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古事記の冒頭原文。意訳付き。
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古事記は史書の形をとり、神話部と歴代天皇史とに分けてあります。
その実、伝えたい編纂された内容は神話部にあり、それは心とは何かを解明した象徴呪示された表現での精神現象学となっています。
そこでは漢語を借りて大和言葉を読むようになっていて、大和言葉の表徴を紐解くように要求されています。
それは冒頭の一句から始まり、「天地」は漢語表記のテンチを採用するのではなく、大和の「あめつち」と読み直します。すると単なる読み方の違いとしてではなく、心の世界宇宙の内容を「あめつち」と表現したものとなってきます。
心の世界宇宙は人間生命の根源要素の構成であるその、構成要素の実在と構成要素の働き、構成要素の先在と後天よりなり、先天力動と活動現象の総体と現れをも「天地(あめつち)」としました。
古事記は、
『 阿米都知、(天地・あめつち)の初発(はじめ)の時、高天(たかあま)の原(はら)に(原注・天はアマと読む)成りませる神の名は、』
をもって始まります。
阿米都知、天地(あめつち)は
あ (吾、あたし)の
め (眼、意識)を
つ (付、対象づけて)けて
ち (智、智恵)となす
吾(あ)の眼(め)を付(つ)けて智(ち)となす(べし)
と読み下します。
人間とは「あめつち」のこと、「あめつち」をすること、「あめつち」の内容であり、「あめつち」を造る者です。 つまり、あ (吾)の、め (眼)を、つ (付)けて、ち (智)となす者です。
天(あめ)は、
先天的に吾(あ)の眼(め)、私の見るところ、私の意識となるもの、
地(つち)は、
対象に付(つ)けて智(ち)慧となすで、
そこで知恵となつたものがとりも直さず、その人の心の世界つまり天地世界になります。
ですので、
天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、は
わたしの意識である吾の眼を付(つ)けて智(ち)となす心の働く初めの時で、その心の働く場所であるのは、 高天(たかあま)の原(はら)となります。
初発、ハジメは、
端芽(ハシメ)で、芽の出始めの初っ端、出てしまった芽でなく出ようとするもの、意識の時空次元働きと対象化の端緒です。
天地の初発はまだ現象として成り出て来ていないものです。先天世界の構造をさします。
時、トキは、
ト・キで、十の機、十の機敏。時とは十(ト)の機(キ)の集合体を指すというのが古事記の見解です。冒頭の十七神の内、8から17を時の概念に読み替えます。時は十の顔を持ちます。
高天(タカアマ)の原(ハラ)に成りませる神の名(みな)は」
高天(たかあま、原注、天はアマと読む)の原とは心とは何かをつかさどる頭脳中枢です。地名ではありません。
高天、たかあま、は心の「タ」の意識と「カ」の意識の二系統の吾(ア)の意識の間(マ、居間)のことで、原はそこに言葉(ハ)が羅(ラ)列している言霊の集積場です。
そして今後この二系統のアの解明がついてまわります。
ですのであめつちの吾も上記二系列の統合されたものです。
成りませる神の名(みな)は、
まず、頭脳中枢に成り出てくる意識を構成する先天十七の意識実在と機能の神名を用いた象徴指示があります。
成りませる神は、吾の眼が付く時に生まれ出てくるので、最初からいるわけではない。また最初に生まれ出る神は十七神と決まっている。これが古代スメラミコトの大発見で、古事記の書き記された根本の理由であり、スメラミコトの存続の根拠です。そして言霊循環の中で成り出た神はまず、先天神の位置を占めます。次いで先天から成り出たものが循環します。
また、なりませるは鳴りませるで、原から鳴りませる言葉(神)です。
先天十七意識の名前を次のように名付けます。
言霊先天十七神
【01 言霊 ウ】 天の御中主(みなかぬし)の神。
【02 言霊 ア】 高御産巣日(たかみむすび)の神。
【03 言霊 ワ】 神産巣日(かみむすび)の神 。
【04 言霊 ヲ】 宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。
【05 言霊 オ】 天の常立(とこたち)の神 。
【06 言霊 エ】 国の常立(とこたち)の神
【07 言霊 ヱ】 豊雲野(とよくも)の神
【08 言霊 チ】 宇比地邇(うひぢに)の神。
【09 言霊 イ】 妹須比智邇(いもすひぢに)の神。
【10 言霊 キ】 角杙(つのぐひ)の神。
【11 言霊 ミ】 妹活杙(いくぐひ)の神。
【12 言霊 シ】 意富斗能地(おほとのぢ)の神。
【13 言霊 リ】 妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。
【14 言霊 ヒ】 於母陀流(おもだる)の神。
【15 言霊 ニ】 妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。
【16 言霊 イ】 伊耶那岐(いざなぎ)の神。
【17 言霊 ヰ】 妹伊耶那美(み)の神。
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--「あ(吾)」の心の実在の五種の意識(0から五。0は先天実在を示す)。
「あ」の世界は心とは何かの原理論である古事記の冒頭によれば以下のようになります。
それは五つの世界の重層、五重塔となります。
0。「あ(吾)」を先天原理と取る場合。主客となる以前の先験潜在の世界です。以下の五つの世界を包含しています。いつき立つ心柱およびその拠って立つ先天世界。
一。「あ(吾)」をここ現在で持続している生命意思、あるいは私の意識とその対象が五感感覚で感得されると取る場合。(ウ-ウ、有るものは有る欲望があるからという頑固もの)
二。「あ(吾)」を一般全体という生命意思、あるいは私とあなた、私の意識とその対象を感情情感全体と取る場合。(ア-ワ、淡路等と表徴されている)
三。「あ(吾)」を過去からここに延びる生命意思、あるいは私の意識とその対象が過去から来ていると取る場合。(オ-ヲ、実は借り物となっている概念知識)
四。「あ(吾)」をここから未来へ向う生命意思、あるいは私の意識とその対象が選択按配で定置されると取る場合。(エ-ヱ、選ぶ按配する思案のしどころ)
五。「あ(吾)」をここで働いている生命意思、あるいは私の意識とその対象が自由な創造性の中にあると取る場合。(イ-ヰ、隠れた創造因で誘いつつ誘われる)
全ての意識事象は今此処で上記より顕現してくる。
--「あ・め・つ・ち」の五種の意識(0から五)。
- そこでそれぞれの「あ・め・つ・ち」を見ると以下のようになります。
0。 「あめつち」を先天原理と取る場合。原理としての「あめつち」は、人は先験の構成要素を用いて先天の構造に従うようにできています。その実在と働きに沿うように実相を形成するのが正しいことです。
あ (吾)は、わたくしとあなたの、主客の剖判分別以前の総体になる、そうならざるが得ない先天実在
め (眼)は、見る眼と見られる眼、主客の剖判分別以前の意識の総体
つ (付)けては、働き、主客の意識の総体が対象に付き対象に付けられる働き、
ち (智)となすは、付く働きによって意識の対象という現象が地に付き私の意識という智となること。
先天ー主客ー付く働きー現象創造(先天)の循環をする。
意識によって剖判される以前の先天の規範となっている世界宇宙。
一。 「あめつち」をここ現在で持続している生命意思と取る場合。欲望充足としての「あめつち」
あ (吾)は、わたくしのこと、私、
め (眼)は、目前のことを見る眼、私の意識
つ (付)けては、働き、私の五感意識の対象に私の意識が付く働き、
