ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、その石を中に置きて、おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、
ここまでは黄泉国、これから先は高天原という境界線が黄泉比良坂です。その高天原と黄泉国との境界線に千引の石を、越す事ができないものとして据え置いて、その千引の石を中にして伊耶那岐の命と伊耶那美の命とは各自向き合って立ち、言葉の戸(事戸)を境界線に沿って張りめぐらす時に、の意味となります。事戸を度す事を日本書紀では「絶妻の誓し」(ことづまのわたし)と書いております。即ち夫婦の離婚の宣言という事になります。事戸または言戸を夫婦の中に置きわたす事とは、夫と妻とが双方の関係を絶って(事戸)、今まで共通していた言葉に戸を立て、話が通じなくなってしまう事も同様に夫婦離婚という意味と受取られます。高天原を構成する言霊五十音を伊耶那岐・美の二神は協力して生んで来ました。それなのに今になって離婚する事態に立ち至ったのは如何なる訳でありましょうか。
先ず千引(ちびき)の石(いは)の解釈から始めます。千引の石の千引とは道引き、または血引きと考えられます。石(いは)は五十葉(いは)で五十音言霊の事です。字引きとは字の意味・内容を示す書の事です。千引を道(ち)引きととれば、道である物事の道理・原理である五十音となります。千引を血引きととれば、伊耶那岐の命と伊耶那美の命両方の血を引いて生れた言霊五十音、特にその中の三十二個の言霊子音の事と解することが出来ます。
伊耶那岐の命は妻神伊耶那美の命を追って客観世界研究の領域である黄泉国へ行き、その文化を体験し、その不整備・雑然さに驚いて主観世界の整備された高天原へ逃げて来ました。その高天原への帰途、追いかけて来る黄泉国の一切の客観世界の文化を、十拳の剣を後手に振る事によって分析・検討し、その上に自己内に自覚した建御雷の男の神という原理を投入し、その原理によるならば、一切の黄泉国の文化を摂取して、人類文明の創造の糧として役立たせ、所を得しめる事ができる事を證明したのであります。その検討・分析の結果の一つとして、黄泉国の客観世界研究の方法は、伊耶那岐の命が完成・自覚した高天原の主観世界の研究方法とは全く異質のものであり、黄泉国の研究とその成果は、少なくともその研究の究極の完成を見るまでは、高天原の精神文明の成果と比較・照合・附会(ごじつける)する事が出来ないという事がはっきり分ったのであります。その為に伊耶那岐の命は黄泉国の一切の主義・主張・研究・言語・文字の内容を確認し終り、高天原へ帰還する直前に、黄泉国と高天原の境界線である黄泉比良坂に於て、言霊五十音、特にその奥義である言霊子音三十二個を以て言葉の戸を立て廻らし、黄泉国の思想が決して高天原には入って来られない様に定め、伊耶那岐の命は伊耶那美の命に事戸の度し、日本書紀で謂う「絶妻の誓し」(ことづまのわたし)なる離婚宣言をする事となります。古事記の中のこの「事戸の度し」は単なる岐美二神の離婚の物語として述べられておりますが、言霊学上の「事戸の度し」は、人類の文明創造上の厳然たる法則として、精神界の法則と物質界の法則とは、その研究途上の法則にあっては、決して同一場に於て論議することの出来ないものであるという大原則を宣言したものなのであります。古事記の編者、太安万侶が完成された精神文明と、発展し続け、遠い将来に於ての完成が望まれる物質科学文明との双方にわたりかくも深い洞察力を持っていた事を思う時、畏敬の念を新たにするのであります。 (島田正路著 「古事記と言霊」講座 より)
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