「父韻」。クオリア。
父韻は竺紫の島の領域で現されています。
竺紫はつくし、尽くしの謎 八つの父韻は言霊イ(伊耶那岐神)の実際活動のリズム で「身一つにして面四つ」の意味は作用・反作用の陰陽一対四組の知性の律の島です
言霊イ(伊耶那岐神)の面四つとは、
宇比地邇神・チ・・・・・妹須比智邇神 ・イ
角杙神・キ・・・・・・・妹生杙神 ・ミ
意富斗能地神・シ・・・・妹大斗乃弁神 ・リ
於母陀流神・ヒ・・・・・妹阿夜訶志古泥神・ニ
の四組です。
父韻は先天構造内での韻ですがここでは分かりやすいように現象面、行動次元で現して見ようと思います。
父韻は火花に例えられ、脳髄を持ち出せばニューロンの発火となるでしょう。
火花、発火、フンケ、スパーク等等のイメージが謎解きの助けとなるでしょう。父韻は対になった四組ですから火花の四態を見ていこうと思います。創造意志の働きかけの一瞬の動きの四態を探るわけです。
まず現象を火花と見てうまいくかやってみましょう。
チイ。。一瞬の輝きがパァッと拡がる、眼に焼きつく、ウァッと全体が見える輝き。とその対の動き。
キミ。。瞬間の動きの方向性を見ると拡がる動きと見え、火花の中心にしろ末端にしろ角を出し探し拡がる動き。とその対の動き。
シリ。。拡がりの保存収縮。拡がりの時間軸を見ると、光りの現時点が常に前段階の光りに続いている、それらの連続した光りは常に現時点の光りを支え自分を保存している動き。とその対の動き。
ヒニ。。火花の先端にて、表面性。光りはどこか届くところまで行って消えます。その末端での動き。とその対の動き。
今度は歩きについて。
チイ。集団としては軍事パレードとか個人としてはファッションショーの歩きのように全体を見せる歩き。とその対の動きとなる、それがそのまま持続する歩き。
キミ。何か探す場合、学校仕事に行く時のように歩きの方向性を見ると歩きの方向を拡げるようなテリトリーを拡げるような記憶を整理しつつあるような歩き。それは同時に自分を中心にまとめようとする、自分に引き寄せようとする歩き。
シリ。歩きの通過している地点地点を見ていくと各通過地点を選択して保守しようとするような歩き。及び通過地点を元として次々と拡がりの選択していくような歩き。
ヒニ。歩きはその場その場のその時その時の現時点での表面を見せます。その表面をのみ見せようとする歩き。観光でものを見て回るような歩きとなるでしょう。その対となる動きは表面を見せる歩きを自分に吸引していくような歩き。
自己主張をするような場合では。
・宇比地邇神・ チ・自己主張を現象そのままとして送出力する。
・妹須比智邇神 ・イ・自己主張の方向へ現象を選りすぐる。
・角杙神 キ ・自己基準を中心としてそれを拡げ延ばそうとする。
・妹生杙神 ・ミ・自己基準の中心にまとめ結びつけようとする。
・意富斗能地神・ シ・ 自己主張を守り固めようとして自然落下を阻止保護する、大いなる力量の内にあろうとする。
・妹大斗乃弁神 ・リ・、自己主張を拡げようと大いなる弁別を述べようとする。
・於母陀流神・ ヒ・自己主張の表面だけを見せて幽玄をてらおうとする。
・妹阿夜訶志古泥神 ・ニ・自己主張の中心に向かうように仕向けられていこうと装う。
いずれも抽象的ですがもうすこしつづけて。
クオリアという項目を探って見つけた、『私達に与えられる異なる経験の中には、区別できる質的な特徴があり、「イチゴのあの赤い感じ」』を、、古事記神代巻の父韻でもって解してみましょう。(脳内の物理現象という見方ではありませんが)。
父韻の動きですから主体側が「イチゴのあの赤」に結びつく瞬間の動きです。
宇比地邇神・宇は地と比べて近いものだ・イチゴの形状いっぱいいっぱいその輪郭もはみ出すようにヘタの緑までも乗っ取るように「赤」が全体的に迫ってくる感じ。
須比智邇神・ 須らく智恵に比ぶるに近かし・赤という判断の詳細を受け付けず「赤だ ! 」という全体判断が持続させられるような感じ。
角杙神・触覚と杭・自分の方へ引き寄せられてくるような感じの赤。
生杙神・生きた杭・上とは反対に自分の方から結び付きたくなる感じの赤。
意富斗能地神・大いなる量りの働きの地・赤に対する瞬時の迷いのが解消され赤という識別の地の上に乗った安心感を持った感じの赤。
大斗乃弁神・大いなる量りのわきまえ・赤という識別が心の中を駆け回り拡がりながら赤をまき散らす感じの赤。
於母陀流神・表面に完成・心の表面に完成してそれをめくり剥がしたくなるような感じの赤。
阿夜訶志古泥神・暗夜部位に煮詰まる・その反対に心の底に煮詰まりこびりついて来るような感じの赤。
「赤あか」の言霊。
古事記では「あ」は高御産巣日の神、「か」は大戸惑子の神。
アは情緒、喜怒哀楽そこからする精神心理性能の全てで、頭脳の先天構造内での実在。カは受け入れた言霊を判断に迷いつつまとい付き煮詰めていく韻。「アカ」の全体で受け入れたものが精神、心の内部にまとい付き煮詰まること。漢字及び漢字のルビを用いれば、赤、垢、明かり、等になり、色彩、光り、物の状態の実体を示す。「カ」は動きとして見ると、カーッとする、カッと光る、カッと眼を開く等になる。
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母音も現象とならねばなりません。現象になるには父韻の働きかけが必要です。
母音に父韻が働きかけ母音の現象が起きる筈です。
