豊宇気比売(トヨウケヒメ)の神
「この神の子は豊宇気比売(トヨウケヒメ)の神といふ」。豊宇気比売の神っていうのはご存じですな。伊勢神宮の外宮の神様です。殊に神話の場合に「神の子は」とか、親とか連れ合いとか兄弟とかっていう場合は、実際の親族としての間柄か、またはその神様の性能…「こういうこともできるんだよ」っていう性能…だとか、そういうものも表します。またその内容を表してる場合もあります。そのときによって違いますけれど、親族とは限らない、何かの関係を持った内容ととることがございます。
この場合はですな、「子」というのは、「和久産巣日の神である天津菅麻音図の性能としては」というように解釈すると、合ってくると思います。豊宇気比売と申しますと、トヨは先天十七の一番肝心なところをとって「トヨ」と申します。十四で代表いたします。
そのトヨの性質を受けて、…ウケというのはお皿のことです。須佐男命の系統の神様にウカの神(宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ))っていうのがいます。ウカ、ウケ、みんなその類い。「受ける」。神様が食べる言霊を入れるものという意味でございます。
豊宇気比売の神…外宮の神様です。どうして外宮の神様に豊宇気比売が出てくるかと申しますとですね、ここにありますように、この神様は菅麻音図の性能を持っている神様ですから、精密な言霊の選り分けはできないけれど、初期の大雑把な判別はできる神様ですから。
御倉板挙・ミクラタナ
「ワク」ですから。ちょうど伊勢神宮では、昔は世界中の文化を集めて、伊勢の内宮において天照大御神がその世界中の文化を神様の食べるご馳走として料理して、それでその料理の中から世界文明を創っていく。
それが天照大御神の仕事ですから、その仕事をするのに、御倉板挙(ミクラタナ)と申しまして、天照大御神の食べ物を並べるところ。天照大御神が言霊によって世界中の文化を材料として食べて、どの文化も傷つけたりすることなく、そのいいところは全部とって、それで世界人類の文明を創っていく。その心の食べ物を並べるところを御倉板挙と申します。
その御倉板挙に、豊宇気比売の神が大雑把ではあるけれども、多くの世界人類から集まってきた食べ物を、大雑把に区分けして、次元ごとに配分していく役目として、下宮にお祀りしてあるわけでございます。外宮でそういうように大雑把に選り分けたものから、天照大御神がその材料を応用して世界文明を創っていくという順序になるわけでございます。
赤ちゃんの音図。天照大神なんていう神様はいない。豊宇気比売の神
赤ちゃんの音図
自分の心の中にもこうして五十音がちらばっているのかもなと分かったということ。自分の心に照らし合わせて作業するわけですから。順序は分からないけれど枠を作ることができた。それが和久産巣日(ワクムスビ)の神。
初めて人類が五十音を一つの五十音図として並べた最初の瞬間だったわけです。後に言霊の学問がもっと進んでいきますと、これを天津菅麻音図と申します。菅麻ともうしますのは、おぎゃあと生まれた言霊の五十音、所謂赤ちゃんですから父韻の並びがハッキリしません。
父韻は文明を創造する担い手ですから、まだ父韻の原理が働いておりません。赤ちゃんは活動しておりませんから、それを和久産巣日(ワクムスビ)の神として、天津菅麻音図ということが分かってまいります。
和久産巣日(ワクムスビ)の神の子は豊宇気毘売(トヨウケヒメ)の神という。豊宇気毘売はご存知ですね、伊勢神宮の外宮にお祭りしてあります。伊勢神宮の参拝する時の順序をご存知ですか?
