが内容となるのです。
これは、意図、頭の中のこころが、物象化してしか表明されないことからくるものです。精神と心の整合性を各人の心の中で探し、物心をかき混ぜ煮詰め、自分の内容として、自分の事実として、自分の表現にする為に、通常は自動的に行なわれていくものです。
物心両面から見られる為に、(47) 大戸惑女(おほとまどひめ、物)、(46) 大戸惑子(おほとまどひこ、心)になっています。
当然さらに上記の尻取りのように、戸惑いの実体内容、またその内容の内容の内容戸は、というふうに連鎖ができていきます。
速い話が、冒頭の五十神を全部書かなくては終わりませんが、事実と内容に関してはこの辺でいいと思います。
「あめつち」天の御中主から始まり、、、、、、、、
戸惑いをかき混ぜ名付けられたのが了解
了解された名付けられたものを持っているのが内容
内容を持っているのが事実
事実をもっているのが表現
、、、、、と、ここまでで、事実が出てきたところ。
その次は、整理検討して、事実をどうするか、どう持っていくかになる。
その説明に金山から三貴子の五十神。
と、一つのことを語るのに常に百神を通過しますが、それを的確に一言でいう事ができる人をスメラミコトといいます。
まだまだ先は長い
●●●●●
子事記=子の事を記す=古事記
古事記を「ふることふみ」というふりがなを読んでいた時、「記」を「つけ」と読むことがあると知り、古事記とは「こじ・つけ」で、世界最高の言霊による人間精神こじつけ本と思っていました。昨日まではそう思っていたので、軽い気持ちでこじ・つけをしてきたようです。
ところが、今日からは古事記は「こじつけ」ではあるが、何の「こじつけ」かというと、神話による天皇権威とか歴史の「こじつけ」ではなく、実に何でもないこと、子の事、計画して産んで育てることに関する「こじつけ」であることに気付きました。
子というのは自分の分身のことで、自分の産んだ結果、自分の意図した現象、あめつち、アの芽という自分の意図が付いて地に実現したこと、「国土(くに・組んで似せる)を生み成さむ(自分の意図に組んで似せて産む)こと、から始まって上巻を通じて最後まで子を産む話の子のことです。
古事記とは 『子事記』 のこと、子という後天現象創造、精神による文化創造の、平たく言えば、思い考えた意図意思を実行実現する、それらを表明する言葉を発する普通のことであることに気付きました。
古事記神代の巻きは、神の名を語った、自分の欲し考え感じ選択していく、自分を実現していく何でもない普通の事のことです。この自分の位置が長であるか、国家であるか、世界であるかの違いがあるだけのことで、人の行なうことの原理となっている精神の動きを解明したものです。
全ての人に該当し、心の動きの精神原理として解明記されているので、人のどんな形態、地位、知識があろうと無かろうと、限りなく人の心の行いの真実を知らすものです。
精神は自分を表すこと、自分を自分で納得していく、自分を自分という子現象として自己表現しようとするのが特徴です。それは、他の人でも、集団となり、国家となっても、主体の心を持ったものが動く時には誰であろうと同じことです。主体の持つ精神内容を表現しようと、その精神宇宙に表面化しようとすることです。自分の思うことを実現し、つまり、自分という子を産むことです。
現代風に言えば、創造されるものを言語とすれば、神代の巻きは言語論となり、生き方にすれば人生論となり、政治統治とすれば権力治世論になり、子育てなら子育て論、産業運用なら経済論、要するに、人は創造するという性質を持つ者ですから、創造論=自分の子作り論となります。
そういった超超スーパー原理が神の名を語って述べられているわけです。
ことに古代の歴史主体である古代大和人たちは、自らを歴史の中にいる個人主体からから、大和民族を歴史主体にするというコペルニクス的大転回思想に到達しました。
これは個人が個人行為の主体であるという日常主体個人から、村落共同体を越え、足と思いの届く限りの世界全体を視野に入れた、大転換点を得たということです。何もない古代において、大和民族という主体を世界創造の主体として設定したのです。
