妹生杙(いくぐひ)の神・父韻ミ
角杙の神の父韻キと陰陽、作用・反作用の関係にある父韻ミを指示する神名です。この生杙の神という神名ぐらい実際の父韻ミにピッタリの謎となる神名は他にはないでしょう。角杙の神の時、杙というものを昆虫の触覚に譬えました。人が生きるための触覚と譬えられる働き、とはどんな働きでありましょうか。変な例を引く事をお許し下さい。日本の種々の議会の議員さんが選挙で当選するのに必要な三つのもの、といえば地バン、看バン、カバンです。言い換えると、地バンとは選挙区の人々とのつながりのこと、看バンとは知名度、そしてカバンとは勿論豊富な選挙費用を持つことです。議員さんにとって選挙で当選したから一息、という訳にはいきません。当選したその日から、自らの三つのバンを更に大きく強く育てて行き、次の選挙への準備をすることです。地バンである選挙区の人々、今までに顔見知りになった人々へ、議員自身の影響力を更に売り込んで行かねばなりません。どんな人にどの様に自分を売り込んだら良いか、その働きの最重要なものが言霊ミであります。言霊父韻ミとは、自分の心の中にある幾多の人々と、如何なる関係を結んで関心を高めて行くか、相手の心と結び付こうとする原動韻即ち父韻ミが重要となります。どんな小さい縁も見逃してはなりません。縁をたよって自分の関心を売り込む力です。これは正(まさ)しく生きるための触覚であります。政治家にあってはこの生きるための触覚を手蔓(てづる)と言います。その他物蔓・金蔓・人蔓、手当たり次第に関係の網(あみ)を広げて行きます。
政治家ばかりではありません。この生杙という父韻ミは、人が社会の中で生き、活躍して行くためにはなくてはならぬ必要な働きであります。社会に於てではなく、人間の心の中との関係についてもこの触覚は重要な働きを示すでありましょう。自分の心の中の種々の体験とその時々のニュアンスに結び付き(生杙)、またそれを掻き取って来て(角杙)、小説を書き、印象画や抽象画を描き、また既知の物質の種々の法則の中から微妙な矛盾を発見して、新しい物質の法則に結びつけて行く才能の原動力もこの言霊キ・ミの働きに拠っています。
反省する時に父韻を自覚するには、何故人を批判する心が起こってしまったのか、起こしてはいけないと思っているに起こって、自分の意思と関係なく宇宙と結びついてしまったキ(角杙神)・ミ(生杙神)であることがわかる。
よく人の名前を思い出せない時、なんかの拍子にひょいと思い出す“ヒ”の於母陀流神、思い出すまで心の中で誰だったっけ、もやもやしている妹阿夜訶志古泥神の“ニ”、それ以上は捉えることが出来ないのですから。
分からないのは八つの父韻の並び方で次元が違ってきますでしょ、俳句や和歌を捻った時に自分の心の並びがアの父韻の並びア・タカラハサナヤマ・ワと並んでいるか、それぞれの次元の現象の父韻の並びを観れば、それに対してどのように答えればいいかが自ずと分かってくる。
高天原へとどのような言葉をかければ引き上げることが出来るか、それが大直毘、神直毘、伊豆能売である言葉が分かってくる。必ず反省でもって、アとワの前にはウがあって、その前には宇宙があるんだよ、を言い聞かせておけばいい。
分かれていることを意識できないのですから、でも実際は分かれている、でも分かれていないということを知っておればいい。
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精神元素「ミ」の言霊と古事記。 その 1。
古事記神代の巻冒頭百神によって与えられた神名・ 「妹活杙(いくぐひ)の神」。 言霊 ミ。
・神名の解。
杙というものを昆虫の触覚に譬えました。人が生きるための触覚と譬えられる働き
・神名全体の意味。
人が生きるための触覚と譬えられる働き、
・言霊「ミ」の意味。
父韻ミは自らの精神宇宙内にあるものに結び附こうとする力動韻という事が出来ます
人は何かを見た時、それが何であるかを確かめようとして過去に経験した同じように見える物に瞬間的に思いを馳せます。この動きの力動韻が父韻ミです。
自分の心の中の種々の体験とその時々のニュアンスに結び付き(生杙)、またそれを掻き取って来て(角杙)
❹言霊ミ。妹活杙(いくぐひ)の神。
角杙の神の父韻キと陰陽、作用・反作用の関係にある父韻ミを指示する神名です。