ち (智)となすは、付く働きが意識の対象という地に付き私の意識という智となる現象を産むこと。
二。 「あめつち」を一般全体という生命意思と取る場合。感情情感としての「あめつち」
あ (吾)は、わたくしとあなたのこと、自他。
め (眼)は、全体を見る眼、私の意識
つ (付)けては、働き、私の感情意識の対象に私の意識が付く働き、
ち (智)となすは、付く働きが意識の対象という地に付き私の意識という智となる現象を産むこと。
三。 「あめつち」を過去からここに延びる生命意思と取る場合。概念知識としての「あめつち」
あ (吾)は、わたくしのこと、過去から来た私。
め (眼)は、過去の見る眼、過去の私の意識
つ (付)けては、働き、私の概念意識の対象に私の過去の意識が付く働き、
ち (智)となすは、付く働きが意識の対象という地に付き私の意識という智となる現象を産むこと。
四。 「あめつち」をここから未来へ向う生命意思と取る場合。選択按配としての「あめつち」
あ (吾)は、わたくしのこと、未来に投影された私。
め (眼)は、選択された見る眼、私の意識
つ (付)けては、働き、私の選択按配意識の対象に私の未来の意識が付く働き、
ち (智)となすは、付く働きが意識の対象という地に付き私の意識という智となる現象を産むこと。
五。 「あめつち」をここで働いている生命意思と取る場合。創造意思としての「あめつち」
あ (吾)は、わたくしのこと、私の原動力。
め (眼)は、動韻としての見る眼、私の意識
つ (付)けては、働き、私の意志の力の意識の対象に私の創造意識が付く働き、
ち (智)となすは、付く働きが意識の対象という地に付き私の意識という智となる現象を産むこと。
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「あ(吾)」の実在を実在と働きからみます。
- 次いで、上記のような「あ」を実在と取る場合。
一。「あ」を意識の実在と取る場合。
あ (吾)は、イマココのわたくしのこと、私、
め (眼)は、イマココの見る眼、私の意識、
つ (付)けては、イマココの働き、私の意識の対象に私の意識が付くこと。
ち (智)となすは、付く働きが意識の対象という地に付き私の意識という智となるイマココで現象を産むこと。
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- 「あ(吾)」の働き。
次いで、「あ」を働きと取る場合。
二。「あ」を意識の働きと取る場合。
あ (吾)は、イマココのわたくしの働きのこと、私の働き。
め (眼)は、見る眼の働き、イマココの私の意識の働き。
つ (付)けては、働き、イマココの私の意識の対象に私の意識が付く働き。
ち (智)となすは、付く働きが意識の対象という地に付き私の意識という智となる現象をイマココの産む働き。
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「あ(吾)」の原因結果先天の循環と取る場合。
ついで「あ」は原因結果先天と成る。
三。「あ」を意識の原因結果先天と取り、それぞれの位置を占める場合。
あ (吾)は、わたくしの原因結果先天のこと、イマココの私の原因結果先天。
め (眼)は、見る眼の原因結果先天、私の意識のイマココの原因結果先天。
つ (付)けては、働き、私の意識の対象に私の意識が付く原因結果先天のイマココの働き。
ち (智)となすは、付く働きが意識の対象という地に付き私の意識という智となる現象をイマココで産む原因結果先天。
かくして言霊循環の準備が整う。
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天地
(先天-働き-実在)ー(創造意思-選択-概念-感情-欲望)-(「あ(吾)」の世界、天地)。
母音。半母音。父韻。親韻。子音。
天地「あめつち」とは、イザナギの吾(あ)の眼(め)を衝(つ)き立てて智(ち)と成すこと。イザナギの吾の眼とは「いざ、いざなう」自分の意識のこと。
天地(あめつち)のア、メについては上記のようですが、天地を含め「付けて智となす」意識の主体行為による現象結果の成り立ちと成果の一連の運用についてはまだ明かされていません。
実在があって働きがあっても後天現象はまだ生まれていません。
ところで意識の現象はどのように生まれるのでしょうか。古事記が解説してくれます。古事記はまた「子」事記ですから、「子」の事の発生を解明してくれるはずです。
土・ツチ(付いて智になる)
付く、着く、等々の当て漢字がありますがその構造体は複雑です。しかしその本質は「つ」です。「つ」は次のように構成されます。実は以下全ておなじです。十七の神名を持った意識体の繰り替えしとなり、繰り返しのたびに子(子事記の子)現象が智恵となって創造されていきます。
付くには先天の構造体が前提とされます。付くはたらきがあることそして付く主体と客体がなけれはなりません。主客はその内容を持ちます。創造意思-選択-概念-感情-欲望の五重の息識です。初めはまだ現象ではありませんから「あ(吾)」の世界、天地のアとしてです。
智になる。
吾の眼が付くとそこに相互作用が起きます。それらは先天の構造体の中で起きますから、意識には分からず我々には気付きません。そこで気付かせるには現象することつまり音の発生によります。つまり意識現象にならねばなりません。高天原に成りませる神はまた同時に「鳴り」ませる神となります。
言葉となります。
構成は次の通りです。
意識にとっての実在の主体側。母音。アイウエオ。
意識にとっての実在の客体側。半母音。ワイウヱヲ。(ウは同体)
意識にとっての働きの韻。父韻。イキチニヒミ井リゐ。
その内イとゐを親韻。
そしてそれらのマグアイでできる三十二の子音現象があります。
天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、
吾(あ)の眼(め)を付(つ)けて智(ち)となすべし、今ここで意識する初めの時、
天地(あめつち)とは、意識の働く以前、働き、働いて出来る世界と出来た世界が働きかける世界の総体を指し、その循環する姿の、まずは、 意識の働く以前の先天構造世界を初めにおきます。
ここに神様の存在以前に天地がまずあったという主張がありますが、吾の眼を「付けて」初めて天地も神もあるということです。その時にまずあったというのは現象実在ではなく、先天実在です。
初めが意識されて初めて初めが意識されていきます。その意識される時を分析しますと十の機(トキ)になります。十の機智。
高天(たかあま)の原(はら)に (原注・天はアマと読む)
わざわざ原注が加えてあります。頭脳中枢を司る意識の言語野に相当します。
アメツチで意識の先天の働きが始まり、次いでそれが始まる場所が示される。高天原は意識の二方向を、「あろうとさせるものから始まる意識」と、「あったものから始まる意識」とがあり、それを、「タ」と「カ」で表現しているので、両者を示す高(たか)が用いられています。
また、高見の見物のタカで、タになるかカになるかは先天構造内のことであってどうなるかは、預かり知らぬことです。
意識の働く場所に構成される意識の吾(あ)の間の言語野に、タという口腔を全部閉じて新たなアを発する気道を用意するか、カという口腔内に出来上がっているものを吐き出す気道を用意するかの言語野に、ということになります。
成りませる神の名(みな)は、
形成され鳴り現象化され、明らかに観られるだろうことになる先天実在は。
ここで「神」という形容を外すと、「成りませる」というのは「名」です。「成りませる名」です。つまり実在を名で現すこと、名とは存在それ自体になります。