天照大神なんていう神様はいない
普通は外宮から行くのが本当です。内宮からが順序かと思われておりますが、一般的には外宮から行きます。何故かと申しますと外宮の豊宇気毘売の豊(トヨ)は十四ということですが、先天構造を表します。宇気(ウケ)は食器です。先天構造によってこの世の中に生産されてくる精神的な一切のもの、これを先ず外宮で受け取る。
それでさっき申しました天津菅麻音図という大雑把な入物でもってそれを選別して、その次にミクビタナに並べる。そうすると内宮の天照大神がその並べたものを自由に操作して、世界の文明を縦貫に創造してまいります。
古事記の子とか孫と申しますのはその内容を言い表しています。神様に孫や子どもはおりません。今ここに生きておりますものですから。
神武天皇の時に阿蘇神社を阿蘇山の麓に建てて、その地方を治めた。子どもはお父さんの名前を神様の名前にして阿蘇神社が生まれたとあります。そこに神様はおりません。お父さんの名前を神様にしたのですから。
それからして言霊の学問には神様はおりません。天照大神なんていう神様はいないんです。天津太祝詞音図という人間の最高の心の構造、人間が持ち得るべき最高の構造、それに天照大神という名前を付けたに過ぎない。
豊宇気比売の神・トヨウケヒメのかみ
この神の子は豊宇気比売(とようけひめ)の神といふ。豊宇気比売(とようけひめ)はご存知でしょう、伊勢神宮は外宮から参拝します。豊宇気比売の豊は先天構造の十四の言霊、受けは食器、入れ物、先天構造によって生産されて来る精神的な一切のもの、まず、外宮で受け取る、先の天津菅麻音図という大雑把な入れ物に入れて、それを選別してそれを御倉棚に並べる。
そうすると内宮の天照大神が並べたのを自由に操作して世界の文明を縦貫きにして創造していきます。その用を成す一番最初の音図ですから「和久産巣日(わくむすび)の神。この神の子は豊宇気比売(とようけひめ)の神といふ」ということになります。
ここに、和久産巣日(わくむすび)の神という最小限省略された五十音図が出来上がります。これから以後が伊耶那岐の命が自分の心の構造として探索する基本として、天津菅麻音図を基本として研究が始まる事になります。
ということは私たちがこれ以後、自分の心の中にある天津菅麻音図がどういう変化、活動をするか、自分の心を五十音図として見立てますと必然的にお分りになってきますから、それが自分の心の中に天照大神がいらっしゃるという証拠となります。
自分の心の象徴としてあるのが言霊の原理でございます。神様を拝むという神社の形式は言霊の学問が隠れてしまったら、心の拠り所を失ってしまうであろうということを予知して、信仰することにより悩みを軽減できるならば、の皇祖皇宗の配慮ですから。
自分は神である、自分という者は他の人と何ら変わらない、生かさせていただいている、ということは、へりくださるをえない、そういう気持ちに自然となります。
豊宇気毘売の神
豊宇気毘売の神の豊とは十四(とよ)の意で心の先天構造十七言霊の中のアオウエイ・ワ・チイキミシリヒニの十四言霊のことで、豊とは先天構造を指します。
宇気(うけ)とは盃(うけ)で入れ物のことです。
豊宇気毘売全部で心の先天構造から成る入物(いれもの)を秘めているの意となります。
「この神の子」と言う言葉が古事記に出て来る時は「この神の内容、働き、活用法、活用から現われる結論」等を意味します。
豊宇気毘売とは豊受姫とも書き、伊勢神宮の外宮の主宰神であります。「心の先天構造で出来ている入れ物を秘めている神」では意味が明らかではありませんが、この神が伊勢外宮の神である、となりますと、内容が明らかとなります。
和久産巣日の神の内容が「五十音言霊を整理し、それを活用するに当り、先ず「五埋(いうま)り」によって母音アオウエイの順序に従って五十音を並べて枠の中に囲んで整理した働き」が分りました。