学校で教わるのは単なる出来ごとの世界史でしかありませんが、古代大和は自らを主体とした歴史展開を意図しました。その原理が神代の上巻です。人の成そうとすることの原理ですから、個人を主体としても、世界歴史の主体を大和としても、同じ原理に沿って行なわれていきます。
大和民族を主体とするのなら、その中に留まって大和を強力にすればいいように思うでしょう。全世界の民族、歴史はそうなっています。相手がいることに気付いたならば、相手に負けないように倒せばいいだけの歴史です。現代もその原理は続いています。
しかし、大和の考えたことは全く別のことです。古代においても他民族、他国、視界の向こう側にも何かあるというのは知っていました。すでに、地球なり、世界なり、全体なり、自分を取り巻く他の世界があることが分かっていたのです。
大和の長たちは(スメラミコト達)、このわけの分からないけどある世界のことも視野に入れて、この地球世界全体を強力にしようという思いを抱いたのです。
これは現代人には思い付きのアイデアという範疇のものですが、古代大和では、そこで創造された言語規範の自動的で当然の行き着く先、誰もが思うアイデアでした。
全く人工的に創造された大和言葉の自然な結果です。大和言葉の創造の結果、その言葉を所持している民族が主体と成った時には、世界を相手にせざるを得ないという、強制といえば強制、自然の成り行きと成り行きなのです。これは五十音を使う現代の日本人においても深く無自覚的に修得されています。ここに他の民族と比較にできないものがあるのです。
いろいろ反論もある中で、簡単な反論を言えば、世界歴史は大和が主体なら、日本の出番が見えないじゃないかというのがあります。世界史というのは大和の聖人が古代において決めておいたものですから、そんなものがあるなら示せということです。
ここが、五千から八千年前に創造した五十音図に則った世界歴史を創造し始めた古代大和の凄いところです。示せるものがなく、反論を撃沈するものもなく、大和日本の出番など無いということ、それ自体が世界史の展開通りのことなのです。
文句を言われ突つかれる、そこにまさに、神代の巻きの展開に沿っていて、大和が顔を出さない理由があるのが分かります。
例えば以上のことを読んできて、お前のは詭弁にもなっていないと思う人もいます。賛否どちらでも構わないことなのですが、ではあなた方の考えを示してくださいというと、どうなりますか。誰もが文字か日本語かで示すでしょう。ある人は阿呆らしいという態度を示します。
では同じことを文字とか言葉とか態度で、アメリカ人アフリカ人に示してみれば、何も理解されません。当たり前だ、考えたことは頭の中心の中にあるのだというでしょう。ではその頭を示してください、その心の中を開いてくださいというと、お手上げのはずです。
アメリカ、アフリカ人に見せてどうするといったところで、日本人を廻りに集めても、頭の中心の中は理解されないのです。心は必ずその表明の為の物象物質を必要とするのです。頭の中心の表現において、物質的にしか表明されない構造を説明したのが、神代の巻きなのです。
その物質物象というのはまさに、主体の「子」なのです。この子は主体側見れば、主体の意図そのものではなく、内容を、言葉で表現した、物質化したものです。内容の次の次、二の次、二の二、ニニギということです。
この例は、大和の決めた世界歴史の主体側の内容は、大和の頭、大和の心の中にあって、その現象表現はこの五千年間の実際の歴史ということです。この五千年の世界歴史は大和の「子の事を記した=子事記」ということです。安万侶さんは隠語で「古事記」といったのです。
主体の頭の中を表すもので、最も主体に近く似ているものは、言葉です。(これを、マニといいます。現代語では真似ということです) しかし、旧約聖書でいうごとく言葉は乱されていますから、現在は日本語の中に半分だけは、古代大和の主体の意図を表明したと同じ言葉が残っているだけです。
それでも現代において言霊学を修得していきますと、古代大和が主体的に創造しようとしてきた数千年を見据えた世界歴史の元とつながり合えるのです。
これは単なるアイデアとして考え出されたものではなく、大和言葉ができた上での必然なのです。古代大和の聖人達は、大和言葉を作ったと同時にその言葉を使用するものを主体とする世界歴史も用意していました。
