またその黄泉(よみ)の坂に塞(さは)れる石(いは)は、道反(ちかへ)しの大神ともいひ、塞(さ)へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。
黄泉(よみ)の坂とは黄泉比良坂の事であります。その坂に置かれ「此処より先は来るな」と言って遮ぎる千引の石は、道反(ちかへ)しの大神と言います。道反しとは、高天原から見れば「ここまでは高天原、ここから先は黄泉国」という事であり、反対に黄泉国から見れば、「ここまでが黄泉国、ここより先は高天原」と、人が自由には越す事が出来ない印(しるし)となる石でありますから、道反し、即ちここまでで人が引き返す印の石という訳であります。またその石は塞へます黄泉戸の大神ともいいます。黄泉国から来て、高天原に入る口に置かれ、人が高天原に入れないように遮(さえぎ)っている戸、の意であります。
ここで言霊学を勉強しようとなさる方々に一言申上げ度い事があります。言霊の学問の初心者の方の中に「言霊学は難しくてよく分からない」と言われる方がいらっしゃいます。何故「難しい」と言われるのか、と申しますと、右に述べました道反しの大神、またの名、塞へます黄泉戸の大神に引掛(ひっかか)ってしまうからであります。どういう事かと言いますと、高天原と申します処は言霊五十音で構成されている心の領域です。それ以外のものは存在しません。言霊といいますのは、人間の心を構成する究極の要素であると同時に言葉の要素でもあるものです。この五十個の言霊を結ぶ事によって高天原日本の言葉は作られました。ですからその言葉は物事の実相(真実の姿)をそのまま表わします。それに対して現代の人々の言葉は、人それぞれの経験に基づいて構成された智識を表現した言葉なのです。それは謂わば高天原の言葉に対する黄泉国の言葉でもあります。経験知識によって作られた言葉で生きている人が言霊学を学ぼうとする時、必ずぶつかってしまうのが、黄泉国と高天原との間に置かれた千引きの石、即ち道反しの大神、または塞へます黄泉戸の大神という事になります。言霊学という高天原の学問の門を入ろうとするならば、道反しの大神またの名、塞へます黄泉戸の大神の許可を貰わなければならぬ、という訳であります。以上、御参考にして頂ければ幸甚であります。 (島田正路著 「古事記と言霊」講座 より)
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