先天構造の上で働きとその場所が出来るとそこに出来上がる実在が現われます。この時点では先天にあることを指していて、意識されるときに初めて成り出てくる先天実在とは別です。他の宗教の神々のようにただいるだけの神々とは違います。吾の眼を付けて智となり、そこに初めて天地と神が同時に産まれます。物理学上の天地ではありません。
なりませるといううのは先天の吾の意識と和合が成立したことになります。
天の御中主(あめのみなかぬし)の神。次に
最初の神です、名です。つまり最初の意識です、存在です。意識の始まりとはどういうものかを示すものです。
意識の構造体が先天的にあり、それらを天地・あめつち、高天原・たかあまはらで示しました。その土俵に乗って意識(吾の眼)の実質的な中心を成す主人公が今此処にあるという実在を神の名で象徴し、言霊ウと名付けられた(神名と言霊の対応は皇室の賢所に秘蔵されている書物に依ります)。
天のは吾の眼の、御は吾の眼の実質を持つ、中はその中心的な意識の、主は主人公。
ここでは天地の初めの時を天の御中主で現しました。ということは天地は御中主であり、神は御中主です。
御中主は主という主体ですが、また同時に客体でもあります。主客に剖判しておらず、高天原に最初に現れる意識は主客同体です。
天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神
そこで冒頭は、意識世界の始まる時、頭脳中枢にできあがってくる意識の存在は、意識の中心を占める主という神の名を持つ、となります。
▼▽▼▽▼▽ 以下未完 ▽▼▽▼▽▼
次に、
というのは単なる前後の連結を指すのではなく、螺旋状の循環上昇連結をいいます。つまり御中主が意識の中心に設定されましたが、前後の脈略を持った独自の主であると共にそれらの脈略連結を秘めています。
真の皇統の始まり
意識が初めて産まれ浮かび出てくるその内実の主となり、
高御産巣日(たかみむすび)の神。次に 意識には主体側を成すものがあるという実在を象徴する神で言霊アと名付けられた。次に
神産巣日(かみむすび)の神。 意識には客体側を成すものがあるという実在を象徴する神で言霊ワと名付けられた。▼▼▼▼▼ ここから以下未完 ▼▼▼▼▼
この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。この三者はそれぞれ独自の世界を形成しているが、それ自体としては先天世界にあることなので現われない
次に国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、 ついで初期の意識の組み合わせが若くて、はっきりした形を取らず、暗く不明瞭な形容をしている初期状態の時に
葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、 意識を突き上げて次々出てくる意識の世界に成るものは
宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に 霊妙な記憶の連鎖を産み出された元となる意識の実体。次に。
天の常立(とこたち)の神。常に記憶を提出する意識の働きの実体。
この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。この二者の精神機能もそれぞれ独立していてそれ自体としては現われてこない
次に成りませる神の名は、 (上記のように)過去が今に引き出される次に
国の常立(とこたち)の神。次に 意識を常に今これからここに立たせようとする意識。
豊雲野(とよくも)の神。 ここからどこに立たせられるか配分案配された意識。
この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。 この二者も他からは独立していて他に依存しておらずそれ自身としては現われてこない
次に成りませる神の名は、次に前記実在の要素を意識に持ち来らす先天の動韻を紹介する。
宇比地邇(うひぢに)の神。次に 今ここに有るか無いかを子として現象させる動韻
妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に 今ここに有るか無いかの子としての現象を持続させる動韻
角杙(つのぐひ)の神。次に 今ここから過去の子としての現象に結び付られようとする動韻
妹活杙(いくぐひ)の神。次に 過去の子としての現象を今ここに結び付けようとする動韻
意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に 今ここから未来に向いそこで子として収まり静まる動韻
妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に 未来に今ここを受け取らせ子として拡張伸張させる動韻
於母陀流(おもだる)の神。次に 今ここの全体を開き表面に子として開花する動韻
妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。 今ここの全体を受けとり子として中心部に収束する動韻
次に 実在要素と動韻要素の揃った後に
伊耶那岐(いざなぎ)の神。次に 実在と働きを誘い、子として現象を結ぶ先天の根源韻
妹伊耶那美(み)の神。 実在と働きに誘われ、子として現象を結ばれる先天の根源韻
ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、 こうして今ここに先天の意識の働きが始まって、(みこととは、命の実在と働きとその結び付きの三つの事、上記十七神を三分したもの)
伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、 それが人の先天意識の主客の実在と働きに作用して子現象創造を誘い合うように
「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、 このまだ現象としてははっきり現われてこない意識の組み合わせを明示するようにと働かせ、創造したものを確認して、名を付け一般共有化して、分明社会を建設して行け、と、
天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依(ことよ)さしたまひき。 先天の判断器官となる発声で表明する舌を使用して、自他の天地の創造された連続を表明できるようになれと、いわれた
かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、 そこで誘い合う主体と客体の実体を意識の両端に立たせ、両端を結ぶ八つの橋板である意識の動韻を働かせて
その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、 橋の両端にいる主客が誘い合い合致して両者の創造現象とするように発音器官である舌を用いて
塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、 四つの実体世界(塩)を渡り歩き混ぜ合わし発音してみて
引き上げたまひし時に、 主客の合致の得られたものを引き上げ現わした時に、
その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、 聞き較べて主客の合致して聞き取れる形と成っていく言葉の領域が形成され、その集合統態となっていく自分の締まりとしてなっていくところが、
これ淤能碁呂島(おのころしま)なり。 おのれの心の島(締まり)となります
その島に天降(あも)りまして、天の御柱(みはしら)を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。 その心の領域を確保してから自己領域に立ち、その活動を開始する上で、自らの心の中心を確立する上での自己の実在の領域を立て、こころの拡がりを現わし発展拡張していく働きの領域を立てます。
ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、 そこで内なる片割れである自己意識の客体側実体の半母音の働きに「お前はどうなっているか」と聞けば
答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。 答えて、「心を音で表そうとしても、柱を立てるにも殿を建てるにも地盤が鳴り続けて閉まり固まることがありません」と答えた
ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。 そこで自己意識の主体側実体の母音の働きが言うには、「お前と同じ地盤に立つのに、わたしが音を出すたびに頭に子音が突き出てくる」
故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、 では、そこで主体側の子音頭をあなたの鳴り合わないところで塞いで、形のある音・現象を作ろうと思うがどうだろう」と問い、
伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。 半母音側も「それは良いことだ」と答えた
ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。 そこで主体側は「それなら自己意識の形を得るために、自己領域の主客を提供し合い、意識の実を得るためのそれぞれの間合いを取り合おう(間の喰い合い)」といった
かく期(ちぎ)りて、すなはち詔りたまひしく、 こう約束して言うことには
「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、「あなたは実体の実を取る(身切り)ようにしなさい。わたしは実体の働きをとる(霊足り)ことにする」と言って
約(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、 それぞれの実と働きを得て合わせようとするときに
伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、 イザナミがまず「永続する実体(緒常)がある」と口を開いた
後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。 そして後からイザナミが「働きのある実体(緒留め)が有る」と従った
(どのように・ある、というのを、ある・どのように、とした)
おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。 二人がいい終わった後で「働きの実体を捨ておいて、ただ有ると言うのはふさわしくない、これでは順序が逆である」といった
然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。 しかし有るものは有るという一般性は有用なので、働きを持たないまま産んだ(霊流子)
この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。 この子は言葉の一般性として言語活動の共有物として流布された
次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。 と同時に、それでも有る無いを示すことの出来るため主体から客体へ行く最低の働きだけは得させた。しかし正規の子現象結果ではない
ここに二柱の神議(はか)りたまひて、「今、吾が生める子ふさわず。なほうべ天つ神の御所(みもと)に白(まを)さな」とのりたまひて、すなはち共に参(ま)ゐ上がりて、天つ神の命を請ひたまひき。 そこで主客の意識は自らの子現象という現実を得るために、今までのやり方を反省し元に戻って、その現象の生み方をもう一度問い直した。
ここに天つ神の命以ちて、太卜(ふとまに)に卜(うら)へてのりたまひしく、「女(おみな)の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。 そこで元々有る方法である二十間を似せてそこに煮詰めるフトマニを得て、実在一般性を先に持ち出すことの非を認めて、改めてやり直すことにした。
かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、 そこで主体側は二十の間(五十音図で濁点の付けられる音つまり過去現在未来を自由に行き来できる二十の音)に立ち、まず働きを提示し、次いでそれに見合う実体を見出すようにした。そうして、
子淡路の穂の狭別の島(みこあわじのほのさわけのしま)を生みたまひき。 意識の最初の働きである、有る無しの主張の核を作る働きに対応した領域実体を産んだ
次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。 心の内容の予めの領域が主客(アとワ)として現われる領域実体を産んだ
この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。 アワジノ島の内容はオエヲヱの主客で、それぞれが独立している
かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、 アにエを秘めているからオという実体領域、
讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、 アに秘めている選る主体でエという実体領域、
粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、 ワに秘められた言霊の都のヲという実体領域、
土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。 ワに秘められた言霊を選り分けたヱという実体領域、
次に隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。 三段目に伊予の二名の隠れたものがあらわれて、面四つの内容となっているオエヲヱの大いなる心の中核となる部分(以上で心の実在領域、以下は心の働き領域)
次に筑紫(つくし)の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。 心の働きは一つだがその現れは対になった知性の律を尽くす四面がある
かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、 シリ(選択を拡げるかまとめるか)
豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、 チイ(現にあるとするかその持続か)
肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、 ヒニ(心の表面に拡がるか煮詰まるか)
熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。 キミ(過去に結び付くか過去を結び付けるか)
次に伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。 以上の十五神を束ねた自分という一つの柱となっているいのちのイの気(以上の四対のいのちの働きの出所と、前出のウアオエの実在の出所と、これを束ねる伊岐の島の三者を指してミコトの領域となる)で、ここまでが意識の先天構造を現わす。次に意識の後天現象となる。
「島」は意識の実在領域の次元の違いを現わし、一群の共通した要素のまとまりであると同時に、次の次元へ向いその前提要素となり、次次元に繰り込まれるものです。
