伊豫の二名島。ア-ワ。
2009/6/14(日)
淡路の穂の狭別の島、次に
伊豫の二名島(いよのふたなしま)
目前の女性を娘ですと言われて、わたしの意識活動が始まりました。それまで二人は居るのか居ないのかも分からない別々の場所を締めていました。それが出会いによって、娘という言葉と視覚による状況把握によって、自分はここに居て相手もそこに居ると、主と客の、我と彼の関係が出現しました。こちらの岸とあちらの岸に天の浮橋が掛かりました。
一つの状況内での両者、淡路の穂の狭別の島次に伊豫の二名島の成立です。オノゴロ島の上に対象を持とうとしている淡路の穂の狭別の島が載り、その上に淡路の穂の狭別の島全体を二分するように伊豫の二名島が載りました。(親亀の上に子亀みたいなものですが、意識の世界では上の方がどんどん大きくなる関係です)。1-2の関係です。
1-2の関係はそれぞれが二分することを見越して「面四つあり」としています。1-2-4の関係です。それは「伊予」1-2-4-8と続く「予めの伊」として命名されています。1-2-4-8と続くがここでは2の段階です。
相手を意識した途端に1から2への路ができます。それでは何故そんなことが可能なのでしょうか。それが「伊」の意味内容です。人間に与えられた先天意識で人間は従わざるを得ない宇宙の宿命です。古事記では「伊耶那岐の大神」と名付けています(「大」が付く)。いくら科学が発達して分析して行っても辿り着けず結局は伊耶那岐の大神と言うしかない、天津神です。
伊は創造意志として、最初の弾みであり弾みを動かす弾みです。イザと誘われる誘因であり、誘う誘因で、原因の原因、結果の結果を引き起こしていく力動因です。今は主客の二つに分かれていくがそれは予め「伊」の作用によるものというわけです。
創造意志がどのようにどこから来たのかをいうのは不可能です。われわれはその上に載って生きているのです。
一つのものが分かれる方向にそれぞれ生まれ成ったのが、高御産巣日の神と神産巣日の神です。それぞれ主体と客体、こっちとあっち側を主宰することを領分としています。
ここで娘を見た瞬間に我と彼という二つの名が生まれました。(二名島)
こうして、相手のことを考え思う意識が生する基盤ができます。主客の発生がなければ何も起こらず、見ず知らずのすれ違いとなるでしょう。
自分の意識を相手に吹きつけて(ふ)全体を(た)確認する(な)ことが始まります。(ふたな)この段階では詳細は分からず、いわゆる第一印象の段階です。
しかしそこには知識経験の総体とその知識を持ってする行為の可能性が控えていて直ちに頭脳内での捜索が開始されます。
それが「面四つ」になります。
愛比売(えひめ)、言霊エを秘めているの意で、経験知識が正しく実行機能するかその出所を言います。言霊オであります。
飯依比古(いひよりひこ)、飯依比古の飯(いひ)は言霊イの霊(ひ)で言霊のこと、比古とは男性で主体を意味します。言霊を依り選ぶ主体は言霊エ、即ち讃岐の国は言霊エです。実践機能を果たす主体側をいいます。
大宜都比売(おほげつひめ)、大宜都比売(おほげつひめ)とは「大いによろしい都を秘めている」の謎で、都とは宮子(みやこ)で言霊の組織体の意でありますので、粟の国とは言霊ヲの事を指します。経験知識が正しく選択される、経験、言語、習慣体系が秘められている自己の倉庫です。そこにあるものは自己の性格、性能等が色付けられています。
建依別(たけよりわけ)。建依別(たけよりわけ)とは建(たけ)は田気(たけ)で言霊のこと、依(より)は選(より)で選ぶの意で、土左の国は言霊ヱを指します。倉庫の中から実際に選びだされる言語群です。
こうして主観が固まる条件が少しずつできていきその後で発現と成ります。
次に隠岐の三子の島。又の名は天の忍許呂別。
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伊豫の二名島(いよのふたなしま)
2009/6/13(土)
以下全文HP『言霊百神』からの引用です。
『 伊豫の二名島(いよのふたなしま)
言霊ア・ワの区分、高御産巣日(たかむすび)の神、神(かみ)産巣日の神の宝座。
伊豫(いよ)とは言霊イ(ヰ)のあらかじめと意味がとれます。何物もない広い宇宙から主客未剖である意識の芽が現出します。言霊ウです。
それが人間の思惟が加わりますと瞬間的に言霊アとワ(主と客)の二枚に分れます。
人間は物を考える時には必ず考える主体と考えられる客体に分れます。
これが人間の思考性能の持つ業であります。「分(わ)ける」から「分(わか)る」、日本語の持つ妙とも言えます。
この主と客に別れることがすべての人間の自覚・認識の始まりです。言霊ウの宇宙が言霊アワの宇宙に剖判し、次々とオヲ、エヱの宇宙剖判となり、終にイ・ヰの宇宙に剖判する事によって「いざ」と立上り、現象子音の創生が始まります。
言霊イヰによる子音創生が始まりますのも、その予めに言霊アワに分かれたからでありますから、伊豫の二名(アワ)の島と呼ぶわけであります。
この島は身一つにして面四つあり。
面(おも)ごとに島あり。
身一つ、とは一枚(言霊ウ)から二枚(言霊アワ)に分れることから、身とは言霊ウを指します。言霊アワから言霊オヲ、エヱが剖判します。そこで「面四つ」と言っています。
面ごとに名あり。
かれ伊予(いよ)の国を愛比売(えひめ)といひ、
讃岐(さぬき)の国を飯依比古(いひよりひこ)といひ、
粟(あは)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、
土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。
面四つのそれぞれを言霊に置換えますと、
愛比売とは、言霊エを秘めているの意で、言霊エは言霊オから選ばれる事から、愛比売とは言霊オであります。
飯依比古の飯(いひ)は言霊イの霊(ひ)で言霊のこと、比古とは男性で主体を意味します。言霊を選ぶ主体は言霊エ、即ち讃岐の国は言霊エです。
大宜都比売(おほげつひめ)とは「大いによろしい都を秘めている」の謎で、都とは宮子(みやこ)で言霊の組織体の意でありますので、粟の国とは言霊ヲの事を指します。
建依別(たけよりわけ)とは建(たけ)は田気(たけ)で言霊のこと、依(より)は選(より)で選ぶの意で、土左の国は言霊ヱを指します。
伊豫・讃岐・粟・土左の四国は「面四つあり」の四に掛けたもので、それ以外の意味はないように思われます。』