これより「身禊」の章に入り、解説して行きます。
小さい段落に分け、原文、島田正路氏の教え、次いで解説となります。
ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
ここを以ちて、とは伊耶那岐の命が妻神伊耶那美の命が主宰する黄泉国の文化を体験し、その内容と、黄泉国の文化を摂取して世界人類の文明創造に組み入れる方法をも確認し、その結果、高天原の精神文明と黄泉国の物質科学文明とでは同一の場で語り合う事は出来ないという決定的相違を知り、岐の命と美の命とは高天原と黄泉国との境に置かれた千引の石を挟んで向き合い、離婚宣言をした事を受けての言葉であります。
「ここを以ちて」
イザナギの命は客観世界を創造し、その世界に入り込んで高天原の精神世界とは全然違うため決別してきました。
「ここを以ちて」は例えば「ア」とか「へ」とか発音する場合ならどのようなことに相当するのでしょうか。今までさんざん瞬間だと言ってきましたがその瞬間のどの時点に相当するのでしょうか。
ここを以ちてと書かれている以前のどの時点においても成立します。書かれる順序として黄泉国から出てきた後ですが、それはここを以ちて以前が最高の形で完了して現れているからです。
今あることは前段の内容の成ったものですから、前段の経過のどこでもが「ここを以ちて」となりますが、経過次元の違いがあります。その完成された特徴が黄泉国を出るということになります。前承する言霊循環。
ずっと戻って蛭子や淡島の段階でもそれらの黄泉国(よもつくに・予母都国・四方津国、あらかじめ産み出されるものを示す周辺の国)の特徴を付与すれば、初期の黄泉国というわけです。
しかしそういった言い方を良いことにしたり、共通性のみを固定したり等の事をするのが黄泉国の特徴となりますから、前段階での経過を無視すると黄泉国行きとなります。
伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、……
この文章を読んで奇異に感じる方もいらっしゃるかと思います。今までの古事記の文章では伊耶那岐の命または伊耶那岐の神といわれて来ました。ここに来て初めて伊耶那岐の大神と大の字が附けられたのは、ただ単に尊称として大の字を附したのではありません。そこには重大な意味が含まれています。この事について説明して参ります。古事記の神話が始まって間もない時、主体である伊耶那岐の命と客体である伊耶那美の命との関係として、相対的立場と絶対的立場という事をお話した事があったのを御記憶の方もいらっしゃると思います。相対的立場とは主体と客体が相対立した場合の立場であり、絶対的立場とは一体となった場合の事であります。正(まさ)しく伊耶那岐の大神という呼び名は伊耶那岐の命と伊耶那美の命とが一体となった呼名であります。二人の命が一体となる、とはどういう事なのでありましょうか。この事を理解しませんと、これより説明をします古事記の総結論に導く「禊祓」の法というものの理解が難かしくなってしまう事が考えられます。そこで、この大神という名の意味を詳しく説明いたします。
客体と一体となった主体の心とはどんな心なのでしょう。卑近な例で言えば、お母さんが赤ちゃんに対する心と言う事が出来ます。赤ちゃんが普段と違う泣き声をしている。掌を頭に当てて見て「あっ、熱があるみたい」と思う時は、赤ちゃんとお母さんはまだ主体と客体が対立した相対的立場に立っている、という事です。熱を計り、「三十八度近くある」と知り、「どうしてだろう」と考えている時もお母さんは赤ちゃんの事を客体として観察しています。けれど「昨夜、暖かいと思って薄着にさせたのがいけなかったに違いない」と知って、お母さんが反省した時からは、お母さんは自分が病気になった時以上に申訳なく思い、心配します。赤ちゃんを病気にさせたのは百パーセント自分のせいだ、という様に悔やみ、心配します。この時、お母さんと赤ちゃんは一体となっています。主体と客体が一体となる絶対の立場となります。
主体と客体の相対と絶対の立場をもう少し掘り下げて考えてみましょう。時々お話する事ですが、人間の心は五段階の進化を遂げます。人間は生まれた時から五段階の性能が備わっています。ウオアエイの五次元性能です。けれど人間はそれを知りません。言霊学に出合って初めてそれを知り、言霊学を学ぶ事によって一段々々とその自覚を確立させる事が出来ます。その自覚の進化の順序はウ(五官感覚による欲望)、オ(経験知)、ア(感情)、エ(実践智)、イ(創造意志)の順です。以上の五段階の進化の中で、人間の主体と客体との関係はどう変わっているか、を考えることにします。
先ずは言霊ウの欲望性能では、何々が欲しい、何々になりたい、という欲望行為は、その欲望の対象であるものを客体として、その獲得のために努力し、また手練手管を駆使してその対象である目的に近づきます。この段階の主体と客体は飽くまで相対関係にあります。教えです。
次の言霊オの経験知識性能ではどうでしょう。研究したいものを客体とし、主体はその客体について観察、比較等を繰り返して、客体の動きを法則化して行きます。この次元の場合も主体と客体とは飽くまで対立し、相対の立場にあると言えます。
