内容というのは、事実じゃないのです。事実っていうのは「オギャー」って生まれた子供のこと。子供の内容じゃありません。「子供が生まれた」という事実。その内容は「ナ」です。生まれた事実は「コ」です。何だかわかんなくなっちゃいますか。
「わたし」というのが事実です。ここにいるわたしなんです。名というのは、わたしは島田正路と申しますから、名は体を表す。姓名学の先生だったら、想像するでしょう。だけど姓名学じゃなくとも、名前を見たり、または見て、「あ、この人はこういう人かな。ああいう人かな」とみなさんが想像する、それは名でございます。わたくしの内容。
「内容を持ったひとりの人間」っていうのが、事実です。この事実が大宣都比売(オホゲツヒメ)の神、内容が天の鳥船というわけでございます。その区別を、よく覚えておいてくださいませ。日本語は、「内容即事実」ではないのです。「内容を持った事実」なのです。「ヒフミヨイムナヤコト」と言ったら、コという事実は十の和じゃないのです。そういう事実を持った結論は、また別なのです。
これは理屈でいうと難しいですけれど、実際の話のやりとりでいけば明瞭にわかってくる。「内容はこうなんですよ。おわかりになりましたか」っていうと、「わかった」って言う。「それじゃあ事実をこうやって認めなさい」っていうと、「認めない」って言う。よく言ってるじゃないですか、議会で。喧々囂々(ゴウゴウ)とやってて、「事実はこうでしょ」っていうと「そうです」。「じゃ、認めなさい」っていうと、認めない。「わたしはこう思う」。