この生杙の神という神名ぐらい実際の父韻ミにピッタリの謎となる神名は他にはないでしょう。角杙の神の時、杙というものを昆虫の触覚に譬えました。人が生きるための触覚と譬えられる働き、とはどんな働きでありましょうか。
変な例を引く事をお許し下さい。日本の種々の議会の議員さんが選挙で当選するのに必要な三つのもの、といえば地バン、看バン、カバンです。言い換えると、地バンとは選挙区の人々とのつながりのこと、看バンとは知名度、そしてカバンとは勿論豊富な選挙費用を持つことです。議員さんにとって選挙で当選したから一息、という訳にはいきません。当選したその日から、自らの三つのバンを更に大きく強く育てて行き、次の選挙への準備をすることです。地バンである選挙区の人々、今までに顔見知りになった人々へ、議員自身の影響力を更に売り込んで行かねばなりません。どんな人にどの様に自分を売り込んだら良いか、その働きの最重要なものが言霊ミであります。言霊父韻ミとは、自分の心の中にある幾多の人々と、如何なる関係を結んで関心を高めて行くか、相手の心と結び付こうとする原動韻即ち父韻ミが重要となります。どんな小さい縁も見逃してはなりません。縁をたよって自分の関心を売り込む力です。これは正(まさ)しく生きるための触覚であります。政治家にあってはこの生きるための触覚を手蔓(てづる)と言います。その他物蔓・金蔓・人蔓、手当たり次第に関係の網(あみ)を広げて行きます。
政治家ばかりではありません。この生杙という父韻ミは、人が社会の中で生き、活躍して行くためにはなくてはならぬ必要な働きであります。社会に於てではなく、人間の心の中との関係についてもこの触覚は重要な働きを示すでありましょう。自分の心の中の種々の体験とその時々のニュアンスに結び付き(生杙)、またそれを掻き取って来て(角杙)、小説を書き、印象画や抽象画を描き、また既知の物質の種々の法則の中から微妙な矛盾を発見して、新しい物質の法則に結びつけて行く才能の原動力もこの言霊キ・ミの働きに拠っています。
またその見たものが他人の行為であり、その行為を批判しようとする場合、自分が先に経験し、しかもそういう行為は為すべきではないと思った事が瞬間的に自分の心を占領して、相手を非難してしまう事が往々にして起ります。心に留めてあったものが自分の冷静な判断を飛び越して非難の言葉を口走ってしまう事もあります。これは無意識にその経験知を掻き繰って心の中心に入り込まれた例であります。
君が代。
言霊キ角杙(つのぐひ)の神と言霊ミ妹活杙(いくぐひ)の神を合わせるとキミになり、伊耶那岐と伊耶那美の岐美を合わせるとキミになり、キミとは君で人間一切の機能を統轄し、人類全体の文明を創造する大能力を示すことになる。
歴史の思い出を忘れて戦争の想いでだけで君が代を語るのでなく、その源へ逆上ってみよう。
元々は年賀の為であったこの歌は、鎌倉期・室町期に入るとお目出度い歌として賀歌に限られない使われ方が始まり、色々な歌集に祝いごとの歌として収録されることになる。
『古今和歌集』の巻七の先頭にあるのが元の歌。
わがきみは 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで
「わがきみは」すでに早い時代に「きみがよは」に変わっているといいます。
そこで「きみがよは千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」としてその内容を探ってみましょう。
き・伊耶那岐の神、言霊イ
み・伊耶那美の神、言霊ヰ
が・岐の神と美の神が一体となった、伊耶那岐の大神のこと。キミ(伊耶那岐の大神)に依る創造意志
よは・世は、母音うあおえでしめされる人間の四つの性能の現れであるこの世、代はその都度生まれ変わる大神の現れのこと、機能の内容としての絶対宇宙神天照大御神。
ちよに・無限に、何時までも、ちは道
やちよに・弥栄、無限に拡大伸張する、
さざれ・全世界の精神文化の生産物、個人から見れば君に同化一体化を求める人々、現象
いしの・創造意志が詰まり収まっている、言霊イと言霊シ
いわおと・いわほ(五十のほ(霊)すなわち五十音図つまり日本語のこと)による洗礼(みそぎ)を受けて、新しい生命が与えられ、一つ一つが生きている元素となる
なりて・言霊五十音図の活用運用
こけの・個、子、の気のこと、個々人一人一人、現象生産物の全て
むすまで・大君の霊と体が結ばれ産出し、いのち輝くように