しかしその整理は五十音図として初歩的に並べたものであって、どうしてその様に並んだのかの内容はまだ不明という事でありました。しかし「この神の子(活用法)である豊宇気毘売の神」が伊勢内宮の天照大神と並んで外宮の神として祭られている事実を考えますと、次の様な事が明らかになって来ます。
金山毘古の神に始まる五十音言霊の整理・活用を検討する作業が進み、最終結論として三貴子(みはしらのうづみこ)が生まれます。
その中の一神、天照大神は言霊学の最高神であり、言霊五十音の理想の配列構造を持った人類文明創造の鏡であり、その鏡を祀る宮が伊勢の内宮であります。
その内宮の鏡の原理に基づいて外宮の豊宇気毘売の神は世界の心物の生産のすべてを人類の歴史を創造するための材料として所を得しめる役目の神であるという事になります。
和久産巣日の神とは言霊五十音の初歩的な整理ではありますが、その活用の役目である豊宇気毘売の神が、言霊整理活用の総結論である天照大神を鏡として戴く事によって世界中の文化一切に歴史創造という枠を結ばせる事となる消息を御理解頂けるものと思います。
吉備(きび)の児島(こじま)
五十音言霊の全部が出揃い、次にその五十音言霊の整理・活用法の検討が始まります。
以上金山毘古の神より和久産巣日の神までの六神が精神宇宙内に占める区分を吉備の児島と呼びます。
「吉(よ)く備(そな)わった小さい締(しま)り」の意です。
児島と児の字が附きますのは、弥都波能売(みつはのめ)という上にア、下にイ、その間にオウエの三音が入った事の確認を基準として五十音言霊を整理し、枠で結びました。
吉(よ)く備(そな)わっている事は確認されましたが、その様に並んだ事の内容についてはまだ何も分っていません。極めて初歩的な整理である事の意を「児」という字によって表わしたのであります。
古神道言霊学はこの初歩的ではありますが、最初にまとめられた言霊五十音図を天津菅曽(あまつすがそ)(音図)と呼びます。菅曽を菅麻(すがそ)と書くこともあります。
菅麻とは「すがすがしい心の衣」の意で、人間が生まれながらに授かっている大自然そのままの心の構造の意であります。これから以後の言霊五十音の整理・活用法の検討はこの音図によって行なわれる事となります。
かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに因りて、遂に神避りたまひき。
伊耶那美の神は火の夜芸速男(やぎはやお)の神(言霊ン)という火の神を生んだので御陰(みほと)が火傷(やけど)し、病気となり、終になくなられた、という事です。これを言霊学の教科書という精神上の事から物語るとどういう事になるでしょうか。伊耶那岐・美二神の共同作業で三十二の子音言霊が生まれ、それを神代表音文字に表わしました。ここで伊耶那美の神の仕事は一応終ったことになります。そこで美の神は高天原という精神界のドラマの役をやり終えて一先ず幕の影へ姿を隠してしまう事になった、という訳であります。
「神避(かむさ)る」と言いますと、現代では単に「死ぬ」と言う事に受け取ります。古神道言霊学では決して「死」を説きません。「霊魂不滅」などと言って人の生命は永遠だ、と説く宗教もありますが、言霊学は霊魂などという極めて曖昧な意味で不死を説くわけではありません。この事は他の機会に譲りまして、では伊耶那美の神が神避ったという事は実際にどういう事であるのか、について一言申し上げます。
三十二子音の創生と神代表音文字の作製によって伊耶那美の神の分担の仕事は終りました。五十音言霊で構成された高天原精神界から退場することとなります。そして伊耶那美の神は本来の自身の責任領域である客観世界(予母都国(よもつくに))の主宰神となり、物事を自分の外(そと)に見る客観的な物質科学文明の創造の世界へ帰って行ったのであります。この時より後は、五十音言霊の整理と活用の方法の検討の仕事は伊耶那岐の神のみによって行なわれることとなります。