第三段階の言霊ア(感情)の性能に到って様相を異にして来ます。醜いもの、臭いもの、嫌なものを見聞きして、「いやだ、気持悪い、憎い」と思っている内は主体と客体は相対の立場をとっていますが、大層美しい物や事に遭遇しますと、自然感動し、我を忘れます。また気の毒な人に会うと同情します。美しいものに感動し、自分ならざる人に同情する心、それは純粋感情と呼ばれ、愛とか慈悲の心、滅私の心であり、主体(自我)と客体が同一化してしまった場合に見られます。先程述べた赤ちゃんに対するお母さんの心もその一例でしょう。この時、主体と客体は絶対の関係となります。
以上の言霊アの性能が社会の活動となって現われたものが芸術や宗教であります。芸術の美と宗教の愛の活動によって世の中に明るさ(光)と慈(いつく)しむ心(愛)が芽生え、楽しい社会がもたらされます。それは感動と同情の心の発露によりましょう。しかしながら愛や慈悲、同情や美的感情が客観としての社会に影響を及ぼすのは個人または家庭、更には区域社会に限られます。広く国家全体、ひいては世界人類に対してはほとんど何らの影響を与える事が出来ないのが現状です。何故なのでしょうか。芸術や宗教は人間のヒューマニズム的心情に光を与える事はあっても、人類全体の歴史をどう見るか、人類の明日よりの創造を如何に計画するか、の方策と理論を持ち合わせていない為であります。言霊学の教える人間の心の進化の三段目である言霊アの確認は出来ても、第四、第五の次元、言霊エとイへの進化の自覚が欠けているからであります。言霊アの感情性能は人対人、人対地域社会での主体と客体との絶対関係を立てる事は出来ても、人対人類の主体と客体の関係は相対的なものに終り、人即人類世界の絶対関係に立つ事が不可能だからです。それ故に人は宗教と芸術活動に於いて人類を愛する感情はあっても、人一人が世界と合一し、世界をわが事と思い、愛すると同時に世界歴史の今を合理的に認識し、それに光明を与えて、明日の世界創造の唯一無二の指針を生み出すことが出来ないのです。
人類世界という自らの外の存在を自らの内に引き寄せ、人類世界と自らが主客絶対の境地に入る為には、言霊学の所謂第四の言霊エ(実践智)と第五の言霊イ(創造意志)の人間性能の自覚が不可欠となります。言霊五十音の原理は人間進化の第五段階、言霊イの次元に存在し、その原理に基づく世界の明日を築く実践智は第四段階の言霊エから発現します。この第四と第五の進化の自覚の下に人は「我は人類であり、人類とは我の事である」の我と人類との絶対関係が成立し、その活動は人間の心の今・此処(中今)に於て行われ、人類が歩むべき道が絶対至上命令として発動されます。
長々とお話をして参りましたが、古事記の禊祓に登場する伊耶那岐の大神とは、右の如き立場に立った伊耶那岐の命の事をいうのであります。それは主体である伊耶那岐の命が客体である伊耶那美の命を包含した主体の事であり、それはまた高天原の建御雷の男の神なる精神構造を心とし、黄泉国の次々と生産される文化の総体を体とするところの世界身、宇宙身としての伊耶那岐の命のことでもあります。以上伊耶那岐の大神の意味・内容について解説いたしました。
「 伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、 」
島田氏の教えはいわば、いつまでも悟りみたいな低次元にいないでそれをずっと超えているエ次元、イ次元の方から、悟りぐらい最低悟っていてほしいと言われていると思えるような教えです。
読者は様々で、言霊学に関心があり学んでみたいのに何故悟りなんだとか、言霊学の知識を歴史的に知ろうとしているのに悟りは関係ないだろうとか、宗教的に信じないと言霊学は分からないのではがっかりだとか、いろいろありそうです。
わたしの場合は原理的なことが知りたいという知的な対象であることが多いのでこういった文章になっています。私の水準にしろ他の方の水準にしろ、「 伊耶那岐の大神 」のなるべくして成ったその成長経過の位置にいなくても、それなりにイザナギの大神は各人それぞれに隠れています。大多数の人は自覚して見出すことは出来ませんが、イザナギの大神の心は持っています。
ですのでイザナギの大神の詔りたまいしくというようなややこしい言い方で、自覚していても自分から言うのでもなく、無自覚であっても言わされていることが分かっているというような、表現が用いられています。単に仰せになるという尊称表現ではなく、先天の命令を安心して受けているような具合です。
わたしも読者も悟っていない側の無自覚な人間ですから、その立場から先天的にイザナギの大神であるということにして語っていきます。知らないことを知っているように語れば詐欺ですが、知らないことを知っていた事として語らさせられるとするのは従順です。(出すぎれば法螺になりますけれど。)
ということで上記の島田氏の教えのような各人がここにいます。
私達は蛭子、淡島から戻ったところです。知的な対象として事を扱う意識に固定されるのが黄泉国の扱いですから、それを抜け出さなければならないのですが、どうしてもまた、知的に抜け出すという傾向になります。
そこでその知的な内容とはどういうものかを徹底的に洗い出します。
この意識の領域を、自覚反省禊ぎへの変態へ向かう領域として、知訶島・知を叱りたしなめる締まり・と名付けられています。
知訶島の神々。
伊耶那岐の大神 --知のよって立つ自己意識。
衝き立つ船戸の神 --自己主張の拠り所となる先天規範。
道の長乳歯の神 --知の関連性と連続性。
時量師の神 --自己主張を成り立たせる時処位。
煩累の大人の神--曖昧性の自己内での排除。
道俣の神 --主張提起の分岐点の、方向性の明瞭化。
飽昨の大人の神 --実相を明らかに組んだとする確信へ。
奥疎の神 --主体側からする整理組み込み。
奥津那芸佐毘古の神 --主体側からする連結整理。
