淡路(あわじ)の穂(ほ)の狭別(さわけ)の島まで。
2009/6/11(木)
淡路(あわじ)の穂(ほ)の狭別(さわけ)の島まで。
ここで注意しなければならないのは、二人の命の行為はオノゴロ島上での出来事で、常におのれの心の上に立っているということです。これからの国生みもおのれの心の国を生むので地名は説明の為の謎解き用の借り物です。ここでは場所探しはしません。
ですから「国土」と言いながら「島」を生むことも、元にあるおのれの心の二つの表現で、心を実体的に捉えるときには国と言い、その作用を見ているときには島と言っています。
「国」は心を組んで似せたもの、組み上げて実体と似た物に成っているときに使用し、、
「島」は心の方に向いて作用を占めて(締めて)まとめあげたときに用い、
共にオノゴロ島の別々の表現です。
人の意識が表明される時には必ずこのような二分化が起きるというのが言霊意識の教科書である古事記の特徴です。
島生みは次の順になりますが、それは当然こころの作用の手順として見ていくことが出来ます。
先天性を受け持つ神名と対応させて見ていきましょう。
「淡路(あわじ)の穂(ほ)の狭別(さわけ)の島を生みたまひき ==御中主の神。
次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき==高御産巣日の神、神産巣日の神。
--この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。
------かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、
------讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、
------粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、
------土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。
次に隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき==天常立の神、国常立の神、豊雲野の神、宇摩志阿斯訶備比古遅の神。
----またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。
次に筑紫(つくし)の島を生みたまひき==父韻八神。
--この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。
------かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、
------豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、
------肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、
------熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。
次に伊岐(いき)の島を生みたまひき==伊耶那岐の神、伊耶那美の神。
----またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。
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次に津(つ)島を生みたまひき。
----またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。
次に佐渡(さど)の島を生みたまひき。
次に大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。
----またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(もそらとよあきつねわけ)といふ。
----かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。
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然ありて後還ります時に、吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。
次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。
次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。
次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。
次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。
次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。
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既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。」
淡路(あわじ)の穂(ほ)の狭別(さわけ)の島==御中主の神の宝座。
国生みの岐・美の命たちの行為の始まりに愛情表現がありました。これは次ようなことも示しています。
まず情緒情感等五感に訴え掛けなければ何事も始まらないということです。瞑った眼を開いて物を見る、プーンと鼻についた物を思う、突如出現した富士山に圧倒される、等ものごとの持続の始まりには全体的な印象がまず五感や情感意識あるいは理性意識といったものが与えられます。
岐の言葉はそのことを指していて物と物の作用反作用では意識上の創作行為はうまくいかないというとです。
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淡路の穂の狭別の島--御中主の神の宝座。
下はアイウエオ五十音図の一つです。
ア・カサタナハマヤラ・ワ
イ・キシチニヒミイリ・イ
ウ・クスツヌフムユル・ウ
エ・ケセテネヘメエレ・エ
オ・コソトノホモヨロ・ヲ
------。
淡路というのは淡への道、ア~ワへの道という意味で、上図のア段でアの母音からワの半母音へ渡っていく路ということです。。
アもワも下の母音(半)の代表ですから、以下同様です。
穂は実のなった実体、実相を身につけた(稲)穂で、
狭別は松葉が二つに別れる寸前の部分、新芽が双葉になろうとしている、二方向を持っているかいないか分からないけど確実に別れていくだろう狭い狭い別れはじめ領分(狭別・さわけ)のこと。