子音は後天的な現象です。
後天的な現象を生むのはいずれも同じ構造です。
ここのところがよく分かりません。
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○< ・>の言霊
言霊< ・ >に対して太安万侶は「 ・・ 」という神の名を当てて表した。
「 ・・ 」の神:
言霊< ・ >の己の心の締まりの領域:
言霊< ・ >の蛭子と淡島:
言霊< ・ >の心の領域(島):
言霊< ・ >はどこから来てどこへ往くか、(前)と(後):
言霊< ・ >の言霊循環上の位置:
言霊< ・ >の言霊音図上の位置:
金木音図(う)----ウクスツヌフムユルウ
・時置師:
・処置師:
・位置師:
赤珠音図(お)----オコトモホソノヨロヲ
・時置師:
・処置師:
・位置師:
宝音図(あ)-----アタカラハサナヤマワ
・時置師:
・処置師:
・位置師:
天津太祝詞音図(え)-エテケメヘレネエセエ
・時置師:
・処置師:
・位置師:
言霊< ・ >の現象:
母音に父韻が働きかけ母音の現象が起きる筈です。2。
『言霊 言霊学・コトタマノマナビ』http://imakoko.seesaa.net/article/5431629.html
からの引用。
2005年07月20日
今・ここ
必然のように出てきたのですから。太安万呂は知ってはいただろうけれど古事記には書いておりませんから。それで古事記の役割を真っ当したんだ、ということで、あの時代に古代の高官の役人の墓が出てくることはないです。
それも太安万呂だけで名前が分かるようにね。そんなことを考えますとね、何千年前の歴史が、今、此処であるような、推理小説を読んでいるように面白いです。考えて見れば、何万年前だって今・此処なんですから。
今・此処の材料としてあるわけですから、その繋がりを釈けば、何万年前、何千年前になってしまう。そういう目で見ない限り不思議なことが起るのだな、としか思えないでしょう。私だって、八十禍津日から大禍津日から、この禍津を直さむとしてって、こういう文章が出てくる件には、かならず飛躍がある。
飛躍とは分っていてもその正体が掴めない。その時にハッと思い出した。太安万呂の墓が出てきた時に先生が主張した日本書紀の先天図をですね。日本書紀の先天図を見ますと八咫鏡の八角形の図ときちっと合っている。子音と八父韻と。古事記の先天図ではあれと直ぐには結び付かない。
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2005年07月21日
太安万呂の墓
先天十七言霊というのは同一存在ですから。どう並べてもいいわけです。書記の先天図でないとイ・ヰが真中に来る構図は出てきませんから。伊耶那岐の大神の先天図ですが、伊耶那岐の大神が生んだ言霊エを象徴する先天。
ですから、会報に書き足らない処が一二箇所あるんです。先天図として転換があると書いてあるのですが、転換するということは飛躍があるということですから、自覚の上では。それをどうしたらいいのかが、書かれていない。それを書きたかった。それを書くと同時に、それに呼応してその飛躍に辿り着けば、歴史的な発見も起ってくるだろうと。
先天図は変わらないけれども、先天の何処を中心に述べるかというところで、古事記はただ自然体としてオギゃーと生まれてきたところからなら、あの構図になる。初心者に父韻から説き起こしてしまうと何のことか分らないであろうと。母音の宇宙から説いた。
だけど、実際にその原理をマスターしてしまって文明創造としての禊祓を実行するためにはイ・ヰから解きほぐさないとならないのだと、いうのがこの飛躍ですよ。父韻を説明する時の時処位によって、まったく違ったものが出て来る。
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2005年07月23日
古事記と日本書紀の先天図の違い
古事記の先天図でも始めに説明する時にやはり飛躍があるんです。その飛躍を落としてしまっている。書かないで述べている。ウがあってそこに何かの思考が加わるとアとワに分かれるって。思考が何であるかを言っていない。
思考という観念からいくと父韻しかない。だからウからア・ワと分かれるのも父韻の作用なんです。父韻
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
を説明するのに父韻を使ってしまったら何が何だか分りませんから。そこのところはオミットしている。だから古事記の先天図になる。
太安万呂はそれをうまいこと使い分けてしまって、初めから日本書紀の先天図を知っているわけですから、建御雷の男の神が旗印の衝立つ船戸の神として掲げた時には既に太安万呂は知っていても、その正体を明かさないで、最後に「その禍を直さん」とし、未だそこでも明かさないで三貴子まで持っていってしまっている。
最後まで黙っている。そんなこと言わなくてもここまで来た人には分るだろうって。そこに来るとハタっと停まってしまう。それがこの一月くらいでそうなんだって気が付きましたから、完全に言霊エとうものを掴んでおりませんから尻切れトンボになってしまった。
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