奥津甲斐弁羅の神 --主体側からする不備な間隙を減らす。
辺疎の神 --客体側への到達の組み込み。
辺津那芸佐毘古の神 --客体側への選択結果への連結。
辺津甲斐弁羅の神--客体側への不備な間隙を減らす。
意識において自分が大神になる経験は無いようでですが、他人と比べ自分を上に置いたり、他者の間違えに気付いたりするときになど、結構自分は偉い大神という思いを持つことがあります。
そこから、他人相手でなく自分の失敗に気付いたり、前の自分との違いに気付く時なども自分の大神を感じる時もあります。その時などは自分の前段までの経験やその不調和、不十分さを超克したという意気軒昂な思いが大きな自分となっていきます。
そういった経験できる内容を昇華して、自分は大神であることを悟らなくてはなりません。
しかし、古事記は黄泉国から出る時に、大神を連発しています。黄泉大神、道敷きの大神、道返しの大神、黄泉戸の大神、そして自分に向かってイザナギの大神となっています。
大神というのは我々主体側から見ると、どうしようもなく手におえないものとみえます。というのも客観世界は相手対象の内に出来上がったものですから、ものとしてのそれ自体の働き、運動の中にあります。古事記にあるようにものの客観世界が自分を主張してこようものなら、主体側としては自らの産んだ子現象に対抗するには、それ以上の子現象を生んで対抗することになり、悪循環に陥ってしまいます。
イザナギは自分の産んだ子達の囚われの姿をみました。それによって客観側が勝手な主張をしてきますが、全てイザナギの成したことです。客観側は形としてありますから、それが勝手な自己主張をしているわけです。その手におえなくなってしまった客体側を創っていく過程、主観では手に負えない過程にあるのが大神となります。
黄泉大神、、、客観物として出来上がった世界全体、
道敷きの大神、、、客観世界を先導してきた道理、
道返しの大神、、、主客共に同じ規範を使用しているのに黄泉国への回帰を選択すること、
黄泉戸の大神、、、客観物として固定化してしまう愛着に逆らえない意識のこと、
イザナギの大神 、、、そしてそれらの自己意識の客観的でありたい、客観的でいたいわたし・主体の傾向。
客体側から見ればこれらによって正当に客観世界を創造してこられたのです。世界文明分化の創造主です。寿司を喰いたいと寿司を創りましたが、こんどは寿司の方がそれを食わしたい食わせたいこれしかないこれにしろというようになり、主体側の選択を狭め脅かしていくようになります。
イザナギはこうした正当な客観客体創造の世界に潜む自身の「汚き」「御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたま」うことになります。
イザナギは自他にこれらを発見することになり、その発見を強固に保護している黄泉国の法則になっている(自らの)意識を叱りたしなめようとするわけです。
どうしようもなく手に負えない相手にはこちら側もどうしようもなく手に負えないもので対応することになります。それだけのものが誰にも備わっているということです。
大神とは言霊五十音図の天津菅麻音図のことです。これが相手です。
「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、……
いな醜め醜めき穢なき国とは黄泉国の事であります。そこでは人各自の経験知による客観世界の研究の成果を自分勝手に自己主張して、乱雑で整理されていない大層みにくい、汚(きた)ない国だ、という事です。穢なきとは生田無(きたな)いの意。生々した整理された五十音図表の如き整然さを欠いている文化の国といった意味であります。そういう汚ない国へ行って来たので自分の身体の禊祓(みそぎはらひ)をしよう、と言った訳であります。但し、禊祓とは現在の神社神道が言う様な滝や川の水を浴びたりして、個人の罪穢れを払拭するという個人救済の業ではありません。そのために「身体」と言わず「御身」(おほみま)という言葉が使われています。伊耶那岐の大神で説明いたしましたように、御身とは単なる伊耶那岐の命の身体という事ではなく、黄泉国の主宰者である伊耶那美の命という客体を中に取り込んだ主体としての伊耶那岐の命、高天原の言霊原理を心とし、黄泉国の全文化を身体とした意味での我(われ)である伊耶那岐の命、即ち伊耶那岐の大神の身体を御身(おほみま)と呼びます。
でありますから、「御身の禊(はらひ)せむ」とは、単に「自身の穢れを払おう」というのではなく、「黄泉国へ行って、乱雑極まりない自己主張の文化を体験して来た今までの自分自身の過去の姿をよく見極め、それを五十音言霊図上にてそれぞれの時所位を決定し、それに新しい生命の光を与えて、世界人類の文明を創造する糧に生かして行こう」という行為なのであります。何故「御身の禊せむ」がこの様な意味となるかは、これより始まる古事記の禊祓の行法の詳細がそれを教えてくれます。
右の事に関して挿話を一つ申上げます。この古事記の文章の「御身」に対して、岩波書店版は「みみ」とルビを振り、角川書店版は「おほみま」とルビしておりますが、右の一連の解説から推察して「おほみま」の方が正しいように思われます。
「醜き汚き」
自分で生んで創った世界を醜き汚い世界だというのです。余程のことです。あるいは当たり前のことなのでしょうか。
ことの始まりは合いたい見たいという欲望、君は可愛いという感情を持ち続けていることからでした。
▼▽▼▽▼▽ 以下未完 ▽▼▽▼▽▼
竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原は地図上に見られる地名を言っているのではありません。たとえそういう地名が存在していたとしても、其処と古事記の文章とは関係ありません。古事記の編者太安万侶が禊祓を行う精神上の場に対して附ける名前に、それにふさわしい地名を何処からか捜して持って来たに過ぎないからです。岩波・角川両版の古事記共「所在不明」と注釈があります。竺紫(つくし)とは尽(つ)くしの意です。日向(ひむか)とは日に向うという意で、日(ひ)は霊(ひ)で言霊、日向で言霊原理に基づく、の意となります。橘(たちばな)は性(たち)の名(な)の葉(は)で言霊の意。小門(おど)は音。阿波岐原(あはぎはら)とは図に示されますように、天津菅麻音図の四隅はアワイヰの四音が入ります。その中でイヰは音が詰まってギと発音され、結局アワギとなります。そこで竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原の全部で言霊の原理に基づいてすべてが言霊の音によって埋められた天津菅麻音図という事になります。原とは五十音図上の場(ば)の意味であります。
伊耶那岐の大神は高天原精神界に、黄泉国に於て生産される諸文化のすべてを取り込み、その上で伊耶那岐の大神の持つ建御雷の男の神という鏡に照合して黄泉国の文化を摂取し、それを糧として世界人類の文明を築き上げる人類最高の精神原理を樹立する作業を、自らの音図である天津菅麻音図上に於て点検しながら始めようとしたのであります。此処に古事記神話の総結論である天津太祝詞音図、即ち八咫の鏡の自覚完成に向う作業、即ち禊祓が開始されます。
かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、道の長乳歯(みちのながちは)の神。次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累の大人(わずらひのうし)の神。次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神。次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。
いよいよ人間精神上最高の心の働きである「禊祓」の言霊学上の解明が行われる事となるのですが、ここで今までに幾度となくお話した事ですが、この禊祓が行われる場面の状況について重ねて確かめておき度いと思います。
伊耶那岐の命と伊耶那美の命は共同で三十二の子音言霊を産みました。ここで伊耶那美の命は子種が尽き、自分の仕事がなくなったので、本来の住家である物事を客観的に見る黄泉国(よもつくに)へ高天原から去って行きました。
一人になった伊耶那岐の命は先天十七言霊と後天三十二言霊、計四十九言霊をどの様に整理・活用したら人間最高の精神構造を得るか、を検討して、建御雷の男の神という音図を自覚することが出来ました。
この主観内の自覚である精神構造が、如何なる世界の文化に適用しても人類文明創造に役立ち得る絶対的真理である事を証明しようとして、伊耶那美の命のいる黄泉国へ高天原から出て行き、そこで整備された高天原の精神文明とは全く違う未発達・不整備・自我主張の黄泉国の客観的文化を見聞きして、驚いて高天原へ逃げ帰りました。
逃げ帰る道すがら、伊耶那岐の命は十拳(とつか)の剣の判断力で黄泉国の文化の内容を見極め、黄泉国の客観世界の文化と高天原の主観的な精神文化とは同一の場では語り得ないという事実を知り、同時にその客観世界の文化を摂取して、高天原の精神原理に基づいてその夫々を世界人類の文明の創造の糧として生かして行く自らの精神原理(建御雷の男の神)が立派に役立つものである事をも知ったのであります。
以上簡単に述べました事実を踏まえながら、伊耶那岐の命は自ら体験した黄泉国の文化の内容を、世界人類の文明創造に組入れて行く行法を「禊祓」という精神の学問、即ち言霊原理として体系化する作業に入って行きます。更に申しますと、右の状況を踏まえる事、同時に伊耶那岐の大神の立場に立つ事、言い換えますと、伊耶那岐の命の高天原の原理を心とし、黄泉国の伊耶那美の命の心を自らの身体と見る伊耶那岐の大神の立場に立つ事という二つの条件を満たした時、初めて「禊祓」の大業が成立することとなります。これよりその作業の実際について解説して行きます。
これは同時に客観世界を認識することの順序ともなっています。
かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、
杖(つえ)とは、それに縋(すが)って歩くものです。その事から宗教書や神話では人に生来与えられている判断力の事を指す表徴となっています。投げ棄つる、とは投げ捨てる事ではなく、物事の判断をする場合にある考えを投入する事を言います。判断の鏡を提供する意味を持ちます。
衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。
衝き立つ、とは斎き立てるの謎です。判断に当って、その基準となる鏡を掲げることであります。その鏡とは何なのかと言いますと、先に伊耶那岐の命が五十音言霊を整理・検討して、その結論として自らの主観内に確認した人間精神の最高構造である建御雷の男の神という五十音言霊図であります。船は人を運ぶ乗物です。言葉は心を運びます。その事から言葉を船に譬えます。神社の御神体としての鏡は船形の台に乗せられています。でありますから、船戸の神とは、船という心の乗物である言葉を構成する五十音言霊図の戸、即ち鏡という事になります。衝き立つ船戸の神とは、物事の判断の基準として斎き立てられた五十音言霊図の鏡の働き(神)という事になります。此処では建御雷の男の神という五十音図の事です。