全体で、きみの語源は伊耶那岐と伊耶那美で、二神が一体となった伊耶那岐の大神の言霊イとヰの創造意志による世界文明創造社会であるならば、幸せな万民の為の世が限りなくつづくであろう、となり、
世界文明の統治者からみると。「言霊イとヰの世界文明創造原理の自覚者である天津日嗣スメラミコトの御代に於ては千代に八千代に次の如き政治が行われるであろう。即ち世界各地に於いて言挙げされる種々の文化が言霊五十音の鏡に懸けられて、各々その処を得しめられ、それぞれに世界人類の文明を創っていくための役目を与えられ、その時処位に応じた文化の花を咲かせて行く。天津日嗣の経綸とはかかるものなのである。」
最高理想の実現からみると。 ”君が代”は天照大御神の”御稜威”を讃える歌です。この歌は、宇宙絶対神の最高表現・天照大御神の御姿を表現しているのです。天照大御神の御姿は、即ち光明遍照の”日の本の国”なのです。それ故にこの歌には、天照大御神を顕現する偉大なる力があるのです。最高理想の世界”日の本の国”を現実化する、尊厳無比の”祈り言葉”なのです。従ってこの歌は、島国日本の国歌では無いのです。島国日本の私物化できるものでは無いのです。宇宙全体の共有財産・最高の宝なのです。
今の天皇との関係からみると。もともと天皇のことを歌ったものではありませんが、そのように解される時代を経てきたものです。今の天皇とは同床共殿を廃止した後の歴代の天皇を指します。特に神話との関係を絶った昭和天皇以降も含まれます。現在は古事記の言霊原理と天皇の関係が否定されているので、君が代の歌の真義からすれば、天皇空位時代ですので歌とは関係ありません。(ただし、天津日嗣の経綸も用意されていますので復言かえりごとがまもなく行われるでしょう。)
現憲法からすれば。主権在民で、君が代でなく民が代となるはずですが、民が代では歌の意味はなくなります。民が代としても、主権をもっている在民達には言霊の自覚はありません。為政者、教育者自身にも何の自覚もありませんので教育も行われていませんし、民の為の治世も行なわれていません。。君を伊耶那岐、伊耶那美のキミと理解し直さなくてはなりません。
この歌は詠み人知らずです。作者はキミのことを天皇としたことも当然考えられます。時と共に原意が失われて別の意味に入れ替わることはあります。その場合でも作者が知らず知らずのうちに使用していた言葉の内容がもとの意図にもどされることも否定出来ません。
現在は肯定派も否定派も九十九パーセントの人に歌の真意は通じていません。たとえ曲が付いて歌われても、双方とも誤解し、強制されて歌っていると感じているのでは、歌の本意は通じていません。楽しく愉快な歌でも無く、勇気を奮い起こす歌でも無く、単に一国の為の歌でもありません。まことに「きみ」とは霊威が強い。一国においては霊威が強過ぎるとして廃止された共床共殿は全世界規模で同時に共床となる前哨でもあるのです。日本皇室が鍵を握っていることでしょう。
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精神元素「ミ」の言霊と古事記。 その 2。
言霊「キ」は心の宇宙の中の過去の経験、または経験知を掻き寄せようとする韻で、
言霊「ミ」は自らの精神宇宙内にあるものに結び附こうとする力動韻という事が出来ます。
キとミで君となり、君はあなたであり、相手対象であり、客体になります。キミを天皇と解する人は天皇が千代に永遠に続くという希望を持つでしょうが、天皇が永遠に続くことはありません。天皇を天皇足らしめる原理が永遠に続くというのなら話は別のことで、この原理こそ永遠に続くものです。
言霊の原理は約一万年前に発見されましたが、人の意志と思惟の構造そのものなので人がいる限り永遠に続きます。その昔、心とは何かの言霊原理を体得した方を後に天皇というようになりましたが、言霊の原理はそれほどまでに衝撃を持った力だったのでしょう。
人の根本に関する原理なので、世界創造の原理でもあり、世界宗教の生みの親でもあります。古文書にはモーゼ、キリスト、孔子等の来朝が伝えられています。それぞれの状況に応じて言霊原理の伝達があったことと思われます。こうしたうさん臭い話題は置いといても、言霊原理が世界の至宝であることを示さなくてはなりません。でも、示すとか示せとかも私がいうと眉唾物ですね。止め。。。
君とはあなた、対象、客体となりますが、あなたであるきみとは何かについて、見てみましょう。