その途中での物象化段階では、心の意図はそこにある物質を介してしか解されない第三者になってしまうのです。この第三者に拘泥することが黄泉の国にいくということです。黄泉国という「子」を創造しないことには自分を創造できず、それに拘泥すれば自分でなくなることを穢れといいます。
冒頭の言葉「あめつち」の「アの芽が付いて地になる」「アの目指す意図が付いて地という形に成ることです。アの芽という子供が根付いて地に芽生え繁栄していくこととなります。
神代の巻きでは前半が言霊の誕生を扱っていますが、ギミの二人で子供を産もうから始まって、その最後が、まさに子の誕生、【 言霊 コ】大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、となっています。
ついで、精神の発現創造行為の運用の話になり、百番目の神を産む時に、 「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と宣言します。
途中は子供の健康診断や、子供に囚われて自分を忘れることや、子供から強制されること等の日常の事柄が挿入されていきます。
ですので、古事記で子というのは自分の生産現象を言います。
例えば、 人として何が大事なことなのか、と問えばその答は、「心の物差し、つながり、礼儀、理性、誠実、罪悪感、助け合い、言動、生きていること、等々、」 百人それぞれですが、一言で纏めれば、自分のしている結果現象のことになります。
それを場面場面に応じて、好みに応じてこうだと言っていくわけですが、その言うという全体が自分のしている現象結果を産むということです。
こうして、そこで古事記は問うわけです。百人それぞれの意見が出ることは子という現象結果を作る上でまともなことですか、と。どうして別々になってしまうのですか、と。
一つ一つの回答を見ていけば一見まともです。しかし、まとまりがありません。各人それぞれですから、それでいいのではとなり、個人主義、相手は相手、やりたければどうぞとなってしまいます。
古事記は特にこういった場面を想定したものではありませんが、精神の言論ですので、どのような場面にも該当するのです。これが世界運用で、政治で、宗教で等々となっていくと、百人十色で済まなくなり、個人の主張を通すだけの関係は険悪なものとなるでしょう。
「子」の事を記すには、整理分析では充分でありません。全体を見据えた自覚的な運用が必要です。
古事記にはそれは「三貴子」として実現されていくと記され、われわれをそこへ向かわせます。
●●●●●
古事記は『 子事記 』である。わたしなりの一つの記念塔です。
転載元: 言霊辞典。。ころころココロの原論。。言霊学と古事記。。運用編。。
●●●●●●●●●●●●
古代世界の、アの芽 (あめつち)。
古事記とは子事記である、ということに気がついてからはやたらと「子」の字が気になった。
冒頭 「あめつち」 の解は 「アの芽が付いて地に成る」 で、主体の意図の(アの芽、め)が客体に向かい(つ)、地(ち)に主体と客体とはまた別の第三者を芽生えさせ創造する、の意味です。つまり自分の子を産むということになります。
それから先の話は全部子を産むことに関係しています。主体側(男)と客体側(女)と両者間の行為と第三者と成る現象(子)の発生です。
主導する能動側は常に主体にあります。ですので主体側から見ていけば、人のすることは全て主体(ア)の意図(メ)を実現(ツ)して現象(チ)を産むということになります。
古事記はこの話を原理として立てていますので、個人の行為から始まって、主体側の世界歴史の創造の話にまでなっています。世界全体を相手とする主体となっているのは、地域、国単位ではそれぞれの領主支配者ですが、地球世界全体を見ていく場合には、古代の大和でした。
そんな古代に地球とか世界とかの観念があったのか、というのは、古代人を馬鹿にし卑下したわれわれの放漫に過ぎません。古代は精神時代であっただけでなく、驚くほどその足を使った世界は拡がっていたのです。