禊祓という行法の作業の基準として斎き立てた建御雷の男の神という五十音言霊図の事を衝き立つ船戸の神と呼びます。という事は、建御雷の男の神と衝き立つ船戸の神とは、その内容となる五十音言霊図は全く同じものであり、その現われる時・処によって名前が変わるだけという事になります。では何故建御雷の男の神という一つの神名で終りまで押し通さないのでしょうか。そこに古事記神話の編者、太安万侶の深謀が窺えるのであります。この事について説明を挿し挟む事とします。
右のように書きますと、伊耶那岐の大神が自らの心の中に斎き立てた衝き立つ船戸の神が、前に出て来ました建御雷の男の神であるという事が自明のように思われるかも知れません。けれど実際には古事記神話の何処にもそんな記述はありません。また同時に言えます事は、これから後の言霊百神を示す神話の中に衝き立つ船戸の神という神名が唯の一つも出て来ないのであります。言霊布斗麻邇の学問の結論となる「禊祓」の行法の判断の基準として不可欠な衝き立つ船戸の神の正体を明らかにせず、また禊祓の実践の最中にもその神名さえも書かず、ただ実践の最初にのみ「投げ棄つる御杖に成りませる神の名は、衝き立つ船戸の神」と一度だけ書いた太安万侶の意図は何処にあったのでしょうか。
それは禊祓と呼ばれる言霊布斗麻邇の学問の総結論に導くための人間精神の最高の行法が、単なる自我を救済する自利の道ではなく、また自分と相向う客観としての他を救う単なる利他の道でもなく、自らに相対する他を包含した自分、即ち客体と一体となった主体である宇宙身自体を清めるというスメラミコトの世界文明創造の業である事を後世の日本人に知らせるための太安万侶の大きな賭であったのでありましょう。何故なら伊耶那岐の大神の宇宙身である御身という意味を理解しない限り、後世の人々が想像だに出来ない禊祓の真意義を説くに当って、太安万侶は古事記の神話という謎物語の中での最大の謎をここに仕掛けたのであります。それは考えに考えた末の決断であったのです。「知らせてはならず、知らさいではならず、神はつらいぞよ」という大本教祖のお筆先はこの事情をよく物語っていると言えましょう。衝き立つ船戸の神の内容が建御雷の男の神であるという事は、古事記神話全体の文章の流れの把握によってのみ言い得る事なのです。
さて伊耶那岐の大神は御杖に続いて自分の身につけているものを次々に投げ棄ち、合計五神が誕生します。これ等の五神は禊祓の実行のため基準の鏡となる衝き立つ船戸の神とは違い、伊耶那岐の大神が自らの身体として摂取する黄泉国の文化を、その内容について詳しく調べる為の五つの条項を示す神名なのであります。その一つ一つについて解説をして参ります。
次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、道の長乳歯(みちのながちは)の神。
次に御帯を投入しますと、道の長乳歯の神が生まれました。道とは道理という事。長乳歯とは、子供の生え揃った歯が一本も欠ける事なく長く続いて並んでいるの意であります。投げ棄つる御帯の帯とは緒霊の意で、心を結んでいる紐という事から物事の間の関連性を意味する事と考えられます。そこで道の長乳歯の神とは、摂取する黄泉国の文化の内容の他との関連性を調べる働きという事になります。黄泉国の文化が他文化とどの様な関係を持っているかを調べる働きが生まれて来たという事になります。
次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神
古事記の或る書には御嚢を御裳(みも)と書いてあるものがあります。そこで誕生する神名が時量師の神という事となりますと、御嚢より御裳の方が正しいように思われます。また時量師の神を時置師(ときおかし)の神と書いてある書もあります。これはどちらでも同じ意味であります。そこで御裳(みも)として説明して行きます。
裳(も)とは百(も)で、心の衣(ころも)の意となります。また裳とは昔、腰より下に着る衣のことで、襞(ひだ)があります。伊耶那岐の大神の衣である天津菅麻(すがそ)音図は母音が上からアオウエイと並び、その下のイの段はイ・チイキミシリヒニ・ヰと並び、イとヰの間に八つの父韻が入ります。この八つの父韻の並びの変化は物事の現象の変化を表わします。そして物事の現象の変化は時の移り変わりを示す事でもあります。時量師の神とは現象の変化から時間を決定する働きという事になります。
現象の移り変わりが時間を表わすとはどういう事なのでしょうか。「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」という有名な俳句があります。冬の厳しい寒さを耐え忍んで来て、或る日、ふと空を見上げると、庭前の梅の木の枝の先に梅の花が一輪蕾を開かせようとしているのが目に止まりました。まだ寒さは厳しいが、梅の花が咲こうとする所を見ると春はもうそこまで来ているのだな。そう思ってみると、朝の寒風の中にも何処となく春の気配の暖かさが膚に感ぜられるような気がする、という感じの句です。つい先日まで枝の先の梅の蕾は固く小さかったのに、今朝は一輪が咲き初めて来た。「あゝ、春はもう近いのだ」と季節の移り変わりを知ります。物事の現象の変化が時を表わすとはこの様な事であります。「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」の句は更に強烈に秋の季節の到来を告げています。
