テケメヘレネエセの底筒。1。
・渡す働きの確認から如何なる経過に成るのかの確認
底津綿津見の神がエよりヱに渡す働きがあることの音図上の確認であるならば、エよりヱに渡すためには如何なる経過を辿ることになるのかの確認、それが筒底の男の命であります。
現時点エより結果ヱまで音図上一本の筒またはチャンネルの形で導かれています。
その筒は実際にどうなっているのでしょうか。
建御雷の男の神(天津太祝詞)の音図をご覧ください。
出発点エより終着点ヱの間に現象子音テケメヘレネエセの八音が筒のように一筋に並んでいます。この八つの現象の経過を通って出発から結果に導かれます。
この経過の全貌を底筒の男の命と呼びます。
・原律から所在へ
普通、出発点から終着点に至る経過を示す時は時置師であるイ段のチイキミシリヒニの八つの父韻を使います。
父韻とは人間が物事を創造するもととなる原律であり、現象となる以前の働きです。
ところが、
禊祓払えに於いて言霊エの実践智が外国の学問・文化を一定のところあらしめる働きの経過は、底筒の男の命に見られますように、エ段のテケメヘレネエセの現象子音の八音で示されています。
子音とは明らかに人間に意識できる後天現象の最小要素のことです。
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テケメヘレネエセの底筒。2。
いま設定されている選択の意識をテケメヘレネエセから元へ戻ってみると。(終結から発端へという動きとして)
実践智の内容を得る時、例えば、あるものを選択してその意識を得る時、そこには主体的な選択の意識の流があります。
選択の成就に至るまでの直前の意識は次のようです。
底筒の男の命 ・ 選択の所在が現れる働き。ここで何かを選択したことが現れる。
底津綿津見 ・ 選択存在の所在が明かされるときには、その所在を意識してその所在が有ることが確認されなくては成りません。
伊豆能売 ・ 選択できることが確認されるには、選択の機能があることが確認されなくてはなりません。 (一。
大直毘 ・ 選択の機能の確認は欲望による現識ではないことの確認。(二。
↑神直毘 ・ 選択の機能は知識による概念ではないことの確認の三点が必要。(三。
大禍津日 ・ 選択の機能は創造意志の発現によるがそれだけを前面に押し立てることはできない、そうしないと禍になるという確認。(一
↑八十禍津日 ・ 選択の機能は感情の発露によるよるがそれだけを前面に押し立てることはできない、そうしないと禍になるという確認。(二。という必要かつ禍。
以上が主観意識内に宣(の)った主客で、その為には選択が主観に宣っていることが確認されます。
そのためには、意識が主体側側から出て客体側へ向っていることの確認と客体側へ向っている意識が主体側を離れていくことの確認。
辺津甲斐弁羅 ・ 発端から来た選択が経過状態を取り込んでいることの確認。ワ側。
辺津那芸佐毘古 ・ 発端から来た選択が終端へ向う状況条件に沿っていることの確認。ワ側。
辺疎 ・ 選択の終端が発端とは違い向こう側に隔てられているという確認。ワ側。
奥津甲斐弁羅 ・ 選択されたものが終端へと向う道程が縮まっていくことの確認。ア側。
奥津那芸佐毘古 ・ 終結へ向う選択が終結へと繋がれていることの確認。ア側。
↑奥疎 ・ 選択が起き上がる(奥)発端から相手対象へ向うことの最初の立ち上げの確認。ア側。
以上が意識の発端と終端を往来することの確認です。
その為には実質的などんな意識が往来していくのかが確認され、その種々の意識が確立した選択という一般性の内実と働きの姿が必要です。
飽ぐひの大人 ・ 選択された個別次元世界、ここでは選択、の全体があることの確認。(個別の実在)
道俣 ・ 選択なら選択の道を進むということの確認。(個別の働き)
煩累の大人 ・ 他の次元世界の説明言霊の混入を避け選択次元であることの確認。(個別へ)。
時量師 ・ 選択という持続連続性の時処位の系列の確認。チキシヒミリイニ(選択の例)。
道の長乳歯 ・ 選択していることの持続性、それの連続した関連性の有ることの実在と働きの確認。(連続)
↑衝き立つ船戸 ・ 他の心の次元との違いを示して選択しているとの確認。 (次元全体)
以上が選択(言霊エ)という世界を選択するに至った主体側の事情。
主体側の選択事情は客観世界の実在によって用意されているので、この実在世界が黄泉(よもつ)国となる。
ここに客観世界の材料がある。(黄泉国の段落)
以下略。