古事記以前の世界も同様で、すでに地球規模の知識はありました。そこでは地域、部族、国、同士のいろいろな関係はありますが、古代大和は対外的な自分の国と相手の国という普通の関係を超えた視野がありました。
それは今だ知らない地域、国も含めて世界全体ということです。この世界全体(地球)をどうするかという問題を提起していました。それも単なる思い付きのアイデアでなく、精神の必然の動きとして把握していました。
何故、必然的に世界全体という思考に向かえたといえば、アイウエオ五十音図の思考法を確立して、すでに古代社会を営んでいたからです。
簡単に言えば、あ行の主体の行為は、わ行の客体側で終わるということを、世界単位にすれば、どうなるのかと思ったのです。主体側(古代大和)のアの芽、意図を実現して相手客体側の世界の到達して、ワ(和、輪、環)を完成する筋道を作ったのです。
このようなことを考えたのは古代大和しかなく、古代大和しか考えの道筋を所有していませんでした。神話、民話、願い希望アイデアとしてなら、他民族もそれぞれのイメージを持っていたことでしょう。
しかし、古代大和のしたことは、イメージの実現ということではありません。イメージという言葉を使うのなら、イメージの必然の実現です。なぜならそこには、人間性能に則った思考と行為の法則をすでに打ち立てていたからです。
このようなことは他の国、地域、民族では行なわれませんでした。現代の人間でもできていません。現代は、あるいは他の言語民族は、ただ浮かんだ偶然のイメージを実現するだけです。古代大和のように必然に作り上げたイメージを、必然的に実現していくことの法則を知らないからです。
では、世界歴史とは古代大和の考えた必然の作品なのでしょうか。歴史を出来上がったものの見方の一つにするのなら、そうではありません。しかし、歴史を主体意思の創造原理から発したものとするのなら、まさに世界歴史とは、古代大和の意図の実現となっています。
「子」は第三者として登場しますから、主体の意図を秘めてはいても主体そのものではなく、また、客体物象化したものですから、客体自身の法則に左右されます。
例えば、世界の軍隊を不要にして平和を目指した古代大和の意図は、そのものとして表されることなく秘められ、軍事事情の発達発展の上に機能していきます。意図はまさに軍事事情として客体的に見れば、各国の軍事として表現されていきます。
相手がいる内は軍事設備が必要ですが、相手が無ければ無用無駄となるものです。軍事的な統一が遂げられれば軍隊も無くなります。しかしそれ以前に、軍事は産業経済構造に左右されていますから、経済の統一統合共に消え去るものです。
主体の意図を出来た「子」の第三者だけとしてみていけばそういう見方が出来ません。これを黄泉の国の見方といって、その穢れを禊祓することになります。
突飛な言い種と聞こえるのは当然ですから、ここで止めておきましょう。アイウエオ五十音図の秘密、あめつち、が解ければ、分かるようになることです。
現代は古代大和の主体の意図が見えず、「子」の強化増大を目指している時代です。そしてそれが達成されないことには、意図の完成は出来ないということです。
もう一つ例えれば、頭脳内の心、考え、意図は、それだけでは、誰にも理解も伝達も出来ないものです。必然的に物質化され表現されなくてはなりません。そこでよく見ると、言葉は自分の創造した「子」ですが、単なる空気振動、インクの染み、光点の集合なのです。第三者としてだけ見ていくとなんの意味もなく、主体の意図は見いだせないのです。
このように、古代大和が世界史を決したといっても、見えなくて当然なのです。
言霊学を学ぶことによって分かってきます。
ただしその時は、見解見方とか思考法によるのではなく、初国知らすスメラミコトの定めた世界運用に参加することになります。
それにはあくまで古事記の言霊学によりますが、古代スメラミコトの子孫は敗戦によって古事記を放棄してしまっていますので、現代は古事記による皇統は断絶しています。しかし、行事祀りごととして古事記の示す内容を形だけは継承しています。
古事記の研究は本来わたしなどのような民間人のすることではありませんが、一度民間に流して興味を起こさすことも必要なのでしょう。民間に流れますと、伝統的な権威は崩壊しますから、何かそういったものの一撃を得たいということでしょうか。