次の後天次元の津島では前段が全部止揚されると同時に、意識により表現される要素が現われます。
次に津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。 先天の力動を心象に渡し、始めて後天現象世界を作る。先天の意識の中に有る狭く小さいな未だ手で感触を得られるに至っていないが、始めて現実の言葉となることが秘められている領域。先天の活動が頭脳内で心象イメージに渡され、心象イメージ形成の領域を形成して、まとまっていく考えや意識のあることが認められる。津は荷物を渡す集荷港。
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次に佐渡(さど)の島を生みたまひき。 心象を物象(言葉)に渡され、まとまった考えとして言葉に組まれていく。
次に大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(みそらとよあきつねわけ)といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。 物象を物質現象へ渡す
然ありて後還ります時に、
吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。 初期の運用規範。先天規範。
次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。 主体側の働き規範。八種。
次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。 大いなる運用価値を持った主体側の規範。
次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。 主体的な価値によって創造された表現現象。
(黄泉国)
次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。 主観だけの主張をたしなめる。
次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。 主客の合一した世界。
既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は 心を産む領域を確保した後、言霊を産む
大事忍男(おおことおしを)の神、次に 先天の全体が心象として押し出される。言霊タ
石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、次に 五十の言霊要素に付く主体力動で八父韻と二親韻の働き側。言霊ト
石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、次に 五十の言霊要素を秘めていて四つの意識次元の実体側の棲家となる。言霊ヨ
大戸日別(おおとひわけ)の神を生みたまひ、次に 先天の付く力動が前三者を通して宣(の)り父韻が母音に付きそれぞれの次元から個別の世界を産もうとする。言霊ツ
天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ、次に
大屋昆古(おおやひこ)の神を生みたまひ、次に
風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ、次に
海(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神を生みたまひ、次に
水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神、次に
妹(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。
この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、
沫那芸(あわなぎ)の神。次に
沫那美の神。次に
頬那芸(つらなぎ)の神。次に
頬那美の神。次に
天の水分(みくまり)の神。次に
国の水分の神。次に
天の久比奢母智(くひざもち)の神、次に
国の久比奢母智の神。
次に
風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、次に
木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、次に
山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、次に
野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。
この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、
天の狭土(さづち)の神。次に
国の狭土の神。次に
天の狭霧(さぎり)の神。次に
国の狭霧の神。次に
天の闇戸(くらど)の神。次に
国の闇戸の神。次に
大戸惑子(おおとまどひこ)の神。次に
大戸惑女(め)の神。次に生みたまふ神の名は、
鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。次に
大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、……
次に
火(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の炫毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。
この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。たぐりに生(な)りませる神の名は
金山毘古(かなやまびこ)の神。次に
金山毘売(びめ)の神。次に屎(くそ)に成りませる神の名は
波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に
波邇夜須毘売(ひめ)の神。次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は
弥都波能売(みつはのめ)の神。次に
和久産巣日(わきむすび)の神。この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。
かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。
ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、
石柝(いはさく)の神。次に
根柝(ねさく)の神。次に
石筒(いはつつ)の男(を)の神。
次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、
甕速日(みかはやひ)の神。次に
樋速日(ひはやひ)の神。次に
建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、
闇淤加美(くらおかみ)の神。次に
闇御津羽(くらみつは)の神。
殺さえたまひし迦具土の神の
頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。次に
胸に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。次に
腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の神。次に
陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。次に
左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。次に
右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。次に
左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。次に
右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。
かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。
ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。
ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。
こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。
ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。
最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、
伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。
かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いぶや)坂といふ。
ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、
「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、
衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。次に
投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、
道の長乳歯(みちのながちは)の神。次に
投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、
時量師(ときおかし)の神。次に
投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、
煩累の大人(わずらひのうし)の神。次に
投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、
道俣(ちまた)の神。次に
投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、
飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。
次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、
奥疎(おきさかる)の神。次に
奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に
奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。
次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、
辺疎(へさかる)の神。次に
辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に
辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。
ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、
八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に
大禍津日(おほまがつひ)の神。
この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。
次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、
神直毘(かむなほひ)の神。次に
大直毘(おほなほひ)の神。次に
伊豆能売(いずのめ)。
次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、
底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に
底筒(そこつつ)の男(を)の命。
中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、
中津綿津見の神。次に
中筒の男の命。
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、
上津綿津見の神。次に
上筒の男の命。
この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。
ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
天照らす大御神。次に
右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
月読(つくよみ)の命。次に
御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
建速須佐の男の命。
この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。
故(かれ)、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)如(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。
以上が言霊学の原理となる原文。
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あめつち(天地) を
吾(あ)の
眼(め)を
付(つ)けて
智(ち)となす
と読むことから始まります。
古事記の冒頭が、言霊現象学(フトマニ)に相当します。
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古事記の冒頭原文 = 謎々で書かれたこころの原理論
天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天(たかあま)の原(はら)に成りませる神の名(みな)は、
天の御中主(あめのみなかぬし)の神。次に
高御産巣日(たかみむすび)の神。次に
神産巣日(かみむすび)の神。
この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。
次に国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に
天の常立(とこたち)の神。この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。
次に成りませる神の名は、
国の常立(とこたち)の神。次に
豊雲野(とよくも)の神。この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。
次に成りませる神の名は、
宇比地邇(うひぢに)の神。次に
妹須比智邇(いもすひぢに)の神。次に