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テケメヘレネエセの底筒。3。
では実際に適用(こんどは昇る方向で)
寿司を選ぶ
ここに客観世界の材料がある。(黄泉国の段落、ワ行の系列)
寿司を選択する例ですが、寿司と言ってしまうと既に選択していますから、それ以前の寿司を意識する前段の黄泉国から始めます。
この時点での意識には何のどのような寿司か、また寿司なのかの具体的な意識はありません。記憶に浮かんだだけのものか、食べたい寿司なのか、見本を見て同じようなものを作りたいのか、寿司の絵なのか等はまだ不明です。
それらが寿司として意識されるものには何らの秩序はなく、食欲としてか香としてか見本としてか記憶としてか等々どのようにどれが現れるかの秩序はありません。しかし、物理的な形態がそれぞれ勝手におれを呼んだのか自分の出番なのかとせめぎ合って勝手なことを言い合い、自分の出番を今か今かと主張し合っている段階です。
ですのでイザナギである私の意識はここで黄泉国の実在に勝手に引っ張られて連れ込まれるわけにはいきません。
そこで私は実在世界を前にしてそれと手を切ります。そうしないと実在世界の勝手にされてしまいます。これが選択という形であらわれます。
寿司を選択するといっても、食べる寿司か見る寿司か何の何のための寿司かといったことは未定で、客体世界の実在を直接示していません。
↓衝き立つ船戸 ・ 他の心の次元との違いを示して選択しているとの確認。 (次元全体)
ここで実在世界から湧き出てくるものに付き合っていると自分が翻弄されることになり、自分の選択を打ち立てることができません。そこでまず自分の選択に向う意識を衝き立てることになります。これは選択という主張へ導くものですから、他の次元事情も理解されていなければなりません。
得るために捨てる、自分の意識世界を得るために、実在世界と意識の他の次元世界を捨てることです。切り捨てるには主体側にそれだけの精神構造がなければなりません。相手は客体世界の全体ですので、主体側もそれに対応する全体です。黄泉国との手切れには建御雷の男の言霊音図の精神構想図が主体側に打ち立てられます。(自覚的か無自覚か、明瞭か不明瞭か問われませんが、黄泉国と手を切った時点で先天規範として宣(の)りうつっています。
↓道の長乳歯 ・ 選択していることの持続性、それの連続した関連性の有ることの確認。
打ち立てられた精神構造図は、主体側の意識を立てたというだけでなく、その有効有用性が持続していなくてはなりません。
それは客観世界に対応して、客観世界の、持続連続、時処位の実在、時処位の選択、選択された次元の道程実在、選択された個別世界の存立に沿った持続のある主観世界となります。
↓時量師 ・ 選択という持続連続性の時処位の系列の確認。チキシヒミリイニ(選択)。
持続的に有効な連続性が確認されればその内容が明かされなければなりません。時の流を量るのはその内実実相の変化の相です。内実にはその時間の変化、場所の変化、次元の変化があります。
↓煩累の大人 ・ 他の次元世界の説明言霊の混入を避け選択次元であることの確認。(個別へ)。
流れの実相内容が時処位としてあらわれてきますが、その流れはどこに向うのか明かされなくてはなりません。
「わづらいの大人」とは「ワ」に連(つら)なり「ワ」に向う家の主人公と読めます。家の主人とは五十音言霊図(家)を動かす采配者ということで、時処位の起点となるもの(「ア」)の連続、関連性が、ワに連なる(ワツライ)終端へ向うことの確認となります。ワ行の終端へ向う意識が無ければ初めも終りもありません。患っていたのでは動けません。また健康であっても、ワの終端への思いが無ければこれまた動けません。自動的反射的無自覚的にではなく、目的意志の提起が無ければ始まらないことの確認となります。
↓道俣 ・ 選択なら選択の道を進むということの確認。
終端への目的意志を持つことは二者卓一に関して表裏、陰陽、主客、前後、左右、上下等の、選択故の取捨分離ができます。それぞれのき各時点での時処位に二股の方向が同時に選択されつつ連続していくことの確認となります。
終端へ近づくことは始点から遠ざかることで、始点から出発することは始点から遠ざかることで、アとワの両者の意識が同時に機能していくことの確認であり、街道の道俣も選んで正しかったと同時に選ばなくて正しかったことが同時に得られることの確認となります。