-----------------
こんな、あれこれと感想文などを書いても大したことになりません。
問題は多くの方達が古事記の言霊学に気付くことです。「あめつち」の「アの芽、アの目」とは、どのような主体の意図であるのかを確認することです。個人としては、私生活としては、集団社会としては、国としては、地球世界としては、アの目、アの芽はどういうものか知ることです。
単なる神道-古神道を抜けて、単なる言葉の魂という言霊を越えて、単なる個人の勉強を越えて、単なる知識の修得を越えて、単なる納得満足を越えて、単なる日本意識を越えて、大和のフトマニが人間のアの芽である「古事記の言霊学」を打ち立てることです。
フトマニというのは、占いのことではありません。誰でも占いなどによって行為することなどないのです。占いをする時にも、占うという主体的な心が動き、その行為をいざなうのですから、その基となるものをさします。
フトは二十(ふと)でマニは真似(まね)のことです。二十の主体的な真似をすることで、五十音図のタカハサ行の二十字の真似をすることです。アの主体的な芽がこの二十の言葉となっていて、その心の動きに則ることです。心の主体的な動きはこの二十の言葉からはじまるということです。詳しくは後程。
これは大和を引き継ぐ日本語でしか出来ない事業です。他の国にはアイウエオ五十音図は存在していないのですから。ユダヤはせいぜい神選民族というだけですが、大和は天孫なのです。古代大和の意図は五十音図、古事記の言霊を解くことでしか伝わりません。天孫とはアイウエオのことです。この五音の心の動き(一霊四魂)の主体性をフトマニといいます。
これを知らないでいる時には、なるほどそういう話もあるのか、というだけのことで終わります。現代人の知識は、なるほどそういうことか、と気に入った部分だけは充分に納得する仕掛けになっています。しかし、自分がその仕掛の中にいるのを知りません。これも古代大和が作ったものなのです。
大和だ、五十音図というが世界は動いて行くじゃないかと、言われます。当然です。そこには人間主体がいるのですから。
ではどのようにかといえば、弱肉強食、自己主張、自分と自分の取り巻き、自社、自国、を唯一として、欲しいものは得るという態度です。
そのための発展と富の蓄積しかありません。マイナス面を挙げればきりがありません。そしてそれは当然のこととして宗教教育の前に教え込まれます。これが大和(輪)と五十音図の無い世界です。
では五十音図のある日本もそうなのは何故かということになります。実は五十音図というのは一つだけではないのです。今あるのは競争の為の物質創造原理としてあり、平和の創造原理は意図的に皇室、神道の表象に隠されているのです。
それがスメラミコトの使う五十音図(八咫鏡(やたのかがみ)-天津太祝詞音図)と言います。伊勢神宮に物象化されているものです。もちろんやたの鏡を見ただけでは分からないようになっていますが、古事記と照合すれば理解に導かれる構造になっています。
これも古代大和の歴史主体から、わざとそうするように言われていたものです。それが敗戦によって古事記の研究が解放され民間に流れた御蔭で、古代大和の歴史主体の意図が明かされることとなったのです。
●●●●●
上からの目線を必ず持つ事。
嫌悪感を持って言われる、上からの目線のことではありません。
それは地位、力、量、思い込み、等から来ているものへの反撥ですが、ここでいうのは、上位次元からの目という事です。
「山に登る前の景色、一合目から上に登るごとの景色、目線によって違ってまいりましょう、言霊の学問は頂上に具わっている目へ導くためのもの、その頂に立つまでは天の御柱が立ったとは言えません。」
端なる上位次元の持つ目を得るのでもありません。「頂上に具わっている目」のことです。
「あめつち」でいえば、ア(吾)の上からの目(メ)線をツけて、ごっそり地(チ)を持ち上げることになります。
同じ次元内での比較対象のことを指してはいません。
同じ次元内での比較上での目線の上下は、「あめつち」でいえば「つ」に返り点の付いた「あめちつ」になったもので、アの目が地に付くで、これが嫌悪感をもたれるものです。
