「八通り」の種明かし
八通りは今ここの一瞬一点に世界は過去ー今ー未来を含んでいる事を示すものです
この世界はあなたも私も、この世もあの世も八通りの動きしかないというものです
今の八通りとは以下の通りです
=今とは八つの総称ですが
=八つの今をまとめ、あるいはどれかを指して、日常では今と言っています
今の動きの八通り
能動側では
1、今の全体がそのまま顕現する能動的な動き働き チ
2、過去から今へ顕現する能動的な動き働き キ
3、今から未来へ顕現する能動的な動き働き シ
4、顕現している今の表面に完成する能動的な動き働き ヒ
受動側では
1、今の全体がそのまま持続する受動的な動き働き イ
2、過去から今へ顕現する受動的な動き働き ミ
3、今から未来へ顕現する受動的な動き働き リ
4、顕現してい今の中核に煮詰まる受動的な動き働き 二
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つぎの例は
今ここにある動きの八通り
能動側では
1、今ここにある動きの今ここの全体がそのまま顕現する能動的な動き働き チ
2、今ここにある動きの過去から今へ顕現する能動的な動き働き キ
3、今ここにある動きの今から未来へ顕現する能動的な動き働き シ
4、今ここにある動きの顕現している今ここの表面に完成する能動的な動き働き ヒ
受動側では
1、今ここにある動きの今ここの全体がそのまま持続する受動的な動き働き イ
2、今ここにある動きの過去から今へ顕現する受動的な動き働き ミ
3、今ここにある動きの今から未来へ顕現する受動的な動き働き リ
4、今ここにある動きの顕現してい今ここの中核に煮詰まる受動的な動き働き 二
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以上を原理として、後は、今ここ、の語句をいれかえるだけです。
鼻は何故中央にあるかと問うと答えはでません
しかし鼻は中央にあると覚えれば、豚の鼻は、馬の鼻は、鹿の鼻はどこにあるかと問われても
間違えなく答えることができます
実際の意識的な運用は難しく、日常では返って無意識に問題なく行われます
運用は語句を入れ替えるだけの簡単な操作ですが、八つの別々の物にしてしまうのも日常の知識です
日月は今ここの一点を八つに見たので、提示するときには、
八つをばらばら個別の実体にするのではなく、統合した一つにしろというのです。
上記の八つは例題の鼻の位置を答える八つの答え方になるものですが、
それぞれ個別部分をついているだけで不十分です。
そこで八つにバラしたものを元の一つにしなければなりません。
日月はそれの非常に消極的な方法解答集ですが、どちかといえば、ほぼ無力でしょう
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そこで今度は、統合する方法を示さねばなりません
意識の動きの原理は
チイキミシリヒ二
の、順ですが、
知識の運用は
キチミヒシ二イリ
になり、それぞれが勝手な見解をバラバラに出す形をつくります
そこで、八つを統合し過不足のない組み合わせを作る道が探されます
それが
た(チ)か(キ)ま(ミ)は(ヒ)ら(リ)な(二)や(イ)さ(シ)
の、順に組むことです
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>実例に挑戦してみましょう。
知識の運用はキチミヒシ二イリですから、この順番に従って自分の意見を主張しています。
実例となるものは以下の順位において自らを打ちたて「り」において自らを主張します
2、今ここにある動きの過去から今へ顕現する能動的な動き働き キ
1、今ここにある動きの今ここの全体がそのまま顕現する能動的な動き働き チ
2、今ここにある動きの過去から今へ顕現する受動的な動き働き ミ
4、今ここにある動きの顕現している今ここの表面に完成する能動的な動き働き ヒ
3、今ここにある動きの今から未来へ顕現する能動的な動き働き シ
4、今ここにある動きの顕現してい今ここの中核に煮詰まる受動的な動き働き 二
1、今ここにある動きの今ここの全体がそのまま持続する受動的な動き働き イ
3、今ここにある動きの今から未来へ顕現する受動的な動き働き リ
始めはキです
キ、、実際の洗濯で念が落ちたという経験なり聞いたことなりの過去概念が自我の元へかき寄せら、自分の体験と結ばれます。
結ばれ方は事実だからということに限りません。噂と結ばれたのかもしれないし、
向こうからやってきたものに対して基本的に無自覚にくっ付きました。
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ここで「キ」の解説。「今ここにある動きの過去から今へ顕現する能動的な動き働き」
字を書いていくと、字書くは自覚に通じて、自分を表していきますが
困ったことに書いたものは自分のものだとなって
自分と書いたものとの相違が無くなり
書いたものは自分にとって間違いないというものから
自分に間違いなければそれは真実だとなり
自分の書くことは真実、真理だにまで簡単に飛躍します
こうして字を書く人は書くことで自覚が呼び起こされ
書くものと書いたものと書く人と書いている自覚が全部イコールで結ばれていきます
こうなるとただ書いているだけ喋っているだけでも、
自分のすることは全部真実だとしてしまいます
隣には同じ構造の自称真理がごろごろしているのに気付きません
隣の意見や文章を見るや否や戦争が始まります
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真理を語らせればそれぞれ 817,818,821、その他等等と各人がそれぞれ相手との違いを感じて表明します
それは単に平面、現象をあげつらっているだけで、十人十色に落ち込んでいるのです
意見の相違があっても原理次元、日月次元でみれば
人それぞれと見えるものは、八通りの現われになるしかないというのが
「八通りに読める」の意味です
各自が「八通り」の中で踊るのです
ですので真理が「八通り」あるということではありません
話はこれで終らないのですが、ここまでにしておきます
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2チヤンネル用に書いたものです