↓飽ぐひの大人 ・ 選択された個別次元世界、ここでは選択、の全体があることの確認。
かくしてここに選択されたものの全体があらわれます。とはいっても実際に寿司が選択されたのではありません。いわばここまででイメージとしての寿司の形ができたのです。そのイメージは物象に、言葉に、渡されなければなりませんがまだイメージのまとまりがあるというだけの段階です。次に物象・言葉に渡されなければなりません。
当初は選択の拠り所としての精神構造図でした。その判断基準の元に、関連連続性が確認され、その確認されたものの時処位あり方が明かされ、終端へ持ち来らせられる意志が確認され、自他の選択が行なわれ、その行なわれたものの全体がここに選択されたものとして提起確認されます。
↓奥疎 ・ 選択が起き上がる(奥)発端から相手対象へ向うことの最初の立ち上げの確認。
奥津那芸佐毘古 ・ 終結へ向う選択が終結へと繋がれていることの確認。
奥津甲斐弁羅 ・ 選択されたものが終端へと向う道程が短縮していくことの確認。
▼▽▼▽▼▽ 以下未完 ▽▼▽▼▽▼
こうして客観世界に対応した主観世界の精神構造の実在が用意されました。
ついで、そのそれぞれの働きが起きてきます。
辺疎 ・ 選択の終端が発端とは違い隔てられているという確認。
辺津那芸佐毘古 ・ 発端から来た選択が終端へ向う状況条件に沿っていることの確認。
辺津甲斐弁羅 ・ 発端から来た選択が経過状態を取り込んでいることの確認。
八十禍津日 ・ 選択の機能は感情の発露によるよるがそれだけを前面に押し立てることはできない、そうしないと禍になるという確認。(二。という必要かつ禍。
大禍津日 ・ 選択の機能は創造意志の発現によるがそれだけを前面に押し立てることはできない、そうしないと禍になるという確認。(一
神直毘 ・ 選択の機能は知識による概念ではないことの確認の三点が必要。(三。
大直毘 ・ 選択の機能の確認は欲望による現識ではないことの確認。(二。
伊豆能売 ・ 選択できることが確認されるには、選択の機能があることが確認されなくてはなりません。 (一。
底津綿津見 ・ 選択存在の所在が明かされるときには、その所在を意識してその所在が有ることが確認されなくては成りません。
底筒の男の命 ・ 選択の所在が現れる働き。ここで何かを選択したことが現れる。
テケメヘレネエセの底筒。4。
▼▽▼▽▼▽ 以下未完 ▽▼▽▼▽▼
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以上が選択(言霊エ)という世界を選択するに至った主体側の事情。
主体側の選択事情は客観世界の実在によって用意されている。この実在世界が黄泉(よもつ)国。
客観世界の材料は選択次元の主観に取り上げられる表現の形がある。
闇みつは、闇おかみ ・ 客観世界の材料は選択次元の主観に取り上げられる方法(帰納、演繹)がある。
建御雷の男 ・ 客観世界の材料は選択次元の主観に取り上げられ使用できる形がある。
樋速比・
ミカハヤヒ・
テケメヘレネエセの言霊。。。
言霊テ。
天の吹男(ふきを)の神。
大戸日別の神として五十音図の横の並びが確かめられ「ツー」と現われ出たものが、縦の並びであるアオウエの四母音のどれかに結び付こうとして、人が手(て)を差延べるが如く近づく様であります。
天の吹男の神の神名は、先天の意図が大戸日別で判別された父韻の並びが息を吹きかける如く特定された母音に吹き付けられる様とも表現されます。
言霊ケ。
水戸(みなと)の神名は速秋津日子(はやききつひこ)の神、
水戸とは港の事であります。速秋津とは速くすみやかに、あきらかに渡す、という意味です。頭脳内の細い川のような所を通って先天の意図が一つのイメージにまとまって来て、終に川から海のように広い口腔に達し、そこが港、それから向うは海となります。言霊ケ、メはイメージが言葉に組まれる直前の集約された姿のことです。この明らかにイメージとしてまとまったものも霊と体、主体と客体を分け持っております。言霊ケは気であり、主体であり、また霊であります。言霊メは芽、目で客体であり、体であります。
言霊メ。
妹(いも)速秋津比売(ひめ)の神
水戸とは港の事であります。
速秋津とは速くすみやかに、あきらかに渡す、という意味です。
頭脳内の細い川のような所を通って先天の意図が一つのイメージにまとまって来て、終に川から海のよう 広い口腔に達し、そこが港、それから向うは海となります。
言霊ケ、メはイメージが言葉に組まれる直前の集約された姿のことです。
