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言霊学ブログ 60。『何故二十年に一度か』
はじめに。古事記の記述を伊勢神宮の建築様式に当てはめ推測を交えて書いたものです。実際に見せてもらえない部分もあり仮構が混じっています。
そもそも二十年に一度という捉え方が間違えです。実際にそうやっているのに奇妙なことを言って申し訳ありません。
まず全体を捉えます。二つ並んだ同じ土地があります。二十年毎に交代すると、右と左に二十が二つで四十年です。年は「とし」と読み十・四で、十が四つということです。敷地内それぞれに五で割り切れる秘密の柱が立っていて、それが二つで十になります。5・20・20・5(または5・10・10・10・10・5)の四十と十で五十になり、アイウエオ五十音図の数になります。
柱は「心」と呼ばれていて、心の五つの主体世界が心の五つの客体側へ渡ります。そうすると五(主)から五(客)へ移り、見えない心の十が屋根の上にある十のカズオキとなって現象となります。十のカズオキは両端に千木を備えています。道(ち)の気(き)で、宇宙世界この世の現実界に心によってできた現象がそれ自体心の気(千木)となって弥栄に創造発展していく様子を示しています。心の五十音図の完成です。
最高の秘儀といわれる五で割り切れる心の御柱から始まります。それは五分の二が地中に埋まっていて、五分の三が地上部です。また柱と入っても屋根を支えていません。見えない心のように幕屋(掘っ建て小屋)で囲まれています。心は創造意志、選択意識、欲望、知識、感情の五層で成り立っていて、創造意志(言霊イ)が全ての始まりで物事を支えます。意志によって実践行為の按配配分の選択(言霊エ)が行われます。意志も選択もそのものとしては目に見えない、先天構造の中にあるため心の柱の五分の二は地下に埋まっています。
創造意志(言霊イ)が動くと選択(言霊エ)となって、欲望(言霊ウ)、知識(言霊オ)、感情(言霊ア)のそれぞれ自分の身体に訴え現象化します。これが地上部の五分の三です。アメツチ(天地)の吾(あ)の眼(め)を付(つ)けて地(ち)に成すの地になる部分です。(皇室で使用する母音の並びはイエウオアです。)
古事記は子の事(現象産む事)を記したもので、伊勢神宮は建築で子事記を現したものです。心の動きは主体が客体を見初めまぐわいをすることで成り立ち、そこに現象(子)を生じます。
心の御柱は主体側の五母音(吾の眼・あめ)が更地にある客体側の五母音に宣り渡る(つち)事で完了しますが、さらなる秘儀たる子現象の創造があります。
それが古事記の冒頭の記述を建築物にすると唯一こうなるという伊勢神宮というわけです。心の御柱の上に現象界への架け橋(次元を超える橋)となる床があって家屋が建っています。心の柱は天井屋根を支えておらず上には鏡が位置しています。仏教の五重の塔も柱は各階を支えておらず頂上には心(法輪)が載っています。仏教は心を載せるだけですが、神道は心の運用が続きます。
柱のある床上にはその心を運ぶ舟形の容器の中に鏡が置いてあります。鏡は心の鏡、思惟規範となる鏡のことです。鏡という思惟規範は実際に動かさないと役立たないため船で移動する形にしてあります。その実体は物事に名前を付けることです。物事に名前をつけて現象を確認し合うことになります。
お宮は三間(あるいは三間に見れる一間)で出来ています。造化三神のことで、御中主、タカミむすび、カミむすびのを示し、この三部屋の両端が更地と新しい場所とに対応しています。タカミムスビからカミムスビへ行くということです。先天のタカミからカミムスビへ行くことを、家屋という頭脳内意識に対応させて、更に、それを現象化(屋根から上の千木の弥栄へ)しようというものです。
この両者を取り持つのがわれわれ人間の心と実践で、儀式的にはスメる人、つまりスメラミコトが行います。その内容は心の御柱と運用規範である鏡です。鏡は四角い五十音図を八角の円で示しています。思惟規範の物象化で五十音が刻まれています。(実際には刻まれていないようですが、心は五十音の要素からなります。)
見ることができないので推測ですが、鏡を載せた舟形は「八」に関係のある材料で出来ています。(船底が八枚の板で出来ているとか?)この「八」を受けて鏡も八角になっています。この「八」は宮を支えている八・八・五・五の杭(心の八つの杭と心の五つの世界)の先天の八を五つの世界を介して意識に載せるものです。(八の意味は父韻を参照のこと)
そうすると宮内の空間でまぐわいが起こって外から見える現象となってカズオキになります。まぐわいにはその材料とエネルギーが要ります。それが外宮からやってくるものです。完成品ではないので数が少なかったり、向きが違ったり組あ合わせ方が反対だったりで、それらの不完全を鏡に照らして正しく豊かに共有できるように内宮で変換するわけです。鏡に持ち込まれる前に参拝されますが、その時の二拝二拍手一拝の二拝は主体と客体を(私と私の思うこと)を立ち上げ、二柏手は手を二回打ち、両手の十本が二回で二十を造ります。この二十が二十年交代の二十のことです。
