その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。
高天原日本以外の国々のすべての文化を十拳の剣で分析・総合し、黄泉国の文字の根本原理の内容を悉く知り尽くしました。黄泉国の文化の内容の全部の検討が終り、黄泉比良坂の坂本に到着したという事は、坂本が黄泉国と高天原との境界線になっているという事が出来ます。言い換えますと、此処までが黄泉国、ここから先は高天原となるという地点であります。となりますと、坂本に至ったという事は高天原への入口に到着した事ともなります。先に伊耶那岐の命は妻神を追って高天原より殿の騰戸(あがりど)から黄泉国に出て行きました。騰戸とは高天原の言霊構成図で半母音のワヰヱヲウの事と説明しました。殿の騰戸と言えば、高天原から黄泉国への出口であり、黄泉比良坂の坂本と言えば、黄泉国から高天原への入口という事になります。
黄泉比良坂まで逃げ帰った伊耶那岐の命は、坂本と境をなす高天原の五半母音の列(左図参照)の中のヱヲウの三言霊を手にとって、黄泉軍を撃ったのであります。言霊五十、その運用法五十、計百個の原理を桃(百[も])と言います。その子三つとは半母音ヱヲウの三言霊です。伊耶那岐の命は黄泉国より逃げ帰りながら、十拳の剣を後手に振って、黄泉国の文化の一切を人類文明に吸収処理する方法を確立する事が出来ました。その処理法には主として三つがあります。一つは黄泉国の五官感覚に基づく欲望性能より現出する産業・経済活動を処理する方策の結論である言霊ウ、次に経験知よりの主張を処理する結論である言霊ヲ、また、その次の総合運用法の処理法である言霊ヱの三つを「桃の子(み)三つ」と呼びます。この三つを持って八くさの雷神と千五百の黄泉軍を撃ちますと、「我々黄泉国の文化の客観的研究法からでは到底これ等の処理法を手にすることは不可能だ」と恐れ入って逃げ帰ってしまったのであります。 (島田正路著 「古事記と言霊」講座 より)
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