禊ぎ五神。(メモ)
0・ 現象相手の判断規範(先天規範の位置)がある。・衝立つ船戸・ (言霊ウの位置・・現象となっているものが相手対象だから、ウ<ア・ワの全体となった御中主。
1・ 事を、心にある事を、自分の心の相手にしている。・御帯・道の長乳歯(在るものが有る、過去履歴の内実実相が今に現れその関連連続性が今に表現される。言霊オヲ。
2・ 御も(ひだスカート)・時(処位)置か師。ここに有る物の関連連続性が今現在から現れてきて、これからそのあり方をしめす姿。言霊エヱ。
3・ 御衣(みけし)・煩累の大人。衣料・心のころも・心を覆い隠す衣料。それによって悩み苦しみ心配を得る曖昧不明瞭を形成する主たるものを確認する全体的な感情判断に係わるもの。言霊アワ。
4・ 御袴・道俣。 二股に分かれる分岐点。表裏、陰陽、主客、前後、左右、上下等の取るか取らないか食べるか食べないかの分離点の見極め。これは現時点の現時点たる今を得ることで、言霊ウ。
5・ 御冠・飽ぐいの大人。冠は頭に被り隠すものだが、外したところで頭の中は見えない意思の世界。1~4として現わすことで、明らかに(あき)心の組み合わせ(くい)が表出されるその大本の主。
以上五点、禊ぎ準備五神 ・ 客観世界のあり方 ・ が、主観内真理である衝立つ船戸の言霊五十音図で検討される。
ついで、禊ぎの働き六神 ・ 主体世界の心の動き ・
・ 道の長乳歯(連続性) ・オ ・ 過去-今。
・ 時(処位)置か師(音図に於ける時処位の決定) ・エ ・今-未来。
・ 煩累の大人(曖昧さの除去) ・ア ・今全体。
・ 道俣(物事の分岐点の確認) ・ウ ・ 今現在。
・ 飽ぐいの大人(物事の真実の姿の確認) ・ イ ・ 今に成る今にする。
は 衝立つ船戸の実体となる。
五神はそれぞれが自立した次元層の性質を持つと同時に五次元全体を説明確認する。
(母音側)・客観世界の実体側の検討内容のこと、
(父韻側)・これが心において動く仕方を確立したのが天照すの鏡となっていく。
禊ぎの働き六神。奥←-→辺。
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以下引用。
天津菅麻音図に入って来た外国の文化の実相(道の長乳歯の神、時量師の神、煩累の大人の神、道俣の神、飽咋の大人の神)を品定め(奥・辺の六神)します。
例えばお子さんが熱を出した、お母さんは薄着をさせたせいかなと、吾子を自分の体のごとくに視ています。体温は何℃くらいあるのか、どう処置をすればいいのか、吾子を思う心から遠ざける。
夫婦でもそうです、相手を客観視している間は絶対に仲直りできません。あの人がこう言ったということは、私はこう言われたということですから、相手は客体です。あの人は「お前はのろまだ」と言った。その言葉を自分のことと思う、「のろま」は真実かどうか、確かに「のろま」なところがあるよなって。
他の文化が入って来た時に、どのように摂取するかの鏡にいたしましたのが、衝き立つ船戸の神でございます。
次に道の長乳歯の神から四神を生みます。外国の文化を摂取した時に、どういう文化なのか、実相の姿を調べます。そしていよいよ摂取し、消化し、自分の生命にする働きが始まります。それが奥疎の神からの五神に当たります。
帯は長くて締めたり結んだりするもの、事象の関連を調べる(緒霊)、道は道理、長乳歯は赤ちゃんの歯が生え揃って一本も欠けていない状態。心を結んでいる紐という事から物事の間の関連性を意味する事と考えられます。
衝き立つ船戸の神を立てて、摂取する黄泉国の文化の内容の他との関連性を調べる働きをする神名ということになります。他文化とどの様な関係を持っているかを調べる働きが生まれて来たという事になります。
こういうことは日常でやっていることです。新聞の記事に載っていたことは自分とどういう関連があるのか、関連を調べる判断力の本になる神様ということが出来ます。
どんなことが起こっても、戦争で原爆まで使いかねないことを宣言している場合に、それは自分の責任であると思えますか?