ではその実体は何かというと、イエウオア五十音図の両側母音行を除いた四十になり、その半分のことです。どういうことかといえば、母音半母音行を除いた五十音図を見てもらうと、残り四十の半分の二十のかさたは行に限って濁音になることができます。この二十が人間にとっての心意識に特別な事柄となっています。
それは各人人間が働くのは既得の過去概念知識を持ってそれを処理していくことです。未来を創造するのは過去を改造変化変態することです。何も材料が無いところでは行えません。ここに外宮の材料とエネルギーが差し出されてくるわけです。これを主体的に受け入れ受け取ることができるのは内宮の主体側だけです。つまり材料となる客観客体側の過去を持ってこられてもそれを処理できる主体がなければならず、それが濁音の付く二十の言霊というわけです。
内宮において二十(かさたは行)の言霊と外宮からあがってきたものを、既知既得既存のものとして受け入れるために濁音を用います。この根拠は心象意識次元出で見れば、各かさたは行の清音は今現在の心象を得、がざだば行になると過去実在の心象を得ることからきています。「か」に思いを寄せ、次いで「が」に思いを寄せてみてください。濁音の「が」ははるかに清音の「か」より遠い位置にあったものとして出てくる心象を受けるでしょう。
そして鏡において濁音の「が・ざだば行」は変態を遂げ、霊満ちて(霊足り・ひたり=左)て、まぐわい相手の右(身きり)を探しに行きます。ここには清音の二十があります。
柏手の場合は十足す十(二柏手)の二十を以て各人が鏡の前で、各人の問題を解決しようとすることで、二十年毎の交代の場合は全人類的に主体側となることのできる時代となったときに、思惟規範の運用を忘れないようにしておくためでした。
従ってその時が人間と社会に来たならば、暗喩物象としての伊勢神宮は消えてなくなります。
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言霊学ブログ 59。『満足したライオンは子ウサギと遊ぶ』
満腹しているライオン一家は目前に子ウサギがのこのこ出てきても捉えて食べない。満足している猫もネズミを捉えては放ち、放っては捉えることを繰り返すが食い付かない。
人は目標を以て努力していくが目標にきりがない。一億円貯めようとする目標はいつのまにか倍々になり留まるところを知らず、本人個人を超えて会社法人に取って代わられる。人格が乗っ取られる。
金融市場では個人の使用する範囲とは関係なく、生活人生に関係する金額は不問にされる。
地球全体を買い占めても、宇宙を買いたい欲が出てくる。
(未完)
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言霊学ブログ 58。 『世界の紛争国に日本の暫定大統領(首相)を送り込もう』
紛争のある紛糾する当該国に日本人による暫定大統領(首相)を送り込む。
暫定的な日本人統治者による仕事は道徳の政治を以てする。。
あたかも母親が赤ちゃんを抱き、自らの身体と同様に育むように、紛争を摂取し、抗争を育て、その崩壊破滅する行方を示す。
しかしここでは将来平和的に治めることができる、当事者間によるいつになるか分からない解決策を提示して、未来の基本要求や未来の目標を与え、時の経過に委ねるのではない。
いまここのその時点で完結する命令を与えるのである。従って三四日で解決を与えるので長期的に地位を占めることはない。
(0)・第一の命令発布は、その国の言葉の体系に「わ行」の「わゐうゑを」形成すること、あるいは新規にアルファベットの「わ」を創造すること。
(1)・当事者同士が紛争を終結し合う意志があることを話し合わさせる。
(2)・当事者はどのような情勢になればそれぞれがそれに適合していると考えているか、話し合わさせる。
(3)・前記情勢は一般国民に理解納得を与えることができるか、話し合わさせる。
(4)・一般国民はそれで生活を楽しみ喜ぶことができるか、思いを寄せてみる。
(5)・紛争当事者に、当の当事者が係わり出て来た、それ以前の状況を確認させること。
(6)・双方に当該紛争事項が起きる以前の状況を確認し合うこと。
(7)・当該紛争物件が使用された以前の状態を確認し合うこと。
(8)・当事者が当該紛争を意識する時処位、目的意図を述べ会うこと。
(未完)
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言霊学ブログ 57。『皇室で使用する五十音図』
ブログ 『ことだまメッセージ』 からの引用。
『 2009年09月05日
コトタマ入門
今日は東京に「コトタマ入門(講師加藤恵子さん)」を受講してきました。
代々皇室に伝わってきた「コトタマ」を時が満ちてきたと皇室に関係のある草なぎ家ゆかりの加藤恵子さんがお話ししていただきました。
私たちが普通使っている五十音図は「あいうえお」ですが皇室で使う(天皇)のは「あおうえい」とのことです。
半日のセミナーでしたが私が伝えている「ことだま」とはかなり違っていました。
皇室の重要性や日常の行事(雛祭り、七夕など)の大切さをお話しされているのは共感しました。
あと「暦」の重要性にも共感しましたので更に調べてみるのは面白いと思いながら聞いていました。』
以上引用のみ。