以上のように物事の姿の変化のリズムが時の変化だという事が出来ます。物事の姿の変化という事がなければ、時というものは考えられません。実相の変化が時の内容であると言う事であります。人間が日常経験する大自然の変化、また人間の営みの変化にも、それぞれ特有の変化のリズムが見てとれます。このリズムを五十音言霊図に照合して調べ検討する働きを時量師の神というのであります。私達がアオウエイ五次元相に現われる現象の変化のリズムを八父韻の配列によって認識する働きの事です。
ここでウオアエイの各次元に働きかけ、適合する時量師(時置師)の父韻配列を列挙して置く事にしましょう。
言霊ウ次元 キシチニヒミイリ 天津金木音図
オ次元 キチミヒシニイリ 赤珠音図
ア次元 チキリヒシニイミ 宝音図
エ次元 チキミヒリニイシ 天津太祝詞音図
イ次元 チキシヒミリイニ 天津菅麻音図
宇宙から種々の現象が現われて来ます。その現われて来る現象を唯一つの現象として特定化するのは、宇宙の内容を示す五十音言霊図の中の縦の母音の並びによる次元、横の父韻の変化に基づく時間、両者の結びによる空間の場所、即ち時・所・位(次元)の三者によって行われます。それ故現象(実相)には必ず時処位が備わっています。古事記には時量師の神しか書かれてありませんが、実際には処量師、位量師もある筈であります。その事から時間とは空間の変化であり、空間は時間の内容という事が出来ます。時間のない空間はなく、空間のない時間はありません。そして時間も空間もアオウエイと畳(たたな)わる次元の中の一つの広がりについて言える事であります。時間と空間は次元の一部であるという事です。これ等のことは、宇宙の全容を示す言霊五十音図表について考えれば一目瞭然であります。その時間と空間の畳(たたな)わりが次元宇宙なのです。
次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累の大人(わずらひのうし)の神。
御衣とは衣の事で、心の衣である五十音言霊図の事です。煩累の大人の神とは、煩累が意味がアイマイで、不明瞭な言葉のことであり、大人とは家の主人のこと、その神名全部で五十音言霊図に参照してアイマイで意味不明瞭な言葉を整理・検討して、その言葉の内容をしっかり確認する働き、という事であります。煩累の大人の神を和豆良比能宇斯能神と書いた古事記の本もありますが、意味は同じであります。
次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神。
褌(はかま)とは腰より下にはいて、股(また)より下が二つに分かれている衣類のことです。道俣(ちまた)も道の一点で、二方向に分かれる場所のことです。物事の内容を明らかにするには、上下・表裏・陰陽・主客・前後・左右・遅速等の分離・分岐等の事実を明らかにする必要があります。道俣の神とは言霊図に照合して物事の分岐点を明らかに確認する働きのことであります。
次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。
冠(かがふり)とは帽子のことで、頭にかぶるものです。五十音図で言えば一番上のア段に当ります。物事の実相はアオウエイ五次元の中のア段に立って見ると最も明らかに見ることが出来ます。芸術がア段より発現する所以であります。飽咋の大人の神の飽咋(あきぐひ)とは明らかに組む霊(ひ)の意です。物事の実相を明らかに見て、それを霊(ひ)である言霊を以て組むの意となります。大人とは主人公の事。御冠である五十音図のア段と照らし合わせて、物事の実相を言霊で明らかに組んで行く働きという事です。
以上で禊祓の行を実行する基準となる衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)と、摂取する黄泉国の文化を整理・検討して、その内容や実相、また時処位等を明らかにする五つの働き(道の長乳歯の神・時量師の神・煩累の大人の神・道俣の神・飽咋の大人の神)を解説いたしました。これ等六神の謎解きについては御理解を得られた事と思います。これまでのお話で禊祓を行う下準備は完了しました。これよりいよいよ禊祓の実行に取りかかる事となりますが、その実行する手順と手続きの内容を示す神名が極めて難解であります。先に詳細に説明申上げました「伊耶那岐の大神」と「御身(おほみま)」という事の意味を理解しませんと、禊祓の行の始めから終りまでが宙に浮いてしまうように、何の事かさっぱり分からなくなります。頭の中でただ理屈の上で考えて頂くだけではお分り難い事となります。是非読者御自身が禊祓の実行者の立場に立ったつもりになって、言い換えますと、読者御自身が「伊耶那岐の大神」になられ、その御自身の「御身」を禊祓なさるおつもりでお聞き願い度いと思います。そういう事で古事記の文章を先に進めます。
次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎(おきさかる)の神。次に奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、辺疎(へさかる)の神。次に辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。
