「内容」と「事実」
内容というのは、事実じゃないのです。事実っていうのは「オギャー」って生まれた子供のこと。子供の内容じゃありません。「子供が生まれた」という事実。その内容は「ナ」です。生まれた事実は「コ」です。何だかわかんなくなっちゃいますか。
「わたし」というのが事実です。ここにいるわたしなんです。名というのは、わたしは島田正路と申しますから、名は体を表す。姓名学の先生だったら、想像するでしょう。だけど姓名学じゃなくとも、名前を見たり、または見て、「あ、この人はこういう人かな。ああいう人かな」とみなさんが想像する、それは名でございます。わたくしの内容。
「内容を持ったひとりの人間」っていうのが、事実です。この事実が大宣都比売(オホゲツヒメ)の神、内容が天の鳥船というわけでございます。その区別を、よく覚えておいてくださいませ。日本語は、「内容即事実」ではないのです。「内容を持った事実」なのです。「ヒフミヨイムナヤコト」と言ったら、コという事実は十の和じゃないのです。そういう事実を持った結論は、また別なのです。
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「内容」と「事実」?¬
国連行ったって何だって、みんなやってますよ。事実なら認めるかって。「事実だ」って言ってるのに認めない。このあいだ国連の科学委員会でもって、「2080年には地球の表面温度が6度上がる」って。一番少なくて2.4度かな。高く計算すると6度上がるって。これ、事実です。でもみなさんみんな認めないでしょ。「そうなの」って。
「そうなの」っていうのは、認めたことじゃないですよ。「そりゃ大変だ。どうしよう」っていってはじめて事実を認めることになる。「事実でしょ」っていうと「そうだ」って。「じゃあ認めるか」っていうと「NO」っていう。人間っていうのは、事実と、内容と、それを認めるというのとはみんな別なんです。おもしろいんですよ、これが。
そういうことを、古代の言霊の学問はすべてそれをピタッと分けて考えて、「こういうことがあるんですよ」ということを知らせてくださっているわけです。
それがどういう結果になってくるかというと、いまの世相を見ればよくわかりますな。どこがどうでどう間違っちゃってるのかということも、その次に考えてくると、よくわかってまいります。
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親と子
「この一番おわりのところに書いてあります子音というものはわかりましたか」って。「親から出てきたのが子だから、子っていうのは親の全部を引き継いでる。だから、わかるよ」って言ったら、間違いなんです。
子供は親のすべてを受け継いでます。それは間違いがないでしょ。ですけど、子供はプラスαを持ってます。親にないものも持って生まれてくる。これが、この世の中のおもしろいところ。
アとワと分かれたものが交わって、それで子供を産むんだから、アとワの性質は全部受け継ぐことは間違いありません。だけど、この結合して出てきた子供は、このすべてを内容として受け入れて、それだけで生まれてきたわけではございません。プラスαを持ってる。
この人とこの人とが交渉した結果、「こういう契約をしました」という契約書を作りますでしょ。そうすると、この契約書の中では、こっちの人もこっちの人も意思は全部入っているわけです。「これでいいです」って言うんだから。そうすると、その契約書が、こっちとこっちを束縛する。そうなりますでしょ。
これは理屈でいうと難しいですけれど、実際の話のやりとりでいけば明瞭にわかってくる。「内容はこうなんですよ。おわかりになりましたか」っていうと、「わかった」って言う。「それじゃあ事実をこうやって認めなさい」っていうと、「認めない」って言う。よく言ってるじゃないですか、議会で。喧々囂々(ゴウゴウ)とやってて、「事実はこうでしょ」っていうと「そうです」。「じゃ、認めなさい」っていうと、認めない。「わたしはこう思う」。
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親と子?¬
子供が親を規制するのはなぜだっていうと、親から生まれた第三者であるからなんです。だから第三者が二者を束縛してる。いまそれでもって不登校だなんだかんだって言ってる教育の問題は、ここにあるんです。
このことを正面から「事実だ」ととってくださると、解決はすぐついちゃうんです。
親御さんが不登校になった子供のことをよーくわかって、「こんな子供に育てようとは思わなかったんだけれども、わたしの不都合でこういう子供に育てちゃったんだ」って。学校がいけないとか、いじめる子がいけないとかっていうのは、これは別の話として。それで「自分の子供がこんなになっちゃったのはわたしのせいだ」ってご両親が見て。
それで悩むだけじゃ、何も出てこないのです。「わたしのせいで起こったけれど、悲しいかな、わたしはその解決策を何にも持ち合わせない。いくら泣いたって何したって、持ち合わせはないんだ」。そこまで行ったら家庭は乱れるだけですけれど、解決のしようがその次にあるのです。
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有り難い
そんな人間でも生きてる。このご両親が。そんな、子供に何にもしてやれないほど情けない親であるんだけれども、「わたしもこれでオギャアと生まれてから何十年て、生かさせていただいてる。こんなへなちょこでもちゃーんと生かさせていただいてる。なんてありがたいじゃないか」って。
「あー、ありがたいな」と思って、その「ありがたいなぁ」という目でお子さんを見てごらんなさい。お子さんを責めることもサッと消えて、学校を責めることもサッと消えて。「ありがたいなぁ」という目で見ると、そこに光が射してくる。
光が射してくればしめたもんです。「こうやればいい」っていう次の手段は、すぐ心に浮かんできますから。喜んで次の手段を取ればいいのです。すべて解決。「そんなうまくいくかな」っていう顔をして見てらっしゃる方もいますね(笑)。
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