萌芽の比喩です。実体として見れば一つの全体ですが、その働きを見ると相手に向かい自分を見つめ、向こうを意識しこちらを反省するその統一体の動きです。
御中主の中は中心点であるにせよ中心線であるにせよ、必ず向こう側へとこっち側へとの動きが同時に起こる。
動きのあるところは、例えば目的地に近づくとは出発地から離れるという頓智みたいなことが常に起こる。古事記では自分の心の島であるオノゴロ島をつくって、意識の元となる天の御柱と八尋殿を設定してここから意識が発せられ、言葉が発せられる状況を初期設定しました。
意識における御中主の神とはその初動状態を見るとき次のようになるでしょう。
意・心で思うこと・は対象を識別することで、自己主体側と他者客体側の二者を判別することですが、まず判別以前の状態があるとし、その定在が何かを欲するとき、何か分からないが自分に欲する思いが出てきて何か欲するものがあるらしいと気がつく。
何かを知ろうとするとき、何を知ったのか分からないし知ろうとする自分がどうなるかも知ることはまだない。
何かが動いて感じるときも、感じるものはそこにあるらしいとは気が付くが、何にも判定するものがない。
これを実行しようとするときも、動きだす自分と動いていく自分と、近づいて来る相手近づいていく目標の相違がありそうで無さそうな混沌としたものが混在していることに気づく。
古事記ではこのほんの始めの部分をア~ワへの路として淤能碁呂島の淡路と名付けました。地図上で島を探せばあちこちに点在するものでしょうが、古事記では全て心の淤能碁呂島上に拡がる心の島のことです。
実際の生活上、思考上ではわざわざ始めの始めを解剖することなどないでしょうが、古事記とはそれをやってしまった書物なのです。そればかりか意識の先天構造までも解明してしまった驚くべき頭脳なのです。
参考にしているHP『言霊百神』を読んでいる分には解るのですが、いざ自分に引きつけると迷います。。
淤能碁呂島上で天の御柱を立てるわけですが、人間性能の五次元のこと、異次元間では話が通じないこと、始めで主体のア行からワの半母音行の客体にまで橋を渡るのに途中の八父韻の働きが必要なこと、等書かれたことは解ったように思う。
穂の狭別がア~ワへの泡がはじける直前のことを指しているのも解るが、何か解らないものがある。ことに天の御柱との関係が解らない。
つまり、今、淡路の穂の狭別の島--御中主の神の宝座についたということか。
この宝座の特徴は混沌未明朦朧たるものの総体総意で、それがそのままがわたしに与えられるということになるのか。
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淡路穂狭別島--御中主--心の御柱
なにしろ頭脳内の精神意識の流れを書き出そうというのですからそう簡単ではありません。
ゼロコンマゼロ何秒かの世界を敷衍して古事記の上巻はできています。なんとか具体的なことを持ち出して比喩を使って納得したいと思う。
柱とか中心とかは動かないといっても相対的なものです。動いていないという意識の切り取りがあるので現象が動いていないとしているだけです。
では現象それ自体が動いているのでしょうか。それも意識が現象を受け入れなければ動きはありません。
この間わたしの娘ですと言われて、ああそうですか、というところまではいいのですが、娘の何々ですと言われたときには、おやどうしてこんなに大きな子がいるのだろうかと不思議でした。というのもわたしの頭の中でのあの人の娘は七、八才の小学生でしかありません。それが今や全くの別人となって十年近くが過ぎていたのです。
わたしの意識の中では前回合った娘さんは小学生のままでいたのです。
わたしの心の御柱は不動のままの記憶としての例です。、
と同時に相手に対してノーといって自分の心の御柱を固定した例です。あの人の娘はこうだと判断の相手を固定していました。こういうことはよく起こることです。
それは別の言い方をすれば、自分の意識していた娘の姿を常に保っていた、天の御柱と言われるごとく意識判断の純白さ穢れない不動な心でいられたということです。そこには十年の歳月は存在していませんでした。
もちろん現在の姿を見ていないことですが、ここでは穂の狭別の話なので意識の出発点に常に戻ります。ですので娘さんを視覚と記憶でもって確認した訳ですが、狭別とはその始まり部分です。現在の娘さんを見てその記憶とぶつかりその差異に気づいたところです。
まず娘さんを目前にしますが、娘ですと言われるまでは誰だか知らない人です。わたしの記憶も意識もその人を特定できません。
言われて始めて、頭脳内での意識活動が始まります。娘というからにはわたしの知っている姿はこうこうでこうだったはず小さな女の子と、情報を掻き集めます。
集めた情報は当時に感じていた感情なり意識なりをも含めて、娘さんはこういう子だったはずという総体の姿ができます。
自分の中から浮かんできた全体的な姿を自分は擁護してそれが正しいはずと自分のどこかに結び付き先を探します。
そこで当時のイメージと思い出が自分でつくった情報の集約先になっていきます。
わたしにはそれしかないので当然決定した状態となって、自分を納得させようとします。
イメージも情報も全部わたし自身の中から出てきたもので、それらを集約していきます。
目前に誰が居ようとわたしの記憶には、娘さんとは小さな女の子だったという意識が固まり、目前の状況に照らし合わせます。
目前か出てくる情報との差異は非常に大きくても自分の中で煮詰めてしまった意識は既に固定してしまっています。
こうして目前の女性は娘さんではないと判断していきます。
もちろんその人の娘ですが、テーマである淡路の穂の狭別の領域の話としてはだいたい以上のようになっているように思います。
これはわたしが心の御柱として動かない柱を立てたことによって起こったことです。時間にすれば一秒もかかっていない流の中のことです。わたしの思いと対象とが結び付かない例ですが、昔の面影は無くとも親に似た顔つきからは直ちに娘であることは納得できたのです。
ここで見直したということは、動かない柱が建て替えられたことを示しています。新しい視覚の印象が新しい心の柱となっていくでしょう。
「次に伊予之二名島を生みき」です。古事記では「次に次に」と続いていきますが、上記の例を使ってできるかやってみます。
ここの古事記でいう次々というのは、一段落去ってべつの段落へ行くことではなく、つまり、子供から大人になった少女を見て、さらに成長していくことを述べるのではなく、淡路の穂の狭別内での「次に」という意味です。その解説に成功することがとりも直さず「次」の段落へ成長していくのと同じ構造を持っているということになります。
場面は変わらずわたしの意識が出てきたところです。
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