以上六つの神名が出て来ました。読んだだけではその神名が何を示すものなにか、全く見当もつかない名前であります。先ずその名の文字上の意味から考えることにしましょう。六神名を読んで分かります事は、一番から三番目までの神名のそれぞれの頭に付けられている奥、奥津、奥津と、四番目から六番目までの神名にそれぞれ付けられている辺、辺津、辺津の文字を取り去りますと、一番目と四番目が疎(さかる)、二番目と五番目が那芸佐毘古、三番目と六番目が甲斐弁羅とそれぞれ同じ神名という事になります。この事を先ず頭に入れておいて解釈をすることとしましょう。
次に投げ棄つる左の御手の手纏とは何か。辞書を引くと、「手纏とは上代、玉などで飾り、手にまとって飾りとしたもの」とあります。伊耶那岐の大神が両手を左右に延ばした姿を五十音図表に喩えますと、左の御手の手纏とは五十音図に向って最右のアオウエイの五母音に当ります。そして右の御手の手纏とは音図の最左の半母音ワヲウヱヰとなります。物事は母音より始まり、八つの父韻の流れを経て、最後の半母音で終結します。そうしますと、「奥(おき)」とは起(おき)で物事の始まりであり、反対に「辺(へ)」とは山の辺に見られますように、物事の終りを表わす事となります。
次に疎(さかる)とは辞書に「離れる」「遠ざかる」を表わす上代の言葉とあります。そうしますと、奥疎(おきさかる)と辺疎(へさかる)の文字上の意味は明らかになります。即ち奥疎の神とは何かを他の何かから始まりの処に遠ざける働きという事になります。そして辺疎の神とは何かを他の何かから終結する処に遠ざける働きと言う事が出来ます。文字の上での解釈はこの様になりますが、実際にはどういう事になるのかは後程説明いたします。
次に奥津那芸佐毘古の神、辺津那芸佐毘古の神の文字上の解釈に入ります。奥津・辺津の津は渡すの意です。那芸佐毘古の神とは悉(ことごと)くの(那)芸(わざ)を助ける(佐)働き(毘古)の力(神)という事です。とすると奥津那芸佐毘古の神とは始めにある何かを或る処に渡すすべての芸を助ける働きの力という事となります。辺津那芸佐毘古の神とは終結点に向って何ものかを渡すすべての芸を助ける働きの力と解釈されます。
次に奥津甲斐弁羅の神、辺津甲斐弁羅の神の解釈に入ります。甲斐といえば甲州、山梨県の事となりますが、この甲斐は山峡の峡のことで、山と山との間という意味です。弁羅とは減らす事。甲斐弁羅であるものとあるものとの間の距離を減らすの意となります。そうしますと、奥津甲斐弁羅の神とは、始めにあるものを渡して或るものとの間の距離を減らす働きという事となります。
辺津甲斐弁羅の神とは、終結点にあるものを渡して、あるものとの間の距離を減らす働きとなります。
以上で奥疎、奥津那芸佐毘古、奥津甲斐弁羅並びに辺疎、辺津那芸佐毘古、辺津甲斐弁羅、計六神の文字上の解釈を終えたのでありますが、この解釈だけでは実際には何のことなのか、読者の皆様の御理解は得られないと思われます。そこでこの文字上の解釈に基づきながら、禊祓を実行する人の心の中に起る手順・経過について説明して行きます。
禊祓の業と言いますのは、自分に対する客観的なものの穢れを清めたり、修正したりすることではありません。何度も申上げている事ですが、黄泉国で考え出された文化を、世界身・宇宙身である伊耶那岐の大神が自分自身の身体の中に起ったものとして受け入れ、受け入れた自身の身を禊祓することによって新しい身体としての宇宙身に生まれ変わって行く事、そういう形式で人類文明を創造して行く業であります。
先ず伊耶那岐の大神は客観世界に起って来た文化を自らの身体の中に起って来たものとして摂取します。摂取した文化を先にお話しました道の長乳歯の神以下五神の働きによってその文化の内容の実相がよく理解し易いように整理・検討します。その作業が終わりますと、次に奥・辺の疎、奥津・辺津の那芸佐毘古、甲斐弁羅の心の中の業の進行に入る事となります。
奥疎の神、辺疎の神
伊耶那岐の大神という世界身の中に摂取された黄泉国の文化は、それが実相を明らかにされた時点でも禊祓の洗礼を受けている訳ではありません。伊耶那岐の大神の身体の中に取り入れられただけの状態です。その文化を取り入れた我が身の状態をよく観察して、これに新生命を与えるための業の出発点となる実相を見定める働き、これが奥疎の神であります。もう少し説明を加えましょう。黄泉国の文化をわが身の内のものとして摂取した時は整理されていない文化を身の内に入れたのですから、自らが清められ、新しい生命に生まれ変わらねばなりません。では何処が整理されるべきなのか、禊祓の業の出発点としての自らの黄泉国の文化体験はどう認識すべきなのか、が決定されなければならないでしょう。摂取した文化の実相を見極めて、それを摂取した自らの禊祓の出発点としなければなりません。その出発点(奥)(おき)の状態を見極めて行く働き、これを奥疎と呼ぶのであります。
行の出発点としての自らの実相が見極められたら、次ぎに禊祓によって新生命に生まれ変わった世界身としての自らは如何なる状態となっているか、の終着点の新世界身の姿がはっきり心に浮び上がります。禊祓の業の目的達成の時の状況が明らかに心中に浮び上がります。この様に禊祓の業によって創り出されて行く結果(辺)の状況の決定、これが辺疎の働きであります。この働きによって黄泉国の摂取された文化がどんな姿に変わって行くかが決定されると同時に、その文化が摂取された後は伊耶那岐の大神の世界身である世界文明がどういう姿に変化・革新されて行くかも決定されます。禊祓の出発点の実相を見極める働きが奥疎の神であり、禊祓の業の終了後の世界身の実相を決定する働きが辺疎の神であります。それは黄泉国の新しい文化を摂取したばかりの伊耶那岐の大神の心の内容から、禊祓の行を始める出発点に「これが新しく摂取する文化の実相だよ」と思い定める事(奥疎)、またその摂取した新文化は禊祓の結果として「この様な姿で人類文明の一翼を担うようになるのだ」という確乎としたイメージを結ぶ事(辺疎)なのであります。
