波邇夜須毘売の神
屎に成りませる神の名は波邇夜須毘古の神。次に波邇夜須毘売の神。
屎は組素(くそ)の意を示す謎です。
言霊五十音を粘土板に刻んだものを埴土(波邇)と言います。
その五十個を集めて一つ一つを点検して行きますと、どの音も文字も正確で間違いがなく、安定している事が分った、という事であります。
この場合も毘古は音を毘売は文字を受け持ちます。
【註】大祓祝詞(おおはらいのりと)や古事記の「天の岩戸」の章には「くそへ」「糞(くそ)まり」という言葉が出て来ますが、これ等も此処に示される「組素」と同様の意味であります。
波邇夜須毘古の神。波邇夜須毘売の神。古事記の言霊学による「はじめ」論。
次に屎(くそ)に成りませる神の名は、波邇夜須毘古(はにやすびこ)の神。
屎(くそ)とは組(く)む素(そ)、即ち言と霊、または音と文字のこと。
波邇(はに)とは粘土板に刻んで素焼にしたもの。その五十音の素焼板を一つ一つ点検して、そこに刻まれた文字の言と霊、音と文字が、それを見れば直ちに言霊としての用を果たす如く明らかに安定しているか、を確認したのでした。
古神道言霊学から発する大祓祝詞や古事記神話には「くそへ」とか「屎まり」といった言葉が出て来ます。いずれも語義不詳とされておるようですが、言霊学から見ると容易にその意味が分ります。皇祖皇宗の人類史創造のご経綸の意味の深長さが偲ばれる処であります。
屎に成りませる神の名は波邇夜須毘古の神。次に波邇夜須毘売の神。
屎は組素(くそ)の意を示す謎です。
言霊五十音を粘土板に刻んだものを埴土(波邇)と言います。その五十個を集めて一つ一つを点検して行きますと、どの音も文字も正確で間違いがなく、安定している事が分った、という事であります。この場合も毘古は音を毘売は文字を受け持ちます。
【註】大祓祝詞(おおはらいのりと)や古事記の「天の岩戸」の章には「くそへ」「糞(くそ)まり」という言葉が出て来ますが、これ等も此処に示される「組素」と同様の意味であります。
メモ--------------------
金山毘古の神・材料を集める。音。聴覚を叩く音。心、霊により五感を叩く。
金山毘売の神・材料を集める。文字。音符。受容された五感に心、霊が秘められている。
次いで、集められた材料の整理が始まります。
屎(くそ)に成りませる
波邇夜須毘古の神
波邇夜須毘売の神
屎(くそ)とは組(く)む素(そ)、即ち言と霊、または音と文字のこと
「は」と「し」と「め」の三っつの言葉が材料として集められました。それぞれは受容される五感によってそれぞれの姿をあらわしていきます。
その現れは心と霊の方面と、音や文字として感覚器官に受容されるものとの両方の性質を持っています。またこの二つが組み合わされ(屎くそに成って)ていないと、言葉になりません。人の声でなく「は」と言われたり、偶然に「し」と読まれたり「め」と見えたりしても、類似からそう読めても心と霊がこもっていなければ言葉となっていません。
また心を込めて書いたりしていても、その形を理解出来ないなら通用しません。
書かれ表現されたもの(波邇、こじきでは文字の書かれた粘土板)が、夜須(やす)らかに安定していることを確認するのがこの段になります。
芸術作品などは、作者の説明では大変なことを主張しているように見えます。宗教などもこの世と世界を相手にして救いの心を提示しているように見えます。しかしその理解は本人次第、あるいは分かる者のみの世界のことで言葉のように通用するものではありません。また、欲望を満たす言葉などは相手を必要ともしていません。屎(くそ)として成立していないからです。
個人的集団的な感情の高ぶり高揚の内にある言葉や心と形が離れてしまっているものは言葉となりません。
「天の安の河の誓約」と「天の石屋戸」の条に「安の河」が出てきますが「夜須」と関係があるでしょうか。波邇を並べると河のようになり、次段ではこの言葉の並びが問題とされます。では「やす」とはなんでしょう。
安で示せば安らかに安定している、夜須なら潜在的な隠れて静止している様子があります。「や」がつくと現れた構造物それの動きが加わりますので、全体では文字の刻まれた粘土板の全体(金山)が集められた状態から、その働きが現れようとしている時にあたり、各文字板に関しては言と霊、または音と文字が安定していることを示しているのでしょう。
「はしめ」に関しては集められた三字は「は」はは「し」はし「め」はめと三字それぞれは言と霊が一致していることを確認するとなるでしょう。
ついで、
弥都波能売の神・整理、基準原則の設定
和久産巣日の神・大枠の設定
この神の子(豊宇気毘売の神)・大枠の活用。
屎に成りませる神の名は波邇夜須毘古の神。次に波邇夜須毘売の神。
屎は組素(くそ)の意を示す謎です。
言霊五十音を粘土板に刻んだものを埴土(波邇)と言います。
