こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。
笋を抜いて食べている間に伊耶那岐の命は高天原への道を急ぎました。すると伊耶那美の命は黄泉国の文字を作る八種の原理に千五百の黄泉国の軍隊を加えて伊耶那岐の命を追わせました。八くさの雷神とは黄泉国の言葉を文字に表わす八種類の文字の作成法のことです。千五百の黄泉軍(よもついくさ)とは、先に千五百人の黄泉国の軍隊と書きましたが、それは古事記の文章の直訳で、実際では全く違ったものであります。三千を「みち」即ち道と取りますと、千五百はその半分です。三千の道の中で、その半分は精神の道、残りの半分は物質の現象を研究する道の事となります。また千五百(ちいほ)の五百(いほ)は五数を基調とする百の道理の意でもあります。五数を基調とする道理となりますと、主として東洋の物の考え方が考えられます。例えば、儒教の五行、印度哲学の五大もそうです。としますと、八くさの雷神と千五百の黄泉軍という事は西洋と東洋の物の考え方、即ち高天原日本以外の世界の思想のすべてという事となりましょう。その世界中の物の考え方が伊耶那岐の命を虜(とりこ)にしようとして追いかけて来たというわけであります。 (島田正路著 「古事記と言霊」講座 より)
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