今までの心の先天構造を構成する言霊として現出したものは言霊ウアワオヲエヱであります。これ等の言霊の中で主体側に属するものは(ウ)アオエであり、客体側に属するものは(ウ)ワヲヱとなります。言霊ウは一者であり、主体でも客体でもないもの、或いは主体ともなり、客体ともなるものです。この様に分別しますと、まだ出て来てはいませんが、言霊イとヰも同様に区別されます。すると主体側として母音ウアオエイ、客体側として半母音ウワヲヱヰの各五個が挙げられます。主体であるアと客体であるワが感応同交して現象子音を生むということは既に説明しました。更にまだ現れてはいませんが、この次の説明として出て来ます主と客を結ぶ人間の心のリズムである八つの父韻というものがあるのですが、豊雲野の神の「雲」が示す「組む」という働きが実際には主体である母音と客体である半母音を結び組むことを意味しているという事、また母音五、半母音五の中で、半母音五を言霊ワの一音で代表させますと母音と半母音は六、それを結び組む八つの父韻八、六と八で合計十四となります。まだ説明していない言霊の要素を先取りしてお話申上げておりますので、読者にはよくお分りにならないかも知れません。これについては言霊エ・ヱの次に出て来ます言霊父韻と言霊イ・ヰの項で詳しく説明させて頂きますが、「豊」の字の示す十四とは、右に示しました母音五、半母音一、それに八父韻合計十四数のことなのであります。これを先天構造の言霊数十七の中の基本数を表わす数としています。人間の実践智の性能とは結局はこの十四の言霊をどの様に組むか、の性能の事なのであります。これは言霊学の基本となる法則であり、豊の字は日本国の古代名である豊葦原水穂国にも使われております。
国の常立の神・言霊エが人間の物事を創造して行く実践的・主体的行為の働きであるのに対し、豊雲野の神・言霊ヱは実践的智恵によって創造された各種の道徳並びにその規範に当ると言うことが出来ます。
言霊エ・ヱの道徳実践の性能は他の人間性能に依存せず、独立しており、また先天活動として実際に現象として現れることがありません。「独神に成りまして、身を隠したまひき」となる訳であります。
言霊オの経験知と言霊エの実践智とは現在同じように思われています。けれど全く次元を異にする違ったものなのです。経験知は既に過ぎ去った現象、または現象と現象同志を想起して来て、そこに起る現象の法則、または現象間の関連法則を調べることによって得られる知識です。実践智とは今起っている現象に対し、如何に対処し、新しい事態に創造して行くか、の智恵のことです。両者には大きな相違があります。
人は何か対処し、処理すべき事態に遭遇した時、先ずその事態が如何なる原因によって起ったのか、を調べます。この調査は経験知によって行われます。今まで過去に起った同じ現象と比べて、今回の事態が過去と同じか、違いがあるとすれば、それは何か、を調べます。以前起った現象と様相が全く同じであるなら、その以前に経験した対処法をそのまま採用すればよい事となります。この場合、経験知がそのまま実践智となり得ます。問題は起りません。
けれど今度の事態が過去に似た事例を見ない出来事だったり、似た事例があったとしても、その他未知の要素が含まれているような出来事であったりした場合、経験した知識だけでは判断出来なくなります。この時、実践智という人間の性能が浮かび上がります。言霊エの実践智とは、言霊ウの欲望、言霊オの経験知、言霊アの感情の各人間性能をどの様に按梅して物事に対処したらよいか、を決定する智恵なのであります。この智恵も経験知と同様人間に生れた時から授かっている生来の性能なのです。
現代の教育はこれ等経験知と実践智の全く違った人間性能を混同しているようであります。その結果、知識教育一辺倒になり、知識を覚え、その知識を利用する性能に劣る人の存在をやゝもすると疎外視する傾向があるのを否めません。人間に生来授かっている性能と言えば言霊ウオアエイの世界から発現する五つの本質的性能があります。単なる数学的計算で見ても、経験知識的(学問)性能は人間全人格の「五分の一」に過ぎません。経験知で他より劣る人は、よく観察するとそれ以外の性能で思いもよらぬ優秀な才能を持つ人が少なくありません。今の学校教育の中で経験知・言霊オと実践智・言霊エとが全く違った次元のものなのだ、という事を知っただけでも、若い人の教育がもっと活気あるものになるのではないでしょうか。
経験知と実践智、言霊オと言霊エの相違は、その精神構造を図形で示しますと、更に明らかとなります。経験知による勉学の精神構造は三角形△で表わされます。その形而上は△で、形而下は▽で示され、その総合は(図①)の形となります。これを篭目と呼び、イスラエルの国旗に使われます。主として欧米諸国(西洋)の精神構造がこれであります。
これに対し実践智の精神の構造は方形□で表わされます。形而上は(図②)の形で、形而下は(図③)の形で示され、総合は(図④)の形となります。この精神構造は主として東洋精神の伝統となっています。この形を東洋哲学で框(かまち)と呼んでおります。この三角形と方形の精神構造については後程詳しく説明いたします。
古事記の文章を先に進め、八つの父韻の話をいたします。