この明らかにイメージとしてまとまったものも霊と体、主体と客体を分け持っております。
言霊ケは気であり、主体であり、また霊であります。言霊メは芽、目で客体であり、体であります。
言霊ヘ。
国の久比奢母智(くひざもち)の神
久比奢母智とは久しく(久)その精神内容(比・霊)を豊かに(奢)持ち続ける(母智)の意。
天の久比奢母智は霊を、国の久比奢母は体を受け持ちます。
先天意志の内容であるイメージが音声と結ばれ、発声されますと、その言葉の内容は何処までも豊かに持続され、発展して行きます。
言葉というものは発声されたらそれで終りという訳ではありません。
言霊レ。
国の狭霧の神。
天の狭霧・国の狭霧の狭霧とは霧の様に耳の孔にぐるぐる廻りながら入り込んで行く様を示しています。
天は霊を、国は音を分担しています。
言霊ロ・レは共に螺旋運動の状態を示します。
言霊ネ。
国の闇戸の神。
闇戸(くらど)とは文字通り「暗(くら)い戸」で、耳の中の戸、即ち聴覚器官の事でありましょう。
耳の中へ入り込んで行った言葉はこの闇戸に当って、そこで更めて復誦されます。
言霊ノネは「宣(の)る音(ね)」に通じます。
ここでも天の闇戸は霊を、国の闇戸は音を受け持ちます。闇戸で復誦されることによって空中を飛んで来た神名が再び真名に還元されて行きます
言霊エ。
海(わた)の神名は大海津見(おほわたつみ)の神 言霊エ 神名の大海津見の神とは大いなる海に渡して(津)明らかに現われる(見)の意です。先天の活動の内容は何であるか、のイメージ化が頭脳の細い道(これが川に譬えられます)を通って次第に明らかになり、その姿が現象子音となり、また言葉となって広い海(口腔に見立てられる)に入って行きます。川から海への境目が江(え)と呼ばれます。【註】大綿津見の神の言霊エは五十音図ヤイユエヨのエです。現代の国語はア行、ヤ行、ワ行のエ(ヱ)をすべてエ一字に表わしています。
言霊セ。
国の水分の神。 。 言霊ソ、セ 水分(みくまり)は水配(みずくば)りの事であります。心を言葉に組んで発声するには、無言から有言ヘ、意志の一段の推進力が加わる必要があります。私達は言葉を発して相手に伝えようとして一瞬ためらう時があります。その最中(さなか)にこの言霊の働きの姿を垣間見ることが出来ます。天の水分は意志の一層の意欲、国の水分は体的エネルギーの補給、実際には弁舌の舌を潤(うるお)す唾液の事でありましょうか。
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便宜上テケメヘレネエセを適応して展開してみる。(便宜上というのは言霊循環ではこの場面にだけタカマハラナヤサが適応されるのではないため。)
テ・
[運用 24] 伊耶那岐の大神
テの内実
[運用 25] 衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神
[運用 26] 道の長乳歯(みちのながちは)の神
[運用 27] 時量師(ときおかし)の神
[運用 28] 煩累の大人(わずらひのうし)の神
[運用 29] 道俣(ちまた)の神
ケ・
[運用 30] 飽咋の大人(あきぐひのうし)の神
メ ・
[運用 31] 奥疎(おきさかる)の神
[運用 32] 奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神
[運用 33] 奥津甲斐弁羅(かいべら)の神
ヘ・
[運用 34] 辺疎(へさかる)の神
[運用 35] 辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神
[運用 36] 辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神
レ・
[運用 37] 八十禍津日(やそまがつひ)の神
[運用 38] 次に大禍津日(おほまがつひ)の神
ネ・
[運用 39] 神直毘(かむなほひ)の神
[運用 40] 大直毘(おほなほひ)の神
[運用 41] 伊豆能売(いずのめ)
エ・
[運用 42] 底津綿津見(そこつわたつみ)の神
[運用 43] 底筒(そこつつ)の男(を)の命
[運用 44] 中津綿津見の神
[運用 45] 中筒の男の命
[運用 46] 上津綿津見の神
[運用 47] 上筒の男の命
セ・
[運用 48]天照らす大御神
[運用 49] 月読(つくよみ)の命
[運用 50] 建速須佐の男の命
2014年11月未完。