外国の文化がどんどん産まれ出てくるのを人類の歴史にどのように当て嵌めていけばいいか。それぞれの文化はどういう部署を受け持っているのか、取り入れ、活かし、人類文明の糧としていく。
外国から帰ってきました時に実際の内容がどういうものかを判別しなければなりません。その判別方法が五つの神様によってなされます。
帯を投げ棄ちましたら「道の長乳歯の神」が生まれます。道は道理です。長乳歯とは、若い歯が生え揃った幼児の歯というわけです。ずっときれいに並んでいる歯ということから、物事が切れ目無く連続している性質又は関連している事を調べる心の働きという意味です。
外国の文化が来た時、これは知っている事が順序正しく主張されているかどうか、又は他の文化との連続性はどうか関連性はどうであるか、突飛でもって全然関連性がない空想的な事なのか、それとも完成された現実のものなのかと言う事をまず調べる働き。この関門を通らせるという事です。
「次に投げ棄つる御帯に成りませる神の名は、道の長乳歯の神」伊耶那岐の大神の着物のうちの帯を投げ棄てたというのですから、その着物といいますと心の裳(も)、つまり衣で、伊耶那岐大神の心の構造の音図を天津菅麻(あまつすがそ)音図といいます。菅麻とは清々しい衣という意味です。
その音図は人間がオギャーと生まれた時、知識も何も無い時に既に授かっている天与の心の構造は何か、それを天津菅麻音図と申します。その菅麻音図にのっとって、外国の文化学問の曖昧さを無くし内容を明らかにしょうと言うので、その帯を投げ棄つこととなります。
帯というのは長いもので、体を結わえたりまとめたりするものですね。という事から「緒霊」ということです。緒は鼻緒というように長いもの、それを結んでまとめたりするんですな。ですから連続性とか関連性とかいう事に哲学的に言いますと通じるんです。
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道の長乳歯(みちのながちは)の神。「身禊」。4。
次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、
道の長乳歯(みちのながちは)の神。
次に御帯を投入しますと、道の長乳歯の神が生まれました。道とは道理という事。長乳歯とは、子供の生え揃った歯が一本も欠ける事なく長く続いて並んでいるの意であります。
投げ棄つる御帯の帯とは緒霊の意で、心を結んでいる紐という事から物事の間の関連性を意味する事と考えられます。
そこで道の長乳歯の神とは、摂取する黄泉国の文化の内容の他との関連性を調べる働きという事になります。黄泉国の文化が他文化とどの様な関係を持っているかを調べる働きが生まれて来たという事になります。
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ここでちょっと先の見通しをつけるために先走ったメモを載せておきます。
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伊耶那岐の、われわれの、どのような主体による判断思惟行為も、静的、動的な方面から見ていけるでしょう。
今後の展開はまずは客体と関係を持つため穢れの可能性がある神達のストリップ、ついで純粋主体内での穢れの可能性を持つ八十禍津日の神以下の話になります。
静的なとはある判断を廻りから見ることで、
動的なとはある判断を動きに沿って見ていくことです。
まず衝き立つ船戸の神の全体判断の俯瞰図がきます。
確かな父韻の働きにより、母音から半母音へ渡るため一つ一つの戸を開けて全体を通過する。(五十音図の横列)八父韻の中で一番強い父韻が支配的となるでしょう。
静的。
静的な判断とは提出されたものに対することです。
●道の長乳歯(みちのながちは)の神。○お・過去経験○御帯
-判断を据えてそれと他の物事との関連性、他の事物の連続性のどこの時点にいるかを調べる。
注)「他の」と言いますが「他」と「自」の統一されたものを指しています。「他」へ向かうことはとりも直さず「自分」に向かうことでもあります。
●時量師(ときおかし)の神。(処、位。)○え・変移と選択のリズム○御嚢
-判断を据えてそれが他の物事の実相の変化のリズムのどの時点にいるかを見極める。
●煩累の大人(わずらひのうし)の神。○あ・心に響く実体○御衣
-判断を据えてそれが他の事物を不明瞭さをもたらすことなく自身の不明瞭さも排して言葉の意味をはっきり確認する。
●道俣(ちまた)の神。○あ-わ○御褌
-判断を据えてそれが出てきた自分と他物の分岐点を明らかにする。
●飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。○明らかにむすび○御冠
-判断を据えてそれが他の事物から実相を明らかに見て取れそれを言葉に組んでいく。
動的。
動的な視点は目標対象客体と関係するのに自らが動いていて、客体を独占したくなり、相手にまとい付くことになります。以下のようになるでしょう。
●奥疎(おきさかる)の神。○途上(現在位置)のもの(父韻)を始めへ○左の御手の手纏
-自分を主張しようと物事の発端に無理にまとい、結び付こうする
●奥津那芸佐毘古(おくつなぎさびこ)の神。○父韻の途上のものを第一父韻へなびかせ繋げるものを探す○左の御手の手纏
-自分を主張しようと他物を利用して事物の発端につなぎ留めようとする。
●奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。○現在位置と端緒への差異を縮める○左の御手の手纏
●辺疎(へさかる)の神。○途上(現在位置)のもの(父韻)を終わりへ○右の御手の手纏
-自分を主張しようと物事の終端に無理にまとい、結び着こうとする。
●辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。○父韻の途上のものを第八父韻へなびかせ繋げるものを探す○右の御手の手纏
-自分を主張しようと他物を利用して事物の終端つなぎ留めようとする。
●辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。○現在位置と端緒への差異を縮める○右の御手の手纏(最後の身に着けた物を脱ぎ去る)
-自分の主張と客体間の終端との間を取り去り減らそうとする。
ついで純粋主体内に一歩踏み込む。
意識の操作法とはどんなものか、実際にどうなるかを見たいものです。