その五十個を集めて一つ一つを点検して行きますと、どの音も文字も正確で間違いがなく、安定している事が分った、という事であります。
この場合も毘古は音を毘売は文字を受け持ちます。
【註】大祓祝詞(おおはらいのりと)や古事記の「天の岩戸」の章には「くそへ」「糞(くそ)まり」という言葉が出て来ますが、これ等も此処に示される「組素」と同様の意味であります。
波邇夜須 ・ 50音を心の中に確かめる ・日本語にしかない原理
波邇夜須毘古(ハニヤスビコ)の神・波邇夜須比売(ハニヤスヒメ)の神
http://imakoko.seesaa.net/article/40317586.html
「次に屎(クソ)に成りませる神の名は、波邇夜須毘古(ハニヤスビコ)の神。次に波邇夜須比売(ハニヤスヒメ)の神」。病気したからですね、たぐりで吐いたり、くそも、伊耶那美命が出したくそを伊耶那岐命が面倒見なくちゃならん、というような意味で。伊耶那美命はもう用ができなくなっちゃった。「それを整理するのは伊耶那岐の神ただ一人なんだよ」ということをですな、まだ亡くなる前の様でもってそれを表しております。
人間でいえば、「一緒に32の子供を産んで、あのときは楽しかったなぁ。自分の嫁さんもこうやって年とって寝込んじゃったなぁ」っていって感慨に耽りながらやった、というような状態を表していると見ていいと思います。
クソというのはですな、組む素…組むひとつ一つの要素…と説きますと、よくわかります。ハニと申しますのはね、粘土板に刻んで焼いたものを昔はハニと申しました。
ハニヤスビコ…ハニの言霊が夜でもって寝ていてスと静まっていく。ひとつ一つの粘土板に、アならアという言霊が安住して、そこに間違いなくそれが表明されている。それでひとつ一つの言霊を、50のハニから点検して、みんなひとつ一つよくできあがっていて、混同はない。「これでいいんだ」と確かめたんですな。
この場合も、ヒコのほうが言霊の霊、ヒメのほうが言霊の言を表しております。
50音を心の中に確かめる
http://imakoko.seesaa.net/article/152872068.html
自分の心の一字一字、言霊の一つ一つが自分の心の中で本当にやすらかに認識しているかどうかを確かめて下さい。ただ伊耶那岐命が伊耶那美命の話しなんで私は知っちゃいないよと、伊耶那岐命さん「しっかりしてよ」と言えばいいのでしょうが。
そうじゃない、自分はと申しましたら、五十音の一つ一つをとって、所謂言霊の五十音の一音一音について、本当に自分の心の中でしっかりと結んでいるかどうかを考えてみて下さい。大概の人は半分の方は私も含めてNOだと思います。それをよーくお考え下さいませ。自分のこととして。
波邇夜須毘古(ハニヤスヒコ)の神のヒコと申しますのは、主体の男性ですから‘心’です。それで波邇夜須毘売(ハニヤスヒメ)の神のヒメは文字です。しっかりと目的を達成するために自分の心の中に印画されているかどうかを調べて下さいということ。
次に尿(ユマリ)に成りませる神の名は弥都波能売(ミツハノメノ)の神、次に和久産巣日(ワクムスピ)の神。尿(ユマリ)は小便のことでけども。
日本語にしかない原理
http://imakoko.seesaa.net/article/152760835.html
ですから私の口から出てまいります言葉と申しますのは、言葉の原理というものに則っておりますから、後から「成る程な」とお分かりいただけると思います。日本語でないと喋れない原理なんです。
コトタマと申しますのは日本語にしかない原理ですから、日本語は世界中の言語にない言葉です、その点をご承知いただけたらと思います。そのコトタマの原理に則って生き通しに生きている人間が、心の雑念をサーっと取り払って今ここにおいて、今後どうしようかの心を探ってみますと一目瞭然に色んなことが分かってまいります。
全部お話ししましたことを今現在、コトタマの学問として言霊の会として完成されたことになります。世の中がその時点で観ますとどのように変っていくか、よーくお分かりになられると思います。その立場に立ってお話しを申し上げます。
伊耶那美命が子音を全部生んでしまって病気になってしまって寝てしまった。そこから申し上げます。‘たぐり’、手繰り寄せ、なにを手繰り寄せるのか、今までに出揃った五十音を伊耶那岐命が手繰り寄せる。全部あるかって。
言霊五十音が自分の心の中にあるのかと自分の心の中に手繰り寄せる。勘定してみて下さい。本当にあるか、どうか。確認なさって下さい、もし未だでしたらお帰りになってからおやりになってみて下さい。その五十音で私たちは生きております。
その五十音があることを確かめたら、その一つ一つを「屎」、クソ、組む要素ともうします。その要素がハニヤスヒコ(波邇夜須毘古の神)、ハニヤスヒメ(波邇夜須毘売の神)であるかどうかを確かめて下さい。