先月号までにて古事記の所謂伊耶那岐の大神(伊耶那美の命を包含した伊耶那岐の命)と、御身(自らの主観世界を心とし、客観世界を自らの身体とする世界心、宇宙身、宇宙生命)の内容を詳しく説明して来ました。その意味での御身を禊祓するという事は、宇宙身自体の革新事業であり、人類文明の創造行為という事となります。
その禊祓の行為の規範として伊耶那岐の大神は、自らの主観内に樹立した建御雷の男の神という五十音言霊構造を衝立つ船戸の神と掲げました。次にわが身として摂取する黄泉国の文化の内容を天津菅麻音図上に於て調べる為の五項目として道の長乳歯の神以下の五神名を定めました。かくて言霊布斗麻邇の最終結論に導く行為の準備は整った事になります。そして禊祓が開始されたのであります。
奥疎(おきさかる)の神、辺疎(へさかる)の神
黄泉国の文化を身の内に摂取した伊耶那岐の大神は、その摂取した時点のわが身の実相を禊祓する出発点の状況として認定する事から始めます。これを奥疎の神と言います。次にその出発店から禊祓が始まり、その結果、黄泉国の文化が世界文明の内容の一部として取り入れられ、禊祓の行為が終了した時点に於てわが身は如何なる状況に変革されているか、のイメージが明らかに見定められます。この働きが辺疎の神であります。先月号はここまでお話しました。
奥津那芸佐毘古(おきなぎさひこ)の神、辺津那芸佐毘古(へつなぎさひこ)の神
奥疎の神の働きで御身(おほみま)の禊祓の出発点の実相が明らかになりました。その出発点で明らかにされた黄泉国の文化の内容をすべて生かして人類文明へ渡して行く働きが必要となります。その働きを奥津那芸佐毘古の神と言います。出発点に於ける黄泉国の文化の内容(奥津那芸)を生かして人類文明に渡す芸(わざ)を推進する(佐)働き(毘古)の力(神)という訳であります。それは過ぎたるを削り、足らざるを補う業(わざ)ではありません。内容のすべてを生かす事によって結論に導いて行く業であります。
辺津那芸佐毘古の神とは結論(辺)に渡して(津)行くすべての業(那芸)を助(佐)けて行く働き(毘古)の力(神)という事です。辺疎(へさかる)で黄泉国の文化がどういう姿で人類文明に摂取されるかが心中に確認されました。黄泉国の文化がその姿に収(おさ)まらせる事がどうしたら出来るか、の業が決定されねばならないでしょう。そういう業の働きの力を辺津那芸佐毘古の神と言います。禊祓の出発点に於ける黄泉国の文化の内容をすべて生かして行く業(方法)が奥津那芸佐毘古であり、その内容をどういう姿で人類文明に摂取するかの業が辺津那芸佐毘古と言う事が出来ます。
奥津甲斐弁羅(おきつかいべら)の神、辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神
奥津那芸佐毘古で禊祓の作業の出発点にある黄泉国の文化の内容を尽く生かす手段が分かりました。また辺津那芸佐毘古でその文化の内容を人類文明の中に同化・吸収する手段が分かりました。出発点の黄泉国の文化を生かす方法と終着点である人類文明に組込む手段とは、実は別々のものではなく、実際には一つの手段でなければなりません。人類文明に摂取する外国文化の内容の尽くを見極め、それを生かそうとする手段と、その内容を衝立つ船戸の神の音図に照らし合わせて、人類文明の中にその時処位を与える方法とは、実際には一つの行為・手段によって行われるものです。そこで出発点の手段と終着点の手段は一つにまとめられなければならないでしょう。ですからそのそれぞれの間の隔たりは狭められなければなりません。その間の距離を狭める働きが出発点の奥津那芸佐毘古に働く事を奥津甲斐弁羅と言い、終着点の辺津那芸佐毘古に働く事を辺津甲斐弁羅と名付けるのであります。この様にして摂取する外国文化の内容のすべてを生かし、更にそれを人類文明に組み入れる動作とがただ一つの言葉によって遂行される事となります。この禊祓の行為を仏教では佛の「一切衆生摂取不捨」の救済と形容しております。
以上、伊耶那岐の大神が自らの御身の中に於て外国文化を人類文明に組み込んで行く手法を示す奥疎の神以下辺津甲斐弁羅の神までの六神について解説いたしました。お分かり頂けたでありましょうか。
知訶(ちか)島またの名は天の忍男(あまのおしを)
以上お話申上げました衝立つ船戸の神より辺津甲斐弁羅の神までの十二神が人類精神宇宙に占める区分を知訶島または天の忍男と言います。知訶島の知(ち)とは言霊オ次元の知識のこと、訶(か)とは叱り、たしなめるという事。黄泉国で発想・提起された経験知識である学問や諸文化を、人間の文明創造の最高の鏡に照合して、人類文明の中に処を得しめ、時処位を決定し、新しい生命を吹き込める働きの宇宙区分という意味であります。またの名、天の忍男とは、人間精神の中(天)の最も大きな(忍[おし])働き(男)という事です。世界各地で製産される諸種の文化を摂取して、世界人類の文明を創造して行くこの精神能力は人間精神の最も偉大な働きであります。