嫌悪感の起こる目線は、知識量とか、物量とか、量で計れるものを持っている為、自他との大小強弱を計量してそこに優劣を見いだすものです。
嫌悪感を起こす方も起こさせる方も同じ土俵にいますから、今回はその土俵を上から眺めることに関してです。
宮本武蔵は、 兵法の目付けと云事に、
「大きく広く付ける、観見二つのこと、観の目強く、見の目弱く、遠くを近く見、近くを遠く見る」
「観の目強く見の目弱し、相手をうらやかに見るべし」 という事をいっています。
一般普通の見方では、力量の多少強弱を見ることで、これを見の目といって、経験知識概念を基準として対象を計量する事です。これが誇張されますと経験を多く積みなさいとなります。
一方、観のうらやかに観る目があります。経験を積もうが無かろうが、今している経験は唯一始めてのものという感覚の元にでてきます。ですので相手のしようがなく、これからくるものに経験判断の下しようがないものです。心眼で相手を受け入れる観方になります。
見の目ではいくら経験を増やしても初めての事には、比較によってしか判断できませんが、観の目では最初から初めてのものに全体的に対処していきます。
武蔵はミリ単位の切っ先の世に生きていますので、経験判断だけに頼るわけにはいきません。毎回新しい生死の境目を切り開く世界です。見の目で相手の強弱は経験的には分かるでしょう。しかし、相手の火事場の何とかとか、連敗中であるはずなのに突如として予想外のことをしたり、力を出したりするのがあります。見の目では対応できないものです。
ではこのような事は古事記ではどこに相当しているのでしょうか。神代の巻きは精神原論として書かれているので、精神性能全般が当てはまり、武蔵の言う観、見の目に該当するところもあるばずです。
あるはずだ、などと呑気に構えていてはバッサリです。見の経験判断と、観の初めての全体判断との違いを見ればいいと思います。前者は知識知性、後者は感情、心による直接判断になるでしょう。
感情で観るなどといっても真剣勝負では、嬉し悲しなどと気づかっている場合ではありません。この場合は経験理性知識を超えた、初対面の全体智のことでしょう。理性概念では手のでないものです。
しかし、観方(見方)を得てもそれは頂上に具わっている目」というわけにはいきません。禅や水行のように心眼の観法を得てでれっと座ることしかできないのでは、首がすっ飛びます。宗教判断には実践智恵の判断がないからです。これでは頂上の目というわけにはいかないでしょう。
小林秀雄はこういいます。
「 武蔵は、見るということについて、観見二つの見ようがあるということを言っている。(略)観の目強く、見の目弱くみるべし、と言っております。見の目とは、彼に言わせれば常の目、普通の目の働きかたである。敵の動きがああだとかこうだとか分析的に知的に合点する目であるが、もう一つ相手の存在を全体的に直覚する目がある。「目の玉を動かさず、うらやかに見る」目がある、そういう目は、「敵合近づくとも、いか程も遠く見る目」だと言うのです。「意は目に付き、心は付かざるもの也」、常の目は見ようとするが、見ようとしない心にも目はあるのである。言わば心眼です。
見ようとする意が目を曇らせる。だから見の目を弱く観の目を強くせよという。」
観法が観法に留まっているだけなら何役立たないものです。切られてお終いです。ですので、坊主たちは観法を得ても何もできないので、山頂の寺に籠もっているのです。武蔵は日常歩くということがそもそも観法を得たものから来ています。武蔵の首を求めて名声を得たいという輩がうようよ取り巻いていました。
さて、観の観法を古事記に見てみましょう。観の観法が山頂の目であるわけがありません。ご来光はうらやかにみるのではなく、カッと目を見開いて自分が光となって飛び出すように観るものです。昇り放たれゆく光線の一つ一つを確かめ納得するように見ていきます。岩宿の中から出てくるのは自分だと、でも、自分でいいのか、と闇の中で戸惑いながら光を受けていくのです。
古事記では以下の神に該当させてみましょう。
