訓読:ここにヤオヨロズのカミともにはかりて、ハヤスサノオのミコトにチクラオキドをおわせ、またひげをきり、てあしのツメをもぬかしめて、かむやらいやらいき。
訓読:またオシモノをオオゲツヒメのカミにこいたまいき。ここにオオゲツヒメ、ハナ・クチまたシリより、くさぐさのタメツモノをとりいでて、くさぐさツクリソナエテたてまつるときに、ハヤスサノオのミコト、そのしわざをたちうかがいて、きたなきものをタテマツルとおもおして、すなわちそのオオゲツヒメのカミをコロシたまいき。かれコロサエたまえるカミのミになれるモノは、カシラにカイコなり、ふたつのメにイナダネなり、ふたつのミミにアワなり、ハナにアズキなり、ホトにムギなり、シリにマメなりき。かれここにカミムスビのミオヤのミコト、これをとらしめて、タネとなしたまいき。
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旧稿
追放、世界文明創造への出で立ち。
【ここにヤオヨロズのカミともにはかりて、ハヤスサノオのミコトに千位置戸チクラオキドをおわせ、また鬚ひげをきり、てあしの爪ツメをもぬかしめて、かむやらいやらいき。】
鬚は霊気でヒケ、実体世界に内在する霊気ヒケ、爪は津の芽でツメ、神名によく出てくる津で主体側から渡す港の働きの芽。高天原での実体と働き全部の意味。
【ここに八百万の神共に諮りて】とあるように、最高神一人からでなく全体から申し渡されることがあります。
スサノウの希望は客観世界に赴いて客観物の研究創造をすることですから、高天原の精神界ではない世界に出て行くわけです。そのためには高天原の精神性を全部捨てなくてはなりません。それが【 霊気ヒゲをきり、てあしの爪ツメ 主体側から渡す港の働きの芽 をもぬかし 】となります。
別にそう言った刑罰があったとしてもその内容とも関係はありません。常に精神運用に関することです。
千位のオキドは八百万から期待されているのですから千の蔵ではなく万億の蔵を建てる、文明社会を作るということです。
続いて、その確認として高天原にいる 大気都姫の高天原の生産物を全部断ることになります。その世界創造の決意が現在全ての人が受け入れている古事記を精神運用の原理として残しつつそのように見なさないようにすることでした。
世界の歴史はこのスサノウの出奔から始まります。具体的には古代大和朝廷から世界への拡散です。ことに言語分野に残る大和語との類似と独自性はその印となっています。
大気都姫、
【またオシモノ食物を大氣都比賣神オオゲツヒメのカミに乞いたまいき。ここにオオゲツヒメ、鼻・口また尻より、くさぐさのタメツモノを取りいでて、くさぐさツクリソナエテたてまつるときに、ハヤスサノオのミコト、そのしわざをたちうかがいて、汚なきものをタテマツルとおもおして、すなわちそのオオゲツヒメのカミを殺したまいき。かれ殺サエたまえるカミの身ミになれるモノは、頭カシラにカイコなり、ふたつの目メに稲種イナダネなり、ふたつの耳に粟アワなり、鼻に小豆アズキなり、陰ホトに麦ムギなり、尻シリに大豆マメなりき。かれここにカミムスビのミオヤのミコト、これをとらしめて、種タネとなしたまいき。】
精神意識の最後を飾るのは精神の客体化です。ですので子現象を現す言霊コの大宜都比売(大氣都比賣神)が言霊五十神の一番最後にきています。大いに宜(よろ)しき言葉(霊屋子)を秘めている 大宜都比売で精神界高天原での最後の産物言霊です。スサノウの世界創造の決意からすれば余計な物ですからばっさりです。
作るときは、鼻口尻でしたが、分析の結果の身からは、次のようになります。高天原の清浄無垢な生産法のことです。
頭カシラにカイコなり、、、先天の頭では、繭を作って糸を引きます。間を結ってイの戸を引くです。
ふたつの目メに稲種イナダネなり、、、そこでまず創造意思の目とその活動場が現れます。目は芽でイとヰは五十音図稲田の元となる芽です。
ふたつの耳に粟アワなり、、、耳は母音半母音行、アとワで始まっています。
鼻に小豆アズキなり、、、アズキはア段が続くで、主体アから客体ワへ渡ります。あいうえお各行がアからワ(オヲ、エヱ、ウウ、アワ)ヘ続くことで現象を得ることを示し、
、、、そこで言霊生産が起きその言霊の陰と尻、前と後ろ、内容実相働きと客観実体側が同時に生まれます。この両者は、
陰ホトに麦ムギなり、、、ホトから生まれる動き生まれる客観物としては無気、ムキですが、
尻シリに大豆マメなりき、、、静止流動する主観物としては間の眼の働きを持った実相です。