広い広い心の宇宙の中に何かが始まろうとする兆し、言霊ウから次第に宇宙が剖判し、更に宇宙生命の創造意志という言霊イの実際の働きである八つの父韻が他の四母音宇宙に対する働きかけの話となり、心の先天構造を構成する十五の言霊が揃い、最後に母音であり、同時に父韻ともなる親音と呼ばれる言霊イ(ヰ)が「いざ」と立ち上がる事によって先天十七言霊が活動を開始することとなる人間精神の先天構造の説明が此処に完了した事になります。この十七言霊で構成される人間精神の先天構造を図示しますと次のようになります。この先天構造を古神道言霊学は天津磐境と呼びます。
この名前を説明しましょう。天津は「心の先天宇宙の」意です。磐境とは五葉坂の意、図を御覧になると分りますように先天図は一段目に言霊ウ、二段目にア・ワ、三段目にオエ・ヲヱ、四段目にチキシヒイミリニ、五段目にイ・ヰが並び、合計五段階になります。五葉坂とは五段階の言葉の界層の構造という意であります。
人はこの心の先天構造十七言霊の働きによって欲望を起こし、学問をし、感情を表わし、物事に対処して生活を営みます。人間何人といえども天与のこの先天構造に変わりはありません。国籍、民族、住居地、気候の如何に関らず、世界人類のこの心の先天構造に変わりはありません。この意味で世界人類一人々々の自由平等性に何らの差別はつけられません。人間は一人の例外もなく平等なのです。またこの意味に於いて人類を構成する国家・民族の間に基本的優劣は有り得ません。また人類がその「種」を保つ限り、この先天構造は永久に変わることはありません。この先天構造に基本的変化が起ることとなったら、その時は人間という「種」が人間とは違った異種に変わってしまう事となります。
ここまでの説明で心の先天構造を構成する十七言霊の中の十五の言霊が登場しました。言霊母音と半母音ウアワオヲエヱ七音、言霊父韻チイキミシリヒニ八音、合計十五音となります。そこで最後に残りました言霊イ・ヰ即ち伊耶那岐・伊耶那美二神の登場となります。その説明に入ることとしましょう。
この天津磐境と呼ばれる心の先天構造は人間の心の一切の現象を百パーセント合理的に説明する事が出来る唯一の原理であります。人類社会の後にも先にもこの原理に匹敵する、もしくはこれを凌駕する原理は出現し得ない究極の原理であります。古来伝わる宗教・哲学の書物の中にはこの天津磐境の原理を象徴・呪示するものがいくつか認められます。その一つ、二つについてお話をすることにします。
中国に古くから伝わる「易経」という哲学書があります。易の成立については「古来相伝えて、伏羲が始めて八卦を画し、文王が彖辞を作り、周公が爻辞を作り、孔子が十翼という解説書を作った」と言われています。その易経の中に太極図というのがあります(図参照)。太極図について注釈書に「易に太極あり、是、両儀を生ず。両儀、四象を生じ、四象は八卦を生じ、八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」と説明しています。この太極図を天津磐境と比べてみて下さい。構造は全く同じように見えます。けれど磐境は物事の実在と現象の最小単位である言霊を内容とするのに対し、太極図は哲学的概念と数理(―は陽、--は陰)を以て示しているという明瞭な相違があります。この事から天津磐境が先に存在し、易経は磐境の概念的写しであり、易経は磐境の呪示・表徴であり、指月の指に当ることがお分かり頂けることと思います。
【大極図】
次に印度の釈迦に始まる仏教に於いて人間の精神の先天構造をどの様に説明しているかを見ましょう。
古くからあるお寺へ行き、普通二重(二階)の建築で、上の階の外壁が白色で円形、または六角形のお堂を御覧になられた方があると思います。これを仏教は多宝塔と呼びます。この多宝塔と、この塔と共に出現する多宝仏(如来)については、仏教のお経の中のお経と称えられる法華経の「妙法蓮華経見宝塔品第十一」という章の中で詳しく述べられています。その説く所を簡単にお話すると次の様になります。
法華経というお経は仏教がお経の王様と称える最も大事なお経でありまして、その説く内容は「仏所護念」と言って仏であれば如何なる仏も心にしっかり護持している大真理である摩尼宝珠の学を説くお経とされています。摩尼宝珠の摩尼とは古神道言霊学の麻邇即ち言霊の事であります。見宝塔品第十一の章ではお釈迦様がこの法華経(即ち摩尼)を説教なさる時には、お釈迦様の後方に多宝塔が姿を現わし、その多宝塔の中にいらっしゃる多宝如来が、多宝塔の構造原理に則ってお釈迦様の説教をお聞きになり、お釈迦様の説く所が正しい場合、多宝如来は「善哉、々々」と祝福の言葉を述べ、その説法の正しい事を証明するという事が書かれているのであります。
先にお話しましたように、天津磐境の精神の先天構造によって人間の心の営みの一切は実行・実現され、しかもその実現した一切の現象の成功・不成功、真偽、美醜、善悪等々はこの磐境の原理によって判定されます。同様に仏教の最奥の真理を説く釈迦仏の説法は、その後方に位置する多宝塔の多宝仏により、多宝塔の原理によってその真偽が判定され、その真は多宝仏の「善哉」なる讃辞によって証明されます。この様に多宝塔とは言霊学の天津磐境を仏説的に表現し、説述したものと言う事が出来るのであります。これに依って見ましても、言霊学に説かれる先天十七言霊にて構成される人間の心の先天構造、天津磐境は人類普遍の心の先天構造に関する究極の原理であることが理解されるでありましょう。
仏教の多宝塔の外壁が何故円形または六角形であるか、それは人間の心の先天構造は生れながらに与えられた大自然の法則だからであり、人為ならざる大自然の形状は普通円形で表示され、その数霊は「六」であるからであります。以上で「古事記と言霊」講座の精神の先天構造の章を終ります。