豊宇気比売の神。古事記の言霊学による「はじめ」論。
この神の子は豊宇気比売(とようけひめ)の神といふ。
神話の中で神の子という場合はその親族関係またはその神の性能・活用法等を表わします。
豊宇気比売(とようけひめ)とは十四(とよ)である先天構造の機能を受け継いで、それを秘めている、の意であります。
豊宇気比売の神といえば、伊勢神宮外宮の御祭神です。この神は親である和久産巣日の神の大雑把な内容ではあるけれど五十音言霊を枠に結んだ五十音図の法則を以って、この世の中の出来事から発想される一切の文化を整理し、それを伊勢神宮内宮の御祭神である天照大神が聞しめす世界人類の文明創造の材料として大神の御倉板挙の上に並べる役目の神であります。この神が天照大神の前に差し出す一切の文化はすべて、人間の先天機能(豊)を受継いで(宇気)秘め備えたもの(比売)である、の意でもあります。
この神の子は豊宇気毘売の神といふ。
豊宇気毘売の神の豊とは十四(とよ)の意で心の先天構造十七言霊の中のアオウエイ・ワ・チイキミシリヒニの十四言霊のことで、豊とは先天構造を指します。宇気(うけ)とは盃(うけ)で入れ物のことです。豊宇気毘売全部で心の先天構造から成る入物(いれもの)を秘めているの意となります。
「この神の子」と言う言葉が古事記に出て来る時は「この神の内容、働き、活用法、活用から現われる結論」等を意味します。豊宇気毘売とは豊受姫とも書き、伊勢神宮の外宮の主宰神であります。「心の先天構造で出来ている入れ物を秘めている神」では意味が明らかではありませんが、この神が伊勢外宮の神である、となりますと、内容が明らかとなります。
和久産巣日の神の内容が「五十音言霊を整理し、それを活用するに当り、先ず「五埋(いうま)り」によって母音アオウエイの順序に従って五十音を並べて枠の中に囲んで整理した働き」が分りました。しかしその整理は五十音図として初歩的に並べたものであって、どうしてその様に並んだのかの内容はまだ不明という事でありました。しかし「この神の子(活用法)である豊宇気毘売の神」が伊勢内宮の天照大神と並んで外宮の神として祭られている事実を考えますと、次の様な事が明らかになって来ます。
金山毘古の神に始まる五十音言霊の整理・活用を検討する作業が進み、最終結論として三貴子(みはしらのうづみこ)が生まれます。その中の一神、天照大神は言霊学の最高神であり、言霊五十音の理想の配列構造を持った人類文明創造の鏡であり、その鏡を祀る宮が伊勢の内宮であります。その内宮の鏡の原理に基づいて外宮の豊宇気毘売の神は世界の心物の生産のすべてを人類の歴史を創造するための材料として所を得しめる役目の神であるという事になります。和久産巣日の神とは言霊五十音の初歩的な整理ではありますが、その活用の役目である豊宇気毘売の神が、言霊整理活用の総結論である天照大神を鏡として戴く事によって世界中の文化一切に歴史創造という枠を結ばせる事となる消息を御理解頂けるものと思います。
豊宇気比売の神・トヨウケヒメのかみ
この神の子は豊宇気比売(とようけひめ)の神といふ。豊宇気比売(とようけひめ)はご存知でしょう、伊勢神宮は外宮から参拝します。豊宇気比売の豊は先天構造の十四の言霊、受けは食器、入れ物、先天構造によって生産されて来る精神的な一切のもの、まず、外宮で受け取る、先の天津菅麻音図という大雑把な入れ物に入れて、それを選別してそれを御倉棚に並べる。
そうすると内宮の天照大神が並べたのを自由に操作して世界の文明を縦貫きにして創造していきます。その用を成す一番最初の音図ですから「和久産巣日(わくむすび)の神。この神の子は豊宇気比売(とようけひめ)の神といふ」ということになります。
ここに、和久産巣日(わくむすび)の神という最小限省略された五十音図が出来上がります。これから以後が伊耶那岐の命が自分の心の構造として探索する基本として、天津菅麻音図を基本として研究が始まる事になります。