該当する箇所が見つかりこれを勉強すれば、それで見の目が観の目になる保障はありません。すなわち、観の目はそれ以上の目があるから観の目といわれることになるからで、見-観-山頂の目があることになるからです。しかし少なくとも見の目以上の世界があることは分かると思います。
わたしもここから先のことは知的な了解でしかないので、知的な次元を超えた目で見ているわけではありません。今のところはなにも役立たずです。
●●●●●
ふもとの目-- 欲の目--見の目--観の目--山頂の目--光の目
ふもと、一合目、二合目、三合目、四合目、、、、、山頂の目
ふもとの目-- 欲の目--見の目--観の目--山頂の目--光の目
敷かれた道は歩いて行けば終点に達し、山も昇れば頂上に達します。しかし、武芸では稽古をしても上達して観の目を持つことになりません。知識等は勉強すれば知識量は増えますがどれだけ増えても観の目の足元にも達しません。
古事記は最高の人間規範の天照す大神に達するまでの過程がダダーーッとでてきます。このブログでも五十の過程だ、百の過程だといっていますが、この一連の流れはこころの無自覚な経過を見ればそうなりますが、無自覚というのは無意識みたいなものですから、自らが上位次元を通過しているなどと知ることがありません。
自覚しなければしないままで構わないのですが、自覚したところで上位次元に行けるということもないのです。ここでは見の目次元から、観の目次元に自覚的に行くことです。
しかしそういった経験のないわたしが書くことですから、原理教科書である古事記の流れを利用せざるを得ません。岩戸の天照らすはチラッと戸をあけるだけですが、その後は引っ張りだされるのです。
武蔵は観の目だといいますが、観の目が引っ張り出される構造を上手に利用しているのだと思います。これは悟りというものと同じで、悟ろうとしている間は悟れないというのと同じ構造でしょう。古事記は悟りのあんちょこにもなっているのですが、なかなかその箇所が見つかりません。
見から観への上昇視点と思われるところは、こころの動きの単位要素が変化する(変態上昇する)以下の場面と、
・ こころの動きの単位要素として、
『 この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、
【 言霊 ラ】天の狭土(さづち)の神。次に
【 言霊 サ】国の狭土の神。次に
【 言霊 ロ】天の狭霧(さぎり)の神。次に
【 言霊 レ】国の狭霧の神。次に
【 言霊 ノ】天の闇戸(くらど)の神。次に
【 言霊 ネ】国の闇戸の神。次に
【 言霊 カ】大戸惑子(おおとまどひこ)の神。次に
【 言霊 マ】大戸惑女(め)の神。』
『次に生みたまふ神の名は、
【 言霊 ナ】鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。
次に
【 言霊 コ】大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、
・ こころの運用要素として、
黄泉の国全体から、三貴子の産まれる前までの段落に相当するでしょう。
悟りのあんちょこだなんて気楽なことをいってしまいましたが、これは自分でも、相当下手ないい加減な解説しかできないという思いがあります。------という、観の目を持った。
見の目は、大山(オホヤマ、大いなる八つ(や)の間(ま)、大いなるこころの動きの八種のマグマ溜まりの間に心が入りますと山が動き、心が付いてあられる(津見)ことによります。
その現れは物象につくことですから、その物象の動きと物象の中に潜むこころの動きの両者があり、それが上記の対、霊と体、の神名で示されています。
・ 切っ先の向こうにいる相手の物理情報(五感感覚情報)がやってきます。狭土(さづち)は狭い領域に有効なツチ(槌、叩く槌で五感情報を与えるもの)のこと、また、その情報に乗った知識のこと。場所取りを目指す、ラ、サ。
・ 受け取られた五感情報は、受動感応できる範囲でしか分かりません。本来ある全体は霧としてその中の反応できる部分だけがでてきます。
狭い範囲内の自分に都合のよいものだけ(狭い霧)を得るということです。またその情報にのった知識のこと。ぐるぐる探し回る、ロ、レ。
