ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。
伊耶那岐の命は桃の実に申しました。「お前が私を助けたように、この日本の国に住むすべての人々が、困難な場面に陥って苦しい目にあう時には、助けてやって呉れよ」と言って意富加牟豆美の命という名を授けました。意富加牟豆美とは大いなる(意富[おほ])神(加牟[かむ])の御稜威[みいづ](豆美[づみ])の意であります。御稜威とは権威とか力とかいう意味です。
余談を申しますと、梅若の狂言にある「桃太郎」では、仕手[しで](主役)の桃太郎は自らを意富加牟豆美の命と名乗ります。おとぎ話の桃太郎は川に流れてきた桃の実から生まれ、お爺さんとお婆さん(伊耶那岐の命・伊耶那美の命)が育てる。桃とは言霊百神の事であり、百神の原理より生まれた太郎(長男)と言えば、三貴子(みはしらのうづみこ)天照大神、月読命、須佐之男命の一番上の子、即ち天照大神のこととなります。古事記神話の桃の子三つとは五十音言霊図の一番終わりの列(五半母音)の結論を表わします。そのヱヲウの三音が桃の子(み)三つという事になりますから、意富加牟豆美の命と天照大神とは同じ内容であることが分ります。 (島田正路著 「古事記と言霊」講座 より)
===================================-