ということは私たちがこれ以後、自分の心の中にある天津菅麻音図がどういう変化、活動をするか、自分の心を五十音図として見立てますと必然的にお分りになってきますから、それが自分の心の中に天照大神がいらっしゃるという証拠となります。
自分の心の象徴としてあるのが言霊の原理でございます。神様を拝むという神社の形式は言霊の学問が隠れてしまったら、心の拠り所を失ってしまうであろうということを予知して、信仰することにより悩みを軽減できるならば、の皇祖皇宗の配慮ですから。
自分は神である、自分という者は他の人と何ら変わらない、生かさせていただいている、ということは、へりくださるをえない、そういう気持ちに自然となります。
豊宇気比売(トヨウケヒメ)の神
「この神の子は豊宇気比売(トヨウケヒメ)の神といふ」。豊宇気比売の神っていうのはご存じですな。伊勢神宮の外宮の神様です。殊に神話の場合に「神の子は」とか、親とか連れ合いとか兄弟とかっていう場合は、実際の親族としての間柄か、またはその神様の性能…「こういうこともできるんだよ」っていう性能…だとか、そういうものも表します。またその内容を表してる場合もあります。そのときによって違いますけれど、親族とは限らない、何かの関係を持った内容ととることがございます。
この場合はですな、「子」というのは、「和久産巣日の神である天津菅麻音図の性能としては」というように解釈すると、合ってくると思います。豊宇気比売と申しますと、トヨは先天十七の一番肝心なところをとって「トヨ」と申します。十四で代表いたします。
そのトヨの性質を受けて、…ウケというのはお皿のことです。須佐男命の系統の神様にウカの神(宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ))っていうのがいます。ウカ、ウケ、みんなその類い。「受ける」。神様が食べる言霊を入れるものという意味でございます。
豊宇気比売の神…外宮の神様です。どうして外宮の神様に豊宇気比売が出てくるかと申しますとですね、ここにありますように、この神様は菅麻音図の性能を持っている神様ですから、精密な言霊の選り分けはできないけれど、初期の大雑把な判別はできる神様ですから。
メモ--------------------
豊宇気比売の豊は先天構造の十四の言霊、受けは食器、入れ物、先天構造によって生産されて来る精神的な一切のもの、まず、外宮で受け取る、先の天津菅麻音図という大雑把な入れ物に入れて、それを選別してそれを御倉棚に並べる。
そうすると内宮の天照大神が並べたのを自由に操作して世界の文明を縦貫きにして創造していきます。
和久産巣日の神 この神の子(豊宇気毘売の神)
小豆島
泣沢女(大野手比売)の神
、大島 (大多麻流別)
石拆の神
根拆の神
石筒の男の神
甕速日の神
樋速日の神
建御雷の男の神
闇淤加美の神
闇御津羽の神
、姫島 (天一根)
頭に成りませる神の名は 正鹿山津見の神
胸に成りませる神の名は 淤滕山津見の神
腹に成りませる神の名は 奥山津見の神
陰に成りませる神の名は 闇山津見の神
左の手に成りませる神の名は 志芸山津見の神
右の手に成りませる神の名は 羽山津見の神
左の足に成りませる神の名は 原山津見の神
右の足に成りませる神の名は 戸山津見の神
「黄泉国--愛憐未練」
「言戸渡し--手切れ千引き」
「身禊ぎ祓い--検証、摂取、再生」
、知訶島
伊耶那岐の大神
衝き立つ船戸の神
道の長乳歯の神
時量師の神
煩累の大人の神
道俣の神
飽昨の大人の神
奥疎の神
奥津那芸佐毘古の神
奥津甲斐弁羅の神
辺疎の神
辺津那芸佐毘古の神
辺津甲斐弁羅の神
「身禊ぎ祓いの確認」
、両児島
八十禍津日の神
大禍津日の神
神直日の神
大直日の神
伊豆能売
底津綿津見の神
底筒の男の命
中津綿津見の神
中筒の男の命
上津綿津見の神
上筒の男の命
「三貴子」
天照大御神 ・世界文明の創造者
月読の命
建速須佐男の命