・ それらの情報は向こうからきたものか、自分が選んだものか、納得しているものかの判別をしないと、自分の五感、知識となりません。そこであるにはあるが何だか分からない情報を暗闇にあるものとして、一つ一つどの戸を開けて自分のものにするかのこころの行為があり、その働きを闇戸(くらど)の神といいます。またその情報にのった知識のこと。自分の心につぶやくわけです。自分に宣る・乗る、ノ、ネ。
・ ここまで来て情報はハタと戸惑います。「あやつ、出来る。北風が強い。」等を自分の情報としてしまっていいものか、相手から得たもの、相手に与えるものとしていいものか、自分はそれに則っていいのか、五感情報とその知識がやってきた、全部ではないが感じ知るところは得た、自分に選択できるものを確かめたい、ということで、材料を釜に入れて混ぜ合わせ抽出していきます。そこででてきたものはこういうものだと言わなくてはなりません。また、その情報に乗った知識のこと。混ぜ抽出する、カ、マ。
・ 抽出して出てきた丸薬に名前を付け、指し示すことが出来るようにしないと、あるのかない分かりません。そこで名が付きます。「あやつの切っ先の流れはこちらより早く可動範囲が大きい。燕返し。」
・ 「こりゃいかん。」という事実を了解します。
ここまでが単位要素としての見の目です。「分析的に知的に合点する目」と小林秀雄いいます。その他解説はいろいろ出てきますが、上記の範囲を出るものはありません。
・ ここから先が観の目です。相手と同じ土俵上にいる限り、相手の刀の方が長く動きが速いのですから武蔵は負けます。
そこで武蔵は閃いたということです。世界的な発明も、ノーベル賞も何ということはない思い付き、夢、寝ていて閃いたことから出発したとよく言われます。要するに、理性知性を有らん限り使ってうんうん唸っても何にもならず、涎を垂らして寝ている方がよいということです。
リキムのは、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。」 ということで、
ポカーンと、「かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。」 しよう、ということです。
アワギ原は今までに各人が作り上げた先天的に所有している創造原理です。それに預けちゃおうということになります。
それにはもちろん知的な情報も加わりますから、長い刀の扱いを巡って考えます。そこで鼻くそをほじりながら考えたでしょう(武蔵は風呂に入らなかったといいます)。
あやつをおちょくってやろう、気を散らしてやろう。遅れていき怒らそう、神経を高ぶらして緊張させれば身が縮み切っ先は数ミリ短くなるだろう、(映画では陽を背にする)、とここまでは見の目の経験があります。
それにしても、相手の刀は長いのです。避けることはできません。そこで、避けずに受け取ってやろう、そのための長刀なんだから、自分だってその長さを利用する、となったと思います。
ここからは今までにないことです。相手の長刀を受け取って自分を切らせて、それでも死なないで済むには、どうするかが問題になったでしょう。
短い刀を持った方が、相手の届く範囲外にいては勝負はつかない。自分を切らす位置にいて切らせない、そうだ、木刀に食い込ませればいい、引き抜けないほど思い切り噛み合わせればいい。と閃いて武蔵は三本目の櫂の木刀を用意したのです。
刀の長さ、太陽の位置、相手の性格等全部の条件を研究したことでしょう。見の目です。その研究中に全てが櫂の木刀になりました。観の目が付きました。
とこんなことを書きましたが決闘はあったかどうかも不明です。
また、決闘中の観の目とも別のです。
今回の駄作はここまで。
●●●●●
以下引用。
「アという感覚はですね感情の感覚でありますと同時に純粋感情と申しまして、いわゆる宇宙そのもの、人間の本体である宇宙に目の視点を置いて見ますと、人間の実相が一番明らかに見えます。
----------------
「山に登る前の景色、一合目から上に登るごとの景色、目線によって違ってまいりましょう、言霊の学問は頂上に具わっている目へ導くためのもの、その頂に立つまでは天の御柱が立ったとは言えません。」
●●●●●●●●●●●●