角杙(つのぐひ)の神。次に
妹活杙(いくぐひ)の神。次に
意富斗能地(おほとのぢ)の神。次に
妹大斗乃弁(おほとのべ)の神。次に
於母陀流(おもだる)の神。次に
妹阿夜訶志古泥(あやかしこね)の神。
次に
伊耶那岐(いざなぎ)の神。次に
妹伊耶那美(み)の神。
ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依(ことよ)さしたまひき。かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、これ淤能碁呂島(おのごろしま)なり。その島に天降(あも)りまして、天の御柱(みはしら)を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。
ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。
かく期(ちぎ)りて、すなはち詔りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、約(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。
ここに二柱の神議(はか)りたまひて、「今、吾が生める子ふさわず。なほうべ天つ神の御所(みもと)に白(まを)さな」とのりたまひて、すなはち共に参(ま)ゐ上がりて、天つ神の命を請ひたまひき。ここに天つ神の命以ちて、太卜(ふとまに)に卜(うら)へてのりたまひしく、「女(おみな)の先立ち言ひしに因りてふさはず、また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。
かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、
子淡路の穂の狭別の島(みこあわじのほのさわけのしま)を生みたまひき。
次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。
次に隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。
次に筑紫(つくし)の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。
次に伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。
次に津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。
次に佐渡(さど)の島を生みたまひき。
次に大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(もそらとよあきつねわけ)といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。
然ありて後還ります時に、
吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。
次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。
次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。
次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。
次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。
次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。
既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は
大事忍男(おおことおしを)の神、次に
石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、次に
石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、次に
大戸日別(おおとひわけ)の神を生みたまひ、次に
天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ、次に
大屋昆古(おおやひこ)の神を生みたまひ、次に
風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ、次に
海(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神を生みたまひ、次に
水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神、次に
妹(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。
この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、
沫那芸(あわなぎ)の神。次に
沫那美の神。次に
頬那芸(つらなぎ)の神。次に
頬那美の神。次に
天の水分(みくまり)の神。次に
国の水分の神。次に
天の久比奢母智(くひざもち)の神、次に
国の久比奢母智の神。
次に
風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、次に
木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、次に
山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、次に
野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。
この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、
天の狭土(さづち)の神。次に
国の狭土の神。次に
天の狭霧(さぎり)の神。次に
国の狭霧の神。次に
天の闇戸(くらど)の神。次に
国の闇戸の神。次に
大戸惑子(おおとまどひこ)の神。次に
大戸惑女(め)の神。次に生みたまふ神の名は、
鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。次に
大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、……
次に
火(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の炫毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。
この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。たぐりに生(な)りませる神の名は
金山毘古(かなやまびこ)の神。次に
金山毘売(びめ)の神。次に屎(くそ)に成りませる神の名は
波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。次に
波邇夜須毘売(ひめ)の神。次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は
弥都波能売(みつはのめ)の神。次に
和久産巣日(わきむすび)の神。この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。
この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。
かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は泣沢女(なきさわめ)の神。かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。
ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、
石柝(いはさく)の神。次に
根柝(ねさく)の神。次に
石筒(いはつつ)の男(を)の神。
次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、
甕速日(みかはやひ)の神。次に
樋速日(ひはやひ)の神。次に
建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、
闇淤加美(くらおかみ)の神。次に
闇御津羽(くらみつは)の神。
殺さえたまひし迦具土の神の
頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。次に
胸に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。次に
腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の神。次に
陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。次に
左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。次に
右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。次に
左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。次に
右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。
かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。
ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、并せて八くさの雷神成り居りき。
ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。
こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。
ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。
最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、
伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。
かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いぶや)坂といふ。
ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、
「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、
衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。次に
投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、
道の長乳歯(みちのながちは)の神。次に
投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、
時量師(ときおかし)の神。次に
投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、
煩累の大人(わずらひのうし)の神。次に
投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、
道俣(ちまた)の神。次に
投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、
飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。
次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、
奥疎(おきさかる)の神。次に
奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に
奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。
次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、
辺疎(へさかる)の神。次に
辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に
辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。
ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、
八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に
大禍津日(おほまがつひ)の神。
この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。
次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、
神直毘(かむなほひ)の神。次に
大直毘(おほなほひ)の神。次に
伊豆能売(いずのめ)。
次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、
底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に
底筒(そこつつ)の男(を)の命。
中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、
中津綿津見の神。次に
中筒の男の命。
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、
上津綿津見の神。次に
上筒の男の命。
この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。
ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
天照らす大御神。次に
右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
月読(つくよみ)の命。次に
御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
建速須佐の男の命。
この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。
故(かれ)、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)如(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。
以上が言霊学の原理となる原文。
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