古事記の冒頭百神を利用すれば何でも回答が可能となるだけのものが、日本ににあるというのは心強いのですが、利用者がこんな調子ですから大したことは示せないでしょう。大いに皆さんに研究してもらいたいところです。
君というのは古事記の冒頭百神によって解明されるものですし、全ての人間の係わる問題は同じようにこの百神の理解によって明かされます。百人百色じゃないか、何故一人一人の見解が違うのかとかも、人間の係わる問題としてなら、君とは何かと同じように回答出来るはずのものです。数千年間の混沌とした哲学概念理性問題も同様に古事記に依って解明出来ます。
以上は古事記の宣伝で、できもしないやりもしない私が言うことではないですね。無責任ですが、各人がそれぞれ頭を使って唸るよりも理知的な方法です。もちろん古事記の神々の謎が判ればの話ですが。私は関心興味だけでつまみ食いをしているだけです。言霊の霊威に対する覚悟ができていません。
さて、君、客体とは何か。
大体の鳥瞰図を示しておきましょう。
①心の宇宙は言葉という命になる、その構成要素。
Ⅰ-心の先天構造の発現。十七言霊の区分
0)問題の出所。
1)問題の提示。
2)主客と各階層次元への現れ。
3)各階層次元の実在と選択。
4)提示された問題の各次元での生成流転。
5)提示された問題を統一的に対応する。
6)おのれの主張の領域
Ⅱ-心の後天現象といういのち。生れた後天言霊三十二(三十三)の区分
6)問題内容の具体化。表現以前の現象化へ。
7)問題内容の表現化。表現に渡される。
8)問題内容の伝達了解化。表現といういのちの確認化へ。
8’)表現された心という生命。
②整理運用、行動規範の創造。
Ⅲ-言霊五十音を整理・運用して人間精神の最高規範を誕生させるまでの整理段階の順序とその内容を表わしたもの
イ)自証の段階。
9) 自然発生的な的な規範の検討。
10)自然発生的な的な規範の創出。
11)主体的な規範の検討創出。
12)主体的な表現の種類。
ロ)他証の段階。客観客体の検討とそのさがとの決別。黄泉の国。
ハ)身禊。さがの摂取、止揚。
13)経験知的概念をたしなめる。
14)身禊の検討。天津太祝詞八咫の鏡を斎き立てる。
これは古事記による心の全貌を示したものです。
中味は御中主から三貴子までを並べただけのものです。
古事記の神々の成立順が心の成立の順になっています。フトマニ言霊の原理の発現がそのまま人の思惟となり、言葉という生命の現れとなることを言霊の幸倍いと言います。言葉がそのまま物の内容を現し、考えることがそのまま生命の発現を示します。日本語は約一万年前にこのように創られた完璧な人造言語なのです。
①②の二部構成で、①は古事記冒頭の五十神、②は次の五十神に相当します。それはそのまま五十音図に当てはまります。島生みの最後の両児島とはこの五十対五十の積み重なりの対応を指しています。そして物事を思う心の始まりは、、淡路の穂の狭別の島として言霊五十音図のあ行主体とわ行客体に分かれる道(あわじ)の穂先(言霊)の狭い領域が剖判する(狭別)領域から始まるとなっています。
ここでいう、十四章の構成は古事記の十四島の島生みをそのまま並べたものです。島名の解と内容がそのまま各章の章題となっています。
つまり、君、客体とは何かを述べるにはこれだけのものが必要となります。それはどのような心の問題にも対応していて、言霊「あ」とは何かを述べるのも、パレスチナとユダヤの対立を述べるのも、母が子を思う気持ちを述べるのも、同じ構造原理から出発します。
言霊を使用して述べることは、単に見解を伝達する為に正しいと思うことを述べるのではありません。新しいことを述べるのでも無く、論理的な整合性のあることを述べるのでも無く、視点を変える為に述べるのでもありません。言霊による言語は伝達手段ではありません。自分の心を伝えるために述べるのではありません。
優しい親切な言葉で心を伝えようとして、うまく行けばいいですけど、相手が理解してくれない時はどうなりますか。あの人はわたしの心を理解しないとなって、優しい親切な言葉で喧嘩の種を蒔き、相手のせいにしていくだけです。心を伝えよう伝達しようというわけですから、うまく行かないと頭に来ることになる。だれが仕掛けたといえばその本人です。
言霊は伝達の為の手段ではなく、言葉で自分の生命を創っているということです。
間口が大きくなり、君、客体のことを忘れました。
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